刀工フルブライトが遺したもの
前話と同じ時間帯です。
ホンバットとエイドスが北門前で対峙した時、都市北東の宿にいたジャックとラスクの身に、いくつかの偶発的な余波が起こっていた。
……時は、ダリアが竜巻を生み出したところまで遡る。
風の魔力を会得するために、風球をダリアから託されたジャックはそれを維持していた。
宿の部屋は静かなもので、ジャックの他には、昏睡しているラスクと刀匠フルブライトの骸がベッドに寝かされている。相変わらず雨粒が窓を間断なく叩くだけで、無言でジャックは手の平の上で浮いている風球を見つめている。
ジャックは魔法の師であるダリアに言われた通り、忠実に、己の内に秘められている(と言われた)風の魔力を、どうにかして掘り起こそうとしている。しかし、進捗は見られない。
水の魔法でさえようやく慣れてきたところなのに、その上、まったく接点のない風の魔法を渡されたのだ。
いくらダリアを信用しているとはいえ、この短時間で、風の魔法を使いこなすことができる自信は湧いてこない。どれだけ神経を尖らせても、どれだけ風球に意識を集中させても、ジャックは活路を見出せていなかった。
『このままでは、進めも引けもしないのでは』
ジャックにそんな焦燥感が募り始めるが、集中を欠けば、せっかくの風球が崩れてしまうので、再び腰を落ち着けてジッと風の球の細部まで意識を向けてみる。
『……………む?』
風球の中心、渦の奥深くを見ていたジャックは、ある違和感を感じた。一呼吸ほどの間だったが、風球の根幹を成している中心の魔力が、おかしな方向にブレたのだ。
ごくごく当たり前だが、まず風の魔法というものは他の属性の魔法に比べて視認しづらい。この風球も、半透明の渦が球となってその場にとどまっている…という、ジャックが覚えている水球に比べても、中々見づらいものだ。
だがしかし、そんな風球の魔力が何もしていないのに僅かに、紛れもなく屈曲した。目視で分かるほど、明らかな異変だった。
さらにあろうことか、風球はだんだんと小さくなっていく。そうこうしているうちに、親指の幅と同じくらいまで縮こまっていく。
あまりに急激な変化に、ジャックは妙な胸騒ぎを覚えた。
『どうしてだ?急に魔力が崩れて……』
もっとよく見ようとしたジャックが顔を近づけると、パンッと風球が破裂した。
「うっ」
反射的にジャックは目を閉じた。それと同時に、一言では表せない何かがジャックの内に入り込み、染み渡る感覚を味わった。
「……………もし、や…まさかそんな……」
-------当然のことだが、この時点でジャックが、大通りでダリアが虫の息になっていることを、知る術はない。ジャック自身にとって、この風の魔力球の異変は「ダリアの身に何かあったのでは」という、単なる予感を感じさせただけに過ぎない。
それでも本能では、決定的なものを感じとったようだ。何よりも、風球が飛び散るとともに染み込んできたダリアの『魔力』が、ジャックに大切なことを知らせてくれた。
「うぅ……ん……」
ジャックが風球の余韻に浸っていると、傍らのラスクから小さな声が発せられた。
目の色を変えてジャックはラスクの顔を覗き、声を呼び掛ける。
「おいっ、ラスク!聞こえるか?」
意識が戻りだしたラスクは眉間にしわを寄せ、目を開けるかどうかというところだ。じれったくなったジャックは、肩を掴んでラスクを揺する。
徐々にラスクの瞼が開き、目を覚ました。しかしどうやらまだ焦点が合ってないようで、瞳は天井に向けてぼんやりと揺れていた。
ジャックは毛布を剥いで、ラスクの腹の傷を見る。先ほどまでは腹にポッカリと空いた穴があったが、今は、ただの黒ずんだ『傷跡』が残っているだけだった。ジャックがその部分を指圧して感触を確かめると、指が丸々埋め込まれている感触も、嘘のように無くなっていた。
「指は…もう無い、のか…?おいラスク!分かるか?俺が分かるか?」
厄介な指が(理由は不明だが)消え失せ、ラスクが意識を取り戻し始めたことで、ジャックは喜びと焦りから思わず声が上ずっていた。それでもジャックは気にせずラスクの名を必死に呼び掛ける。
目を2回瞬かせて、ようやく目が慣れてきたラスクが、ゆっくりとジャックの顔に瞳を向けた。
「ジャック…くん……ここ、は?」
「ロメオの宿だ。………よかった、一時はどうなるかと思ったぞ」
北門辺りにてオークを倒したラスクは、その時点で記憶が途切れている。加えてあの瞬間のラスクは、襲いかかってきたエイドスの指に気づいていなかった。
彼女からすれば、何が何だか分からないまま、腹部に痛みを感じて視界が暗転した。
「何で、僕は気絶したの?間違いなく、オークは倒した手応えがあったのに……」
当然の疑問をもらしたラスクに、ジャックは順を追って説明していく。それとともに自分の軽率な考えでラスクを危険に晒したことを、深く詫びた。
ジャックが倒したオークから、エイドスの指が出てきたこと。
指は自発的に動き、ラスクを追っていって腹を貫いたこと。
ラスクが意識を失った直後に、エイドスが現れたこと。
エイドスがジャックを無視して去り、それからダリアと合流したこと。
もはや、自分とエイドスの対立だけでは済まされないと考えたジャックは、今に至るまでの出来事と今の状況を、ラスクに事細かに話した。
そんなジャックの深刻な態度に、ラスクは神妙な面持ちで話を聞いていたが、エイドスのこと……特に、エイドスの指が自分の腹に突き刺さっていたと聞くと、眉間を指でつまんで塞ぎ込んでしまった。
「おい……いや、悪かったな。指が腹の中に埋まっていたなんて空恐ろしいことを、うかうかと……すまない」
ラスクの反応を見てジャックは、少し軽率に話し過ぎたことを手を振って謝ったが、ラスクは眉間に指を当てたまま「違う」と小さく呟いた。
呟きを聞きとったジャックが、俯き気味のラスクの顔を覗き込む。
「違うとは、どういうことだ?」
「あれは……指、ゆび……? でも違う、違うんだ。あの感覚は指というよりむしろ……けど、そんなことありえるの?」
要領を得ない言葉を吐き続けるラスクを見て、すっかり錯乱してしまったのではとジャックは焦ったが、当のラスクはそれどころではないようだ。見たことないほど険しい顔をして、やたらに言葉を発している。
しばらくジャックは、ラスクを落ち着かせようとしていたが、こちらに向かってくる馬蹄の音を聞いて、素早く刀の柄に手をかけた。
出来れば窓から顔を出して、敵か味方か確認したかったが、馬の足音は宿の前で止まり、何者かが階下に入ってきた。2つの気配だとジャックは察知した。
「新手か……?」
ジャックはラスクの上体をベッドに寝かせて、言葉を出さず静かにするように、彼女の唇に指を当てた。ひとまずラスクは落ち着いて、口を閉じて頷いてくれた。
その間もジャックの視線は、廊下に出る扉に向けられいる。刀の鯉口はすでに切っていた。
2つの気配は2階に上ってきた。階段を上ってくる足音の調子から、4足歩行の魔物などの類ではないと分かる。だが、人間だからと言って害が無いとは限らない。
2人分の気配は宿の部屋を1つずつ調べず、真っ直ぐジャックとラスクが居る部屋へ近づいてくる。そして部屋の前で気配が止まった時、ジャックは冷たく低い声で、扉の前にいる者たちを誰何した。
「誰だ。何の用でここに来た?」
柄を僅かに握って、いつ襲われても良いようにジャックは身構えていた。扉の向こうから、咳払いの後にクレアの声が聞こえてきた。
「ええ〜っと……そこに居るのはジャック、でしょ?クレアなんだけど、入っても大丈夫?」
扉の前にいるのがクレアだと分かると、ジャックは表情を緩ませたが、状況が状況なだけに念を入れることした。
「少しお待ちを。本当にクレア殿ですか?入るならば………手数をかけますが、勢いよく扉を開けず徐々に開けて……姿を見せてくだされ。妙な真似はくれぐれもせぬよう…」
慎重過ぎるほどのジャックの要求に、扉の向こうにいたクレアは戸惑った。
リレイラス・ハンデンを伴ってここまで来たクレアは、ハンデンの魔力探知のおかげで迷わずジャックの居場所に辿り着けたのだが、これほどまでドスの効いた声で警告するジャックの態度に少なからず狼狽してしまった。
「まあまあクレア君、落ち着け。中にいるジャック君の言う通りしてあげれば良いではないか」
クレアの後ろに控えていたハンデンが、微笑みながらそう言った。聞いたことの無い初老の男の声に、部屋のジャックは怪訝な表情を浮かべていた。
ハンデンに促されたクレアは、ジャックの言った通りに扉を静かに開けていき、警戒しているジャックを出来るだけ安心させるように、初めに扉を完全に開け切って自らの姿を見せた。
「んんと、その……ただいま、ジャック。もうそっちに行っても良いかな?」
全身雨に濡れているクレアとハンデンを目にして、ようやくジャックは一安心し、部屋にある毛布をとってクレアとハンデンに渡した。
「ふぅ……どうぞ、クレア殿。そして…あなたがハンデン殿、ですか?先ほどの失礼をお赦し……」
ギルド長のグレンジャーがハンデンという老人に協力を仰いだことを、ジャックは聞かされている。グレンジャーの言っていた風貌と一致する男に、ジャックは礼を言った。
また無事にロメオに帰ってきたクレアにも、ジャックは何か言おうとしたが、その前にクレアがジャックを抱き締めた。
「こんなに泥と血にまみれて……また無茶したわね」
ジャックの疲れた表情と、ボロボロになっている姿を見てクレアは、気がついたらジャックのことを抱き締めていた。
クレアよりも身長が低いジャックは、顔にクレアの胸当ての部分が当たっていたが、無理にふり払うのも悪いと考えて、クレアの背中を叩いて離してくれるように促した。
「あ、ゴメン、苦しかったでしょ」
「いえ、ご心配なく」
「そう……ああ、あなたがラスク?いやいや、無理して起きなくて良いわよ」
起き上がろうとしたラスクは、クレアにそう言われて小さく頷き、肘をついてまた上体を寝かせた。依然としてラスク自身、具合は芳しくないが、精神的には何とか落ち着いていた。
「ひどい顔色ね……怪我は?」
ジャックの横を通って、ラスクのもとに歩み寄ってきたクレアが、ラスクの頬に手を当てた。
ハンデンも毛布で顔を拭きながら部屋に入り、ジャックが扉を閉めながら、ラスクの容体を代わりに説明した。
「それが何とも……大きな怪我は無いのですが、少々厄介な攻撃を受けてしまい、ついさっき意識を取り戻したところで」
「ふむ……そっちのベッドに寝かされているドワーフの男は、すでに息を引き取っているようだな。ジャック君、このドワーフは?」
今度はハンデンがジャックに問いかける。
元レン騎士の老人は、フルブライトの遺体が置かれたベッドの傍で膝をつき、慣れた手つきで首の脈に触れたり瞳孔などを観察していく。
「この人は鍛冶の職人で、フルブライトと言います。………自分の、この剣を打ってくれた手前、大変お世話になった人なのですが、先回りされたエイドスの刺客に殺害されて……」
いまだ悔しさが冷めやらぬジャックは、そう説明した後、下唇を噛み締めて顔をしかめた。自然と指もフルブライトの形見となった刀の柄を握りしめていた。
そんなジャックを横目に、ハンデンは親方フルブライトの遺体を丁寧に調べ続けている。初めハンデンは、脈や体温を優しく触れて診ていたが、次第に身につけている物を剥ぎ取り始めた。それは段々とエスカレートして、まるで野盗が他人の服飾品をぶんどっていくような手つきになってきた。
「一体何を…!お待ちください!」
見るに見かねたジャックが、ハンデンを遺体から引き離す。強引に遺体から離されたハンデンだったが、ずいぶんと冷静な態度だった。
クレアは動けないラスクを庇うように、2人の男のやり取りを見ている。
「何の真似を……」
低い声でジャックが腕をハンデンを問い質す。
ハンデンはジャックから解放されると、悪びれもせず堂々とした態度でわけを話した。
「すまないね。実は、死んだはずのこの男から奇妙な魔力が流れているんだ。……生命活動が停止しているなら、これはありえないことなんだ」
「魔力が……?あなたは魔術師なのですか?」
怪訝な顔をしたジャックに、クレアが説明を補足した。
「ううん、違うのよジャック。この人は一定の範囲にある魔力を、正確に探知する能力を持っているの。そして今さっき、その範囲を定める結界を作ってから、ここにいるあなたとラスクちゃんの魔力を道標にして、私とハンデン氏はやって来た」
ジャックはクレアとハンデンの顔を交互に見比べてから、静かな口調でハンデンに話しかけた。
「そう、ですか……あなたが悪意でやったことではないのならば。その、ハンデン殿、死んだ人間が魔力を流していたら、どんなことが考えうるのですか?」
ハンデンは床に座りなおすと、遺体の方をジッと見据えたまま、順を追ってジャックに教えていく。
「そうだな、魔力を帯びた物体を身につけている可能性と、何らかの禁術がかかっている可能性。大体この2つが考えられる。もし危険な禁術の類なら、側にいる者に害を為すかもしれない……ならば多少強引でも、危険なのか安全なのか手早く知りたかったのだよ」
魔力の広範囲探知がウリのハンデンだが、その探知の正確さも折り紙つきである。虫型の魔物、ジェット・ビーが邸内に侵入した際も、範囲内にいるジェット・ビーの場所と数をピタリと把握していたのだから、察知能力の微細さは言うまでもない。
しかし、そんなハンデンの魔力探知にも弱点はある。例えば、大きな魔力と小さな魔力が近くにあったとすれば、場合によっては、小さい方が大きな方に覆われてしまって、正確な探知ができなかったりする。また、特殊な魔道具に収納された小さな魔道具なども、いくらハンデンの魔力探知でも、詳細を知ることは不可能だ。
死んでいるフルブライトから得体の知れない魔力が流れていることに、部屋に入る前からハンデンは懸念していた。
そこに居た全員が、ハンデンの解説を受けて遺体の方に目を向ける。なおも観察を続けるハンデンは、フルブライトの豊かな髭に焦点を当てた。
男のドワーフは大抵、髭をたくわえている。先ほど調べた時に、服のポケットなどに怪しい物が無かったので、ハンデンは余計に髭が怪しく思ってきた。
「クレア君、小さいナイフか何か持っているか?貸してくれ。このドワーフの髭を剃ってみる」
そう言って手を差し出してきたハンデンに、クレアは「ちょっと待ってください」と言って、背負っていたリュックを床におろして中からナイフを取り出した。
「どうもありがとう。……ああジャック君、もうさっきみたいな無茶なやり方はしないから、そんなに心配した顔をするな」
不安が顔に出ていたジャックは厳しい視線を送っていたが、ハンデンに言われてとりあえず首肯した。
ベッドに寝ているラスクも、傍らにいるクレアに手を握られながら、ハンデンの作業を見ている。
シャリ……シャリ、ザリ……ジャリ
ナイフで遺体の髭を剃っていくハンデンは、頬を切らないように注意している。
頬から顎にかけてビッシリと生えている髭を剃りあげると、左顎の筋肉があるところに、太い糸が縫合されていた。糸はもみあげから始まり、顎に向かってジグザグ状に縫い合わされている。
見た目は頑丈に縫われているが、糸自体が古くなり過ぎているためか、縫合はところどころが千切れて頬肉が緩まっている。
ハンデンは一旦ナイフを置き、見るからに痛々しい縫い合わせを触って調べてみる。
「怪我による縫合、か?……違うな、怪我とかで処置したような縫い方ではない」
ジャックとクレアも、親方の遺体の剃られた部分を覗き込んだ。あまりに長く大雑把な縫われ様を見て、2人もハンデンと同じく、何か未知の物が有るのではと考えはじめた。
「怪我をして医者か何かに縫われたものではない、と。ならばこの縫合のわけは?」
「当人が死んでいるんだ。詳しくは分からんよ………だが、まあ……確実なことは1つ分かったぞ」
核心にたどり着いたことを示すハンデンの口ぶりに、その他の3人の間に緊張感が走る。3人がハンデンの次の言葉を待っていると、ハンデンはナイフを拾って糸を切断していった。
ブツッ、プツッパツン……バツンッ…ブツッ
千切れていない糸を全て切り終わり、ハンデンが糸を引き抜く。顎と頬の肉を乱雑に縫いつけていた糸が無くなると、親方の顎が驚くほど開かれた。
親方フルブライトの顎の関節と肉は、すでに機能を失っていたのだ。口を閉じる補助をしていた糸が取り払われた今、ガパリと口は開いている。
ハンデンは首を伸ばして、色々な角度からその口を覗いてみた。
「なる、ほど……そういうことか。2人とも、口の中を覗いてみるがいい」
そう言ってハンデンは、2人が遺体の口の中を見やすいように、後ろに下がった。
調子がいまだ優れずベッドに寝ているラスクは、ハンデンが縫合を見つけた時から蚊帳の外だが、ジャックとクレアはハンデンの言う通りに、親方の口腔を覗き見た。
この部屋自体があまり明るくないので、最初はよく分からなかったが、目が慣れてくると、喉の奥の方に黒い筒のような物体が垣間見えた。
「あれは、何なの?」
素直な疑問を口にしたクレアだが、もっと混乱していたのは隣に立って黙っているジャックだった。
「なあジャック君、君はこの遺体を運んでくる途中で、この喉に詰まった筒の感触には気づかなかったのか?」
「はい……魔物から逃げるのに夢中で、気づいていませんでした。てっきり、親方は刺客の魔術によって死んだのか、と………」
フルブライトの遺体は、ヒョウの獣人レパードと戦った時にラスクが工房の奥部屋で発見した。エイドスからの刺客レパードは、暗器の他に風の魔術を使って動物を『窒息』させる能力を持っていた。ラスクが発見した遺体に目立った外傷はなく、遺体を見つけた直後に窒息の魔術を体験したのだから、必然的に親方も同じように風の魔術に殺害された……と、ジャックとラスクは考えていた。
「…………という経緯でここまで来ました。ラスクも俺と同じく、刺客の窒息攻撃を身を以て体験しました。現にあの魔術のせいで、もし水魔法で荒療治をしなければ、間違いなく2人とも死んでいたでしょう」
親方の死因を、今の今まで魔術による窒息と捉えていたジャックは、先ほどのレパードの襲撃の説明を含めて、クレアとハンデンに述べた。
「ふ〜……む。このドワーフの親方が窒息攻撃を受けて死んだのか、自分であの黒い筒状の物を飲み込んで死んだのか……今となっては迷宮入りだが、先決なのはこの筒が何なのか、だ」
「口から引っこ抜くのですか?」
「出来ればそれで抜ければ良いな。もし素手で抜けなければ……少々フルブライトには申し訳ないが、喉を切り裂いて、そこから取り出すしかなくなる」
ハンデンは腕をまくって、ゆっくりと遺体の口に手を入れていった。しかし年老いたハンデンの節くれ立った指では、喉の奥にある筒を取り出すことは出来なかった。
大分無理してハンデンは手をねじ込んだので、右手が危うく口腔の中から抜けなくなりそうになった。
「ダメか。指先は筒に触れたのだが、そこからは全く手が進まない」
やっとの事で手を抜いたハンデンが苦々しそうにそう言うと、意外なことにジャックが「ならば喉を切りましょう」と進言した。
ジャック以外の3人は皆耳を疑ったが、ジャックの真剣な表情を見るに、軽々しい提案ではないだろう。
「やむを得ません……親方の遺体を傷つけるのは気が進みませんが、親方の弟子のロイ君が生きていれば、彼に遺品を渡す必要があります。……突然親方が亡くなって、遺品も残らずに終わればあまりに可哀想だ……」
ジャックが皆の顔を見渡す。ロイのことを知っているクレアは頷き、ハンデンとラスクも同意のようだ。
スラリ、とジャックが刀を抜いて、フルブライトの喉の中心を丁寧に切っていった。せめて自分の手で出来るだけ綺麗に、という思いがジャックにあった。
フルブライトが打った刃が、フルブライトの喉に一本の線を引いていく。ジャックが刀を納め、線を指で割り開くと、喉の管に詰まっていた筒が露わになる。
筒を取り出すときも、ジャックは無駄に遺体を傷つけないことを第一に考えていた。ジャックが慎重に抜き取った筒を、ハンデンが受け取って拭きとった。
ジャックは部屋にあるタンスを開けた。ちょうど良くタンスの中には、汚れていない白いハンカチがあったので、切り開かれた親方の喉を、ジャックはそのハンカチで詰めてやった。
「…これで良し」
黒い筒を受け取ったハンデンは、ジャックが後始末を終えるまで待っていてくれた。
その場に居る全員が、遺体の気管から取り出された黒い筒に注目する。
筒を持っていたハンデンは、どうやらこの筒は何かの入れ物であり、且つ、魔力を帯びた頑丈な物だと分かった。そのため、注意深く蓋になっている部分を開けてから、ひっくり返して中身をサイドテーブルにあけた。
筒から出てきたのは、ゴツゴツとした前時代的なペンと、使い込まれた細い棒ヤスリ、そして巻物状になっている紙だった。
「これは……親方の道具に違いないわね。そのペンは、ジャックの刀の設計図を描いていた時に使っていたわ」
「ならばこの棒ヤスリも、親方が愛用していた道具でしょう。それと……その紐で縛られている紙は、遺書か何かでは……」
「いいや、それはあり得ないぞジャック君。親方が自殺か他殺かは不明だが、刺客に狙われた状況で遺書をしたためる余裕は無いはずだ」
「では、これは一体?」
「……仕方がない、紐をほどいて見てみよう。内容を見ぬことには、そのロイ君とかいう弟子に渡す物かどうかも判断出来んからな。まあ……もし弟子や家族に宛てた遺書ならば、勝手に読んだ私は失礼にあたるだろうが、な」
ハンデンは紐を解いて紙を広げた。
紙の中央には一本の刀の絵が描かれ、その周りには小さな文字が細かく書かれている。ジャックとクレアも、ハンデンの横から紙を見た。
「この絵、ジャックの刀じゃない?」
クレアは絵を指差しジャックは静かに頷いた。
この紙は、ジャックの刀を作る際に書いた『メモ書き』だった。刀の絵の至る所に矢印線が引かれ、刀の各部分に施された隠し仕掛けが、フルブライトの直筆で事細かに解説されている。
このメモに目を通したジャックは鳥肌が立った。
フルブライトの遺作となった自分の一振りの刀は、斬れ味や作りが素晴らしいだけではなく、おびただしいほどの仕掛けが、実に巧妙に組み込まれていたのだから、無理もないだろう。
無言でジャックは、自分の腰に下げている刀に視線を移し、鞘をそっと撫でた。改めて、とんでもない刀を親方から託されたのだと感じていた。
「ほう……ほう……よし、この紙はジャック君が持っておきなさい。実際のところ、君以外の人間がこのメモを読んでも、その剣の凄さは君にしか理解出来ないだろうし、弟子に渡す遺品はこのペンとヤスリで充分だ」
「承知しました」
ジャックは紙をハンデンから受け取って懐にしまった。色々な助言をして、このメモを見つけてくれたハンデンに、ジャックは今一度礼を言おうとした。
だがしかし、当のハンデンが突然、ジャックの事を手で制した。
その鋭い剣幕にジャックは押し黙った。クレアとラスクも、変貌とも言えるほどの、ハンデンの打って変わった態度に飲まれていた。
ハンデンは黙ったまま、両手を側頭部につけて意識を集中させている。この宿に向かっている時のハンデンは、街全体の魔力を意識下に置いていたのだが、部屋に入ってジャックに合流してからは、意識下の領域を、部屋にいる者たちをベースに移していた。
これは、ハンデンのうっかりミスではない。魔力探知は自身の魔力をあまり消費しないが、精神疲労は大きい能力である。ある程度、全体の状況を把握すれば、自然とハンデンは疲労を軽減するために、把握するテリトリーを抑えているのだ。
フルブライトの遺体から匂っていた魔力の正体は、遺品を仕舞った筒状の入れ物だと断定できた。
そのため、今さっきハンデンは、把握する探知範囲を元の大きさに戻したのだが、大通りで戦っているホンバットとエイドスの魔力の拮抗が、エイドスに崩れかけていることを察知したのだ。
大雨と強風のせいで探知する疲労がいつもより多いが、マーシュがエイドスに魔力探知のチョーク粉を付着させたので、エイドスの状態はいつでも探れるようになっている。
当のマーシュの魔力もまだ無事だが、ホンバットとエイドスの一騎打ちに、思うように近づけずにいるようで、このままではホンバットが徐々に押し切られてしまうことが予想できた。
「まずいな……あっちの情勢はまずいようだぞ、クレア君」
苦々しくそう告げたハンデンに、クレアは「2人とも無事ですか?」と訊いた。
2人、という言葉にジャックも、マーシュとホンバットのことをハンデンは探知していたのだ、と理解した。
「2人は無事だ、大怪我もしていない……が、エイドスと直接戦っているホンバットが、少々押され気味だ」
「ホンバットさんが……?!」
「落ち着きなさい。今すぐ倒されはしないだろうが、このままではジリ貧だろう……しかも、先ほどからずっと都市中を探知しても、グレンジャーの魔力が一向に見当たらない。チッ、どこをほっつき歩いとるんだ……!」
落ち着け、とクレアに言っている割にハンデンも無意識に語気が荒くなっている。
彼自身、魔力探知で都市の中にいる全員の状態を知ることができるため、現状、ホンバットが倒されればエイドスに勝てる者がいなくなることを、イヤでも分かってしまう。
現在の趨勢が細かに理解できるハンデンだからこそ、余計に焦燥が募っていた。
「自分が救援に向かいます。エイドスのやつには借りがある」
「……よしておいた方が良いな。自分の疲労と魔力の枯渇しているのは……君自身がよく分かっているはずだ。一時の感情で動いては、蛮勇というものだぞ」
大通りに向かう意志を見せたジャックを、ハンデンは首を振って諌めた。
するとジャックは軽く微笑んで、刀の柄にある赤い宝石にそっと指を掛けた。
「いいえ。ハンデン殿、自分には『戦う理由』と『勝算』があります。………必ずや、奴を仕留めてみせます」
床に座ったハンデンと立ったままのジャックの視線が交差する。
一見して互角に張り合っていた両者だったが、ジャックが柄にある宝石に触れた瞬間、ハンデンはジャックを止めることを諦めた。故は知らないが、ものの数秒でジャックの魔力が、みるみるうちに復調していたのだ。
ハンデンはこれ以上食い下がらない、とジャックは判断して、刀を差した腰紐を縛り直し、着崩れた服も整え、出発の準備をしていく。
「ハンデン殿、大通りの様子は?」
「……やれやれ、仕方がないな………ホンバットとエイドスは、北門近くの地点で戦っている。街壁に沿って進んでいけば、2人の戦いに参加出来るだろうさ。……マーシュは仲間1人と一緒だ。今はギルドの地点から裏通りを通って、慎重に北門へ移動している」
「わかりました……それと、ひとつ聞きたいのですが、風を操る魔術師の魔力は探知できますか?」
「風の魔術師…?いや、私の探知には引っかかっていないな」
ジャックはハンデンの答えに、一言「そうですか」と返した。そっけない返事だったが、内心穏やかではなかった。
ダリアの身を懸念していたジャックにとって、魔力が感じられないという言葉は、一種の死の宣告だ。ダリアから託された風の球が破裂した時に、ある程度は覚悟していたジャックだったが、魔術師の魔力が消えているとなると、生存は絶望的だ。
「待って、ジャックくん……僕も行く」
ジャックが部屋を出ようとすると、いきなりラスクがベッドの毛布をはねのけて立ち上がった。急に動き出したラスクにクレアとハンデンは驚いたが、当人は気にせず身支度を整えていく。
「駄目だラスク、君には荷が重すぎる。おとなしくここで待つか、ハンデン殿とクレア殿と行動していろ」
意識を取り戻したばかりなのに勝手なことを言ってついてこようとするラスクを、ジャックは厳しい言葉を突きつけた。
だがラスクは引き下がらず、ジャックの元に近づく。そしてラスクは背伸びして、ある事をジャックに耳打ちした。クレアとハンデンは聴き取れなかったが、耳元で何か囁かれたジャックは、目を見開いてラスクの顔を見た。
「……それは、本当か?」
「間違いないよ。実際に苦しめられたしね……確実に、今でも感覚で捉えているよ」
自信たっぷりのラスクにジャックは半笑いで「よくやった」と言い、クレアとハンデンに向き直った。
「お2人には感謝しています。特にハンデン殿、あなたのお陰でフルブライト親方の遺品を見つけられました」
「礼には及ばない……自らの足で危険に赴くと決めたのは君たちだ。私たちは大したことはしていない。………遺体は私たちが教会に届けておく」
「ありがとうございます」
ジャックは一礼してから部屋を出て、ラスクもそれに倣ってから部屋を出た。
ジャックとラスクが宿を出て北の方角に走っていく様子を、クレアとハンデンが見送っていた。すぐに、2人の後ろは雨に紛れて見えなくなった。




