古傷と魔力
話し合いが終わって10分後、ギルド長の執務室に居るのはジャックとソル・グレンジャーだけだった。アンソニー・ホンバットとマーシュとクレアは、先にギルドを出て別行動をすることになった。
3人はグレンジャーにお使いを頼まれたのだ。
「エイドスと見られる反応がこの都市ロメオ周辺から『何故』離れないのかは、やはり『何か』を狙っているのは明らかだ。だが今は防御を固める方が良いだろう。マーシュ君とクレア君はホンバットについて行って、馬車で副都サクルースに向かってくれ。その手紙も持参してな」
「ふぅん。この手紙、今見ちゃいけないのかい? 何も説明せずにサクルースにお使いに行けと? ……グレン」
「だめだ」
「わかったよ、ひとまず言うとおりにするよ。……マーシュ君とクレア君を連れて行くのは、もしかしたらエイドス・セイルズを『釣るため』かい?」
「それもある。ラプターウルフはハナが利くから、サクルースに向かう途中に襲撃してくる可能性がある。でもまあ、そんな馬鹿はしないだろうから、あまり期待しない方が良いな。仮にそんなことでノコノコ現れたとしたら……君が相手してやれよ、ホンバット」
了解だと言ったホンバットはソファから立ち上がり、うんと体を伸ばした。それからホンバットはマーシュとクレアに退室を促した。
ジャックとの突然の別行動を言い渡されたマーシュとクレアは、一抹の不安を覚えつつも、ホンバットについて行くことにした。
ギルド長自らが「捨て駒にはしない」と明言してくれたので、その言葉を信じることにした。それに、自分たちよりも立場が上のホンバットがギルド長に従っているので、これ以上ゴネるわけにもいかない。
ソル・グレンジャーとジャックは、2人になってからも会話は始まりづらかった。顔にこそ出さないものの、ジャックもまたマーシュとクレアのことを案じていた。それにジャックはエイドス・セイルズが生きていると想像すると、あの優しかった青髪の親友の笑顔と、己の暗い怒りがぶり返していた。エイドスさえいなければ、奴隷の子どもたちは山賊に狙われなかったはずなのだから。
1階の方から聞こえてくる喧噪が大きくなってきた。朝時の腹ごしらえや訓練にいそしむ冒険者が、だんだんと増えてきたのだろう。いつの間にか、大通りに面する大きな窓がある執務室には、暖かい光が入り込んで明るくなってきている。
しばらく、だんまりのままのジャックにグレンジャーが話しかけた。
「なあ」
「なんでしょう?」
「君がなぜ別行動されたかわかるかい」
そう言いながらグレンジャーはゆっくりと歩いてソファに近づき、ソファに座るジャックの後ろで立ち止まった。その間も、ジャックはピクリとも動かずにいる。
ソファには浅く座り、背筋も首筋もすっと真っ直ぐに立たせているジャックに、グレンジャーは一分も隙がないことに感心した。黒髪の後頭部とまだ少年である背中には冷たく鋭い刃が巧妙に隠されている。それを肌で感じていたソル・グレンジャーは満足そうに笑ってから、実に楽しげに指をくいっと動かした。
そのソル・グレンジャーの指の合図と共に、すでに生成されていた魔力が一瞬で構成される。座っているジャックの左から『手首の形をした炎』が現れて掴みかかってきた。
「ぬぅッ?!」
一瞬早くその手首に気づいたジャックは、曲剣を抜いても間に合わないと判断して、左手で受け止めて叩き落とそうとした。だがしかし、間に合ってもただでは済まないのがギルド長の魔術である。
ジャックが完全に受け止めて防いだにもかかわらず、炎は瞬間的に形状を変化させ、ジャックの左腕に絡みつきながら登っていき、最終的にジャックの顔を覆った。熱さと息苦しさでもがくジャックに、グレンジャーは薄笑いを浮かべて耳元で話しかける。
「これでも結構長くギルド長をやっているからね。紳士的に振る舞うのは地に着いている……が、こういった自分の『負けず嫌い』は直らないし、直したくないんだ。この前の握手の時は世話になったね。久しぶりに骨折の痛みを味わせてもらった。そんな細身の体で君はどんな握力をしているんだろうか……よし、じっくり調べさせてもらおうかな」
「こ、ぐ……ぐぐ」
蛇のようにまとわりつく炎は、グレンジャーの意思で動く。なので思い通りに動き、さらにはその相手が生物であれば、どんな種でどんな身体能力を持っているのか調べ上げられる。殺傷する目的ではない炎のため温度は抑えられているが、もちろん、その温度もまた意のままに操れるのは変わらない。もしもグレンジャーがその気になれば、即座にジャックを消し炭にできるのだ。
もがいていたジャックは腕力では引き剥がせないと悟るや、そばに置いていた曲剣に手を伸ばしたが、炎がその右手首を捕らえてしまった。
「ほ~う、ずいぶんと鍛えられているね。奴隷生活を送っていたにしては痩せこけていないし、丈夫だな。それに……なんだい? これは。この赤い線は?」
赤い線―――――という言葉をジャックは一瞬、意味が理解できなかった。
顔と両腕は依然、炎で覆われて拘束されている。何のことをグレンジャーは言い出しているのか分からず、いつの間にか自分の目が届かない所に、吹き出モノか何かが出てきていたのかとジャックは思った。
しかし次の瞬間、グレンジャーの指がジャックの首筋を撫で上げた。
最初に1度触れてから、ツツーーーーッ……と、ジャックの首をぐるりと回っていくように、グレンジャーは『赤い線』を指で辿っていく。
「これはアザ? いや、でもこれは、……『切り傷』か……なッ?」
そこでグレンジャーはさらに不可解なことに気づいた。自分が出している炎の縄全てが、まったく気がつかない内に緩まっているのだ。仮にも自分の炎魔術に失敗などがあるはずがない。現役から離れている身でもAクラスにまで上り詰めたソル・グレンジャーの魔術の技巧に『乱れ』はありえないのだ。
だが『自分の魔術が緩んでいる』という異常に気づいた以上、すばやくジャックの体と自分の炎の接合部分に焦点を当てて観察した。
ジュウウウウゥウ、チリチチチィ……
小さな、ごくごくわずかな煙がチリチリと上がってグレンジャーの炎を消していたのだ。そしてその煙には焦げ付く臭いが無く、液体が蒸発された時の『水煙』だと理解した。
「もう、その傷に、触れる、なぁ……」
顔を覆っていた炎が突如発生した水によって緩んだおかげで、ぎこちなく振り向きながらジャックが言った。ジャックにはすでに慎ましさや冷静さは見られない。怒気と殺気が溢れた眼をしていた。
1歩下がったグレンジャーは慌てずゆっくりと炎を解いた。解けた直後にジャックは肩で息をする。首の赤い線は体温が上がることで浮き出るモノらしく、呼吸が整っていくと同時に、だんだんと切り傷のような跡は薄まって、元の肌の色に同化した。
体の自由を取り戻したジャックは、先ほど触れられた首筋の部分を自分の指で確認した。その少し熱くなっている部分を、その線を指で静かになぞる。紛れもなくそれは『前世の斬首の傷』である。傷は今でもジャックの首に刻み込まれていたのだ。
「この傷は……もう、忘れてくだされ」
やっと絞り出すように言ったジャックの言葉は暗かった。ジャックの中には深い何かが押し込められていて、今それが吐き出されたのだとグレンジャーは理解した。まるで少年のものとは思えない殺気は、まだ残り香のようにジャックを覆っている。
「ふうむ、そうだな……まあその傷のことについては触れないようにしておこう。だが、今の君が全身から『出した水』はこれから私が切り出そうとしたことに関係がある……」
ジャックの雰囲気に対してグレンジャーは高揚した口ぶりでそう言いながら、ふわりと自身の体を浮かせて、座っているジャックの真上を通って1回転し、ストンとジャックの目の前のソファに座った。
「君をここに残した理由を教えよう。君には、先ほどから私が見せているこの力を習得してもらう。一般的に魔法と呼ばれているものだ」
「その不思議な芸当を……『覚えろ』と?」
「そうだ。というか、君は先ほど感情が高ぶった瞬間、知らず知らずのうちに魔力を『発現』させていたぞ。君には不愉快だったかもしれないが、私にとっては秘められた力が見られて嬉しかったよ」
「……なぜ覚えねばならぬのですか?」
不満げにジャックが訊くと、グレンジャーは指をクイと動かした。またもや炎が来るかとジャックは身構えたが、今度は本棚から1冊の本が飛び出して、ジャックの目の前のテーブルに着地した。それだけでは終わらずバラバラとページが開かれて、ある箇所で止まった。
そのページに記されてあったのはモンスターのことだった。挿されている絵は黒々とした体毛に覆われているオオカミの絵で、文字や言い回しこそ難解で古くさいものだったが、あの『ラプターウルフ』について記されていた。
「1つ聞かせて欲しい……君が戦ったエイドスという男はどんな姿形をしていた?」
「どんなと言われても……2本の足で立って歩き、オオカミと人間を足したような姿でした」
「そうか。ならばエイドス・セイルズはまだ『ラプターウルフ』としての本領を発揮していなかったんだな。この絵を見れば分ご覧の通りだが、全身すべてがオオカミになってこそ、本当のラプターウルフの実力が発揮されるのだ。君が戦ったエイドスはまだ未熟者だった。ランクで表せば危険度は『C』あたりだ。だから君は助かった。生き残ることが出来たんだ」
そう宣告するグレンジャーに、頷きつつもジャックは何となく腑に落ちなかった。自分の実力を過信するわけではないが、少なくともあのエイドスを倒すことは出来たのだ。ブルーノが死ぬ原因にもなったあのエイドスにだけは、劣っていたとは考えたくないのだ。
グレンジャーはそんなジャックの心の内が読めているかのごとく、まるで聞き分けのない生徒を諭すように言葉を続けた。
「確かに1度は完全に勝利できたのだろう。実際に君が今も五体満足にここにいるのがその証拠だ。だが、エイドス・セイルズがまだ生き存えていると考えられる以上、君もまた対策を練ってさらに成長しないとならない」
ついて来なさいと言ってグレンジャーが立ち上がり、部屋の扉を開けた。
成長のために魔法という分野を習得する。
一理あるのだろう。だからといって、ギルド長の話す理論にジャックは納得はしていない。口答えはせずジャックは部屋を出たグレンジャーの後ろをついて行ったが、やはり剣の腕前や技量以外で戦闘能力の向上をさせるなど、自分の領分ではないと思っていた。
廊下を進んでいき、ある部屋の前でグレンジャーは止まった。扉には名札が掛けられていて『研究室』という文字が、小洒落た文体で刻まれていた。
ノックはせず、グレンジャーはそのままノブを下ろして扉を開けた。
部屋の中は背の高い金属棚や石棚が所狭しと立ち並び、その棚にあるケージやガラス箱の中には、見たことのない植物や鉱石、はては奇怪で毒々しい生物が入れられていてる。何種類もの異臭が漂うその部屋には、カーテンと本棚のせいで陽光が差し込んでいないので、午前中であるにも関わらず、部屋の天井中央には照明となる大きな燭台があった。
数多の不思議な物で溢れかえっているが、先に進むグレンジャーに背中を向けられたまま「あまり無闇に触ったりするなよ」と警告された。
「ダリア、どこにいる?」
部屋の中心部にある無人の机を見て、そこで女性の名前をグレンジャーは呼んだが、返事は無かった。グレンジャーはため息をついてから、部屋にある数々の棚を縫うようにして部屋の左奥に向かった。
この部屋の左奥だけ、木製の本棚が壁以外の3方向を覆って、ちょっとした部屋のようになっている。その壁の役割をしている本棚の1つを、そっとグレンジャーが魔力を込めて手をあてがう。すると本棚は横滑りして、2人はそのスペースに入ることが出来た。
そこには正方形の絨毯が敷かれていた。そしてその絨毯の上にあるベッドに、1人の女性がこちらに背中を向けて寝ている。毛布の中で丸まるように眠っていた。
その女性の長い淡緑の髪が、シーツの上でつる植物のようにうねって広がっていて、小柄な体格をさらに際立たせている。あまりに小柄なので、ベッドの脇にあるパイプを見るまでは、自分より年下の少女だとジャックは勘違いしたほどだ。
「おうい、ダリア……ハァ、そらサッサと起きろよ」
ベッドで寝ている女性ーーーダリアの肩をグレンジャーはグイグイとゆすって起こそうとするが、しばらくしてもまったく反応が無かった。
不審に思ったグレンジャーがダリアの体をひっくり返して顔を見ると、顔には土で出来た恐ろしいマスクが装着されていた。そのマスクには牙やシワ、呪術紋様、さらには見開いた眼が6つも刻まれてあり、不気味で悪趣味なものだった。
「ダメだな、聞こえてないな……ああ、これか? この気持ち悪いマスクが気になるか? このマスクはな、特定のモンスターの顔に似せて作って被ることで、擬似的にそのモンスターの魔力を『堪能できる』物らしい」
「堪能してどうするので?」
「どうするって……それだけだ。それだけで、本人は無上に快感らしい。ずいぶん研究熱心だと言えば聞こえは良いが、正直ネジの外れ過ぎた性格のせいで、他の冒険者からは敬遠されてる。こいつが君に魔法ひいては魔術を教授してくれる魔術士……『ダリア・トロンボース』だ。かなりの奇人だが、魔法の腕と知識は確かだ。……この木の板に焼き文字を刻んで事情を教えておくから、あとはよろしく頼む」
「それじゃあな」と言い残してからグレンジャーは部屋を出て行った。初対面の人間だけにするのもどうなのかと言いたげだったジャックだが、この時点でもう半分グレンジャーの強引さに呆れていたために、諦めてこの場にとどまることにした。
グレンジャーが刻んだ焼き文字の板は、ベッドの脇にある小さな机に置かれている。
ジャックが手に取って読む。内容は単純だった。
『この少年に魔法を教えてくれ。名前はジャックという。出来れば3日以内に基礎は使えるように。私が調べたところでは、水の属性に見込みあり。ソル・グレンジャーより』
丸投げにも程があるだろう……とため息を吐きつつ、ジャックは木の板を投げやりに机に置いた。木板がガランとした音を鳴らして机に置かれたその時、そこでジャックは目を見開いた。
机が一瞬で粘土のようにドロリと溶け落ち、そのまま粘土のほんの一部が、木板をしっかりと運び出しながら宙を舞った。ジャックの周りを木板を乗せた粘土が、野鳥の如く部屋の中を思う存分飛び回って、ベッドに寝ているダリアの方へ旋回しながら飛んで向かって行った。
横になっているダリアの真上をちょうど通ったその時に、粘土がビタリと急停止して、その木板だけがダリアの枕元にバスンと落ちた。飛んでいた粘土は本棚近くの粘土の山に吸い戻っていった。
「失礼、その……起きているのでしょうか?」
この一連の動きを見て、ジャックは思わず寝ている女性に質問していた。




