見習い騎士ルイーネ
刀を持ったジャックが大部屋から出ると、そこは左右に伸びた廊下だった。石製のつくりは相変わらずだが、すぐ近くの壁には旗や剣が調度として掛けられている。
『ふむ、確かに士官の教えを受ける場所らしいな』
先ほどの3人の少年もしっかりとした鎧武具を身に付けていて、ここまで武骨かつ硬派な雰囲気ならば、さぞかし立派で堅牢な施設なのだろうとジャックは推測する。
廊下に出たジャックが、アドルフの取り巻きの1人、子ネズミのようなケビンが左右どちらに向かったのか考えた。
左に行けば壁に突き当たる。その間に部屋の扉は1つもない。
右を見ると突き当たりに階段が見えたので、ジャックは右に向かうことにした。
『ラスクを無理矢理言うこと聞かせて連れてくる、とかほざいていたな。あのような小僧1人になど、それこそ無理に決まっているが……まあ良い、行ってみるか』
ふっと小さく笑って歩き出す。
廊下を歩きながらジャックは、右手に並ぶ窓の外を見た。外は晴れて青々とした空が広がっている。
この建物の敷地は城砦のような石壁に囲まれていて、敷地の外は絢爛な都が見渡せた。
広々とした敷地内には砂地や芝生がまばらにある。敷地の随所に目を凝らせば、打ち込み用の木人形や馬防柵、木の板で仕切られた簡易的な射場なども見える。
人影は無く、静かだ。
ジャックは不思議な気分になった。
自分がここで、幾日眠っていたのか分からない。だがジャックからすれば、あまりにも急激な状況の移り変わりで混乱してしまう。
記憶の内では未だに、ついさっきまで豪雨の中で血に塗れながらも剣を振っていたのだ。翼竜に乗って嵐の空の中で敵を仕留めた所なのだ。
それが今は、見知らぬ遥か遠いこの場所で目を覚まして歩いている。
やがて階段へ近づいて、一旦ジャックは立ち止まった。ジャックが今いるここは少なくとも2階以上のようで、階段は上と下に向かっている。アドルフは女子部屋と言っていたが、ジャックはこの建物の内容を知らない。
ジャックが階段前で立ち止まっていると、下へ伸びる階段から足音が聞こえてきた。足音は1人分で、順調にこちらへ上ってくる。
上がってきたのは1人の少女だった。
少女といっても、革の鎧をピシッと身につけて腰には短剣を差していた。目鼻立ちは丸みもあって可愛らしいが、勝気そうな顔つきをしている。
手には割と大きな水桶を持っていて、ジャックの姿を見つけると、目を大きくしてちょっと驚いた顔をした。
ジャックを見て少女は、なみなみ水が入っている水桶を持ったまま、キビキビと階段を上ってくる。一歩一歩上るたびにカールされた淡い金髪が揺れる。
「あら!いつの間に起きたのかしら?ついさっきまで死んだようにグッスリ眠っていたのに、こんな所にまで1人で歩いてきたなんて」
高いトーンの声で少女はジャックに話し掛けてきた。ジャックはその時点では何も言わず、頰をかりかりと指で掻いていた。
少女の持つ水桶の中を見ると、手ぬぐいや鋏が沈められていて、そこでジャックは、この少女が自分を看病してくれたのではと思い立った。
「君が、やってくれたのか?」
「何が?」
「俺の肩に包帯を巻いたり、水を用意してくれたり、手当てしてくれたのか?」
「そうよ。2日前だったかしら……日が沈んだ頃に教官が、あなたともう1人をここに連れてきたのよ。よく状況が飲み込めなかったけど、あなたたちを看ておいてくれって言われたから、手当てしたわ。……あなたは肩の咬み傷がひどかったから、消毒は念入りに行ったし、包帯もたっぷり使ったのよ。まあ、その代わり悪化の心配はしなくて良いわ。安静にしてればね」
少女はジャックと目を合わせながら、スムーズに経緯を説明していく。
初めて言葉を交わし合ったにしては、その少女に気後れや緊張が感じられない。もしかすれば、アドルフとその取り巻きたちよりも、自信と肝が座っているかもしれない。
「そうだったのか……わざわざありがとう。おかげさまでこの通りだ」
「どういたしまして。なら汲んできたこの水はあなたには必要ないわよね。あなたはもう剣なんて持って歩き回ってるんだから、もう1人の子に渡してくる」
少女はそう言ってジャックの脇を通り、上へゆく階段を上っていく。
「君の名前は?」
ジャックが訊くと、少女は顔だけこちらに向けて答えた。
「ルイーネ……ルイーネ・マリアクラスタよ。畏まらずにルイーネって呼んでも構わないわ。そういうあなたの名前は?」
「俺の名はジャックだ。……ルイーネ、俺も君についていっていいか?ここに担ぎ込まれたもう1人は、俺の仲間なんだ」
「ふぅん、お好きにすればいいんじゃないかしら。もっとも、大して傷のないあの子の方が、何故かあなたよりぐったりしていたから、あまり元気な姿では会えないわよ」
ルイーネは、そう何気なくラスクの容体を教えた。だがその途端、弾かれたようにジャックが階段を駆け上がった。
たちまち追い越していったジャックに、ルイーネは驚いて水桶を取り零したが、ジャックはそれどころではなかった。
あれだけ魔物相手に戦えるラスクならば、アドルフの取り巻きごときが何をしようと心配ないと考えていたが、あくまでも、それは体調が万全ならばの話だ。
階段の踊り場をすぐさま折り返し、ジャックはさらに続く階段を一段飛ばして上がっていく。
ジャックが階段を上りきった。
15m先にある扉が開かれていて、その扉の前では、ケビンが茶色い髪を引っ張りながら踏ん張っている。
ケビンに髪を乱暴に引っ張られて、部屋から出てきた少女の顔をジャックは目にする。紛れもなくラスクだった。彼女の顔色は疲労困憊の様子で、瞬間的にジャックの頭に血が上る。
「おのれっ悪たれが!!」
ジャックは刀を抜き払った。
人の首を刎ねることへの躊躇いも、肩の傷の痛みも忘れ去っていた。
風の刃が唸りながら飛んでいく。
ラスクを引きずり出すことに夢中になっていたケビンは、襲い来る『刃』に気づいていない。
先にラスクが気づいた。ラスクは刀を抜いたジャックの姿を目にして、すぐにそれを理解した。
ラスクが渾身の力でケビンを突き飛ばす。ケビンは後ろに倒れ、掴まれていたラスクの髪が何本も引き抜かれる。
ジャックの放った風の刃はケビンの首を切断することなく、突き当たりの壁に深々と斬り込まれた。
「ちょ、ちょっと!一体何が起こって……」
そこに階段を上ってきたルイーネが現れた。
ルイーネの目の前には、こちらに背を向けて刀を抜いているジャックがいる。向こうには倒れているラスクと、尻餅ついて呆然としているケビンがいる。
ジャックが刀を納め、ラスクのもとに駆け寄って抱き抱えた。
ラスクはひどく疲れが残っているようで、呼吸は乱れ、首に回したジャックの手には冷や汗の感触が伝わった。髪をかき上げてやって顔色を確認すると、左の頰が赤く腫れている。
ラスクの潤んだ目は、ジャックを見て幼子のように安堵していたが、ジャックはその目から思わず目を逸らしたくなった。夢の中の自分のように胸が締めつけられる思いが沸き起こる。
「なっ、お前っ!何でここに……ひっ?!」
喚き出したケビンの頰をジャックの『水球』が掠める。水球が当たった部分の壁が凹み、ぱらぱらと石の粒が落ちる。
「失せい………その面、二度と俺たちの前につん出すな……!」
どす黒い、そう形容できるほどの声だった。
恐怖極まったケビンは歯をカチカチと鳴らし、震える足を必死に動かしてよたつきながら走り出す。
逃げるケビンがルイーネの横を通ろうとした時、ルイーネがケビンの襟を捕まえる。
「ちょっとケビン、アドルフはどこにいるのよ?」
「は、離してくれ!」
「話してくれたら離してあげるわよ」
「にか、2階だよ!ブルスもいる!」
それだけ叫んだケビンを、ルイーネはそれ以上引き止めず手を離してやった。ケビンは階段を転げ落ちるように下っていった。
ルイーネはちょっと考えてから、ジャックとラスクの方に走り寄ってきた。しゃがんでラスク顔色を観察し、額に手を当てる。
「……うん、心配ないわ。疲れてる所を無理に起されてつらくなっているだけだから、ベッドで安静にさせれば大丈夫よ。ほっぺを叩かれたみたいだし、そこは冷やしてあげましょう……ジャック、彼女を抱えて部屋に運んであげて」
「ああ……わかった……」
ジャックは苦々しげに返事して、ラスクを丁寧に抱え上げた。ラスクの下あごがジャックの肩に乗っかるが、ラスクは肩の包帯を目にすると、ラスクは頭をジャックの胸元へとずらした。
ジャックは人知れず唇を噛み締めた。
今もそうだが、ラスクはジャックを思い遣って行動してくれているのを、ジャックは重々理解している。
まさしく、ケビンを咄嗟に突き飛ばしたのも、ジャックを慮ったゆえに体が勝手に動いた結果だろう。
だからこそ、ジャックの心は晴れない。
前世の夢でもそうだった。妻のはつは、少なくとも自分より主水と家族を優先して生涯を閉じた。
はつもラスクもごく自然にそうしている。それこそがジャックの胸中に澱のようなものを募らせる。
「そんな顔、しないで……ジャック……僕は、大丈夫だよ…」
「っ……いいから、ゆっくり寝ていろ。体に障る」
ベッドに寝かされたラスクは、微かに笑って言う。ラスクの言葉に、ジャックは顔を背けてぶっきらぼうに返すしかしなかった。前世の自分と同じことを、生まれ変わっても言っているのが、何故かもどかしかった。
「その、ルイーネ……後は頼んだ。俺は外に出ている」
ジャックが足早に部屋を辞そうとする。ジャックの背にルイーネが質問した。
「どこへ行くの?あいつらの所に行って、仕返しにでもいくのかしら?」
「いや、それはない。あやつらから懲りずに来ればまた別だが……俺は、部屋の外で待つだけだ」
心ここにあらずといったジャックの様子だったが、ルイーネはひとまずジャックの言葉を信じるしかない。
同期のアドルフとその取り巻きたちが、プライドの高い陰険な性情であることは分かっているが、ルイーネからすれば、今ここで刃傷沙汰が起きてしまえば後々大変なことになるため、ここはジャックに堪えてもらいたかった。
ジャックが部屋を出た後もルイーネは、ジャックの足音がどこにも向かわずにいることを確認し、なんとか堪えてくれたようだと分かってから、やっと一息ついてラスクの容体に集中することにした。




