魔馬捕獲作戦〜開戦〜
お待たせしました。
『獣魔の巣』
それは帝都から北西に進んだ地点にある、周囲を山々に囲まれた山林と渓流一帯を指す。
落葉が浮かぶ風流な川の流れ、生い茂る深緑の森と花々、見晴らし良き高台の平原、そして北東部の崖から流れる圧巻の大瀑布……どれも行楽地としては一級品の名所となりえるだろう。
『ただ一つ、凶暴な魔物さえ棲みつかなければ……』
帝都でも、獣魔の巣がどれほど美しい場所か知っている者は口を揃えてそう述べる。
多様な生態系が構成されている獣魔の巣では、ことに餌場としても住処としても最高の環境が整われている。ほぼ手つかずの自然となっているこの場所には、危険な魔物が巣を作る時期もあるので、おいそれと人が手を出せる環境ではない。
軍隊などによる征伐も何度か試みられたが、切り立った崖や険しい山道、舗装困難な土壌や鉱質などが巧みに邪魔をすることで、大人数による侵入や開拓はむしろ危険が高まるのだ。
公的な組織が獣魔の巣に手を加えない原因が、さらにもう一つある。
それが魔馬の存在だ。
魔馬の生態はまだまだ研究の余地があり、どういった風に集団を形成するのかなどが分からない。
今現在、獣魔の巣で確認され始めている魔馬の情報は帝都にも報告されている。よって、個人による魔馬の狩猟はともかく、帝都や公の組織は慎重論をとって下手に手を出さないようにしているのだ。
言い換えれば、身の程を知らない人間が魔馬を捕まえようとしてくれれば、その分だけ帝都の観察隊がより多くのデータをとることが出来る。今でも、この獣魔の巣のどこかに有能な調査員たちが身を潜めて活動しているという。
現在、ラスクとルイーネが山頂の小屋から出発して10分が経った。
「私ばっかり気にしてないで足下に気をつけなさいよ、ラスク。転んで崖に転落なんて洒落にならないからね」
「そっちこそ気をつけなよ。ワイン・ビアードがもしも足をもつれさせたら君だって危険だ」
お互いに注意を呼びかけながらラスクとルイーネは山林の斜面を下っていく。
今の2人が通っている下るための道は、申し訳程度に作られているだけの細いジグザグ道なので、並んで通ることはまず不可能だ。ラスクが先に進んで、ルイーネと愛馬ワイン・ビアードが後に続く。
険しい斜面のためルイーネは愛馬の手綱を引いて歩いているが、愛馬が足を崩すようなことがあればルイーネが下敷きになってしまう。それを心配しているラスクは、ちらちらと後ろを見てルイーネの方を確認してしまう。
20分ほどでラスクとルイーネが斜面を下り切った。
2人が出たのは南側の森林部分だ。大木と花々がかすかに揺れ、虫や鳥の鳴き声がどこからともなく響いている。
「さてと……ワイン、頼むわよ」
ルイーネが再び愛馬ワイン・ビアードに乗り込んだ。
ワイン・ビアードは嬉しげにブルブルと鼻息を吹いた。
「ねえルイーネ、こんな場所までワイン君を連れてきて大丈夫なの?」
「どういう意味?」
「だって、こんな森の中じゃあ馬は全力疾走できないだろう。それに、強い魔物に出くわして怯えてしまうかもしれない。そういう意味だよ」
「なあんだ、そんなことを心配してたの?」
真剣な面持ちでそう忠告したラスクだったが、ルイーネは愛馬の首を撫でながら平然と答えた。
「正統騎士を目指す私の愛馬なら、ワインも軍馬として並はずれた胆力と生命力がなければいけないから連れてきたの。今回の作戦はワインの訓練のためでもあるのよ」
「険しい山を歩かせることも、魔物に襲われることも……訓練ってことか。なかなか厳しいことさせるんだね」
「そういうものよ。この帝国で騎士を志すということはね」
それからしばらく2人は森の中を北進したが、両脇が絶壁となっている狭い道でルイーネがラスクに声をかけた。
「ラスクッ、そこで止まって」
小声だが鋭く呼びかけたルイーネに、ラスクは立ち止まって振り返った。
ラスクも声を潜めてルイーネに訊き返す。
「どうしたの?」
「ワインが気づいたみたいよ。この奥に魔物がいるってね」
「ワイン君が……?」
「ええ、この子は私たちより鼻が利くからね。結構、こういう時に役立つのよ」
ルイーネはワイン・ビアードから静かに降りた。
2人がカーブを描く狭い道を少し進んで様子を見ると、前方に沢のある広場が見えた。
沢は階段状になっている滝から水を受けて流れ、透き通った水際にはコケ類が色濃く群生している。沢の流れる先も階段状の崖になっている。
そしてその広場で沢ゴケを食んでいるのが、大きなイノシシ型の魔物だった。
白と茶色の体毛がメッシュ状に生えているが、牙は小さい。ずんぐりとした体格からその体重は容易に想像でき、もしもまともに体当たりされたら大怪我を負うだろう。
ラスクとルイーネは曲がる道を利用して、壁から顔だけ出して広場を密かに伺っていた。
「ラスクはあの魔物が分かる?」
「いいや、初めて見るよ」
「そう、じゃあ説明するわ。あれは危険度Dの『ニードルボア』という魔物よ。肉食ではないけど気は荒いし、体当たりする時は体に生えた白い体毛が針のように尖る……とまあ、充分危険な魔物よ」
「ニードルボア、か。確かにあの巨体に針を纏った突進の餌食になれば、人間じゃひとたまりもないね」
ラスクとルイーネは身を岩壁に潜めて、目と鼻の先にいる魔物の情報を共有する。
まだニードルボアはこちらに気づいていない。
約5m先で沢ゴケを食み、時折ブォンと鼻息を鳴らしている。
「……で、どうする? ここを抜けるにはあいつをどうにかするしかないよ。それとも迂回して別の道から森を抜ける?」
「まあ、その2択よね。ラスクはどうしたい?」
「出来れば迂回は避けたいかな。別の道を探している間に他の魔物に出くわさないとも限らないし。そもそも……危険度Dの魔物相手に迂回するくらいなら、初めから魔馬に挑む気なんてない」
「でしょうね、負けず嫌いなあなたならそう言うと思ったわ」
ルイーネはラスクの肩をポンと叩く。
そしてルイーネは壁から一歩踏み出て、ニードルボアがこちらに気づけば見つかってしまう位置に出た。
「ちょっと、ルイーネ?!」
突然のルイーネの行動にラスクは驚いたが、ルイーネは全く平気な顔をしている。
それと同時に、ニードルボアがルイーネに気づいて唸り始めた。
「急に出るなんて危険だ!」
ラスクがルイーネを制止させようとする。
だがルイーネは長剣を抜いて構え、さらに魔力を集中させ始めた。
「心配には及ばないわ、ラスク。手っ取り早くこのイノシシを狩ってやるわよ」
不敵な微笑むルイーネが、ピューッと口笛を吹いた。
その口笛で刺激されたニードルボアは、白い体毛を瞬く間に逆立たせた。
ブォオオオッ!
ヤマアラシのようになったニードルボアが、ルイーネに突撃する。
そこでルイーネは、足裏に風の魔力を練り込んで発動させた。
ルイーネの体が前方に高く跳んだ。
全身の針を尖らせて猛進するニードルボアは、目の前にいたルイーネが跳んだことに気づかない。
『速い!』
ラスクはルイーネの瞬発力に驚かされた。
もちろん只の瞬発力に驚いたわけではなく、風の魔力を集中させてすぐに跳躍に移るという、魔力操作の瞬発力に驚いたのだ。
金髪靡くルイーネは華麗に宙返りし、沢に着地して水飛沫が飛んだ。
対して、突撃を避けられたニードルボアは絶壁に頭を打ち付けてストップした。
その隙こそが、ルイーネの狙い目だ。
着地したルイーネは振り返って、ニードルボアの背後を取った。
「てやぁッ! 」
凛とした気合いを込めて、ルイーネが2度剣を振るった。
ニードルボアの後ろ足首の腱が両方ともスッパリと斬られ、その体重を支えきれず派手に転げる。
ブゴォオォオォ?!
驚きと怒りが混じった咆哮を発するが、ニードルボアはもはや一歩も動けない。その場でジタバタして喚き散らすが、深く斬られた後ろ足では立ち上がることはできない。
今のルイーネの鮮やかなお手並みに嘆息したラスクだったが、続いてルイーネの魔力が剣に集まった。
「……よし、これでお終いね」
一言、それだけ呟いたルイーネが剣を振り下ろす。
ルイーネの剣はニードルボアの頭頂部に深々突き刺さり、赤黒い血と茶けた体液が噴き出す。
そして破裂音を立てて剣が放電した。
頭に刺さる剣が通電したことによって、ニードルボアの脳組織が完全に破壊され、か細い鳴き声をあげてニードルボアは息絶えた。
ルイーネの戦いの一部始終を見たラスクは、まったく無駄のない鮮やかな手際に唖然としている。
ルイーネが魔術の腕が立つことは知っていたが、これほどまで実戦でも強いというのは、ラスクでもちょっと想像できなかった。
「ほら、もう出てきてもいいわよ」
ルイーネが壁の陰にいるラスクに声をかける。
ラスクが沢のある空間に出ると、待っていたワイン・ビアードもルイーネの方に駆け寄った。
「お見事だね! 一瞬で倒したじゃないか」
ラスクがルイーネにそう言うと、ルイーネは得意げに笑った。
「まあね、このくらいの魔物なら相手じゃないわ」
そう答えるルイーネは、剣についた血を沢の水で洗い始めた。血がついたままでは剣の刃にも悪く、血の匂いを追ってくる魔物がいないとも限らないからだ。
「先を急ぎましょう。ニードルボアの叫び声を聞きつけた魔物がいれば、短時間でここにやってくるからね」
ルイーネの言葉にラスクは頷き、再び絶壁の合間の道を進むこととなった。
高低差の激しい絶壁の道を抜けると緑豊かな森から一変して、深い峡谷の底に出た。
灰色と赤茶色の岩壁が長らく続いて日光を遮り、ラスクとルイーネの出たその谷底はとても暗くてじめじめしていた。
「谷底に出ちゃったようだね」
ため息をついたラスクがそう漏らすが、ルイーネは対照的に楽観的な様子で辺りを見回していた。
ルイーネの視線は、谷底で流れる川の上流の方角に向かっていく。北から南へ流れる川の遙か上流には、山頂から見たあの大瀑布があるのだ。大瀑布の周囲は流れる膨大な水で厚い水煙が立ちこめ、耳を澄ませば重く唸るような水音が聞こえる。
ルイーネはそんな北の大瀑布を指さしてラスクに言った。
「あの滝が見えるかしら? とんでもなく大きい滝よ」
そう言われてラスクは北に目を向けてじっと目を細めた。
「滝……? ああ、あれか。滝って言えるかどうか怪しいくらい大きいけど……あの滝がどうかしたの?」
「おそらくだけど、魔馬が見つかる可能性が最も高い場所があの滝の周辺よ」
魔馬の発見をほのめかすルイーネの発言に、ラスクはパッと顔色を紅潮させて聞き返した。
思ったよりも早く魔馬に出会えるかも知れない興奮と緊張で、ラスクの声はうわずっていた。
「本当に?! あの滝の近くにいるのかい?」
「まあまあ落ち着いて、あくまでも可能性よ。……あの滝はこの獣魔の巣でも最大の水場だし、滝から流れてくる豊富な栄養を蓄えた植物も群生している。よって、この獣魔の巣でも強い生物が現れやすい場所なの」
「ずいぶん詳しいね」
ルイーネは前髪を手で掻き上げて答えた。
「ある意味ここは有名だから、帝都に住んでいればある程度の情報は集められるし。士官学校の図書室でも、この獣魔の巣についての著書はたくさんあるのよ」
「へえ、結構君は勉強家なんだね」
素直なラスクの賞賛に照れくさくなって、ルイーネはほっぺをこりこりと掻いてそっぽを向いた。
「別に……私くらいになればこのくらい当然なんだから……」
照れたルイーネはラスクに顔を合わせずワイン・ビアードに乗ろうとしたが、ワイン・ビアードが突然荒々しく足踏みを始めてうるさく嘶いた。
ラスクもルイーネも、あの大人しいワイン・ビアードが騒ぎ出したことに、初めて感じる嫌な予感を抱く。
「ちょっ、一体どうしたのよ? 落ち着きなさいよっ!」
厳しい声で愛馬を鎮静させようとするルイーネだったが、一向にワイン・ビアードは冷静さを取り戻さない。首を振って歯をむき出して暴れてしまっている。
ラスクもこの事態に驚きを隠せなかったが、ワイン・ビアードの視線の先をよく見ると、川の上流の方に一頭の葦毛の馬が現れていた。
葦毛の馬はこちらの方をじっと見て警戒している。
ついさっきまではいなかったが、ラスクたちと同じように崖の隙間から出てきたのだろう。
「ルイーネ! あの馬を見て興奮しているみたいだ! もしかしたらあれは雌馬じゃないか?」
ラスクが指差して大きな声で伝える。
その声を聞いてルイーネはワイン・ビアードを押さえながら葦毛の馬を見たが、首を振ってラスクの言葉を否定した。
「違う、今のワインの興奮状態は異性の馬を見たせいではないわ! この慌てぶりは何かに怯えているとしか……!」
ルイーネの分析は当たっていた。
ラスクたちの目の前に現れた葦毛の馬、その馬の後方の崖から、もう一頭の黒毛の馬が現れたのだ。
そしてその馬は見事な一本角が額から伸びていて、瞳も艶やかな紅色をしている。一目見れば絵画に出てくるような美しく幻想的な馬だが、その黒い馬から発せられる殺気と威圧感は凶暴な魔物となんら変わりはない。
「なっ……! ま、魔馬…!」
そう、ワイン・ビアードが恐れていたのは葦毛の馬ではない。
その馬の後ろから現れた、雄然とした巨躯の黒い『魔馬』の気配を何より恐れていたのだ。
『こ、こんな戦いにくいところで魔馬に出くわすなんて……ほんと、私もラスクもツイてないわね』
『落ち着け……あの魔馬はどう動く? 前にいる葦毛の馬に襲いかかってから僕たちに襲いかかるのか?』
ラスクとルイーネは剣の柄に手を掛けて、固唾を飲んで魔馬の動向を観察した。
黒い魔馬はなに食わぬ様子で、ゆっくりとした足取りで葦毛の馬の前に回り込んだ。
そしてここぞとばかりに葦毛の馬を喰い殺すと思いきや、魔馬は葦毛の馬を庇うような立ち位置に立ってラスク達を睨みつけてきた。
また、魔馬に庇われた葦毛の馬も怯えた様子はない。こともあろうに、葦毛の馬も魔馬のことを信頼しているのだ。
魔馬の生態を本で読んでいたラスクは、その魔馬と葦毛の馬の様子を不可解に感じた。
『魔馬と普通の馬が、心を通わせている……? いや、魔馬は馬であって馬でない生物だ! だから本の中にも、魔馬は普通の馬も捕食対象として見ると記されていたのに。なのに、これは一体どういうこと? なぜ魔馬があの馬を守る?』
予想外の事態に混乱していたが、それでもラスクは両手剣をしっかり握って構える。ルイーネも剣と全身に魔力を高めて迎撃体勢をとる。
『色々と謎が残るけど、お目当ての魔馬が現れたのなら立ち向かうしかない……さあ来い……ッ!』
『……魔馬がとる行動は魔法か、突撃か……いずれにしてもここで決着をつけてやるわよ!』
ただならぬ威圧感を漂わせる魔馬を目の前にして思わず冷たい汗が流れるが、標的の魔馬と遭遇したということは好機でもある。この偶然の邂逅を逃してたまるかとラスクとルイーネも意気込んだ。
だがしかし、魔馬はまたしても異様な行動をとった。
魔馬が後ろにいる葦毛の馬へ振り返って短く嘶くと、葦毛の馬は少し足踏みしてから背を向けて逃げ出した。魔馬も葦毛の馬が逃げていくのを見ると、ラスクやルイーネに警戒しながら葦毛の馬と共に逃げていった。
急いでラスクとルイーネは、怯えが残るワイン・ビアードを引っ張りながら、谷底の川に沿って北へ逃げる魔馬と馬を追った。
ワイン・ビアードが少々前進を嫌がっているため、追う側のラスクとルイーネは次第に魔馬たちとの距離を離されていく。
「ラスク! アルタール兄様から渡された本に『魔馬は普通の馬と相性が良い』なんて書いてあった?」
「そんなことあるか! 魔馬はほとんど怪物に近い生物……君だってあの葦毛の馬から喰い殺すって思っていたはずだ!」
「じゃあ何? あの黒い馬は魔馬じゃないって言いたいの?」
「それこそありえない! あの黒い馬は見た目から何から間違いなく魔馬だ」
魔馬は葦毛の馬を庇いながら北へ逃げ、ラスクとルイーネは混乱した状況を整理しながら魔馬を追う。
そうしてしばらくすると、薄暗い峡谷の終わりが見えて大瀑布が大きくなってきた。
川に沿って峡谷を抜けると、そこは陽光が燦々と降り注ぐ広大な平原だった。
平原の中央奥に白波を立たせる大瀑布があり、舞い散る水の飛沫が太陽の光を受けて七色の虹を架け、その大瀑布の直下では膨大な水を受けて巨大な湖が形成されていた。湖は四方八方に川を流して豊潤な水場の源となっている。
緑さわやかな平原の芝は深く茂って花は所々で乱れ咲き、横薙ぎに吹く風によって種子と花びらを散らせていく。
平原に出たラスクとルイーネは引き続き魔馬を追うつもりだが、その前にルイーネは愛馬ワイン・ビアードに乗り込んで鞭で愛馬の尻を叩いた。
「しっかりなさい、ワイン! こんなことぐらいで狼狽えているようじゃ、私もあなたも強くなれないわッ!」
鞭をふるったルイーネの鋭い檄により、軽い恐慌状態に陥っていたワイン・ビアードはなんとか平静を取り戻して走り出した。
ラスクも一度深呼吸をしてから、剣を構えたまま全速力で走り出した。
魔馬と葦毛の馬は滝壺の畔にまで辿り着いている。距離にしておよそ500mといったところで、ワイン・ビアードが言うことを聞いてくれた今ならたやすく追いつけるだろう。
「はぁッ! はぁッ!」
ルイーネはどんどん愛馬に鞭をいれて魔馬たちに迫る。
ワイン・ビアードの中で魔馬に対する恐怖が無くなったわけではないが、ルイーネの微塵の恐れのないかけ声により、ワイン・ビアードも恐怖より闘争心が勝っていたのだ。
『あの葦毛の馬には悪いけど、魔馬には全力で攻撃させてもらうわ!』
馬上でルイーネは長剣を抜いた。片手で手綱はしっかり把持して、剣を握る右手に魔力を込めていく。
「下手に傷つけたり殺す技はナンセンス、だけど生半可な攻撃では無意味……ならこれで決まりね、『荒水の鞭』ッ!」
右手に込めていた魔力を水の属性として構成し、剣の切っ先から水の鞭を噴出させた。
水の鞭は従来の長剣のリーチより遙かに長く、3馬身は離れていた魔馬の後ろ足に襲いかかる。
キュォォォオオオンッ!!
ルイーネの水の鞭が当たる直前で、魔馬が叫びながら後ろ足を蹴り上げて水の鞭をはじき返した。
力いっぱい振るった水の鞭をはじかれたせいで、ルイーネは大きく後ろに仰け反ってしまった。崩れた体勢を立て直すため、ひとまず愛馬の歩調を止めるしかない。
『くっ、こちらに一切向かずに魔術を防ぐなんて! やはり容易には捕まえられないわね』
一蹴りで魔術を防がれたことにルイーネは悔しがって舌打ちしたが、魔術の造詣が深いこともあって、今の魔馬の防御方法もなんとなく理解できた。
『私の水魔術をあれだけ綺麗に打ち返したとなると、おそらく瞬間的に水の魔力を足に纏わせていたかも。真っ赤な目に黒い体毛をしている派手な見た目だけど、あの見た目に反して水魔術の心得があるなんて、さっきから予想外なことばかりだわ……』
「大丈夫かい?! 先に行くよ、ルイーネッ!」
一度止まったルイーネとワイン・ビアードが走り出す前に、徒歩で魔馬を追うラスクが追い越した。
すぐにラスクが自分を追い越したことに、ルイーネは目を見開く。初めて対決した時もそうだったが、改めてラスクのその体力を異常に感じた。
そもそもラスクもルイーネも鎧を着込み、ラスクに至ってはルイーネの長剣より2倍ほど重い大剣と荷袋を持っているのだ。にもかかわらずルイーネと同年代の少女ラスクは、ほとんどトップスピードを維持しながら魔馬を走って追っている。
「ほんと、あの体力や身体能力はどこから来るのかしら……? まあ良いわ、ほら行くわよワイン! こっちだってグズグズしてられないんだから!」
ラスクの猛ダッシュを見て半ば呆れたルイーネだったが、またすぐにワイン・ビアードに鞭を入れて走り出す。
平原を走って逃げる魔馬と葦毛の馬は、依然として川に沿って逃げているので、ラスクとルイーネもどんどんあの巨大な大瀑布に近づいてきている。
近くになればなるほど、その水音の激しさが増していき、滝壺に落ちる水の細かい飛沫が2人の顔に当たる。
逃げる魔馬と葦毛の馬は滝壺の湖をぐるりと回り込んで、滝の裏に入って姿を消した。
滝の側面から裏へと入っていった魔馬たちを見て、ラスクとルイーネは湖の畔で一旦止まって、魔馬の入っていった場所を確認した。
「この滝の裏に……何かあるのかな?」
「多分、洞窟みたいなものがあるはずよ。でなければ、こんな滝と滝壺に身を投じるなんてただの自殺行為だしね」
ラスクとルイーネは大瀑布を見上げた。
間断なく降り注ぐ滝の水は、間近では爆弾のような音を立てて滝壺に沈んでいく。落水の勢いも滝壺の深さも、一見すれば動物を寄せ付けない荒々しい大自然の象徴としか思えない。
しかし、よくよく滝壺の中に目を凝らせば、平べったい岩が点々と続いて道のようになっている。
その水中の岩の道を目で追って行けば、滝の奥に黒い大きな穴が薄っすらとちらついて見えた。
魔馬たちは点々と続く岩を器用に渡って、滝の裏の洞窟に逃げ込んだようだ。
「本当だ! 洞窟が見えた!」
「決まりね。私たちもあの洞窟に進入するわよ!」
ラスクは石の上を軽快に渡り、ルイーネは下馬してから慎重に渡った。2人とワイン・ビアードは水飛沫と落水で濡れに濡れたが、滝の裏の洞窟へと突き進んでいく。
ーーーさて、2人と1頭の姿が滝の裏に消えた時、平原に1つの影が過ぎっていった。その影は異形の翼を広げ、不気味な羽音を響かせて大瀑布の上空を旋回していた。
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