第3話:あの日のこと
王城の一角。
宰相として与えられた部屋は、広いだけで何もなかった。
机と椅子。
最低限の書類。
それだけだ。
窓の外を見る。
城下町は静かだった。
活気がない。
人の数も少ない。
――限界が近い。
視線を戻し、書類に目を落とす。
軍の数。
食料の備蓄。
税収。
どれも、終わっている。
普通なら。
どうやっても、覆せない。
――だが。
「……問題ない」
小さく呟く。
やりようはある。
戦わなければいい。
その時だった。
「――カイン?」
声がした。
静かな、柔らかい声。
振り向く。
扉の前に、一人の少女が立っていた。
薄い金色の髪。
まだ幼さの残る顔立ち。
だが、その目だけが――妙にまっすぐだった。
「……ルナか」
名前が自然に出る。
「やっぱり」
少女は少しだけ笑った。
「久しぶりだね」
「ああ」
短く返す。
沈黙。
だが、不思議と気まずさはない。
ルナはゆっくりと近づいてくる。
「ここにいるって聞いて、来ちゃった」
そう言って、少しだけ首を傾げる。
「宰相なんだって?」
「そうらしい」
他人事のように答える。
「……変なの」
くすっと笑う。
昔と変わらない。
「レオンとエリナは?」
「まだ戻ってない。依頼で外」
「そうか」
再び、沈黙。
だが今度は、少しだけ空気が揺れた。
ルナの視線が、こちらに向けられている。
じっと。
観察するように。
「……なんだ」
「ううん」
少しだけ間を置いて。
「なんか、変わったなって思って」
そう言われて、何も答えない。
変わったのは事実だ。
「前はさ」
ルナがぽつりと続ける。
「もっと、怖かった」
――。
「近寄りがたいっていうか」
「そうか」
「でも今は」
一歩、近づく。
「静か」
その言葉に、わずかに目を細める。
「……いいことだ」
「うん」
ルナは頷く。
そして。
「ねぇ、カイン」
まっすぐに、こちらを見る。
「戦わないって、本当?」
その言葉に。
一瞬だけ、時間が止まった。
「ああ」
短く答える。
「もう、戦わない」
迷いはない。
だが。
「そっか」
ルナは、それだけ言った。
責めるでもなく。
驚くでもなく。
ただ、受け入れるように。
「……変だと思わないのか」
思わず、聞く。
戦わない。
それは、この世界では異常だ。
だが。
「思わないよ」
即答だった。
「だって」
ルナは、少しだけ目を細めて。
「知ってるから」
「……何をだ」
ルナは、少しだけ視線を落とす。
そして。
「覚えてるよ」
静かに言った。
「あの日のこと」
――。
「村のあと」
空気が、変わる。
「みんながいなくなって」
言葉が、ゆっくりと落ちてくる。
「カインが、一人で」
視線が上がる。
「泣いてたの」
心臓が、わずかに軋んだ。
――見られていた。
「……そうか」
それだけを返す。
否定はしない。
できない。
「その時思ったの」
ルナは続ける。
「この人、強い人じゃないって」
まっすぐな目。
「傷ついてる人なんだって」
言葉が、静かに刺さる。
「だから」
一歩、近づいて。
「戦わなくていいよ」
その一言。
――救われるような、言葉だった。
何も言えない。
言葉が出てこない。
ただ。
少しだけ、視線を逸らす。
「……そうか」
それだけを、返した。
ルナは笑った。
柔らかく。
「うん」
その笑顔は。
どこか、安心したようだった。
窓の外では、風が揺れている。
静かな時間。
――それでいい。
そう、思えた。
ほんの少しだけ。
心が、軽くなった気がした。
だから。
戦わない。
その選択は、間違っていない。
――今はまだ。




