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花束の傘  作者: 祥野雅子
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33/33

最終話 花束の傘を

この物語が、降り止まない雨の中にいるあなたの一本の傘になれますように

 船橋北警察署で、ハユンは書類の作成をしていた。


 カッチーニのアヴェ・マリアが流れる。ハユンの携帯電話だった。

 画面には「亜希子」と表示されている。ハユンはすぐさま電話に出る。

「どうした、亜希子」

「ハユンさん……ハユンさん。ごめんなさい」

 亜希子のか細い声だった。

「どうした」

「本当にごめんなさい。そばにいて欲しくて……」

 やりとりを聞いていた同僚の刑事、遠藤武史が何かを察して声を掛ける。

「あとはやっておくから。今日は帰れ」

「でも、……」

 ハユンは残りの書類の山を見て言った。

「崔、後悔したくないだろう」

「……」

「俺が後悔したくないんだ。頼むからそばに居てやってくれ」

 遠藤はそう言うと、ハユンの肩を抱く。

 ハユンは静かに頭を下げると、急いで警察署を去った。


 帰ってきたハユンが、亜希子の姿を確認すると、ホッとした顔をする。

「ただいま」

 ハユンはそう言うと、亜希子のいるベッドに入る。

 画集を見ている亜希子。

「亜希子、ただいま」

「……おかえりなさい、ごめんなさい、ハユンさん」

「いいんだ。何も問題ない。……それは、モナリザか」

 亜希子は力なく問いかける。

「この女性は、嬉しいことがあったのかしら」

「微笑んでるんだからそうだろう」

「でも、人間て悲しいから笑う時もあるじゃない?」

「……」

「受け入れるしかない場面では、人は笑うのよ。ホッとしたみたいに」

 ハユンに微笑む亜希子。

 

 ハユンは、結婚してはじめての亜希子の誕生日に、亜希子が言った言葉を思い出した。


「こういう〝はじめて〟が、毎日私たちに訪れるんだね」


 〝はじめて〟の死別が迫って来ているんだと、受け入れ難い気持ちだった。ハユンは思わず呼びかける。

「亜希子」

「ん?」

 安らかな顔で答える亜希子。

「愛してる」

「私もよ……ぎゅってして」

 ハユンは亜希子を抱きしめて言う。

「僕と……こんな僕と結婚してくれてありがとう」

「ありがとう……ハユンさん、私、またハユンさんと結婚したい……今までありがとう」

「……」

 ハユンは亜希子の全身の力が抜けたのを感じた。

 ハユンは愛おしく亜希子の頬を撫でると、再度、亜希子を抱きしめた。自分の体温を分けるかのように、ハユンは抱きしめ続けた。


 ……あの雨の日、亜希子に傘を渡したのは私だったが、私も亜希子から花束の傘を差してもらって来た二十三年間だった……


 ……雨は降るものだけれど、花束の傘があれば私たちは生きて行ける……人は皆、花束の傘を持っているのだろう……


 ……あとは、お互いに差すだけなのだ……


 亜希子を亡くしたハユンが、聖堂内の壁にもたれて嗚咽している。神にすべてをさらけ出すように泣きながら、様々な感情が溢れて来る。


 ……悲しみが深いということは、それだけ幸せも深かったということなのだろう……


 智博が聖堂へ入ってくる。ハユンにハンカチを差し出す智博。

 

「お父さん、お父さんが辛い時は僕も辛いからね。僕にも分けてね」

 そう言うと、智博はすぐに聖堂を出ていく。

 

 智博も聖堂の外壁にもたれて泣いた。


 ……人生に愛する人がいたという経験は、これからの人生を支えてくれるだろう……

 

 ……この世界はいつでも神の手の中にある。喜びが恵みなら、悲しめることもまた恵みなのだ……


 聖堂からハユンが出てくる。

 智博が声を掛ける。

「お母さん、良い人生だったよね」

 ハユンは胸がいっぱいだった。

「お父さんと居る時のお母さん、いつも幸せそうだったもん」

「……」

「お父さんもお母さんと結婚して良かったでしょ?」

 何度も深く頷くハユン。

「僕もいるしね。僕、かわいいでしょ?」

「ああ」

 ハユンは微笑んで、智博の肩を抱いた。

 

 ……花束の傘を他人にも分けて行こう。人を愛することが、この先も亜希子を愛することになると信じて……


 ハユンは義母、裕子の部屋へ来た。

 部屋の壁一面に、ドライフラワーが飾られている。ハユンが毎年、亜希子の誕生日に裕子へ贈ったものだった。

 

 ハユンは落ち着いた声で言う。

「お義母さんは、最期まで僕が面倒を見ます。安心してください」

「ありがとう。でも、無理しないで。あなたの人生はまだ続くから」

 裕子はそう言うと、壁一面のドライフラワーを眺める。

「本当に、本当にあの子はハユンさんと出会えて幸せだったと思います。一緒になってくれてありがとう」

「お義母さん。幸せだったのは僕も同じです。亜希子さんを産んでくれて、ありがとうございました」

 裕子は静かに涙を流した。


 おわり

最終話までお読みくださり、ありがとうございました*͈ᴗ͈ˬᴗ͈ෆ


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