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人の持つ牙  作者: 赤胴貫介
ディーセント帝国・騎士団編
98/105

ラスク vs ベルウ&キックル その1

お待たせしました!

 


 ***



 ーーー帝国騎士選考大会、開幕3週間前のこと。


 ラスクとルイーネが獣魔の巣で魔馬を捕まえてから1週間経った時、起床したラスクは自分の部屋の机に置き手紙があることに気づいた。


 置き手紙の送り主はルイーネの兄アルタールだった。


 アルタールから受け取った手紙の内容はとても簡潔だった。『君に話がある。ルイーネには何も知らせず、朝食の前に中庭のテラスに来てくれ』とだけ書かれていた。


 手紙を読んだラスクは何の話だろうと思ったが、特に深く考えず中庭のテラスに行くことにした。


 どんな話なのか見当はつかないが、アルタールは父親のヘルマンと違って、居候している身のラスクに優しくしてくれている。他の貴族の御曹司のように横柄な人物ではない。アルタールは庶民のラスクにも分け隔てなく、まるで2人目の妹のように接してくれているので、ラスクはアルタールとルイーネの兄妹をとても信用している。


 ラスクは貴族用の普段着に着替えてから中庭を訪れた。ラスクがマリアクラスタ家に居候した当初は、貴族が着る服に着替えるだけでも骨が折れたものだが、今はなんとか1人で着つけが出来るようになっていた。


 高貴な服特有の締めつけ具合はどうしても慣れないが、ルイーネが楽しそうに自分のおさがりを何着もくれたので、ラスクもそれに応えて、訓練以外の時間は貴族服を着るようにしている。腰のコルセットの締めつけは忍耐力で乗り切るものだと、ラスクは半分開き直っている。


 中庭にラスクが入ると、改めてマリアクラスタ家の美的感覚が素晴らしいと思った。


 庭には朝日が降り注ぎ、青々とした芝生と花壇に植えられた花々は、玉のような朝露に濡れて輝いている。庭の中心には木で造られたテラスがあり、座って読書しているアルタールの背中が見える。


 豪奢な噴水や彫像こそないものの、植物のツタが生い茂る邸館と見事に調和している。そこには古めかしい名画を切り取ったような美しさがあった。


 そして庶民が大勢いる新市街と違い、上流階級が居を構えるこの旧市街は、朝の市場の喧騒とは無縁の静けさがある。ラスクの耳に届くのは小鳥のさえずりと風の音、そしてアルタールが手元に置いたティーカップの音だけだ。


「おはよう、ラスク」


「おはようございます、アルタールさん」


 ラスクが来たことに気づいたアルタールが振り向いて、軽く手を上げて声をかけてきた。ラスクも小さく会釈して挨拶を返してから、テラスの段差を上がって、アルタールの向かい側の椅子に座った。


 テラスの丸テーブルの上には、2人分の紅茶とアルタールが読んでいた小説がある。小説の題名は『レクレス=アットの旅』というもので、レクレスという剣士が諸国を冒険して、やがて大陸の北に国を興すというものだ。


 レクレスという名はラスクも聞いた事がある。


 その剣士はこの大陸で最も有名な男である。大陸の北にあるレイゼル公国の初代国王の名で、王になる前のレクレス=アットは流浪の剣豪だった。数百年経った今でも、北部大山脈に棲む双頭龍を単騎で討ち取った逸話は有名だ。子どもも大人も関係なく、貧民からレイゼル建国王となったレクレスを題材とした物語をよく好んでいる。


「あの〜これって、レクレス公の小説ですか」


「おや、ラスク君もこの小説を読んだことがあるのか?」


「いや、ずっと前に立ち寄った街でレクレス公の冒険の演劇を見ました。本は結構値段が高かったので、安かった演劇の立ち見席を買って見ました」


「そうかそうか、やっぱりレクレス公の冒険譚は誰だって1度は通る道だよね。こんなことあんまり大きな声じゃ言えないけど、今の皇帝陛下の長ったらしい名前よりも、レクレス公の名前を知っている人の方が多いかもしれないな」


 公式の場で口にすれば皇室不敬罪になるようなことを、アルタールは冗談の1つとして使ったことに、ラスクは思わず小さく笑ってしまった。ラスクが笑ってくれたことでアルタールも気を良くして、カップを大きく傾けて残った紅茶を飲み干した。


 ラスクももう1つの紅茶を口に含んで喉を潤した。アルタールはどんな用があって自分を呼んだのか、まだラスクは心当たりが見つからないが、引っかかっていることがある。


 アルタールはルイーネに知らせず来るようにと、置き手紙に記していた。どんな理由にしろ、今から始まる話はルイーネに聞かれてはいけない内容かもしれない。


 ラスクが本格的な話を聞きたげにしているのを見て、アルタールはカップをテーブルに置いた。


「さて、冗談もそこそこにして、君をここに呼んだ本題に入ろうか」


 そしてアルタールが話を切り出す。声の調子はいつものように穏やかだが、ラスクはこの場の空気がほんの少し冷たくなったように感じた。


「君は本当に人間か?」


 たったそれだけの素直な質問だった。アルタールはラスクに向かって、その一言だけを投げかけた。


 ラスクは背中がひりつくような緊張感を覚えた。アルタールがなんの脈絡もなく、このような質問をするはずがないのは分かる。だが、ラスクは自分の得た人狼の力をなるべく隠そうとしていた。最も近くにいるルイーネにすら、自分の怪力の理由までは教えていない。


 マリアクラスタ家に報告した魔馬を捕らえた日の内容は簡潔なもので、ラスクが必死に魔馬を攻撃して従わせたことだけを伝えた。ラスクが人狼エイドスの能力から手に入れた怪力を、実際に目撃したのはルイーネだけのはずだ。


 ゆえにラスクはこう考える。アルタールはラスクの能力の詳しい正体は知らないが、魔馬を1人で組み伏せたという事実に、人間離れした何かを感じて問いただしてきたのだろう、と。


 できるだけ動じていないように見せていたラスクだが、アルタールは薄く微笑んだので、ラスクの心情を敏感に察知したようだ。アルタールは観察力に優れている。もしかするとラスクも知らず知らずのうちに、動揺している挙動を出していたのかもしれない。


「大丈夫だよ、怒っているわけじゃないから」


 そう言ってアルタールは体をぐっと伸ばして、朝の爽やかな空気を大きく吸い込んで吐き出す。ラスクの気持ちの整理がつくまで、待っていてくれているようだ。


 ラスクは改めて背筋を正してから答えた。


「はい、僕は人間です。誰がなんと言おうと」


 その答えを聞いたアルタールは満足げに頷いた。


「わかったよ、ラスク。君が自分のことを自信を持って言うなら、僕は君の正体が何であろうとも、君とルイーネが騎士になれることを応援するよ」


「ありがとうごさいます」


「良いんだよ、君は君らしくあればいい。……じゃあ! 堅苦しい話はもう止めようか。ラスク、君は魔馬を手に入れた自分の能力を制御できているの? やっぱりそういった能力は、宝の持ち腐れにしないで存分に伸ばすべきだと僕は思うけど、どうだ?」


 いきなり今までの真面目な態度がコロリと切り替わり、アルタールは好奇心旺盛な少年のように目を輝かせてきた。


 ラスクはアルタールが遠慮なく質問を重ねてきたことに驚いた。ルイーネより歳上のアルタールなら、ラスクの力の話題に触れずに見守ってくれるはずだと思ったのだ。


「え、えっと……もう詮索はしないってことじゃないんですか?」


 ラスクが苦笑いしながら確認すると、アルタールはすぐに首を横に振った。


「いやいや、まさか。魔馬を支配できるほどの実力なら、誰だって知りたいじゃないか。もちろん先ほど言ったように、君がどんな力を持っているとしても敬遠はしない。それは僕の命に賭けて約束する………でも、それを知りもせず放っておくわけじゃないよ。選考大会は強敵揃いなのにその力を伸ばさないなんて、とてももったいないだろう?」


 さらに上機嫌になったアルタールの顔は本気だった。


 ラスクはそんなアルタールを見て呆気にとられたが、なんとか気を取り直して反論した。


「でも、この力は良いものじゃありません。あまり詳しくは言えませんが、とある悪い怪物が使っていた力が僕の体に入り込んだんです。本当なら、こんな力に一切頼らないように戦えるようになりたい」


「君は、その怪力で(・・・・・)ルイーネを守ってくれたじゃないか」


 アルタールのこの言葉にラスクはハッとした。ラスクが人狼の怪力を使い、ルイーネをウィングタイガーから守ったことは、あの場に居たルイーネ以外に知る者はいないはずだ。魔馬を全力で従えたことはマリアクラスタ家に伝えたが、それ以外のことはラスクは話していない。


「……どうして、それを知っているんですか?」


「僕は心配性でね。可愛い妹とその友達が、魔物だらけの『獣魔の巣』に赴くのを指をくわえて見送るはずないよ」


「えっ?! ということは、もう……」


「そう、魔馬を捕まえに行ったあの日の君たちは、ずっと尾行されていた。僕の知り合いに腕の立つ者がいたから、そいつに協力してもらったんだよ。いよいよ君とルイーネの生命が危なかったら、救出してもらうつもりだった。しかもあの偏屈な父上だって、僕と同じように部下を派遣して君たちを監視してもらっていたらしい。父上は口では辛辣なことを言うが、意外とルイーネには過保護だからね」


 それを聞いたラスクは一気に力が抜けた感覚を味わった。ラスクとルイーネが『獣魔の巣』で繰り広げた戦いの詳しい内容は、すでにマリアクラスタ家に筒抜けだったのだ。


 ラスクが素手で魔馬の角を折ったことも、ルイーネがウィングタイガーに殺されそうになったことも、ラスクが魔馬に乗ってウィングタイガーを討伐したことも、アルタールは知っていたということだ。


 自分がただの人間ではないと知られていて、さらにはその力を実際に振るった場面を見られていたならば、もはやこの家の人間に隠し事は不要だとラスクは思った。魔馬を従えた能力の正体が、人間離れした怪力だと把握しているのに、それでもアルタールたちは、ラスクをこの屋敷から追い出したりしないのだ。


「知らないフリをして意地悪してすまなかった。けど僕は君がどんな力を持った人間なのか承知の上で、君の成長を手助けしたいんだ。どんな強さだって使い方ひとつで、悪にもなれば、善にもなるんだよ」


 ラスクはぐっと目を閉じて天を仰いだ。つくづく自分は幸運な人間だと思った。死ぬような危険が立て続けになっていたこの頃だが、ラスクの周りにいる人々は案外親切な人間が多いのだ。


 剣を真摯に教えてくれたジャック、平民のラスクを対等な相手としてくれるルイーネ、優しく見守ってくれているマリアクラスタ家の人々などに、巡り会って生きている。


 もちろん先々に待つ戦いは過酷だろう。選考大会にはとんでもない数の出場者が揃い、その中でもラスクとルイーネは頂点を目指さなければならない。


 しかしそんな厳しい現実であっても、今のラスクは腹を据えて前に進むことができると確信している。


「アルタールさん」


 自然とラスクの体は席から立ち上がって、深く頭を下げていた。アルタールは驚いたようだが、ラスクは自分の想いを真っ直ぐに伝えた。


「僕は強くなりたいです。たとえどんないわくつきの(・・・・・・)力でも、それを完璧に自分の意思で制御して、ルイーネと一緒に勝ち上がりたいです! どうか、この狼の力を扱う方法があれば教えてください!」


 少しの間があってから、頭を下げていたラスクの肩にアルタールの右手が優しく置かれた。ラスクが見上げると、アルタールは強く頷いてくれた。


「いいだろう、君がその覚悟なら喜んで協力するよ。ああ見えて妹のルイーネは繊細で臆病なんだ。どうかその力を正しく使って、ルイーネと君の身を守ってくれ」


「はいっ!」


 こうして、ラスクとアルタールによる人狼化の研究と訓練が始まった。


 ルイーネやアルタールはもちろん、当初はラスクに対して固い態度をとっていたルイーネの父ヘルマンも、協力を惜しまなかった。


 ルイーネは今まで通り、ラスクの良きライバルとして接してくれた。むしろ強力な身体能力を持つラスクを、どうやって1対1の戦いで負かせるのか全力で考えて、日々の訓練に明け暮れた。汗と泥にまみれた2人が玄関先に倒れていることなどは、だんだんと日常茶飯事になってきた。


 アルタールはいつもの呑気さを見せず、常に真剣な態度でラスクの能力向上を補佐した。これまで自室の書斎で溜め込んできた知識を、余すところなくラスクとルイーネの能力向上に役立てようとしたのだ。


 当主のヘルマンは厳しい態度のままだったが、魔馬を捕まえるという条件を見事達成したラスクの力を、心の底では認めていた。ラスクと娘のルイーネに対して熾烈な訓練を課したが、ヘルマンは情熱を持って2人を指導してくれた。もしかすると直属の部下を指導した時よりも、ラスクとルイーネに厳しい訓練をさせたかもしれないと、人知れずヘルマンが悩むほどだった。


 ルイーネの母オリヴィアもラスクを受け入れてくれた。ラスクの人狼化に最も驚いていたが、オリヴィアはルイーネの窮地を救ってくれたラスクの勇気に、家族内でも特に感謝していた。厳しい訓練で疲れ果てたラスクとルイーネを、日常生活の面で献身的に支えたのはオリヴィアだった。


 ラスクの見た目がどう変わろうとも、ラスクの人柄の良さは日頃接してみれば分かるものだ。


 マリアクラスタ家の人々は、やがてラスクの腕から獣毛と爪が生えるようになっても、決して恐れたり敬遠したりしなかった。使用人を含めたマリアクラスタ家の人々にとって、ラスクの人狼化などは大した問題ではなかったのだ。


 ルイーネとの対人訓練、ルイーネの父ヘルマンとの対魔術訓練や魔術講座など、ラスクは多忙な日々を過ごしていたが、アルタールとの研究を欠かすことは1日もなかった。


 ラスクは竜騎士アーリマンに、人狼エイドスの事件を他言することを禁止されているので、親身になってくれているマリアクラスタ家にすら、人狼の力を手に入れた経緯(・・)までは教えられなかった。


 そんなラスクを見てアルタールは、帝国に来る前のことをラスクは言えないんだなと察してくれた。あくまでもラスクの人狼化と成長を助ける立場を貫いてくれた。


 豊富で深遠な知識を持つアルタールの協力は素晴らしかった。もしも彼の体が不自由でなければ、今頃は優秀な宮廷魔術師か、正統の帝国騎士になっていたはずだとラスクは思った。


 やがて月日は過ぎて大会は開幕した。


 ラスクはルイーネを始めとしたマリアクラスタ家の人々に、多大なる感謝の念を抱いて大会に出場した。



 ***



 金色に染まっているラスクの右目はキックルを見ている。その目に睨まれたキックルは身震いした。ラスクの目はただの人間の目ではなく、獲物を射抜くような肉食動物の眼光でキックルに照準を合わせている。


 魔術師キックルは杖を両手で強く握りしめて、本能的な恐怖に負けないように自らの体を叱咤する。


 ほんの少しでも気を抜けば、たちまち腰砕けになって失神しそうなほどの恐怖なのだ。キックルの中にある生存本能が、この生物にだけは絶対に逆らってはいけないと警鐘を打ち鳴らしているのだが、降参したとしても逃げられないだろう。


 あの僅かな時間でラスクは8人を殺した。ラスクの戦い方には明確な殺意があり、全ての動きに迷いがなかった。10年も戦場を駆け回った人間のような判断力と実行力で、キックルの仲間たちを返り討ちにした。


 そんなラスクが今さらキックルを逃がすはずがない。キックルたちもラスクを罠で捕まえて、凌辱してから殺そうとしたのだ。ラスクが拘束を破壊した時点で、誰も死なずに収拾がつくことは有り得ない。ラスクとキックルたちのどちらかが死ぬしか、この戦いは終わらないのだ。


「おいっ! ベルウ、お前も戦えよ! このままこいつに好き勝手させていいのかよっ!?」


 右腕が獣化したラスクが1歩踏み出したのを見て、キックルが後ろで座っている大男に向かって叫ぶ。


 大男ベルウは不遜な態度で椅子に座っていたが、キックルの求めに仕方なさそうに応じて立ち上がった。立ち上がった男の体格はラスクの想像より大きく、少し手を上に伸ばせば簡単に天井を触れるほどだ。


 ベルウはキックルに促されたものの、目はキックルに対する不満があった。どうやら他人に指図されることが気に食わないようで、戦うように促したキックル自身も、ベルウの機嫌が悪くなったことに少々焦っている。


 ラスクは最後の2人の様子をじっと見ている。これから本格的に殺し合う敵がどんな者なのか、油断なく観察しようと考えているのだ。


 特にベルウはどんな戦い方をするのか不明だ。不意打ちとはいえラスクを気絶させ、ベルウの体格からして規格外の大きさを誇るので、おそらくはパワーを生かした戦い方をするはずだろう。


 だが情報が不明な敵を相手にする時は、慎重に挑むべきだとラスクは決めている。すでにラスクは大きな失敗をしている。せっかく運良く助かった命を、ここで敵に負けて再び危険に晒すことは絶対に避けたいのだ。


『こいつら2人は僕にとっての踏み台だ。目指すべき目標は飽くまでもジャックだけで、ここで足踏みしているわけにはいかない。あれだけ協力してくれたマリアクラスタ家の人々のためにも、必ず勝って生き残ってやる』


 もはや自分の命は自分だけのものではないと、ラスクは理解している。この大会に出場するまで、多くの人の協力が必要だった。特にマリアクラスタ家には大きな恩がある。一瞬たりとも気を抜いて負けることは許されない。


 右腕をラプターウルフと変化させたラスクは、体の右側が後ろになるように半身になり、両拳を胸の前まで上げて構えた。格闘を主とする闘士がやるような、敵を素早く右拳で迎え撃つ構えだ。


 そんなラスクの構えを見たベルウが、興味深そうに片眉をわずかに上げた。そして楽しげに厚い唇を歪ませてから、近くにあった大剣の柄を握って、乱暴に鞘から刃を抜き放った。


 抜かれた鞘は近くにいたキックルの方に投げ飛ばされ、キックルは顔面に迫る大剣の鞘を、小さな身をさらに屈ませて慌てて避けた。鞘は甲高い音を立てて酒場の床に転がっていった。


「どうしたんだ?! いきなり……」


 突然やる気になったベルウにキックルが驚いた。ベルウは前方5mのところに立つラスクを見たまま、キックルに話し始める。


「キックル、こいつは獣人じゃねえぞ。多分、なんらかの理由でああいう力を手にした人間だろう」


「そんなこと、有り得るのか?」


「知らねえよ。だが、あの構えは何となく人間臭くねえか? 俺の知る限りで、あんなに無駄のない構えをする獣人は少ねえな」


「おいおい、構えくらい誰だって……」


「それによぉ、この小娘は右腕を獣人化させる時に若干の隙があったぞ。獣人なら呼吸するように姿を変えることができるのに、こいつはそれが出来ていなかったんだ」


 反論しようとしたキックルは、ベルウの説明に段々と納得していく。ラスクはベルウの話しぶりを見て、下手すれば魔術師キックルよりも頭の回る大男かもしれないと思った。


「何よりこいつの体からは、人間の生娘の臭いと黒狼ラプターウルフの臭いが半々に混ざっている。獣人だったら考えられないことだらけだから、多分そうだろうよ」


「それを、言われてみれば……って、黒狼?! バカな、なんであんな女が、よ、よりによってラプターウルフの力を持ってるんだよ!」


「しつけぇなあ、俺に言われても知るかって言ってんだろっ! ……けど、こいつは厄介だな。ただでさえ魔馬を従えてるのに、乗っているこいつ自身がラプターウルフの能力を持っていたら、よほどのことがない限りレースには勝てねえな」


 ベルウの説明にキックルは青ざめる。落ち着いて考えてみれば、確かにラスクの戦力は巨大なものだ。魔馬は普通の馬とは段違いの体力を持っていて、魔術すら撃てる正真正銘の怪物だ。ラスクはそんな魔馬を手なずけている上に、ラスク自身が危険度Bの黒狼の力を有しているのだ。


 そしてラスクの相棒はマリアクラスタ家の長女ルイーネだ。地方から出場したキックルたちですら、ルイーネの魔術の才は小耳に挟んだことがある。5属性の魔術を自在に操るというルイーネも、簡単に手出しできる存在ではない。


 だからこそ、ベルウとキックルは戦うしかない。


「キックル、こいつはこの場で殺すぞ。もしここで逃げられたら、あの魔馬とルイーネ・マリアクラスタも、同時に相手しなきゃならなくなる」


「……っ!!」


 キックルはベルウにそう言われて、臆病風に吹かれた自分心を必死に昂らせようとする。ベルウの言う通り、今ここでラスクの息の根を止めなければ、間違いなくラスクは相棒と魔馬を引き連れて報復しに来るだろう。相手がラプターウルフだとしても、怯えている場合ではない。


 当のラスクは逃げるつもりはないが、ベルウとキックルにとって逃げられる(・・・・・)ということは死に等しいのだ。


「だから、とっととお前も元に戻れよ……なあ!!」


 ベルウが隣にいるキックルに怒鳴る。キックルは体をビクッと震わせてベルウの目を見てくる。


「うっ、本当に…良いのか?」


「てめぇ、まだそんな甘いことぬかしてんのか?! もうこの酒場には俺たちとラスクだけだ! あいつら8人は都合よくラスクが殺してくれたんだぞ! 四の五の言わずに戻りやがれ!!」


 有無も言わさぬベルウの指示にキックルは震える。キックルは素早く体を小刻みに震わせ、それからすぐに姿が変わる。


 顔と髪の生え際の境界線が不明瞭になり、体全体の皮膚はたちまち青緑色に変色する。変色した皮膚は不快なヌメリを帯びて、酒場内にある明かりをテラテラと反射させている。キックルの正体は(かえる)の獣人だったのだ。


 ベルウも同じく獣人だった。物凄い速度で体毛が濃くなり、体幹と四肢の筋肉も一気に発達して膨張する。焦げ茶色の体毛に全身が覆われ、顎は太く、口の奥には牙が見える。手から生えた荒々しい爪が何より凶暴な、熊の獣人の姿にベルウは変わった。


 ラスクは真の姿をさらけ出した2人を見て、多少の驚きを感じた。この場に残った最後の3人は、全員がまともな人間ではなかったということだ。


「お前たち、獣人だったのか」


 そのラスクの言葉に蛙人間のキックルが笑う。


「ケケケェッ! そうさ、これが本当の俺たちさ! お前みたいな、なりそこないの人狼とはわけが違うんだよ!」


「あの8人の貴族のボンボン共には、この正体を教えていなかったからな……さぁて、てめぇはここで殺してやる。今度は手加減して気絶させたりはしねぇ! 1発で終わらせてやらぁッ!!」


 そして大剣を振りかぶったベルウが突っ込んでくる。熊の獣人としての力と速度は、先ほど倒した8人とは比べ物にならない。さらにベルウのあまりに大きな体は剣の刃を隠し、ラスクは瞬間的に間合いを測りかねた。


 刃を横から叩いて破壊しようとしたラスクだったが、間合いを完全に見切らなければそれは危険だ。もしタイミングを見誤れば、ベルウの剣はラスクの脳天を叩き割るだろう。


 剣を上段から振り下ろすと察知したので、仕方なくラスクは真横に体をズラして、ベルウの懐に入ろうとした。


「クケケェーーッ!!」


 だが、ラスクがベルウの剣を避けようとした時、キックルの杖から伸びた粘液のムチが、ラスクの足首に絡まった。粘液魔術のムチの速度は素早く、獲物を狙う猟犬のような勢いで襲いかかってきた。


 粘液のムチは思いのほか頑丈で、ラスクはムチを引きちぎるまで2秒かかった。


 その隙にベルウが剣を振り下ろす。空気すら押し潰すような重量級の一撃がラスクの脳天に迫り、ラスクは右腕を頭上に掲げて剣を防いだ。


 剣を手のひらで受け止めた衝撃がラスクの全身に走る。人狼化した右腕のおかげで致命傷にはならず、斬られた手のひらの出血も大したものではないが、剣の衝撃だけは防げない。


 何発もこれを受け止めることは不可能だとラスクは悟った。右腕のガードさえ間に合えば、真っ二つになることは防げるが、受け止めた衝撃からは逃げられない。もしまた不用意に受け止めたら、今度こそ全身の骨にヒビが入るだろう。


 なおもベルウが攻撃を仕掛けてくる。ラスクはベルウの剣を受け流しながら反撃しようと試みるが、ベルウの攻撃と攻撃の合間を狙って、キックルがラスクに粘液ムチを当てようとしてくる。ラスクが攻撃に転じるタイミングが中々見つからない。


 粘液ムチは厄介な魔術だとラスクは思った。触れてしまえば動きを邪魔されてしまい、粘液弾とは違って、避けたとしても方向を転換させて再び襲いかかってくる。


 なおもキックルはゲラゲラと笑いながら粘液ムチを振り回す。ヨダレを垂らしながら笑う様は不気味で、その狂乱さはラスクも初めて見る悪辣な魔物の本性だった。


「死ねぇ! 死ねぇえっ!!」


 ラスクに殺意を振りまくキックルの目は充血し、蛙特有のツルツルとした目玉が破裂しそうなまでに膨らんでいる。仲間を簡単に殺された恨みもあるのだろうが、それよりもラスクへの恐怖を塗りつぶすために、脳が自動的に暴走しているのだろう。


 思うように反撃できないラスクは歯噛みした。


 キックルは無茶苦茶に粘液ムチを振り回しているように見えて、ラスクがベルウの剣に気を取られた瞬間を、狡猾に狙ってくるのだ。仲間のベルウのことを邪魔せずラスクを攻撃してくるので、案外キックルは戦い慣れている獣人のようだ。


 そしてベルウも侮れない敵だ。瞬発力と持久力にどちらも自信があるようで、攻撃し続けて疲れるような素振りは全く見せない。下手すれば木々を薙ぎ倒すほどの全力の一撃を、こうも立て続けに繰り出し続けるのは、さすがは熊の獣人といったところだ。


『このままだと、ジリ貧になる』


 防戦一方になっている現在の状況は良くない。どうにか反撃に転じなければ、いずれラスクも大きな一撃を喰らってしまうだろう。防具もつけていない今、人狼化していない部分を攻撃されてしまえば致命的だ。


「見えたぜっ! 隙だらけだァーーッ!!」


 そう叫んだキックルは杖を振りつけて、自慢の粘液ムチを躍らせる。ムチは破壊された机や椅子の合間を縫いながら迫り、ラスクの人狼化した右腕をぐるぐる巻きに縛りつけた。ラスクの右腕全体が、何重にも重ねられた粘液の層に覆われてしまった。


 さらにキックルはラスクの右腕に巻きつけた粘液から、触手のようなものを四方八方に伸ばして固定する。ラスクの右腕は粘液の触手を介して、テーブルや床に繋がれて拘束された状態になった。


 人狼化させた右腕の動きを完全に封じられて、ラスクは敵の狙い通りになってしまったと気づいた。


「そうさ、本当の狙いは脚じゃねえ! 今度こそッ! ぶっ潰れろやぁぁあああッ!!」


 ベルウが叫びながら満身の力を込めて剣を振り下ろす。逃れようのない圧倒的な殺意の一撃が、防御手段を奪われたラスクを強襲した。


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