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人の持つ牙  作者: 赤胴貫介
ディーセント帝国・騎士団編
70/105

見習い騎士ハルと竜騎士アーリマン

お待たせしました

 廊下に立つジャックは、ラスクが休んでいる部屋の扉を背にしている。腕を組み、目を閉じ、ほとんど動かず黙していた。

 ルイーネがラスクを介抱し終わるのを待っているのだが、それまで、ジャックは今一度この状況を整理することにした。


 『この国はファルス王国ではないのは間違いない。記憶が正しければ、帝国といえばファルス王国から東にあるディーセント帝国だろう。空から落下していた俺とラスクを、どうやってここまで連れてきたのか、そしてそれは何者の意図なのか……』


 ジャックにはかつて、ブルーノという友達がいた。ブルーノは心優しい少年であり、前世の記憶を取り戻すまでのジャックを、実の弟のように守ってくれていた。

 そのブルーノは生前、ジャックに様々な国があることを教えてくれた。


 『……確かファルス王国より国力が上回る国、だったな。エイドスは俺の水牙で仕留めたはずだが、そのエイドスがいた国となると、また一悶着あるやもしれんな。だが、これほど俺とラスクを自由に動けるような場所に連れてくるとは、どういうわけだろうか?』


 竜騎士アーリマンや将軍ファローザの思惑を知ず、ひたすら困惑を続けるジャックだったが、ラスクさらなる危険に遭わせないことだけは、強く心に決めていた。

 そこには、どうせ一度は死んだ身なのだ、というやけっぱちな想いもあるが、むしろジャックはそれでこそ、自らの心が最も安らぐ選択だと悟っていた。

 ある意味で、すでにジャックは限界だった。己の破滅は耐えられても、もうこれ以上、隣にいる人間の破滅だけは耐えられない。


 その時ジャックの耳が、階段を上ってくる足音を拾った。硬質な革の靴音が聞こえた。

 その靴音に乱れはない。厳しく調律のとれた歩調で、ジャックから10メートル離れた所にある、長い階段を上ってきている。先ほど諍いを起こした少年騎士とは違うと、ジャックはすぐに気づいた。


 上ってこちらにやって来る足音は次第に大きくなり、黒い正装姿を纏うハル・イブリッツが、壁にもたれるジャックの前に現れた。


 「こんにちは」


 にこやかに挨拶したハルに対し、ジャックは言葉を返さず怪訝な顔をした。

 それだけではなく、ジャックの体は自然と背もたれていた壁から離れ、目の前にいるハルの正面を向いた。


 『こいつ、何者だ?』


 ジャックは心の内でそう呟いた。

 現れたその少年を見て、ただならないものを感じたのだ。

 あくまで目の前の少年は、せいぜい今のジャックよりも1つ上の年齢ほどで、特に背丈があるわけでも、筋骨隆々としているわけでもない。ひと目見ただけでは、どこにでもいるような身なりの良いお坊っちゃんにしか思えない少年だ。

 剣を握って振り回すよりも書物のページを手繰るような、外で泥に塗れて遊ぶよりもテラスで紅茶のカップを傾けるような、そんな雰囲気があった。


 しかしジャックの表情は真剣なものだった。その立ち姿に、あの少年騎士まがい3人組には有った未熟さがまるで無かったのだ。

 さらに、納められているとはいえ、刀を実際に持っているジャックを前にしても、微塵の臆さず、少年は爽やかな笑みのままでいる。

 上品に切り揃えられた藍色の髪と青緑の瞳、整った黒服、ジャックから見ても大人びた端麗な風貌。そして漂う、実力を持つ者特有の匂いは、ジャックに未知の警戒を植えつけた。


 数秒してジャックはようやく、ハルに会釈だけ返した。

 するとハルは指で頰を掻いた。無言のジャックに、ハルも若干戸惑った。


 「ええと、いまいち言葉が伝わらなかったかな?帝国の訛りが駄目なのかな……」


 「いや、よく分かっています。……その、はじめまして」


 ジャックが首を振ってから、言葉が伝わっていると示して挨拶をすると、ハルはほっと息をついた。


 「ああ良かった。変に警戒させたかと思ったよ。はじめまして、僕は見習い騎士のハル・イブリッツだ。よければ、君の名前を教えてくれないか?」


 「……ジャックです」


 「ジャック、か……良い名だね。よろしく、ジャック」


 「よろしく?」


 ほんの2、3言交わしただけなのに、まるでこれから長く関係が続くかのような言葉に、ジャックは首をかしげた。


 「あはは、気を急ぎすぎたかな?よろしく、は早過ぎたか。まあ気にしないで……ファルス王国から来た冒険者2人がいるって聞いて、興味深いからつい仲良くしたいなって思っただけなんだ。もう1人は、そこの部屋にいるのかい?」


 ハルがジャックの後ろにある扉を目を向けると、途端にジャックは目線をハルの動き全体に当てた。姿勢も微かに変えて、いつでも動くことが出来る、というものになる。


 「そうそう、要件があってきたんだよ」


 だが当のハルは、ジャックの心持ちを知ってか知らずか、一層軽い口調で指をぴんと立てて話しを切り出した。


 「ここの士官学校学校の教官から、君ともう1人の冒険者を、1階の会議室に連れて来てくれって言われたんだよね」


 「……教官?」


 「うん。詳しい内容は分からないけど、君たちが大怪我していた所を、うちの教官がこの学校まで運んで来たんだよ。君もかなり衰弱も激しかったみたいで、2日は寝込んでいたそうだ。教官は怪我の手当てを、ちょうどここに居た優秀な女の子に丸投げ……ゴホン、任せたらしいけど」


 ハルはファローザ城館で知り得た情報を使って、当たり障りの無い部分だけを選んで述べ、最後の発言をバツが悪そうな顔でしめくくった。

 別に嘘は言っていないため、ジャックが聞いたルイーネの話と食い違いは無かったが、それでもジャックは完全に緊張を解かなかった。


 「そうだったのですか。感謝の仕様もござらん……」


 「礼なら教官に今から言えば良いさ。じゃあ早速、部屋にいるもう1人を呼んできてくれるかな」


 「いいえ、それは難しいです。部屋のもう1人は……ラスクは、まだ動ける状態ではなく、俺はここから離れたくありません。動けない仲間がいては、気が気ではない」


 ジャックは丁寧な口調できっぱりと断った。

 いまだ衰弱は著しく、先ほどは自分の目の届かないところで暴行を振るわれたばかりだ。

 このハル・イブリッツが、あの少年3人組のような人格ではないとジャックは思うが、それでも不安感と不信感を完全には拭えない。


 「そっか……でも困ったな。教官のもとに2人とも連れてきてくれって言われたし……」


 「ーーーハル、それなら仕方ない。もう無理に連れて行く必要は無いぞ。そこの部屋で話せば済む話だ」


 後ろから声をかけられて、ハルは振り向く。

 階段を上りきったアーリマンが、すでに後ろに立っていた。アーリマンはふっとハルに笑った後、奥に立つジャックに目を向けた。


 「はじめまして、オーギュスト・アーリマンだ」


 アーリマンはジャックに歩み寄り、握手するために右手を出した。

 ほんの少しの間があってから、ジャックは差し出された右手に応えた。


 『この男……相当な使い手だ』


 握手を交わすことで、否応無しにアーリマンの武人としての強さが感じられた。


 ジャックは少なくとも、この相手は自分の実力を超えていると判断した。

 それは初めてソル・グレンジャーと握手を交わした時、アンソニー・ホンバットと往来で会った時、都市ロメオで人狼エイドスと刃を交えた時と、同じ感覚だった。




 それからジャックは、アーリマンとハルをラスクの居る部屋へ通すことにした。もちろん、先にジャックが部屋に入り、衛士のごとくラスクが臥せっているベッドの側に立った。


 ラスクの様子を診ていたルイーネは、部屋に現れた教官アーリマンに、部屋から出てもらうように言われ、ラスクの額に濡らした手拭いを当ててから退室した。

 ルイーネが部屋を出るすれ違いざまにハルは、「突然で悪いね」と声をかけたが、ルイーネは手を振って気にしていない意を示して、さっさと階段を下りていった。


 女子の見習い騎士用の就寝部屋は、下の階にある男子部屋と比べて部屋自体が小さく、ベッドの数も5つしかなかった。そのかわりに、男子部屋には無い大きな衣装タンスが2つある。


 部屋の中には4人。


 ベッドの上のラスクは目を開けて起きているが、いまだ疲労と熱に浮かされた病人ように、朦朧とした様子が見て取れる。

 ジャックはそんなラスクの側に立ち、そっと刀の鍔に指を掛けている。表立って殺気は発していないが、もしもアーリマンとハルが妙な行動を起こせば、即座に反応できる気構えを作っていた。


 アーリマンは部屋の片隅にあった椅子を引き寄せて、ラスクが寝ているベッドに向かい合う位置で座った。

 そして最後に部屋に入ったハルは、閉めた扉の前に立ち、部屋の出口を立ちはだかった位置にいる。


 『そう簡単には逃げられないな。仮に、この2人がエイドスのことについて、俺とラスクから何か聞き出そうとしているとすれば……今のこの状況、かなり追い詰められていると言える』


 そう考えるジャックの表情は固く、その視線は正面に座っているアーリマンの視線とぶつかっている。

 自分とラスクを救ったという、長い金髪を結った男が一体どういう人間なのか、ここで確と見極めるつもりだ。


 無論、アーリマンとハルも、ジャックとラスクという2人の冒険者の人と形をこの機に知ろうとしている。

 ファルス王国にて、空に逃げた人狼エイドスを討ち取った冒険者が、果たして味方になりえる人間であれば僥倖なのだが、という想いを秘めていた。


 「あなたが、俺たちを助けてくれたのですか?」


 先にジャックがアーリマンに質問した。

 アーリマンは穏やかな口調で話すジャックに、ひとまず安心した。これで、冒険者といっても、案外温和な人間性だということは分かった。


 「そうだよ。私が落下していた君たちを助けて、この帝都に連れてきた」


 「それは、どうやって?」


 「空中で確保したに決まっているじゃないか。……私はこの国の軍人で、竜騎士団1番隊の隊長をしている。天翔ける翼竜を御する竜騎士ならば、上空から落下している人間2人を空中で摑まえることなんて、大して難しくないことだ。それに都市ロメオに用があったから、偶然私は君たちを助けることができたのだ」


 竜騎士という単語を聞いて、ジャックもラスクも息を呑む。

 竜という存在はこの世界において、実際に生きている種族だ。もちろん他の魔物や猛獣よりも、珍しくかつ強力で、普通の人間には中々お目にかかれることはない。

 だがアーリマンは、その竜を操っている騎士と名乗った。

 ジャックとラスクは帝国の詳しいことは分からないが、言葉通りに受け取れば、竜に乗って大空を舞う騎士たちに、自分たちは命を拾われたということになる。


 「いまいち飲み込めない話だろう……だが、これは本当だ。そして君たちは丸2日間、手当てを受けてこの士官学校で眠っていた。よってここは間違いなく、都市ロメオから遥か東にある、ディーセント帝国の都だということを理解してほしい」


 「……分かりました。しかし何故、あなたは俺たちを助けたのですか?それ以前に、ファルス王国の都市へ竜に乗って来た理由は?」


 ジャックはアーリマンに質問を次々ぶつけるが、アーリマンはジャックがどこか焦っているように見えた。

 アーリマンは一瞬考えたが、すぐにジャックの意図をなんとなく理解した。ジャックは自分が前に出て発言することで、ベッドの上のラスクをなるべく蚊帳の外に追いやりたいのだ。


 「誤解しないでもらいたいが」


 そう前置きしてから、アーリマンはちらりとハルと目を合わせ、そしてジャックの質問に応えた。


 「少なくとも、私たち2人は現時点で君たちの敵ではない。まあ、味方でもないのだが、これだけは言わせてくれ。エイドス・セイルズを仕留めてくれて、ありがとう」


 アーリマンから思いがけぬ感謝の言葉をかけられ、ジャックとラスクはまたまた驚くことになった。

 特にジャックは、エイドスがディーセント帝国の学者であることを、当のエイドスから知らされている。あの人狼エイドスに心通じる味方がいるとは考えにくいが、自国にはまだ共に動く仲間がいる可能性も、ジャックは捨て切れなかった。


 「エイドスは、あなた方にとって敵だったのですか?」


 「ちょっと違うな。私とエイドスが敵味方という話ではなく、私はさる方から指示されて、エイドスのような輩たちを追っていただけに過ぎない。それゆえ、エイドスを追って都市ロメオに現れたし、エイドスの死体と君たちを帝国に連れ帰ったのも、必要なことだったからそうしたのだ」


 「標的であるエイドスならまだしも、俺たちを連れて帰ることが必要だったのですか?」


 「ああそうだ。必要に決まっているだろう……なあジャック、賢そうな君のことだから、その意味が少しは分かると思うんだがな」


 アーリマンの試すような口ぶりにジャックは若干癇に障ったが、一旦落ち着いて今までの話を整理すれば、徐々にアーリマンが自分たちを帝国へ連れて来た、その心が明らかになってきた。


 「おそらく、エイドスについて詳しく知っている人間を、捕らえて手元に置いておくためでしょうか?」


 「当たりだ」


 「俺たちを殺すつもりですか」


 「よせよせ、私たちはそんな短絡的な人間じゃないよ。始末するつもりなら初めから助けたりしないし、いたいけな少年少女を権力と保身のために謀殺するなんて、私からすれば気が引ける残酷な行為だ」


 ジャックの問い詰めを、手を振って笑顔で否定するアーリマンだが、扉の前で立って見ているハルからすれば、間違いなくアーリマンは嘘をついているとしか思えない。

 アーリマンほどの男なら、必要とあればどんなことでもやってのけるはずなのだ。

 現にハルは目にしている。アーリマンが将軍ファローザとの対談で、ジャックとラスクを味方に引き込めないなら始末しろ、という指示をすんなり受け入れていた。


 容貌は全てにおいて紳士的なのに、腹黒い狸親父ぶりを見せるアーリマンがおかしくなり、ハルはくすりと失笑した。

 アーリマンは笑ったハルの方を一瞥したが、構わずさらに続ける。


 「……私たちは君たちに、この帝国で生きていくための道を示してあげようと思っている。エイドス・セイルズの詳しい能力や情報は、他国に漏らすわけにはいかないんだ。わかってくれるか?君たち2人は『こちら側』に付いて欲しいんだ」


 「ファルス王国には帰らず、ここにいろと?」


 「その通り。しかも、ただ帝国内を彷徨かれては困る。君たちは私の管理下に……帝国の公職である騎士になってもらいたい。それが私が出来る、君たち2人が生き残るための提案だ」


 アーリマンの言葉から厳しい現実が突きつけられ、ジャックは押し黙ってしまった。ベッドで横になっているラスクも、疲労感に覆われながらも、どうするべきか悩んでいた。


 「考える時間も必要だろうし、1日くらいは待つか……」


 「いいえ、それには及びません。いいでしょう、それが生き残る方法なら喜んでこの国の騎士になります」


 「ほう、そうか」


 「ただし、騎士になるのは俺一人だけです」


 ジャックの言葉にアーリマンは眉をひそめる。

 ラスクは一際衝撃を受け、すぐさまジャックの横顔を見た。ハルは好奇の顔をなんとか隠すために、唇を固く結んでいる。


 「それはどういう意味かな……?」


 「俺一人だけで充分、ということです。俺はエイドスと2度に渡って争いました。ヤツにとどめを刺し、ヤツに関することを深く知っているのは俺だけで、今ここにいるラスクは、偶然巻き込まれただけに過ぎません」


 「……なるほどな、君の言いたいことはよく分かった。確かに、エイドスのことについて無関係ならば、こちらとしても、どの国に居ようが関与する意味がない」


 そこでアーリマンは立ち上がり、座っていた椅子を部屋の端に戻した。ハルに視線で合図し、扉を開けさせた。


 「いいだろう。ジャック、君はその怪我の具合の復調次第で、このハル・イブリッツと共に行動してもらう」


 「はい」


 「ああ、それと……ラスクはもう自由の身だ。体力が戻ってからでも、好きな時にこの士官学校から去りなさい。帝都から出て主要な街道を進めば、賊に出くわすことなくファルス王国に帰られるだろうさ」


 そう言い残して、アーリマンはさっさと部屋を出て行った。扉を閉める寸前に、微笑むハル・イブリッツが、ジャックに向かって「改めてよろしくね」と言ってから、部屋から去った。



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