暴狼エイドスvsホンバット
北門前の大通りではエイドスとホンバットが、激しい闘いを繰り広げている。炎の魔術師グレンジャーが、都市の西に広がる平原で聖獣ウッドウルフに足止めされているため、現状の都市ロメオでホンバットが最も力がある戦士だ。
グォォンッ ブァアアッ!
全身を魔力で覆い、岩に包まれたホンバットは剣をエイドスに振り回す。剣の風切り音は凄まじく、一度でも命中すれば致命傷を負うだろう。
だがエイドスはホンバットの攻撃を何度も躱していた。スピードではまるっきりホンバットが劣っているようで、エイドスが何発も拳や蹴りを当てている。
ブォォオオンッ
またもホンバットが大きく踏み込んで剣を薙ぎ払う。それも避けたエイドスは、岩に覆われたホンバットの顔面を殴った。
しかし鈍い音が聞こえただけで、岩の甲冑は亀裂すら入っていない。すぐさまホンバットは怯まず動き出すが、一瞬早くエイドスは後ろに飛んだ。
ズドォォオンッ!
剣が地面に叩きつけられ、エイドスが先ほど立っていた所に亀裂が走る。打ち下ろした剣がビリビリと震えているが、当のホンバット本人は平気な様子で剣を構え直す。
『洒落にならない威力だな。当たればいくら俺とてひとたまりも無いだろう。しかも硬い……スピードは大したことないが、俺の拳はほとんど効いてない』
距離をとったエイドスは、殴った方の手をプラプラと振りながらそう考えていた。
ホンバットが岩の甲冑を身に纏ってから、とうに5分は経過している。5分間、エイドスは攻撃の間隙を突いていったが、ホンバットの魔力で出来た甲冑はビクともしない。
今回のロメオ襲撃計画にあたって、ディーセント帝国を出発してからエイドスは数々の情報を集めていた。今では、副都で耳にしたホンバットの『異名』だけは、眉唾ではないと素直に感心している。
『さすがにこいつは伊達ではなさそうだ。……副都では城崩しのホンバット、と噂されていただけある』
この膠着した状況に、エイドスの胸中には焦りが募り始めている。今の自分が、ホンバットに捕まってメッタ打ちにされる可能性は、ほぼ0に近いだろう。
しかしエイドスの敵は目の前にいるホンバットだけではない。
マーシュ、クレア、ジャック、その他諸々の冒険者……そして魔術師ソル・グレンジャーがいる。
『グレンジャーの足止めに駆り出した純粋なウッドウルフは12頭……あいつらが全滅するまで、残された時間は10分、いや……グレンジャーなら5、6分で倒してこっちに来るかもしれん』
配下として引き連れた聖獣が、グレンジャーを相手して出来るだけ時間を稼いでくれることを、エイドスは願っていた。
1週間前、ジャックにやられた傷が癒えないまま、エイドスは聖獣ウッドウルフの住処を襲撃しに、山岳地帯を進んでいた。都市ロメオから北西に広がる山岳地帯には、それなりに強力な魔物も出る。中にはエイドスと同じ危険度Bの魔物も彷徨いている。
何よりも、強力な聖獣の群れに単身で乗り込んだこと自体、無謀としか言いようがないだろう。
いくらエイドスといえどもその道のりと戦いは危険だったが、エイドスはその旅に全てを賭けた。危険な賭けだったが、エイドスは結果的に、聖獣ウッドウルフを従えた『暴狼』として君臨し得た。
『こいつが時間稼ぎのつもりなら、一気にカタをつける必要がある』
エイドスは背中に手を回し、先ほど突き刺した全ての指を抜いた。広い背中の筋肉を刺激することで全身を満遍なく回復、増強させていた『指』の力を一旦解くことにしたのだ。
力を弱めたエイドスの体は、狼人間の姿から裸の人間の姿に戻った。対してホンバットは、微動だにせずエイドスに剣を向けて構えている。
「ホンバットよ……さっきから黙りを決め込んでいるが、一つ言っておく。その岩の鎧、もう役には立たないぞ? ……こっちこそ、ラプターウルフの恐ろしさを嫌という程教えてやるさ………!」
ニィィと口角を上げたエイドスは、右5本指を左胸に、もう片方の5本指を首に刺した。『指』が全てエイドスの手から無くなると、元々のエイドスの指が、異様な速度で代わりに生え揃った。
首と胸に埋め込まれた『指』は、エイドスの内なる力を活性する。ラプターウルフとして生まれたエイドス・セイルズの、まさに本領を発揮するトリガーだ。
生体組織を変化させる、あの金切り音が辺りに響く。
ひとしきり吼えたエイドスはガクリと前に倒れ、両手が地面につく。その時すでに体の大部分は黒い獣毛に覆われ、4足歩行の体勢でホンバットに顔を向けた顔は、狼に変貌していた。
「ウオォォォォオンッ!!」
完全に『狼』の形態になったエイドスは、数メートル先にいるホンバットに襲いかかる。エイドスは低い体勢からホンバットの首もとに肉薄し、体に纏った岩に牙を突き立てた。
首を噛みつかれたホンバットは、エイドスの頭を握り潰そうとしたが、エイドスは噛みついたまま首を振って後ろに抜けていった。
エイドスは5メートル距離を置いて、ホンバットの方を振り返る。エイドスとホンバットの間には、岩の破片が数枚散らばっていた。
「フシュウウゥ……」
狼となっている今のエイドスは言葉が話せない。
だが、してやったりの笑みを浮かべているのは確かで、岩をも噛み剥がした牙が垣間見えた。
本気のエイドスの牙はホンバットの装甲を破壊した。首の皮膚は露わになっていて、ホンバットが指先で首を撫でつけると、指にはかすかに血が付着していた。
エイドスが再度襲いかかり、ホンバットはぐるりと振り向きざまに薙ぎ払う。
横から迫る豪剣をエイドスは上に飛んで回避し、両前脚の爪を振り下ろす。
ギャリリィィッ!
胸部を包んでいた岩に、エイドスの爪の痕が付く。爪の先がぎりぎり皮膚に届いたようで、爪痕の線から血が滲む。
ブゥゥウンッ!
さらにホンバットは剣を切り返すが、エイドスは後ろ脚で胸を蹴りつけてきた。その反動で後ろに跳んだエイドスは反撃を逃れ、蹴られたホンバットは2、3歩よたついた。
「フウゥゥ……」
またもやエイドスは距離を置いた。いまだ無傷のままの狼だが、表情や息づかいはさっきのような笑みは無い。
先ほどからエイドスは、頑強な岩の甲冑を纏うホンバットの間合いで殴り合うことを避けている。絵に描いたようなヒット&アウェイを繰り返して、見たところ優位に立っているエイドスだが、一つの疑念を抱いていた。
『これがホンバットの実力か?』
出来るだけ早くホンバットを倒す方針に変更したとはいえ、こんなにも一方的に攻撃できるのは不自然に思える。だがそれでも、エイドスには迷っている猶予はない。
狙いは、岩の装甲が剥がれた首の動脈。エイドスは4本足に力を込めて、即座に畳み掛ける体勢に移った。
バァンッバババァンッ
『な!?』
エイドスが走り出すかといったその時、狼エイドスの足元がいきなり爆裂した。目線を下げると、前脚には岩の破片が刺さっている。
ギュンッ
その時すでにホンバットが距離を詰め、剣を振り下ろしてくる。躱しきれないエイドスは身をよじったが、肩口を深々と斬られた。
「ウゥオッッ!」
エイドスは苦し紛れに後ろへ跳んだが、さらにホンバットは踏み込んで左拳を打ち込んだ。空中でエイドスは殴り飛ばされて派手に吹き飛ぶ。
『疾、い……先ほどよりもずっと…』
どうにか脚で着地したエイドスだったが、迫るホンバットが不思議とゆっくりとした動きに見えていた。脳が生命の危機を感じ始めていたのだ。
今までの速度はホンバットにとって小手調べに過ぎず、強靭かつ敏捷な今の動きこそ、ホンバットの本気の姿なのだ。
ゴウッ!
殴り飛ばしたエイドスを追撃せんと、ホンバットは低い体勢で猛虎のごとく突っ込んでくる。重々しい足音にも関わらず、その速度は凄まじい。
エイドスの右側は水堀を隔てて街壁がそびえ立つ。避けるなら左しかないが、エイドスはホンバットが剣を振る動作に入ると同時に、爪で脇腹を抉ろうとした。
しかしホンバットもそれを読んでいた。左手だけで剣を振り下ろし、脇腹を狙ってきたエイドスの頭を右腕でなぎ払った。
『くッ!』
とっさにエイドスは頭を下げた。剛腕との正面衝突をかろうじて避けて後方に走り抜けたが、息つく間も無くホンバットは剣を背後に投げつけた。
目もくれずにホンバットが放った剣は、見事に狼エイドスの背に突き刺さる。
「ウギッ…ウゥゥ〜〜ッ!?」
衝撃と激痛が走り、エイドスはバランスを崩して頭から倒れて転がった。剣の中ほどまでがエイドスの胴体を貫き、刃の先は腹から出ている。吹き出す血が剣先を伝って地面に滲んで広がっていく。下手に立ち上がろうとしても、筋肉がブルブルと痙攣を起こして立てない。
倒れて泥と血に塗れるエイドスと、向き直ったホンバットの距離はおよそ7メートルと少し。
ダリアの例も承知しているホンバットは、完全に息の根を止める為に、間髪入れず突進してくる。
『来る…か………? …城崩し、が!』
右手で拳を握ってホンバットが突っ込んでくる。
倒れているエイドスは首と胸の『指』を解除し、元の人間の姿に戻った。解除された『指』が体内から抜け落ち、エイドスのすぐそばの地面に転がった。
もうそこまで、ホンバットはあと2メートルの所にまで来ている。
ドズンッ……ドドスッ、ビスッドスンッ、ズブンッ
抜けて落ちた指、それらをエイドスは間に合う分だけ自分の心臓部を突き刺させた。
全身に力を入れて、エイドスは立ち上がる。顔は蒼白で歯はカチカチと鳴っているが、岩を纏い拳を振り上げるホンバットを避けずに立ちはだかる。
岩を帯びた拳が真っ直ぐエイドスの心臓を狙う。
棒立ちのエイドスをホンバットの拳が捉えた瞬間、腕を覆っていた岩の一粒一粒がエイドスに向けて爆砕した。




