ギルドからの出撃
ホンバットが『鎧』を纏い、エイドスと戦闘開始した頃、ギルド前の大通りに取り残されたマーシュや冒険者たちは、ギルドに入って体制を立て直すことにした。
先ほどの大通り前の戦いで生き残り、ギルド施設に帰って来れたのは、片手剣を扱うトライと槍使いスクード、喉を負傷した女剣士マリン、そしてマーシュの合わせて4人のみである。
スクードとマーシュが、喉から血を出して気絶しているマリンを抱えて椅子に寝かせた。
トライは2階に走って管理室へ行き、訓練場出入り口のスペアキーを取って戻ってきた。
エイドスに侵入されたにも関わらず、1階も2階も破壊された様子がなかったことに、戻ってきたトライは不思議そうな顔をしていた。
間違いなくエイドスはギルドに侵入していた。
しかし施設を破壊し尽くすことが目的ではなかったのか、ロビーの調度品や扉も綺麗なままだった。
あまりに無事過ぎるので、かえってマーシュたちは警戒を強めたほどだったが、ひとまず、彼らは危惧していた事態だけは避けられたことを喜んだ。
なぜならギルドに隣接する訓練場の中には、ギルドに避難してきた一般住民が立て籠もっている。
訓練場の屋根や壁は外部からの衝撃にめっぽう強い魔法石だが、出入り口は鉄で補強されているだけの木製の扉だ。外からの攻撃には安心だがギルド内に入られると、もはや安全な避難所にはならない。
もしもエイドスが訓練場の扉をこじ開けて、中にいる人々を虐殺していたら、まさに目も当てられない事態になっていただろう。
「みなさん!大丈夫ですか!」
トライが訓練場の扉を合鍵で開けて、中に居る人々にそう呼び掛ける。
ここに避難してきた住民は全員で121名。都市ロメオの総人口1200人に比べると、10分の1しかここへ逃げ込めなかったことになる。他の住民はこことは別の場所に避難したか、都市中に放たれた魔物たちに殺されたかのどちらかだ。
声を張り上げたトライに、1階の剣闘場にいる人々をまとめていた中年のギルド員が、全員無事だったことを強く頷いた。
「怪我人の治療は?」
「私たちギルド員が総出でやっている。特に医務班のサラは朝からずっと怪我人を相手にしているぞ」
「サラさんはどちらへ?」
「地下だ」
トライは中年のギルド員に礼を言ってから、地下への階段を下りていく。
訓練場は地上2階地下1階の3階層になっている。1階は剣闘場で2階は射撃場、そして地下は魔術師たちご用達の訓練場だ。危険防止のため、魔法が撃ち放題の地下1階へ下りる階段の先には、もう1つ扉が用意されている。
地下に怪我人を運んで治療しているということは、仮に魔物が訓練場に侵入しても、さらにギリギリまで立て篭れるからだろう。
トライは階段を下りて扉を開け、地下1階のフロアに入った。燭台のみで灯りを保持している地下は、そもそも薄暗い。しかし、惨状はすぐに把握できた。
地階訓練場は所狭しと怪我人や病人が並び、魔物にやられた傷に苦しみ呻く声、治療の甲斐なく事切れた者を悲しむ啜り泣き、そしてその中で、わずか4人のギルド員がせかせかと動き回って指示を出し合っていた。
大通りでの戦闘中も、それなりの人数の住民が隙を見てギルドに逃げ込んでいるのを、トライは戦いながらも確認していたが、これほどまで手が回らない状況とは考えつかなかった。
「サラさん、いますか!?サラさん!」
トライがサラの名を呼ぶと、奥で子供の腕に副え木を当てていた人影が近づいてきた。サラだった。
サラは白衣の裾を、邪魔にならないように横でまとめて縛っている。三十路後半の美貌には重い疲労感が溜まり、眉間にはいつにも増して皺が寄っていたが、足取りは機敏でしっかりとしている。
「何の用?トライ……だっけ?今ちょっと忙しいんだけど」
そう言った彼女のズボンの右ポケットには、グルグル巻きにされた包帯の先が覗き、左ポケットにはハサミが無造作に突っ込まれている。
実際に忙しいのだろう。まだまだ怪我人も多く、中には予断を許さない者もいる。トライは喉を潰された剣士のマリンを、サラに治療してもらおうとしたが、医務員サラの様子を見るに断わられそうだ。
「あの、実はロビーの方に怪我人がいて……敵に喉を潰されたんですけど、手を回せますか?」
「無理ね。そもそもこっちも人手が足りてないの。手当てならあんたたち同士でやりなさい」
「じっ、重傷なんです!呼吸もほとんど…」
トライが食い下がろうとすると、サラが脛を蹴ってきた。本気の蹴りではなかったが、それでも痛いものは痛いので、トライは膝をついてしまった。
「1つ言わせてもらうけど……冒険者の大半って、勢いがある時は態度が大きいけれど、少々マズい状況になれば急に弱気よね………と、よく言われない?踏ん張らなきゃいけないのはどっち?あんたたちより力が無くて、あんたたちより苦しんでいる人はここに大勢いるのよ」
脛を押さえているトライを見下ろすサラの眼は、直視したトライがゾッとするほど冷たかった。
あまりに厳しい言葉と蹴りにトライは悔しさを覚えたが、何も言い返せなかった。
ギルド員は総じて冒険者の経験がある者が多く、それでなくとも、国軍に所属していた経歴の者もいる。サラも例外ではなく、現在の肩書きは医務員だが、現役時の冒険者クラスはCだった。
今もただ怒りやストレスをぶつけたのではなく、同僚の応急手当にも手が余っている若い冒険者トライに、先輩として喝を入れたのだ。冒険者にとって痛い揶揄の言葉をぶつけたのも、サラ自身の体験も含んでいる。
「まったく、余計な手間をかけさせて」
「そう厳しく言うな、サラ。今朝から魔物の襲撃はずっと激しい……対応が遅れて不利になったのもしょうがないとも言える。少々浮き足立つことくらいは誰にでもある」
サラがトライから背を向けて傷病者の治療に戻ろうとすると、様子を見に下りて来た中年のギルド員がサラをたしなめた。
ちなみにこのギルド員の中年男は冒険者出身ではなく、副都で城の衛兵をしていた経歴を持つ。歳の割りに体格はゴツく背筋も常に直立しているため、着ている制服が似合っていないことが定評だ。
「小康状態……とまではいかないが、魔物の数も1時間前と比べると随分減っている。お前もずっと治療しているだろう?上にいる冒険者を治療したら、一旦休んでこい」
元軍人のギルド員がニイっと笑ってサラに言った。
何を悠長なことを言う、と言いたげにサラはため息をついたが、同僚の言う通り確かに相当疲れていたので、言葉に甘えて休ませてもらうことにした。
「はいはいわかった……じゃあ、これは半分渡しとくから、後は頼んだわよ」
サラは同僚の中年男に、ポケットから出した包帯やハサミを渡した。そしてトライの肩を叩いて、サラは「行くわよ」と言った。トライは慌てて階段を上っていくサラについていく。
サラが1階に上がっていくと、訓練場の2階階段からヘビィクロスボウを持ったマーシュが下りてきた。
「あらマーシュくん」
「あ、サラさん!無事でしたか」
「まあね、ここにいたら余程のことがない限り安全だし……医務員が逃げ遅れて重傷患者だなんて、面目が無いからね」
そしてサラとトライ、マーシュはロビーに入った。喉を素手で潰された女剣士マリンは、並べた椅子に寝かされている。
側で血を拭いたりしてマリンを診ていたスクードが、サラの姿を見て場所を避けた。サラはマリンの側にしゃがみ、喉の傷を観察する。
「……ふうん、武器でやられたんじゃなくて、素手でやられた傷よね」
「はい、そうです」
「誰にやられたのよ?さすがに魔物じゃないでしょう」
鋭いサラの問い掛けに、スクード、トライ、マーシュの男3人は揃って閉口した。特にトライは先ほどサラに厳しく怒られたため、突然寝返った仲間にやられた傷だ、とは言い出せなかった。
「なにさ?言えないの?」
「それは……そのですね」
サラにチラリと睨まれたトライは言葉を濁したが、スクードが代わりに説明することにした。
30を少し越えている歳のスクードは、マリンとはほぼ同時期に冒険者になった男だ。スクードも、マリンと同じくクラスはCである。
「実は、何人か裏切ったんだ。その傷は新人のパイクってやつに……」
「パイク?ああ、なんとなく覚えてるけど……その子があなた達に?本気で言ってるの?」
「……そうだ。ついさっき、俺たちとホンバットさんは、表の通りでこの街に魔物を引き入れた首謀者を目にした。そいつが触れた人間が、その、急に俺たちを殺そうと襲って来たんだ」
「………」
「にわかに信じられないだろうが……けどよ、マリンは間違いなくパイクに喉をやられたんだ。どんな手品を使ったが知らないが、一瞬だ……一瞬でぶっ倒れてた仲間が起き上がって、こっちに武器を振りかぶってきたんだよ」
青い顔で話すスクードをサラは見ていたが、とりあえずマリンの喉を手当てすることを急ぐことにした。
スクードの様子からして本当らしい。そう思っていたサラだが、マリンの喉はすでに血が固まり始めている。放っておけば満足な呼吸が出来ずに死ぬか、感染症にかかって数日後に死ぬかの2つに1つだろう。
「それで、スクード……その首謀者は?」
「……やつはホンバットさんが斬りつけて、間違いなく上半身と下半身が真っ二つになったんだが………すぐに元通りになって北の方角に逃げた」
「元通り?」
「ああそうだ、バッサリ斬られたのに元通りになったんだよ。マジで夢かと思った。……あの人狼、何もかも得体が知れないから不気味だ」
「人狼、ねぇ……ってスクード、まさかそいつを逃したんじゃないでしょうね?」
語気を強めたサラに、若いトライとマーシュの2人が体を硬直させたが、スクードはいたって冷静に答える。
「いいや、ホンバットさんが愛馬に乗って急いで追ったよ。というか……あの人狼も逃げたって感じじゃなかったな。あの時……ホンバットさんが一太刀浴びせる前に、誰かが風の魔術を人狼に撃っていたようなんだ。やつはその魔術の使い手に向かっていったように見受けられたぜ」
スクードの説明をサラは黙って聞いていた。その間にもサラは、マリンの傷を綺麗に消毒して包帯を巻き終えたが、風の魔術、と聞いた途端に包帯の末端を切ろうとしたハサミを置いた。
スクードは傍らにあった椅子を引っ張って、それに座って話を続けた。
「ホンバットさんの救援に向かいたいが、現状、ギルドの警護を空けておくのも危険だからな。せめてもう何人か戦えるやつがいれば……」
「屋根に配置していたみんなは?さっきからずっと降りてこないんだけど」
「残念だがよ、サラ………あの人狼は屋根にいたやつらから攻撃しやがったんだ。もう誰1人残ってない」
「……最悪ね。その人狼に良いようにしてやられてるじゃない」
サラの冷淡な態度に、先ほどからスクードとサラのやり取りを見ていたトライが、机をバンと叩いた。
「サラさん!あんたは俺たちよりも経験と実績があるのかもしれないが、最前線で戦っているのは俺たちだ!命を懸けて戦ったやつらに、そんな態度はあんまりじゃないか!!」
我慢の限界に達し激昂するトライを、隣にいたマーシュが慌てて宥めた。だが、マーシュも少なからずトライの考えに賛同していた。女好きなマーシュだが、表で命を張った者たちの事を思うと、先輩サラの様子は冷た過ぎるのでは、と感じている。
サラとトライは睨み合いになり、スクードとマーシュは2人の間に割って入って場を落ち着かせようとする。
その時、ギルドの入り口の扉が開いた。
ロビーにいた4人全員がそこに目を向けると、1匹のはぐれウルフが顔を覗かせていた。ギラついた眼と血に塗れた前脚の爪が、何人もの人間を襲ったことを物語っていた。
最も入り口側にいたマーシュが対応する間も無く、はぐれウルフは牙を剥いて走ってくる。
「っ!うおわっ…!?」
咄嗟に振りまわせる武器を持っていないマーシュは反射的に身を屈ませるが、トライの腰に差された片手剣をサラが投げつけた。
飛び上がって襲い掛かってきた狼は、空中で刃に撃墜されて息絶えた。腹に深々と刃は突き刺さっていた。
あまりに素早いサラの対処に、男3人は言葉を失っていた。
「……はぁ、まったく」
それだけ言って、サラはスクードを目で促した。
察したスクードは狼の死骸から剣を引き抜き、トライに渡す。
それからスクードは死骸を入り口まで担いで外に放り投げたが、トライは判断が遅れた自分とさっきのサラの行動を照らし合わせて、情けなさに膝をついた。
「……」
気落ちしたトライに、マーシュはかける言葉が見当たらなかったが、意外なことに、サラが立ってトライの肩をそっと叩いた。
表情も前の厳しい面影がなく、どことなく悲しげだ。
「……トライ、あなたはまだ若いし精神的にも勢いと情熱がある。けどね、この世には必死さや生命を全て投げうったとしても、如何にもならないものがあるのよ。それに一喜一憂していては、いつか壊れてしまう日が来るのよ」
トライは顔を上げ、サラの顔を見た。
サラが自分を怒らず、励ましてきたことに驚いたのもそうだが、サラの声はわずかに震えていたように聞こえたのだ。
「だからせめて、感傷を抱くのはこの状況を終わらせてから。どんな時でも揺らいではいけないのよ」
「でも……俺たちは歯が立たなかった……なす術なくあの人狼や魔物たちに殺された。マリンにも加勢できていなかった…!それに、今も……っ!」
あの状況で生き残ったスクードやマリン、そしてトライも、表で戦っていた冒険者たちの中では実力者だ。まだ若いトライとマリンの冒険者クラスはDだが、新進気鋭の若手の2人として活躍していた。
しかし、トライは精神的に許容量を越えてしまったようだ。いくら力ある冒険者といえども人間、限界もあれば悔恨も抱く。トライが一番後悔していたのは、同期のマリンをまったく助けられずにいたことだった。
握りしめた拳の上にトライの涙が落ちる。快活で勤勉な彼に今回の戦いは大分堪えたようだ。
サラは一度嘆息すると、訓練場へ入って行った。マーシュは彼女の行動が気になったが、少ししたら帰ってきた。
戻ってきたサラの手には細い曲剣が握られ、ベルトのホルダーにはナイフが3本差されている。元々サラは黒いズボンとシャツの上に白衣を羽織っていたが、今のその姿は間違いなく戦いに赴くそれであった。
「ホンバットが愛馬に乗って人狼を追ったなら、今頃追いついて交戦しているはず。ここを守る人員が足りないなら……私も出るわ」
「待ってくださいサラさん!あなたの身に何かあったら、誰が傷病した人を治療できるんですか!」
「マーシュ、利を天秤にかけて考えなさい。このままズルズルと戦いを先延ばしにすれば、いらない犠牲を増やすことになるわよ。いくら魔物の数が減ったとしても、さっきの狼みたいに彷徨いているやつが、まだ誰かを襲っている」
淡々とマーシュに説明しながらサラはトライの前に膝をつき、トライの顔を手で上げた。
「いい?誰もが今出来ることを考えるの。こちらも戦力が無い以上………私もあなたのように戦って命を賭けるわ。あなたはマリンをしっかり看てやりなさい」
サラの芯の籠った言葉にトライは涙を拭いて、力強く頷いた。サラはトライにわずかに微笑むと、すぐさま立ち上がる。
「スクードはここに残って。もし魔物が来ても訓練場の扉には死んでも近づけないこと」
「……了解だ」
サラは扉へ歩きながらスクードを指示する。マーシュはここ残るかサラについて行くか悩んだが、サラからマーシュに声をかけた。
「あなたも来るのよ、マーシュ。この中では一番ピンピンしてるし……そのでかい得物でまだまだ働いてもらうわよ」
ニヤッとマーシュに笑いかけたサラに、マーシュは思わずドキリとした。恐れのない成熟した彼女の表情は、頼もしさと魅力があった。
マーシュは弓を腰に、ヘビィクロスボウを肩に背負い直して、外に出たサラを追った。




