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人の持つ牙  作者: 赤胴貫介
都市ロメオ編
32/105

もう一本のオール

 井戸の底でしっかりと着地して待っていたジャックはその時、もはや眼は完全に見えていなかった。だが狙い澄ましたタイミングは完璧で、ジャックが真上へ放った『水球』は覗き込んだシアンのあごへ向けて一直線に差し込んでいく。

 当たる直前で水球に気づいたシアンは身を引こうとしたが、前傾してしまった体重と足首の痛みが邪魔をして避けきれず、顎ではなく鼻と眉間に命中した。


「ウバァァアッ!?はがっがァ!はががアぁああああ~!」


 命中した水球はシアンの鼻骨びこつを中心とした骨格をくだいて上へ抜けていった。

 後ろに倒れて転げ回るシアンは襲ってくる激痛と口の中に広がる鉄の味に苦しみの叫びを上げた。滝のように流れ出る鼻血で思うように息ができず、かわりとばかりに咳き込むことでなんとか空気が交換されている状態だ。


 ――――――――その一方、井戸の底から真上に向かって水球を撃ったジャックは自分の体の劇的な変化、例えで言い換えるならば脱皮したさなぎのような感覚を感じていた。ギルドの研究室の中でおこなったあの魔法の練習で味わった、あの大きな回虫かいちゅうが自分の体内を這いずり回るような感覚を知ってから少しずつそれに気づいていたが、今まさにこの瞬間、はっきりと『魔力の流れ』を自覚した。

 魔力を体内で活性させて流動させるからこそ、己の中の引き出しをさらに増やすことが可能になり、地面に激突して怪我を負ってもさらに力を振り絞ってシアンに逆襲することもできたのだ、と。


「人には・・・血が流れている・・・・・それは知っていたが、『魔力』は知らなかった・・・知っていても自覚は曖昧あいまいで頼りなかった・・・・・・・だが、今は違う」


 曲剣を腰に差して戻し、呼吸を整える。真上の様子はよくは見えないが、光が遮られていないところからシアンが水球を喰らって前に倒れず後ろに倒れたことがわかる。今なら井戸から出られるだろうとジャックは踏んだ。

 眼を瞬かせ、跳んだ。全身の魔力を流動させたジャックは、手の指と足の筋肉そして数度の壁を蹴った跳躍によって深さ4メートル以上の枯れ井戸の中からいとも簡単に飛び出した。


「魔力の流れを知らないでこれまで戦ってきたが、それでは不十分だった。例えて言うならばかい(オール)一本だけで舟を漕いでいこうとしているのと同じことだ。血のみが流れて身体を動かしていると考えては不十分だった・・・・・ここからはちゃんと『二本』をもちいて・・・・・・・・・全速前進だ・・・・・!」


 両手で鼻を抑えてうずくまるシアンの目の前で、ジャックは立ちはだかっている。泰然たいぜんとたたずむジャックはまだなお視力は回復していないが、シアンの呼吸や気配はしっかりと捉えている。そもそもシアン自身が苦悶くもんの声を漏らしているので見失うはずはないのだが。


「さて、シアンと言ったな。エイドスは何処いずこにいる?」


 静かに問いかけるジャックは、シアンがこの体勢からどう行動しようとも反応できる。

 ぶるぶると震えながらもシアンは顔を上げて、ジャックに向かって血の混じった唾を吐いたが、ジャックは体をずらして難なく避けた。


「ば、バカヵか?・・・誰が・・・・・言うかよ・・・」

「エイドスの目的は何だ?」

「その前、にィ・・・自分の心配しろォォ!」


 左手で血だらけの鼻を押さえながらシアンは右手で握っていたボーガンをジャックに向けて発射した。至近距離で毒水の矢を発射すれば自分もろとも飛沫しぶきで毒を喰らうが、もう追い込まれたシアンには関係無かった。冒険者や暗殺者として生きてきたならば役割を果たして笑って死ぬ、という考えのもとで自爆射撃が行われた。

 だがその自爆も当たれば――――――の話である。

 すでにジャックは自分に向かってくる毒水の矢に手の平を向けていて、今日で3つ目の水球を生み出してやじりの部分に真っ向からぶつけさせた。鏃と水球がぶつかって、性質こそ違えども水と水どうしが衝突したことでどちらも木っ端みじんにはじけた。

 結果的に水球の飛沫しぶきがジャックの方へ、そしてシアンには毒矢の飛沫しぶきがふりかかる。


「う、あ・・・う゛あぁあ!毒がぁ!毒ガッァア!」


 顔に、腕に、体全体に毒は容赦なく使い手であるシアンの肉体をむしばむ。傷口である鼻にも入ったところで完全にシアンは再起不能に陥ったようで、数度の痙攣の後に動かなくなった。

 少しするとシアンが死んで魔力が消えてジャックも視力が回復した。倒れているシアンの死体は毒の影響で損壊がひどく、醜い浮浪者の死体にしか思えなかったが、ここで姿をようやく見たことでジャックはこの男が自分とダリアを追いつめたのだ、と改めて自覚した。


「刺客を送ってどこかで高見の見物か?エイドス・・・・・まあい、いずれにせよ次に姿を現せば始末する。巻き込まれた奴隷のみんなとブルーノの仇は必ずや討つ」


 その場に居もしない狼男に己の中の暗い感情を小さく吐き出したジャックは、シアンの死体を担ぎ上げてから貧民街を出た。



 肩にシアンの死体を担いで大通りに走って出たところで、ジャックは年上の冒険者に呼び止められて事情を説明し、シアンの死体はギルドの受付に渡してからそのまま研究室まで急いだ。

 研究室にいち早く向かったのはジャックが窓から研究室を飛び出したあの時点で、ダリア1人では研究室の扉まで這って行くことすらかなわなかったからだ。シアンを倒したことで魔力が消えて毒は治ったが、容態がまだ危険な可能性がある。


「ダリア先生!毒は・・・」


 本棚と実験棚の迷路を走り抜けてデスクのある中心部にジャックが着くと、白衣の女性がダリアを敷物に寝かせて介抱していた。傍らには包帯や氷水、そして青緑の色をした液体ポーションが置いてある。

 白衣の女性は医務室に常駐しているサラというギルド員で、ジャックが以前、ラスクという少女を怪我させてしまった時に世話になっていた。


「あら、ジャック君」

「サラ殿、ダリア先生の様子は?」

「一応、心配しなくて良いわよ。解毒剤も効いているしちゃんとポーションも飲ませたから、安静にしていればすぐにまた研究三昧になるわ。・・・けどまあ、精神的には重傷よ」


 一言そう付け加えてクスリと笑ったサラが、あごでダリアのことを示した。横になっているダリアは起きていて、恨めしそうにサラを見上げている。顔色はまだ優れないが死に至るというものではないだろう。


「サラぁ・・・・・なんで私のお気に入りの薬草を全部ポーションに使うかな・・・?」

「ただのポーションを使ってもあなたは助からないと適正に判断したのよ。つまりあなたを助けるためにやった事よ?感謝されても恨まれる覚えはないわ」

「全部使わなくても・・・じ、十分足りたよね?」

「さて、何の話かしら?」


 平然とした口調のサラに抗議の言葉をダリアは続けたが、やがて平行線だと悟ってダリアは諦めた。ふてくされたようにダリアは寝返りをしてサラの顔に背を向けた。

 この気兼ねのないやりとりを見ていたジャックは、マーシュとクレアに通ずるものがあると感じていた。どう見てもサラの方が決定的に立場が上で、ダリアは姉に文句をたれる妹のようである。

 サラの邪魔にならないようにそっと横を通ってから、背を向けたダリアの顔が見える位置までぐるりとジャックは移動して、そこで膝をついてダリアに話しかけた。


「ダリア先生」

「ジャック、君・・・よくやりましたね」

「はい、先生から教わった魔法が助けてくれました」

「それは良かったです。そしてそれはあなたの『力』ですから胸を張りなさい」

「・・・はい」


 手を伸ばしてきたダリアがジャックの手を握る。あまりに小さく頼りない師の手だが感謝の念を込めてジャックもその手をしっかりと二つの手で握りかえした。






 都市ロメオから副都サクルースまでの道を一台のほろ馬車が走っていく。車輪をがたがたと鳴らして走るそのスピードは速く、明らかに商人が商品を積んだ幌馬車などではない。この二頭立ての馬車を運転しているのは黒緑の短髪をした大男―――――アンソニー・ホンバットで、慣れた手つきで山林を縫って伸びる街路を走らせていく。幌がかかった荷台に乗っているのはマーシュとクレアの2人だ。

 彼ら3人は早朝に都市ロメオを出発してここファルス王国の副都『サクルース』へ向かっていた。都市ロメオのギルド長ソル・グレンジャーからの頼みを受けて副都サクルースに行くことになった3人だったが、その時グレンジャーに渡された一枚の手紙は「副都に着いてから見るように」と言われていたので結局、肝心の行く理由を3人はよく知らないという状況だ。特に荷台に乗るマーシュとクレアはジャックが今一人でどうしているのか・・・という気がかりも重なって心配気な様子が絶えない。本来、乗り物揺れがが苦手なマーシュすら酔いを忘れているほどだ。


「なあ、クレア」

「愚痴ならさっき聴いてあげたでしょ?ほかの話題にして」

「しょうがねえだろ心配なんだからよ」

「どっちが?急に副都に行くことになった私たち?それとも一人になったジャックの方?」

「どっちもだ」

「はいはい・・・」

「そういうお前もロメオの方角ちらちら見てるだろ。俺と同じだろ」

「・・・・・まぁ、そうだけどさ」


 こういったやり取りが出発してから2人の間で数回あった。

 前の運転席で手綱を取っているホンバットにはその会話の内容が聞こえていたが、特に口を出すまででもないと判断して何も言わず運転していた。ただし、マーシュとクレアの会話から「親が置いてきた子どもを心配する」といった構図を連想して、笑いだしそうになったが。

 しょうがないなと呟いたホンバットは、幌の中にいる2人に向かってこっちにちょっと来いと叫んだ。運転席に乗るホンバットの両脇にすぐ2人が近づいてきて、声を張り上げなくても聞こえるようになった。

 前方に伸びていく街路をしっかりと見て運転しつつホンバットは両脇の後輩冒険者に話し始めた。


「君たち2人はジャック君を心配しているようだが、私は問題ないと思うよ。グレンの行動はつきあいが長いから私には何となく分かる。ゆえにジャック君が今、何をしているのかも予想できる・・・・・おおかた、ダリア・トロンボース君にジャック君は面倒を見てもらっているな」

「・・・ダリア?」

「ああ、ほとんどギルドの研究室から出てこないで魔術の研究をしている魔術士の女の子だ。冒険者だが大の研究好きでな。その勉強熱心なところがグレンに認められて依頼をあまり請けずとも研究室に仮住まいさせてもらっている」

「じゃあジャックは・・・」

「グレンのやつならジャック君にいきなり『魔法を覚えろ』とか言い出してもおかしくないね。クラスが上の冒険者たちに混じらせて難しい依頼をさせる・・・ってこともやらせそうだが、ジャック君は君たち以外とパーティを組ませてもうまくいくか分からない。だったらやっぱりグレンならば、魔法という新たな技術を習得させてエイドス・セイルズに対抗させようとしてもおかしくない。・・・・・あ、今言ったのはもしもっていう話だよ?」


 このホンバットの話しを聴いて、驚きかそれとも戸惑いからかマーシュとクレアはそれからは副都に着くまで、複雑そうに考え込むことが増えた。無理もないことだ。魔法を覚えるということは、その人物が生まれ変わるに等しいとも云われているくらいだ。ましてや弓を扱う射手と短剣を扱う斥候の2人からすれば、魔法や魔術は未知の領域に思えるだろう。


 余計な心配を増やしてしまったか、ともホンバットは考えたが、このまま何も伝えずに副都へおもむくのも良いものではないと思ってあえて説明した。

 それもこれも、大体は説明不足で秘密主義かつ意地の悪い友人グレンジャーのせいなのだが、それについてのフォローにホンバットはもう慣れてしまっていた。

 馬車を順調に運転するホンバットは、懐にある『あの手紙』の感触を手で確かめながら小さくため息をついた。


 都市ロメオから副都サクルースまでは早馬で半日、馬車で1日といった距離である。都市ロメオは四方が山に囲まれた平原と丘陵地帯にある都市であり、どの街へどの地方へ向かうにも必ず一山は越えて向かうことになる。

 やがて日が暮れて夜になった。暗くなってからは馬を休ませ、日が昇ると再度出発した。3人が副都をその目に見たのは、出発してから次の日の昼過ぎだった。



シアン・コーカサス

男・29歳

元盗賊で元冒険者。得物は色々だが、どれも毒を使うことにこだわりがある。エイドスからの依頼でジャックを暗殺する際に使用したのは小型のボーガンで、自分の魔術を組み合わせて襲撃した。

得意な魔術は水魔法を「腐らせる」ことで毒を精製する毒魔術である。シアン当人の性格も表れている魔術には違いない。

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