卒業【2】
「「「キューピッド様、今回は誰が好きですかっ!?」」」
目の前でキラキラと瞳を輝かせながら、華奢から筋肉質、ジャニ系からワイルド系まで十人十色並んだ男達を見回して俺はにっこりと笑った。
「んー、君」
「ふわっ! ぼ、僕ですかっ!?」
唐突に指を差されたそばかすの目立つ垢抜けない少年は、ボンッと顔を赤らめると、瞳を期待いっぱいに見開いた。あれだ。リスっぽい。
「やったじゃんジュン! とうとうきたよこの時が! やっとジュンの運命の人が見付かるよ!?」
「キューピッド様からの指名がきたら後はこっちのもんだぜ! なんたって百発百中我等がキューピッド様だもんな!」
彼の友人らしい左右に立つ少年達も、興奮隠せず早口に捲し立てている。
「あ、あのっ、キューピッド様!」
「うん。じゃあ君の運命のお相手が現れるまで、『オレ』と付き合ってね? ジュンくん?」
「はい! よろしくお願いします!」
パチパチパチと周囲から温かな拍手が起こる。
まるで何かの宗教のような気味の悪い光景。
――これが、『キューピッド様の選定の義』なのだ。
一組のカップル成立が済めば次のカップル成立の為こうして恋人が欲しい人間が集まりキューピッド様に選んでもらう。いつの間にか出来ていたルールだった。
指名された人間は運命の相手が現れるまで俺の『恋人』として付き合う。それが、選定の義の条件。
ひどいものだ。彼等は「誰が好きか」と俺が『恋をした』相手を聞くくせに、端から俺との未来など考えていない。俺が『好き』だと告げれば、俺ではない別の『運命の誰か』が見付かるのだと両手を挙げて喜ぶ。そして、最後には「ありがとうございました、キューピッド様」と、運命の人と手を繋ぎながらカップル成立の報告をし、そこで俺との恋人契約は破棄され、最後の最後まで俺の気持ちは無視で完結していく。
誰も気付きはしない。お前達が聞いた『好き』が、いつだって俺にとっては本気の愛情なんだってことに。運命の人が見付かるまでの仮初めの繋ぎですら、俺にとっては本気の恋愛だということに。
――くだらない。ああ、くだらないし気持ち悪い。それでも、俺は人を好きになることをやめられないから、自分からやめるだなんて言い出せない。
そんな気持ち悪い執着にすがり続ける俺が、―― 一番くだらない。
初めは、俺も『俺を好んで俺に告白してくれた』相手と付き合ったり、そんなまともな恋愛をしようと努力したんだ。
けれど、俺が相手を好きだと自覚した途端、俺のことが好きだった筈の相手には、別のもっと強固な『運命の人』が現れる。そして、結局ソッチと絆を深め俺は用無しさようならで『俺の』恋愛は終わりだ。
こんなことを繰り返されて、どうしてまともに向き合おうなどと思える。
もう期待なんてしていない。俺が好きになった人は、必ず俺を好きにならない。ならば、繋ぎだろうと仮初めだろうと、フラれる前提での恋人だと割り切って、その間くらい『好きな人との時間』を楽しんだっていいじゃないか。
どれだけ相手は残酷でも、俺は、そんな君が好きなのだから。
何もセックスを強要したりする訳じゃない。勿論良いと言ってくれるのなら有り難く据え膳に預かるけれど、あくまでもプラトニックに、初々しい子供のデートみたいに手を繋ぐだけでもいいんだ。それだけでも、愛に飢える俺は堪らなく嬉しくて、幸せになれるのだから。『好きな人』と手が繋げた事実は、とても甘美なものだから。
歪んでる? ああ、勿論。倫理観もなにもあったもんじゃない。
けれど、もうこうするしか俺は俺が壊れない方法がわからない。
「トっモっちーん! 俺のことは好きになってくれねぇの~!? 俺もそろそろかわいい恋人欲しいんだけど~」
「はいはい。ボクチャンがお前を心から好きになったらねー」
「なぁんだよお。早く好きになれよ~」
えいえいと軽いノリで弄り倒してくる『友人』は、その要求がどれだけ残酷な言葉なのかわかっていない。わかる訳がない。だから、
――少しくらい、意趣返ししても、バチは当たらないよな。
「ならせめてその貧相なちんこが使い物レベルになるよう毎晩必死にマスでもかいて磨いてきやがれド低脳」
にっこりと笑顔で告げた『お告げ』に、彼の間抜けた顔はよく似合っていた。
「はーなちゃんっ!」
「ああ、会計」
身長はあるのにどこか華奢な背へ、大型犬のようにスリスリとじゃれついた。絶妙にすっぽりと収まるこのフィット感が堪らない。
「カイチョーは?」
「……貴方は私を見ると二言目には会長ですね」
むすっと少し下にある顔から不機嫌そうな瞳が上目遣いに俺を見上げた。あ、先輩拗ねてる。なにこれかわいい。
「だぁってはなちゃんってば無自覚さんだから、会長っていうセコムがないともう心配で心配で、ボクちん夜しか寝れなくなっちゃうよー」
「昼間寝ずに夜たっぷりと睡眠が取れるなら結構ではないですか。あとセコムってなんです?」
目の付け所が違う切り返しに、ほんとこの先輩かわいいなと頬がデレッと緩んだ所で、――優しくて甘ったるい『彼』の毒舌が背後から飛んできた。
「うわっ、バ会計その顔は公害だよ公害。伸びきった鼻さっさと直してよね気持ち悪い」
「――ああ、書記」
この学校に君臨する、正真正銘見た目は正統派天使、口を開けば毒舌悪魔な『小悪魔な天使様』こと黒葛原みづきその人だ。
「京ちゃんだいじょーぶう? このヤリチンオオカミってば油断も隙もないんだからあ」
トテトテとぬいぐるみじみた動きで駆け寄ってきた小柄な彼は、そのままポスッと花京院先輩の腕の中に収まった。
ああクソッ、俺も身長さえ低ければ同じ手が使えたのに!
「書記、歩きにくいです」
そう無表情に文句付けながらも何だかんだで彼をコアラよろしく引っ付けたまま進む花京院先輩。
後ろには俺、前には天使な悪魔。『天使』に囲まれた花京院織色の歩みは大渋滞もいいところだ。――生徒会室から様子を見に来た焔会長が雷を落とすくらいには。
「じゃれてないで仕事しろッ!!」
「「ごめんなさーいっ」」
「はい、ノルマ確認しました。帰っていいですよ」
データにまとめたディスクを花京院副会長に提出して、教科書なんて殆ど入っていないぺっちゃんこのスクールバックを手に立ち上がった。
「それじゃあおっさき~」
「ああ、お疲れ」
「お疲れ様でした」
先輩二人の声に微かに笑って生徒会室を後にする。
二人の先輩達は、俺達が活動を終えた後も基本、執務に暮れている。それはどれだけ仕事が早く終わった日であっても、だ。必ず、後輩を先に上がらせてから帰るらしい。そういう信条があるのだろう。そんな二人だからこそ、信頼できる。
――なんて。くっついちゃった今としてはこの後どうせ生徒会室でイチャイチャするんだろうな、と下衆の勘繰りをしてたりもするのだけれど。
だが真実、この神梛学園ももうすぐ文化祭の時期に入る。その事前準備と処理があるのだから忙しいのは本当だろう。
(……文化祭)
ふと、足が止まった。茜が俺の影を足長おじさんにしようと企てている。
生徒会の任期は一年。文化祭が終われば、新たに新生徒会が選出されて、焔会長と花京院副会長は生徒会を辞めることになる。そして、ただの一学生の身になり卒業式という晴れ舞台に備えるのだ。
それは中等部時代にも感じた、覚えのある痛み。去り行く先輩への寂しさと不安。高々一年姿を見ないだけなのに、同じ敷地内にいて進路も一緒なのだからたった一年我慢すればすぐに再会できる程度の別れなのに、『卒業』という二文字は人をひどくセンチメンタルな気分にさせる。
そして、その痛みが中等部時代よりも強かった。
――何故、なんて間抜けな自問自答をする気はない。原因はわかりきっている。――花京院織色先輩だ。彼と卒業という形で別れるのがつらいのだ。
……予想以上に、執着が強いな。もう花京院先輩には会長がいるっていうのに。この上ない程お似合いな恋人が。
それに今の俺の恋人はジュンくんだ。彼のことを考えてやらないと。
そんな不誠実極まりないことを夢中で考えていたからだろうか。――彼がそこで、緩く天使然とした笑みを浮かべながら待ち構えていることに、俺は一切気が付かなかった。
「――ねえ、ちょっとそこで話そ。バ会計」
「――書記ちゃん」
ガタリと、少し立て付けの悪い扉が彼の小さな手によってスライドされた。下げ札には『古典準備室』の文字が。
「ここねえ、大抵開いてるの。ほら、担当あの藤堂先生だから。超ズボラで有名な。つい最近もあるお二人さんの逢い引きに使われてたくらいだし、こっそり身を隠すにはぴったりの場所でねえ」
ソファーもあるから快適! なんてニコニコ笑いながら我が物顔でソファーに座る彼に、なるべく緊張を悟られぬよう、あくまでも笑顔の姿勢だけは崩さず話し掛けた。――そんな世間話をする為に俺を呼んだ訳ではないだろう、と。
「それで、逢い引きでも何でもないオレ達がなんでそんな隠れた部屋に招待されたのかにゃ?」
ヘラヘラと馬鹿っぽい笑顔を浮かべる俺を、天使は静かな、けれどどこか哀れむような澄んだ翡翠の瞳で見つめている。
――ああ、やはり苦手だ。
そう思った。
俺と彼、黒葛原みづきの関係は悪くない。いや、中等部から同じ生徒会を担う仲間として良好なくらいだ。ぽんぽんと悪口が言い合えるのも、『喧嘩する程仲が良い』を体現しているだけ。
俺はこの黒葛原みづきを、仕事上のパートナーとしても友人としても、純粋に好んでいた。
――けれど、彼のある部分が苦手なことも事実だった。
きっと、後ろめたいものがある人間ならば誰もがこの天使を苦手だと思うだろう。だから、外見と、そして畏怖も込めて『天使様』と呼ばれているのだ。
彼の瞳は、人の隠していたい薄暗い部分を見抜く、弱者の逃げ道を塞ぐ瞳なのだから。
日中は日の光に当てられ儚く輝く金髪も、日が落ちかけた今は色を深く濃厚に見せている。重い重い、蜂蜜の色だ。
「――ちょっと、やり方変えようと思って」
コクリと、渇いた喉になけなしの唾が流れた。
「本当は、もう無理かなって思ってたの。会計が、そうすることでしか自分を守れないなら、どれだけ歪んでいようとも僕は見守っていこうって。壊れる寸前まで、――壊れちゃったとしても、僕は肯定していようって。でもね、まだ、希望はありそうだったから。まだ縋れるなら、抗えるなら、今ここで諦めるのは勿体無いな――て」
ドクリドクリと心臓が音を立てる。彼に直接握られているみたいだ。
何を言っているかわからなかった。当たり前だ。こんな主語もない抽象的な言葉を並べられて、理解できる人間がいるのなら教えて欲しいものだ。
けれど、それはきっとどれもが核心を付いた言葉。――だからこんなにも、恐ろしい。
「荒治療しかないみたいだから、――君を、怒らせようかなって。……少し、喧嘩をしようか。会計」
慈愛の瞳を持った天使の覚悟は、夕闇を持って俺を捕らえていた。
「会計は、京ちゃんが好きだったよね」
「……ああ」
京ちゃんとは花京院織色先輩のことだ。
余談だが、俺はこの先輩への秘めた恋心を誰にも話していなかった。目の前の黒葛原みづきにだって、当然。それでも彼はそれを当たり前のように見抜いていて、そして俺に『あの日』、発破をかけたのだ。――告白してこいと。
「会計は、誰かを好きになってもその人に恋人ができると直ぐさま自分の気持ちを諦めてた。キューピッドの役はここで終わりなんだって」
「…………」
「だからね、京ちゃんの時もそうだと思ったの」
天使は当たり前のように『俺』のことを話しているが、無論こちらも、そんな深層部分まで潜る話を彼としたことなんてない。
誰にも話したことのない本心を見抜かれている恐怖というのは、存外に人を動けなくする。
「でも、京ちゃんと会長が晴れて両想いになった今も、会計は京ちゃんを好きでいる。――今までと違うね。ねえ、なんで? なんで京ちゃんのことは諦められないんだろう?」
幼い子供みたいにコテンと首を倒して見上げる翡翠。
「どうして花京院織色には執着しちゃうんだろう?」
「……だまれよ」
「その他の大勢の『好きな人』は簡単に諦められたのに、どうして京ちゃんのことは目が追っちゃうんだろう? 会長と一緒にいる姿を見て、嫉妬心がくすぶっちゃうんだろう?」
「だまれって」
「今までならあっさり捨てられたのに。くだらない、て一歩引いて、幸せそうに笑う二人を鼻で笑って」
「だから黙れよ……!」
「今まで、捨てていたくせに。人を好きだと告げておきながら、実質距離をはかって深入りしないよう線引きして、敢えていつでも諦めが付く距離にいた卑怯者――」
「――ッ知ったような口利くな!!」
とうとう、感情は爆発した。
ソファーに座る彼の肩を掴み上げ、遠慮も配慮もない力で引き倒し押さえ付ける。このまま首までも絞めてしまいそうな勢いだった。
「ぅ、ぐ……っ」
「お前に何がわかんだよ! ペラペラペラペラ好き勝手喋りやがって! ならお前にはわかんのか!? 好きになった瞬間に失恋が決定してる奴の気持ちが! 好きな奴が、『俺のおかげ』で! 笑って誰かの手を取ってる気持ちが! 諦めてたくせに? 諦めるだろ! ここまで見せ付けられたら!! どうやって抗えっていうんだよ!? どうやって縋れって……っ、そんな、ことしたら、」
「――俺が傷付くじゃないか」
詰まった言葉の先を静かに繋いだのは、凪いだ瞳をした天使だった。
「深入りすれば、反動で傷はどんどん大きくなっていくから。本気にならないように、自分を律して。いつだってくだらないと引き返せる距離にいて。なあ、本当に諦めてんのはどっち? 仕方ないから? 違うだろ? そうやって、お前が『自分の本心』から逃げるんだろ?」
普段とまるで違う口調に、驚いている間などなかった。ただただ、全てを見抜く翡翠の瞳がこわい――――
「いつから抗うのをやめた? 初めは、好きな人に別の想い人ができたとしても、奪い去るくらいの気持ちでいた筈だ。そういうもんだ。恋って。要はどれだけ執着できるかだよ。綺麗なものなんかじゃない。それを自分で捨てたのはお前だ。二条友紀。自分から、お前は自分が幸せになる為の努力を捨てて、一歩引いた場所で不幸ぶってガキみたいに拗ねてんだよ。情けねぇドへたれが」
力の抜けた腕から、黒葛原みづきが腹の力だけで上体を起こす。近付く距離は、茫然と俺を震えさせた。
「本当に好きなら、抗え。運命に抗え。最後の最後まで、足掻いてみせろ。お前のその花京院織色への気持ちが嘘でないなら、お前が納得できるその時まで、自分の本気をぶつけてやれ!」
光もないのに、金髪が瞬いているように見えた。翡翠が輝いていた。
「諦める必要なんてない。そんなの悔しいだろ。そうやって本心を自ら殺して腐っていくだけじゃ、苦しいだろ。僕には、ずっとずっと、君が自分で自分を傷付けているようにしか見えなかったよ。苦しくないふりして、永遠と自分すらも騙す笑顔の仮面をかぶって」
小さな、子供みたいな手が頬へと当てられる。ゆるりと撫でるそれは、子供をあやす母親のようだった。
「ねえ、ちょっとくらい甘やかしてあげなよ。『自分』の気持ちを、ちゃんと聞いてあげて。本当はいつだって君は――たくさん泣いて悲鳴を上げていた筈なんだから」
「――っ」
どうしようもなかった。いつもの『俺』を取り繕うことなんて、とてもできなかった。
コテリと、酷い扱いをした彼の肩に額を落とす。
「本当はね、こんなこと言うつもりなかった。きっと、一生。だって僕も諦めていたから。二条友紀の心はもう、ぼろぼろで傷付きすぎて麻痺しちゃったのかもしれないって。そう、君が望んだのかもしれないって。でも、君は花京院織色に執着を見せた。諦めていた恋心がまだ息をしていた。――だから、まだ間に合うかもしれないと、そう思ったんだ」
スッと入った指がやけくそ気味に染めて痛んだ髪を掬っていく。……優しい手だ。
「いっぱいいじめてごめんね。誰だって、こんなこと他人に指摘されたくなんかないよね。でも、そうでもしなきゃ君の逃げ癖はいつしか本当になっちゃうと思ったんだ。――ほら、ここには君をいじめた意地悪な黒葛原みづきしかいない。誰も見てないし、誰も同情しないし、誰も笑わない。だから、――『二条友紀』の、本心を、ちゃんと聞いてあげて」
とくりとくりと微睡みの中に降りかかる天使の甘い囁きは、俺の強情な仮面を完全に溶かしていた。
「さびしかった」
「うん」
「なんで俺ばっかり。ただ好きになった、だけなのに」
「そうだね」
「誰も、俺を見てくれない。愛してくれない」
「……そう」
「……っ俺は、こんなにも、見てるのに……!」
「うん」
「俺ばっかりなんだ。好きなのは、俺ばっかり。くやしい。最初っから、俺は選択肢の中には入ってなくて、俺は、お前が好きなのに……!」
「そうだね。つらいね。とても、つらいね」
何を言っても肯定される柔らかさは、ぐにゃぐにゃに虚勢を壊していく。
「――っちゃんと見てよ。俺を、見て。俺を、愛して……!」
そう叩き付けるように吐き捨てた途端、頬を両手で包み上げられ、頭から視界が一気に広がって。
「見てるよ。――君を、見てる」
俺を『見る』天使はどこまでも優しい顔をして、微笑んで言ったのだ。
「……やっと泣いたね。臆病者」