第28話 智博の成長─自分を抱く
この物語が、降り止まない雨の中にいるあなたの一本の傘になれますように
智博はすくすく伸びやかに育った。
しかし、泣くこともたまにはあった。
智博、五歳の時だった。
ハユンと亜希子は、智博を連れて市川にあるニッケコルトンプラザに来ていた。
ウインドーショッピングをしていると、智博が突然立ち止まった。
亜希子は智博の異変に気づく。
そこには、「名菓 ひよ子」が展示してあった。
「えーん」
泣き出す智博。ハユンも駆け寄る。
「どうした智博」
「かわいそうだよ、ひよこ~。ひどいよ、こんなことするなんて~」
そう言いながら泣きじゃくっている。
ハユンが智博の頭を撫でながら言う。
「もしかして、ひよこが中に入ってると思ったのか?」
「うん、うえ~ん」
「違うのよ、智博」
亜希子はそう言って智博を抱きしめた。
「ひどいよ~」
「これはお菓子よ。ひよこの形をしたお菓子なの」
「だから、ひよこをお菓子にしちゃったんでしょ?うえ~ん」
「そうだけど……違うのよ……」
亜希子は戸惑いながら智博を抱きしめ続けた。
「違うのよ……」
亜希子は、お菓子のひよ子の、あのつぶらな瞳と向き合った。
「違うのよ……智博……」
智博はなかなか泣き止まなかった。
智博、六歳の時。
智博は誕生日プレゼントに貰った電車のおもちゃで遊んでいた。
皿洗いをしているハユンが言う。
「智博、レールをはみ出しちゃダメだぞ。レールの中で遊ぶんだ」
智博は気にせず乱暴に電車を左右に動かしている。
「大事に、大事に遊ぶんだぞ」
その時だった。
智博は電車を壁に衝突させてしまう。
破壊された先端を見て呆然としている智博。
音に気づいたハユンは、手を拭いて急いで智博の元へ駆け寄る。
「智博……」
壊れてしまった電車を見たハユンは、跪いて智博を抱きしめる。
「うえ~ん」
智博は泣き出す。
「……大丈夫だ。大丈夫。こういうこともあるんだ……」
ハユンはそう言いながら、智博を強く抱きしめた。
智博はハユンの腕の中でしゃくり上げている。
ハユンは智博を抱きながら思い出していた。壊れた飛行機の模型の前で泣いている自分を。
……幼い頃、同じ思いをした自分を抱いているようだ……
ハユンは幼い頃の自分が慰められていくのを感じた。
智博が泣き止むと、ハユンは壊れた電車に対峙して十字を切った。
智博の成長に戸惑う時もあった。
寝室でベッドに入りながらハユンは本を読んでいる。
ドレッサーにいる亜希子がハユンに問いかける。
「ハユンさん」
「ん?どうした」
「今度の教会のバザーね、智博が教会学校の子たちと焼きそば作ることになったんだけど……」
「うん」
「材料切る時に包丁使うじゃない?大丈夫かな、と思って」
「……智博ももう九歳だから大丈夫だろう」
「火も心配で」
「色んな経験は必要だよ」
「危なくないかしら」
「やらせてみよう。一生何も出来ない男になるぞ」
「そうね……」
ドレッサーにいた亜希子は、ベッドに入る。
「それでね、ハユンさん」
「どうした」
「智博が土曜日の教会で、ホームレスの人たちに配る炊き出し、手伝いたいって言うのよ」
「いいんじゃないか」
「カレーを作るそうなんだけど……」
「うん」
「包丁……危ないんじゃないかと思って」
「デジャヴか?」
ハユンは思わず聞き返した。
「もう九歳なんだから、色々出来るようにならないと」
「危なくないかしら」
「色んな経験は必要だよ。一生何も出来ない男になるぞ」
「そうよね……そうよね……」
亜希子は自分に言い聞かすように繰り返した。
バザー当日、カトリック市川教会の敷地でバザーの準備が進められている。
教会学校の中学生や高校生たちが下級生たちにキャベツの切り方やにんじんの切り方を教えている。
エプロンをした智博も見よう見まねでにんじんを切っているが、なかなかさまになっている。
ハユンら大人の男性たちはテント設営をしている。
亜希子ら大人の女性たちも教会の台所でおでんを作っている。
バザーがはじまると、各所で盛況だった。
午後三時頃、手の空いたハユンと亜希子は、焼きそばを買いに智博のいる教会学校ブースに来る。
「お父さん、お母さん」
智博が二人を呼ぶ。
「焼きそば一つください」
ハユンは小銭を高校生のレジ係に渡す。
パックに焼きそばを詰めている翼ちゃんが、
「智博パパとママにサービス!」
と言って焼きそば三パックを袋に入れる。
「悪いですよ」
亜希子は恐縮して言う。
「実はね、焼きそば作り過ぎちゃったの。ここだけの秘密なんだけど、みんなにも三パックあげてるのー」
翼ちゃんは愛嬌たっぷりに言った。
「そうなの?」
亜希子は智博に聞く。
「うん。いっぱい余ってるんだよ。だからもらって」
「それなら……」
ハユンは袋を受け取った。
「翼ちゃんね、もらってくれてうれしー。ありがとー」
翼ちゃんはそう言って、手を振ってハユンと亜希子を見送った。
教会の会議室でハユンと亜希子が焼きそばを食べていると、智博がやって来て輪に加わる。
亜希子が聞く。
「智博、初めての料理はどうだった?」
「楽しかったよ。みんな褒めてくれた」
「そう、良かったわね。包丁怖くなかった?」
「こうやってね、猫の手にして切るんだよ、危なくないように」
智博は、左手を握って言った。
「教えてもらったのね」
「うん。お母さんもやるといいよ」
「ふふ、そうね。お母さんもやってみるわ」
亜希子が余った焼きそば二パックを見て言う。
「夕食も……焼きそばにしましょう」
ハユンはしみじみ言う。
「しかしまあ……教会はあいかわらず……良くも悪くも緩いな」
亜希子はふふ、と笑った。
ハユンはパックを片付けながら言う。
「智博、いい経験になったな。他のこともなんでもやってみるといい」
「うん」
ハユンはゴミで溢れているゴミ箱を見つける。
「智博、あれを片付けよう。お父さんと競争しよう」
「うん」
「よーいドンだ」
二人はゴミ箱に走り寄ると、床に落ちたゴミを集めて、ハユンはビニール袋の口を縛った。
亜希子はそれを微笑ましく見守った。
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