第5話 アリバイの裏側
人の噂も七十五日というが、一週間も経たないうちに三崎の不名誉な噂は鳴りをひそめた。
実は、観音寺の指示で水沢が裏で駆けずり回っていたのだが、その事実を知っている学生は少ないだろう。
「――三崎がさ、歩鳥に御礼がしたいっていってたけど、どうする?」
三崎の汚名返上に一役買った水沢は、喫茶店「男子女子」のボックス席で観音寺と向かい合っていた。
「気持ちだけにしておこうかな。わたしが出ていくと、また面倒なことになりそうだし」
「まったくだ、げに恐ろしきは女の情念なり……ってか」
「水沢は女心がわかってないぽこ」
ぽこちゃんとぺんちゃんは観音寺の隣に座っている。
「それに関しちゃあ、分かりたくないってのが正直なところだな。今回の件で懲りた」
「わたしも田所さんみたいな人は初めだよ。女だから、っていうわけじゃないと思うな」
水沢はシートの背凭れに両腕をあげてもたれかかった。
「……くわばら、くわばら」
水沢はゼミ室の前ですれ違った、涙と怒りの表情をした女性――田所梨絵と話し合った時のことを思い出して身震いした。
「まあ、アレだろう? お前が三崎の事を好きだったから、三崎の元カノをどうこうしようとしただけだったんだろ?」
静まり返った人気のない学食の端で、水沢と三崎、そして田所の三人はテーブルを囲んでいた。
水沢の言葉には田所は続かず、しばらくの静寂の後、三崎がとりなすように言葉を発した。
「ほらまあ、結局のところ誰も怪我してないし、誰も傷つかなかったことだし……」
――バンッ!
天井の高い学食に、田所がテーブルを叩いた音が響く。
「わたしが……どれだけ頑張ったと思ってるの……? 三崎くんと同じ大学に入るために……ずっと……ずっと……なのに、あの女が……全部……全部壊した……!」
水沢は、田所と三崎を交互に指さして目配せをした。三崎は無言のまま顔の前で手を振って必死に否定する。
「三崎くんは……嫌がってたのに……! あの女が勝手に“彼女面”して……! わたしが……やっと……離れさせたのに……!」
――だから。
「あの女が……まだ……三崎くんのことを……! だから……だからわたしが……分からせてあげなきゃって……!」
突然、感情が反転したかのように、田所は三崎に向かって懇願した。
感情の乱高下に水沢は眩暈を起こしそうになった。
「いやちょっと待ってくれ、大西とは別れてから三崎は連絡とってなかったんだろ? それでなんで未練たらしいってことになるんだ?」
「あの女の目を見ればわかるわよ……! 厭らしい目で……! 遠目から三崎くんばかり見て……!」
水沢はお手上げのジェスチャーをする。
大西が二十時頃に窓から見た、電柱の傍の暗がりで大西の部屋を監視していたのは田所だった。
田所は、体形と髪型が三崎に似ていることを利用して、三崎が普段着ているような男性向けの服を着用していたのだ。大西が誤認するのもやむを得なかっただろう。
「それでも……俺の服装の真似までして髪型まで似せて、大西を怖がらせることはなかっただろう……?」
「だって……わたしには分かるの三崎くんの気持ちが」
乱れた髪の隙間から覗く瞳で三崎を見つめて、田所は言葉をつづけた。
「あの女と別れるつもりなかったでしょ?」
「お、恐ろしいぽこ」
「ぺんちゃんは怪談が苦手ですぺん」
「目の前で実際に見てみ? 怖さ百倍だぜ?」
ぽこちゃんとぺんちゃんの両耳を隠すようにして抱き締めた観音寺は水沢を睨む。
「ちょっと、ふたりを怖がらせないでくれる?」
「……いやまあ悪かった」
「つまり、あの日、ゼミ室の前で水沢とすれ違った田所さんは、家かどこかで着替えをしてから大西さんが住むアパートへ向かっていた。部屋の前で監視しながら三崎くんへ連絡していたのね、見張ってるぞとか、これから押しかけるぞ、みたいな」
ゼミ室で見た三崎の行動で“珍しいな”と水沢が感じた、スマートフォンの操作はこの時のものだった。
「見せてもらったんだけどさ。大西の部屋の外側、ドアノブの写真と一緒に『これからあの女を、二度と三崎くんに近寄らないように脅す』っつう連絡がきてた。写真の端には、脅すために用意したレプリカのナイフが写ってた」
「……軽々と想像の斜め上を飛んでかないでくれる?」
「でまあ、当然ながら三崎は止めようとするわけだ。ただ田所は三崎の言うことを聞かない」
「だから、三崎くんは大西さんに電話とメッセージで連絡したぺん」
「そうだねー、ぺんちゃん。それから三崎くんは水沢と駅で別れて、大急ぎで大西さんの部屋へ向かった……と。ん? 少し待って」
観音寺はメモ帳にペンを走らせた。
「大学前発が二十時十分、乗り換え駅まで七、八分。ここで二十時ニ十分。十分で最寄り駅、ここで二十時三十分、ここから徒歩で十分。急いでいたなら走りもしただろうし。大西さんの部屋に到着したのが二十一時だとすると電車の乗り合わせを考えても時間が余る、かな?」
「田所を大西の部屋の近くで見つけたらしい。その場で説得して、どうにかして帰ってもらってから、三崎は大西の部屋へ向かったんだ」
「それはさぞかし……」
「きっと修羅場だったぽこ」
「ぺんちゃんは近寄りたくないぺん」
「でもどうして、田所は三崎にこれから脅すって連絡したんだろうな。連絡しないでさっさと脅しにいけば良かったじゃねえか」
「田所さんは“ただ脅すだけじゃ足りない”と思ったんだと思う。三崎くんに予告すれば、彼は必ず大西さんに連絡する。そうすれば、大西さんは窓の外を見る」
「そこでわざと三崎っぽい服を選んで、はっきりとは見えない場所に立っていれば……」
「三崎くんがストーカーをしているように演出できる、と田所さんは考えた。大西さんが三崎くんに恐怖を覚えれば、大西さんのほうから離れていくだろと考えた」
「ガチで洒落にならん」
水沢は両腕を重ねて身をすくめた。
「三崎くんが田所さんを庇っていたのは幼馴染だったから?」
「それもある。ことが露見すれば田所の感情的にどうなるか分からない、っていう恐れもあったんじゃないか」
「なるほどね。でも庇ったところで田所さんは大人しくなるのかしら」
「だからさ、幼馴染だったから両親も当然知り合いで、その両親とかけあって事を無難に収めるのに苦労したんだぜ」
憮然として頬杖をついた水沢へ、観音寺は優しく微笑みかける。
「お疲れさま」
「水沢にしては良くやったぽこ」
「ぺんちゃんのおかげだぺん」
「そうだねーぺんちゃん!」
ぺんちゃんをもふもふしている観音寺に「……なんだそれ」と水沢が愚痴をこぼしたとき、喫茶店「男子女子」の扉が涼やかな鈴の音と共に開いた。
「こんにちはー」
制服姿の夕凪雪子だった。最近はニ日に一回はお店に来ている。よほど気に入ってくれたのだろう、と観音寺は喜んでいた。
「いらっしゃい。片付けるから少し待ってね」
「あれ、新しい子がいますね?」
「ぺんちゃんですぺん」
「かわいーなー、よろしくねっ……ってか、珍しいですね男が居る。手慣れた感じで座っちゃって、何やら店長と親しげだわ」
「夕凪ちゃん」
「えっ……店長さん、もしかして、そういう関係……?」
「夕凪ちゃん」
観音寺は満面の笑みを浮かべた。ただし、目は一切笑っていない。
有無を言わさない笑顔の圧に押されたのか、夕凪は「あ、はい」と一旦口を噤んだ。観音寺は楽しそうに、水沢と夕凪をそれぞれ紹介することにした。
「最近よく来てくれる近くの高校の夕凪ちゃんね。で、こちらはただのお友達の水沢くん」
「また随分と雑な紹介のされ方だな?」
「どうしたの? 限りなく知り合いに近いただの友達の水沢?」
「水沢さんはこちらの常連さんなんですか?」
夕凪が水沢を覗き込むように尋ねた。
「常連つうか、こき使われてるというか」
「その代わり、コーヒーただでがばがば飲んでいくじゃない」
「ただで……?」
夕凪は疑問をくちにする。
「だってほら、ここの店。俺の、ていうか親父の会社の保養所のひとつだからさ」
「……ほ、保養所……って?」
「水沢のご実家、お父さんはあの水沢建設の社長さんなの」
水沢建設――誰もが知るその社名を聞いた瞬間、夕凪の表情が驚きのまま固まった。
「店長がいなくなって、お店が潰れそうになったときに、わたしからお願いして買い取ってもらったのよ」
「お、おぼっちゃんなんですね……」
「まあそういうことになるかしらね。でもただの水沢よ?」
固まったままの夕凪と気まずそうにしている水沢へ相互に微笑みかけながら、観音寺は席に座りなおした。
そして、隣に座るぽこちゃんとぺんちゃんを膝の上にのせて、両腕で包み込むように抱き締めた。




