第20話 夜明け前の決意
冷たい汗が、じっとりと背中を濡らしていた。心臓が、まるで破裂しそうなほど激しく脈打ち、浅く速い呼吸が喉を灼く。暗闇。どこまでも続く、出口の無い迷宮の闇。壁を伝う湿った空気はカビ臭く、鉄錆と、そして……生々しい血の匂いが混じり合って鼻腔を突いた。
――ガキンッ!
背後で、金属同士が激しくぶつかり合う音が響く。いや違う、あれは金属じゃない。巨大な牙が、硬い岩を砕く音だ。
ひたひたと、重い足音が近付いてくる。それは、恐ろしい獣の、地獄の番犬のようなA級モンスターの足音。
赤い瞳が、闇の中で爛々と輝いている。その赤い光が、嘲るようにオレを見つめている。
『すまない、タクマ……。恨んでくれて構わない……』
脳裏に響く、冷たく感情の抜け落ちた声。信じていたはずの、優しかったはずの、先輩たちの苦渋に歪む顔。そして、オレは――あのA級モンスターに向かって、無慈悲に突き飛ばされた。彼らが生き残るための、捨て駒として。
絶望的な咆哮が鼓膜を劈く。牙が、爪が、すぐそこまで迫る。
――場面が変わる。
息を切らし、傷だらけで、それでも必死に走る。後ろからは、あの獣が執拗に追いかけてくる。もうどれだけ逃げたのか分からない。体力も気力も尽きかけている。
そして、行き止まり。暗く深い奈落へと続く崖っぷち。後ろからは、確実に死をもたらす獣が迫る。
逃げ場は、もう無い。
足元の岩が崩れ、体が傾ぐ。
闇へと、奈落へと、吸い込まれるように落ちていく。絶望的な浮遊感。
(エリス……)
薄れゆく意識の中、視界の隅で何か白いものが、崖の上から飛び込んでくるのが、見えた気がした――。
◇
「うわあああああっ!!」
自分の叫び声で、オレは跳ね起きた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
全身が汗でぐっしょりと濡れ、シャツが体に張り付いている。心臓はまだ激しく鼓動を繰り返し、周りの空気を必死に求めるかように、荒い呼吸を繰り返した。窓の外はまだ暗く、部屋の中にはランプの頼りない灯りだけが揺らめいている。静寂が、悪夢の残響を際立たせているようだった。
「……また、この夢か……」
ここ最近、見なくなっていたはずの悪夢。レギーナムトの迷宮での、あの忌まわしい記憶。なぜ、今更……?
昼間の出来事が、脳裏に蘇る。フラウリンド伯爵家での、重苦しいお茶会。眠り続けるソフィー夫人の話。《神水》を求める彼らの、ローゼちゃんの、悲痛なまでの願い。そして、エリスの、何かを決意したような、硬い表情……。
(《神水》……レギーナムトの迷宮……)
繋がってしまった。思い出したくもない記憶と、エリスの抱えた想いが。それが、悪夢の引き金になったのだろうか?
言いようのない不安が、胸の中に冷たい霧のように立ち込めてくる。エリスは……大丈夫だろうか? あの後、妙に思い詰めた様子だった。まるで……。
嫌な予感が、オレをベッドから突き動かした。汗で濡れたシャツを着替えもせず、自分の部屋を飛び出し、リビングへと急ぐ。
「エリス……?」
呼びかけてみるが、返事はない。いつもなら、リビングのソファで猫のように丸くなって眠っているか、あるいはオレの気配に気付いて、眠そうに目を擦りながら二階の部屋から「おはよ、タクマ」と声をかけてくるはずなのに。
リビングは、しんと静まり返っていた。ソファの上には、エリスがいつも使っている、少し毛玉のできたブランケットが、持ち主の不在を告げるかのように無造作に置かれているだけ。リビングには、エリスの温もりだけが、まだ微かに残っている気がした。
心臓が、ドクン、と嫌な音を立てて跳ねる。まさか、とは思う。だが、エリスならやりかねない。あの優しさと、時折見せる頑固さ、そして、オレを巻き込みたくないという、過剰なまでの気遣い。それが、彼女を無謀な行動へと駆り立ててしまうことがあるのを、オレは知っている。
強い胸騒ぎに突き動かされ、オレは二階にあるエリスの部屋へと駆け上がった。普段は、たとえエリスがいても、許可なく入ることは絶対にしない。そこは、彼女だけの聖域だからだ。だが、今はそんなことを言っていられない。
コンコン、と軽くノックする。
「エリス? いるのか?」
返事は無い。耳を澄ましても、物音一つ聞こえない。
意を決し、ドアノブに手をかける。祈るような気持ちで回すと、カチャリ、と軽い音を立ててドアが開く。鍵は、かかっていなかった。
そっと、音を立てないようにドアを開ける。隙間から中を覗くと、そこには……誰もいなかった。
部屋は、もぬけの殻だった。ベッドは、まるで持ち主が長旅に出るかのように、綺麗に整えられている。開け放たれた窓からは、冷たい夜風と共に、弱々しい月明かりが差し込み、主のいない空間を寂しく照らし出していた。
そして、部屋の中央、簡素な木の机の上に、一枚だけ、ぽつんと置かれた小さな紙が目に入った。
吸い寄せられるように部屋に入り、震える手でその紙を手に取る。そこには、エリスの、きっと涙で滲んでしまったのだろう、少し歪んだ文字で、たった一言だけ書かれていた。
『ごめんなさい』
その瞬間、オレの中で何かがブツリと切れた。
「……っ! あのバカ……! たった一人で……!」
血の気が引く感覚と、同時に、腹の底から激しい怒りがこみ上げてくる。オレを置いていくつもりか? あの危険な場所へ、たった一人で? ふざけるな!
(あの場所がどれだけ危険か、忘れたわけじゃないだろう!?)
脳裏に、四年前の記憶が鮮明に蘇る。『奈落の底』。A級モンスターから逃げ、転落した先の崖底を、オレとエリスはそう呼んでいる。そこで、出口を探して彷徨う中、偶然見つけた広大な地下空洞。その中央に、神々しく浮かんでいた巨大な紫水晶。そして、そこから滴り落ちていた、黄金色の液体……あれが、きっと《神水》だ。だが、その傍らには、全てを焼き尽くさんばかりの炎を纏った巨人が、守護者のように立ちはだかっていた。近付くことすら許されない、A級モンスターでさえ遥かに凌ぐであろう圧倒的なプレッシャー。オレたちは、あの時、別の道を探して命からがら逃げ出した。
(あんな奴がいる場所に、エリスを一人で行かせるわけにはいかない!)
エリスを失うかもしれない。その恐怖が、怒りとともに全身を駆け巡る。オレは紙を握りしめ、踵を返した。
◇
考えるより先に体が動いていた。必要な装備――厚手のハンタージャケット、愛用の片手剣、譲り受けたスリングショット、最低限のポーション、そしていくらかの保存食――は、常にオレの収納庫の中にある。確認するまでもない。オレはそのまま家を飛び出した。
まず向かうのは、ハンターギルドだ。深夜とはいえ、アスターナ支部は24時間体制で運営されているはず。エリスの行き先は分かっている。レギーナムト山だ。だが、あの山へ行くには馬があった方が早い。そして、エリスがギルドに立ち寄った可能性もゼロではない。何か情報を得られるかもしれない。
深夜のアスターナは、まるで死んだように静まり返っていた。石畳を蹴る自分の荒々しい足音だけが、虚しく響き渡る。街灯の頼りない光が、伸びるオレの影を歪ませる。
ギルドの重い扉を押し開けると、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。カウンターにはランプが一つ灯され、見慣れたキツネ耳の受付嬢――ティアさんが、書類整理をしているようだった。夜勤なのだろうか、少し疲れた表情にも見える。
「ティアさん!」
オレが息を切らして駆け寄ると、ティアさんは驚いたように顔を上げた。
「タクマさん!? どうしたんですか、こんな時間に。顔色も悪いようですけど……」
「エリスを見ませんでしたか? ここに来ませんでしたか?」
オレの切羽詰まった様子に、ティアさんは眉をひそめる。
「エリスさん? いいえ、見ていませんが……。何かあったんですか? エリスさんに何か……」
「……いえ、なんでもないです。それより、馬を借りたいんですが。今すぐ借りられる馬はいますか?」
ティアさんの心配そうな視線から逃れるように、オレは早口で捲し立てた。エリスのことを話すわけにはいかない。
「馬、ですか? ええ、厩舎に何頭かいるはずですけど……。ですが、こんな時間にどちらへ?」
「急ぎの用事なんです! お願いします!」
オレの必死の形相に、ティアさんは何かを察したのかもしれない。それ以上は深く追求せず、頷いてくれた。
「……分かりました。手続きはこちらでしておきます。厩舎番には、私に話を通してあると伝えていただければ」
「ありがとうございます!」
礼もそこそこに、オレはギルドを飛び出し、裏手にある厩舎へと走った。厩舎番の老人にティアさんからの伝言を告げると、すぐに一頭の頑丈そうな馬を用意してくれた。手早く馬に飛び乗り、手綱を握る。
(エリス、待ってろ……。絶対に一人で行かせない。オレから離れるな!)
オレは馬の腹を強く蹴り、アスターナ北門へと向かって駆け出した。
北門は、深夜は固く閉ざされているはずだ。だが、今はそんなことを言っていられない。門番に駆け寄り、懐からハンターの身分証を提示する。
「緊急事態だ! ハンターギルドからの緊急要請だ! すぐに門を開けて、通してくれ!」
オレの剣幕と、本物のハンター証に、門番たちは一瞬戸惑ったようだが、緊急時の対応マニュアルに従ったのか、重い門扉をゆっくりと開け始めた。
「……ひとつ確認したい。オレの前に誰か……女性のハンターが通ったか?」
門番たちは互いに顔を見合わせ、そして全員が首を横に振った。
エリスは北門を通っていない? ……いや、エリスなら、闇に紛れて壁を乗り越えられるだろう。一人なら、なおさらだ。
「わかった。ありがとう。感謝する!」
オレは短く礼を言うと、門が開くや否や、馬を駆けさせ、レギーナムト山へと続く暗い道へと飛び出した。月明かりだけが頼りの、見慣れたはずの道が、今はまるで異世界のように不気味に見えた。木の葉が風に擦れる音、遠くで響く夜行性の獣の声、それら全てが、オレの不安を掻き立てる。
馬の背に揺られながら、ひたすらエリスの気配を追う。門番の誰もが見ていないなら、馬は使っていないはず。だがエリスの身体能力なら、徒歩でもかなりの速度のはずだ。それでも、馬を使えば追いつけるかもしれない。
(……なのに、追いつけない……! エリスの奴、本気で走ってるのか!?)
焦燥感が募る。それでも、諦めるわけにはいかない。もし、エリスに何かあったら……。その想像だけで、全身の血が凍る思いだった。
◇
どれくらい走っただろうか。馬も息を切らし始めた頃、オレはようやく見覚えのある場所にたどり着いた。レギーナムトの迷宮の入口だ。周囲は静まり返り、不気味なほどの静寂に包まれている。岩肌が剥き出しになった崖の中腹に、ぽっかりと口を開けた洞窟。それが、忌まわしい記憶の始まりの場所。
数年前、低層にA級モンスターが出現して以来、この迷宮の入口にはギルドによって特殊な封印が施され、普段は厳重な警備が敷かれているはずだ。許可なく立ち入ることはできない。
馬から飛び降り、近くの木に手早く手綱を結びつける。そして、息を潜め、岩陰から慎重に様子を窺った。
(あれは……)
入口の扉が、僅かに開いている。そして、中から微かに、松明らしき光が漏れているのが見えた。エリスだ。間違いない。彼女は、もう中に入ってしまったんだ。
(どうやって封印を……? まさか、無理やり……?)
入口の扉の傍ら、地面に小さな木の実が一つ落ちているのが目に入った。夜露に濡れた、見覚えのある、小さな硬い木の実。
(これは……まさか……あのピクシーの?)
あのピクシーたちが、エリスが封印を解くのを手伝ったのだろうか?
考えすぎかもしれない。偶然かもしれない。だが、今は考えている暇も、迷っている暇もない。オレは音を立てないように慎重に扉を押し開き、素早く迷宮の中へと滑り込んだ。
中は、ひんやりとした湿った空気が漂っていた。壁に埋め込まれた蒼光石が、弱々しい、しかしどこか神秘的な青白い光を放ち、揺らめく影を作り出している。異質な空間。ここが、オレの悪夢の舞台。
◇
迷宮に入ってすぐ、前方に揺らめく松明の灯りと、見慣れた白銀の後ろ姿を見つけた。間違いない、エリスだ。彼女は入口から数十メートルほど進んだ場所で立ち止まり、迷宮の奥をじっと見つめているようだった。その背中からは、悲壮な覚悟と、深い葛藤が滲み出ているように見えた。
「エリス!」
オレが声をかけると、エリスはびくりと肩を震わせ、弾かれたように振り返った。その顔には、驚きと、そして見つかってしまったことへの罪悪感が浮かんでいる。
「タ、タクマ!? どうしてここに……。来ちゃダメなのに……」
その声は震え、大きな瞳は涙で潤んでいた。
「それは、こっちのセリフだ!」
オレは怒りを抑えながらも、彼女との距離は保ったまま、強い口調で言った。詰め寄りたい気持ちを必死で抑える。もし今ここで、エリスに本気で逃げられたら、今度こそ追いつけなくなってしまうかもしれない。
「何を考えてるんだ、お前は! 『ごめんなさい』の一言で、オレを置いていくつもりだったのか!?」
オレの剣幕に、エリスは一歩後ずさり、俯いてしまう。
やがて、震える声で、ぽつり、ぽつりと、絞り出すように言葉を吐き出す。
「ごめん……。でも、これは私の我儘だから。ローゼちゃんを助けたいって思ったのは、私だから。タクマを……タクマを危険な目に遭わせるわけにはいかないの! あの『奈落の底』には、とんでもなく強い奴がいる。勝てるかどうかなんて、分からない。そんなところにタクマを連れて行くなんて、絶対にできない!」
エリスは顔を上げ、溢れ出しそうな涙を必死に堪えながら訴える。
「それに、ここは……タクマにとって辛い場所でしょ? またあの時のことを思い出して、タクマが苦しむのを見たくない。私が一人で行けば……タクマは傷つかなくて済むから……」
その必死の想いが、痛いほど伝わってくる。オレを大切に想う気持ち、守ろうとする気持ち。だが今は、今だけは、それはあまりにも一方的で、そして何より……オレを信じていない証拠のようにも感じられた。
「エリス……オレの心配はするな」
オレは、エリスの言葉を遮るように、静かに、しかし強い口調で言葉にする。
「悪夢なら、さっき見たさ。けど、トラウマは逃げてたら克服できない! オレは、お前と一緒にここへ来て、過去を乗り越えるって決めたんだ! オレ自身の為にも! それに……」
オレは一歩前に出て、エリスの目を真っ直ぐに見据えた。
「オレはもう、あの時のオレじゃない!」
エリスが息を呑むのが分かった。
「お前は、オレがまだ『お荷物』だって言うのか?」
その言葉は、エリスだけでなく、オレ自身にも突き刺さる。だが、言わなければならなかった。
「違う! そんなこと、一度だって思ったことない!」
エリスが、涙声で激しく首を横に振る。
「なら、信じろ!」
オレは叫んだ。
「だけど……! 危険すぎる! そうだ、賭け! 賭けは私の勝ちだよね? だから、言うことを聞いて! 私の『お願い』は、ここで待っててくれること! お願いだから!」
エリスは、最後の切り札とばかりに、岩場からの帰りにした賭けを持ち出してきた。その必死な様子に、オレの心は揺れる。だが、ここで折れるわけにはいかない。
「……ああ、賭けには負けた」
オレは静かに認めた。
「だが、お前を一人で死地に送り出すなんて『お願い』を、聞けるわけないだろう! それに、お前が一人で行く方がよっぽど危険だ! オレが一緒に行った方が、生存率は上がるはずだ!」
オレは、自分の成長を、エリスに証明する必要があった。言葉だけではない、確かな力で。
「オレの収納魔法は、ただ物を出し入れするだけじゃない。岩場での特訓で分かったはずだ。非接触で物を収納し、取り出すことができる。これがあれば、足手まといにはならない! 物理的な遠距離攻撃なら、オレがお前を守れる! いや、守るんだ!」
防御面だけだが、そこは仕方がない。ベクトル操作の精度については、残念ながらまだ自信はない。
オレの強い決意に、エリスは言葉を失い、ただ涙を流しながらオレを見つめている。その瞳には、葛藤と、ほんの少しの揺らぎが見えた。
「でも……それでも……!」
エリスは、まだ首を縦に振ろうとしない。オレを危険から遠ざけたい一心なのだろう。
ならば――。
そしてオレは、さらに覚悟を決めた。
エリスを見据え、言葉を続ける。
「……分かった。そんなに一人で行きたいなら、オレを止めてみろ、エリス」
エリスの瞳が、驚きに見開かれる。
「タクマ……?」
「オレを攻撃してみろ。もしお前がオレを戦闘不能にできるなら、一人で行けばいい。だが、もしオレがお前の攻撃を防ぎきれたら……そのときは、オレの力を信じて、一緒に行く。どうだ?」
「そ、そんなこと……できないよ! タクマを攻撃なんて……!」
エリスは激しく首を横に振る。
オレは、そんなエリスに向かって、ゆっくりと一歩、近付いた。
「オレはもう、あの時の弱いままじゃない。それを証明してやる。お前がオレを信じられないなら、力ずくで信じさせてやる!」
さらに一歩。蒼光石の淡い光が、オレたちの間に漂う緊迫した空気を照らし出す。
「さあ、どうする? オレを止めるか? それとも、オレと一緒に行くか?」
エリスは涙を流しながら、唇を噛みしめ、激しく葛藤している。
その姿を見るのは辛いが、これが、オレたちが前に進むために必要な儀式なんだろう。
「ダメ……ダメだよ……」
オレは、さらに一歩、エリスに近付いた。
「撃て、エリス。お前の全力で来い!」
「ダメ……」
「エリス!」
「ダメ……ダメ……」
「撃てぇぇっ!! エリス!!」
「ダメェェェェ!!」
エリスが絶叫と共に、両手を突き出した! その白く華奢な手の先から、岩場での特訓で見せた、あの網膜に焼き付くほどの超高速氷矢が、今度は円形に並ぶ12連射で、オレめがけて放たれた!
それは、エリスの本気の拒絶であり、同時に、オレを傷つけたくないという悲痛な叫びでもあった。
(来いっ!)
オレは目を見開き、高速に迫り来る氷矢を視界に捉える。そこに恐怖はない。あるのは、エリスに自分の成長を証明するという、ただ一つの強い意志だけ。手を伸ばす必要すらない。意識を極限まで集中させ、岩場で掴んだ新たな力――非接触での収納を発動させる!
シュン、シュン、シュン、シュン、シュン、シュン……!
オレに届く、まさにその寸前で。12本の氷の矢が次々と、まるで幻のように、音もなく消えていく。オレは一歩も動かず、その全てを、ただ静かに受け止め、収納庫に収納した。
迷宮の入口付近に、一瞬の静寂が訪れる。
エリスは、自分の放った全力の攻撃が、いとも簡単に、しかも触れられもせずに無力化されたことに、息を呑み、信じられないという表情で、その場にへたり込んだ。
「そん……な……。12本を全部なんて……うそ……どうして……」
その震える声は、驚愕と、オレの予想以上の成長への畏怖を含んでいた。岩場での練習で非接触収納ができるようになったのは知っていても、まさかこれほどの数を同時に、一つも漏らすことなく完璧に収納できるなんて思いもよらなかったのだろう。
オレは、そんなエリスの目の前まで静かに歩み寄り、まだ小刻みに震えている彼女の頭に、そっと手を置いた。
「……捕まえた」
オレは、できるだけ穏やかな声で告げた。
「ほら、オレは大丈夫だろう? これでもまだ、オレがお前を守れるって、信じてくれないか?」
エリスは、しばらく呆然とオレの顔を見上げていた。だが、やがてオレの真剣な瞳と、そこに宿る確かな成長の証を認めると、溢れ出す涙を乱暴に手の甲で拭い、そして立ち上がり……小さく、しかし力強く頷いた。
「……うん。……うん! 信じる! 信じるよ、タクマ! だから、一緒に行こう!」
その声には、もう迷いはなかった。
迷宮の入口、蒼光石が放つ淡い光の中、オレたちは互いの手を強く握りしめた。その温もりが、互いの覚悟と信頼を確かめ合う。ここから先は、本当の意味での「二人」の戦い。未知の脅威と、過去のトラウマが待ち受ける暗闇へと、オレたちは確かな一歩を踏み出した。




