都平阿坂6
リビングに向かう。
母はもう起きていて、身支度を整えていた。父もだ。
これから真代さんの家に送りがてら謝りに行くのだろう。
本当に申し訳ない。
この真摯さが子供に対する愛情だとわかっているからこそ申し訳ない。
僕も連理も本当の子供ではないだろうに。
「おはよう阿坂。
顔色が悪いわ。疲れが取れていないのね。朝ご飯を食べたらもう一度寝なさい」
母が言う。心配をかけている。
母の愛が、父の愛が、僕や連理に向かうとそれだけで身につまされた気持ちになる。
「大丈夫。
大丈夫だよ。僕もちゃんと真代さんのお母様にご挨拶しないと」
うまく笑えているはずだ。
真代さんのお母さまは真代さんに似て線の細そうな女性だった。
両親や僕らの謝罪を快く受けてくださって、むしろ娘に友達ができたことを喜んでいるようだった。
今度はうちに泊まりに来てねと連理に言っていた。僕にも言ってくれたがさすがに丁重に遠慮した。
母子家庭だという。
おかしな時期の転校だなとは思っていたけれど。
そうか離婚か。
「未来は随分とお母さんに似ているのね」
帰りの車で連理がぼそりと独りごちた。
「そうね。阿坂と連理もどちらかといえばお母さん似かしら?」
母がそう返す。
いいや連理は僕に似ているんだよ母さん。
そんなことは言えやしなかった。
その日僕は帰ってからずっと眠っていた。緊張の糸が切れたのかただ本当に疲れていたのかはわからなかった。
もしかしたら自分自身で背負った重圧に耐えきれなかったのかもしれない。
目が覚めるとあたりは暗くなっていた。
起きよう。そう思い身をよじるとベッドの端に連理が座っていた。暗くて顔は見えない。
「……どうした?…こんな真っ暗な中」
随分とかすれた声が出た。反応はない。
しびれを切らして電気をつけようかと身を起こしたところでようやく連理は口を開いた。
「……がっこうの…」
学校?なんのことだ。
「学校の課題で…国語の。山月記あるでしょ。あれの続きを書けって言われたの」
あったなそんな宿題。
主人公が山で虎を見た。
その虎が昔の友人だった。
虎は語る自分が人から虎になってしまった理由を。
やがて虎は去る。
その物語の続きを書く宿題。
「いろんなことが頭に浮かんだ。幸せにしてあげようと思ったの。
自分ならどんなハッピーエンドを描けるだろうって。
悔い改めて許されて人間になったよって。」
連理の表情は見えない。起こっているのだろうか。きゅっと布団を握っている。
「でも……書けなかった。」
なるほど…と思った。そうか書けなかったのか。
何となく言いたいことがわかってきた気がした。
「……一文字も書けなかった。
怖くなったの。
もし自分が書いたことが本当になったらどうしようって。その人の運命を私が決めてしまっていいのかって。
登場人物がもし自分の運命が決まっているとわかったら決めた人をどう思うかって思ったら……書けなかった。
そんなことあるはずないのに。」
「うん……」
自嘲じみた笑いが漏れた。
そうともそんな事、起こるはずがない。僕だってそうだ。そんなこと起こるだなんて考えもしなかった。
小説を書いている時。自分がその登場人物にどんな風に思われるかだなんて考えて書く人間なんていないだろう。
自分なりの幸せを登場人物に与えたつもりだった。つもりだったのだ。そっと連理から視線を外す。
理解してほしくなかったことをりかいされてしまった。
この痛みをしってほしくなかった。
存外連理が僕に対して優しいと知っている。
だからこそ知ってほしくなかった。
目をそらす。しかしそれを連理が許してくれなかった。
グイっと顔を、連理と目があるように固定させられる。
しっかりと目が合う。あの雪山とは違う
「そう……だから。」
「阿坂への。あなたが私に強いた運命の残酷さについて、あなたに対する怒りを保留にすることにしたの。
許すことはない。でも保留にしてあげる。
楽しむことにしたの。この人のみの人生を。」
すっと連理が息を吸い込む。
「だからあなたもあなたの罪悪感を保留にしなさい。私を楽しませることに全力を注ぎなさい。」
気づかれていたのだとわかった。僕がこの痛みに寄り添ってほしくないことに。
許されたくないことに。
僕が設計した世界。僕が設計した幸せ。僕が設計した不幸せ。
全部全部僕のせいだ。
ずっと思い悩んでいた。ずっと押しつぶされそうだった。
「責任を取るべきでしょう。楽しいことがたくさんあるからと私をこんな風にしたのだから。」
連理は力強く僕に命令した。
連理は強い。
僕よりも人間らしいのかもしれない。
もしかしたら。もしかしたら罪悪感を感じていること自体が彼女らにとっての侮蔑だったのかもしれない。
そっか。そうだった彼らはもう登場人物ではないのだ。
覚悟を決めるべきだ。
とうに持ち得ていると思った覚悟をちゃんと彼女の望む方向に。
「そうだね。まったくもって君の言うとおりだ。」
そういって笑うと。連理も同じように笑い。
僕に頭突きをした。結構な勢いだった。
目が覚めたし痛かった。
次から連理編




