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小説2巻(電子書籍)発売記念SS 番外編『謎の本の顛末』


 ゼレクと結婚してサウザーミスト辺境伯家に入ってから、しばらく経ったある日のこと。

 いつものように街に出たマリスは、魔道具を売りに来た商人が魔術書も持っているという話を聞き、見せてもらうことにした。


「こいつはちょっと手強いやつでしてね。今まで誰も封印を解くことができなかった、謎の本なんですよ」


 市場に露店を出していたその商人は、そう言いながら荷物から木箱を取り出してマリスに見せる。


 その木箱に収められた本は、豪華な装丁で幾つか小さな魔石が嵌め込まれていた。しかし目を引くのは十字に掛けられた金属の帯だ。複雑な紋様や呪文がびっしりと彫り込まれていて、それが本を封じていることが一目で分かる。

 その封印帯の下にある革表紙は、年を経たもの独特の古びた風情がある焦げ茶色。そして「謎の本」と呼ばれるだけあって、題名も著者名も記されていなかった。


「封印された本? 面白そうですね!」


 好奇心を刺激され、マリスは身を乗り出して本を覗き込む。

 その反応に「そうでしょうとも」と頷いて、商人は言った。


「珍しい品を集める貴族の方々にも求められてきた本なのです。しかし、そのどなたにもお売りすることはできませんでした」

「え? 珍しい物を集める趣味がある貴族の方々なら、こうした品にはかなりの高値を付けられたでしょうに……。あ、もしかしてこの本、自分で持ち主を選ぶんですか?」


 マリスが聞くと、商人はパン!と手を叩いた。


「まさしく! その通りです、若奥様。持ち主を選ぶこの本は、たとえ売られても、その買い手を主人と認められぬとなると、商人の元へ戻ってきてしまうのです。ゆえにこの本は誰にも売ることができないまま、遥か昔から流れに流れてここまでたどり着きました」


 手を叩く音にちょっと驚かされたが、ますます興味を引かれる話だ。

 そこへ商人がたたみかけるように聞く。


「いかがですかな、若奥様。この本に持ち主として認められるかどうか、試してみますか?」

「はい、ぜひ!」


 マリスが勢い込んで頷くと、商人は魔術書を入れた箱ごと「では、どうぞ」と差し出した。

 近くにいた人々もいつの間にか集まってきて、彼女はその真ん中でドキドキしながら手を伸ばし……


「えっ?」


 表紙に指が触れそうになった、その瞬間。

 箱に入っていた魔術書が、ぴょんと飛んだ。


 マリスも商人も、近くにいた人々も一緒に目を丸くするくらい唐突に、なかなかの勢いで逃げるように飛んだ、その結果。


 パシッと空中で掴まれて捕獲され、本の逃走劇という珍事は一瞬にして終わった。


「マリス。大丈夫か?」


 いつからそこにいたのか、片手で本を掴んだゼレクが、真っ直ぐにマリスを見つめて聞く。

 彼女が「大丈夫だよ」と答えると、彼はほっとして落ち着いた。


 一方、逃走劇を一瞬で強制終了させられた本は、人間だったら絶望した表情で「終わった…」とつぶやいていそうな雰囲気を漂わせながら、真っ白になっていた。

 比喩ではなく、古びた焦げ茶色だった革表紙が本当に真っ白になって、金属の帯までくにゃりと力なく折れ曲がった状態でゼレクの手に掴まれているのだ。

 完全に諦めて脱力している、全面降伏状態。


 これには商人が「なんと……」と目を見開いて驚いた。


「さすがは噂に名高き『救国の英雄』、ウィンザーコート師団長閣下ですね。ああ、今はサウザーミスト辺境伯家の次期当主様ですが。いやはや、驚きました。商売の師匠から受け継いだのですが、この本がこんな反応をするところは初めて見ました」


 そう言って、貴重な魔術書にしては良心的な値段で売ってくれるという。

 貴重なものではあるが、誰にも売れないのでじつは困っていたらしい。


 交渉すれば値下げも可能だっただろうが、マリスが興味を示したものだったので、ゼレクは即決で購入。

 喜んだ商人はもし本が戻ってきてしまったら必ず全額返金すると約束し、様子を見るためにもしばらくこの街に滞在すると約束した。


 そうしてあっさりマリスの物になった謎の魔術書。

 元の箱に戻されても燃え尽きたように真っ白になってぐったりしているその本は、しかしそんな状態でも封印が解けることはなかった。

 しばらく経っても商人の元には戻らなかったので、「魔術書が認める持ち主が見つかって良かったです」と晴れやかな笑顔で彼が次の街に旅立っていった後も、まだ真っ白になったままぐったりしているばかり。


「せっかくクロちゃんが買ってくれたのに、読めないのは残念だねぇ」


 領主館の私室のソファに座り、テーブルに置いた箱の中でいまだ真っ白なままの本を見てマリスが言う。

 ゼレクはジロリと本を睨んで聞いた。


「封印を破るか? 本ごと砕けてもいいならできる」


 言葉を理解しているのか、箱の中で本がシュッと細くなった。

 真っ白だった色が、今は真っ青になっている。

 その妙に感情表現が豊かな様子にほだされて、マリスはゼレクをなだめた。


「クロちゃん、それは封印の解除じゃなくて本の破壊だよ。読めなくなっちゃうから、ひとまず様子見してみよう」


 マリスが自分の方を見てくれたので、機嫌が良くなったゼレクは「分かった」とあっさり頷いた。

 そうして封印が解けないまま、謎の本はマリスの部屋で保管されることになったのだ。





 時が経ち、謎の本が収められた箱はいつの間にか忘れられ、マリスの部屋に置きっぱなしにされていた。

 それを見つけたのは、ハイハイができるようになった息子、クレスタだ。


「あー、うー!」

「うん? どうしたの? クレスタ」


 たまたまマリスの部屋に連れてきた時、クレスタが指さして、何かを主張した。

 その指が示したのが、謎の本が入った箱だったのだ。


「ああ。そういえばこの本、様子見をするって話して、それきり見てなかった……」


 クレスタが「んまー!」と主張するので箱を取り出したマリスは、久しぶりに蓋を開けてみる。


「あ、色と形が戻ってる。真っ白になったり真っ青になったりしてたけど、ようやくうちに慣れて落ち着いたのかな……?」


 首を傾げつつ、それが欲しいと声をあげる息子の前に箱を置いてやる。

 また本が逃げるかなぁと、ちょっと身構えつつ様子を見ていると、クレスタがいきなりべしっと本を叩いた。


「まー!」


 その瞬間、本を封じていた金属の帯がふわりと光って消え、封印が解けた。


「えっ! なんでっ?!」


 マリスは驚きつつも、何かあってはいけないと咄嗟にクレスタを抱き上げる。

 しかし数秒経っても、数分経っても、とくに何も起こらない。

 ただ、焦げ茶色の革表紙に題名が浮かび上がってきた。


「『子犬と仲良くなる百の方法』……?」


 読み上げたマリスは、思わず抗議した。


「うちの子は犬じゃありません!!」


 そして怒ったマリスが本を勝手に動けないように結界で封じ、ひとまずクレスタを連れ出して避難させる。

 その後、ゼレクが帰ってくるのを待ち、クレスタを寝かせて用事を片付けた夜に改めて本を開いてみた。


「その一、子犬が好きなオモチャの作り方。あれ……? 意外と普通……?」


 マリスは首を傾げたが、まだ一ページ目だ。

 油断は禁物、と気を取り直して次のページへ進む。


 ちなみにゼレクは本を読むマリスを膝の上に抱き、柔らかい金色の髪を撫でてご満悦である。

 彼は本の内容にはまったく興味がなかったので、ただ魔術書がマリスに危害を加えないよう見張っているだけだ。


「うーん。三十七番は子犬のための快適な空間作りか。局所的に天候を操作する魔法陣って、もっと改良した使いやすいのが作られて、温室とかで普通に使われてたはず。旧式の魔法陣の研究をしてる人の資料にしかならないなぁ……」


 この本はどんな意図で書かれたのだろう、と、マリスは首を傾げた。

 そしてさらに進んだ五十一番目の方法で、ぴたりとその手が止まる。


「……なるほど。この本、封印したのはたぶん著者だね」


 パラパラとページをめくり、最後までざっくりと目を通して確信した。


「子犬が成犬になるのを止める時間操作に、理想の子犬を造るための肉体改造。果ては死霊術にまで手を出してる。普通に売られていたら、間違いなく禁書指定されて燃やされること間違いなし。こういう本は少数発行されて、同じ趣味の人の手に渡ったら解除される封印をして流通させる魔術師がいたって、何かの本で読んだことがある」


 そこまで理解して、マリスは思わず本をベシッと叩いた。

 ゼレクが慌ててマリスの細い手を捕まえ、ケガをしないよう保護する。


「マリス、どうした?」

「驚かせてごめんね、クロちゃん。でも急にすごく腹が立って。だってこの本、クレスタに反応して封印が解けたんだよ? こんなおかしな趣味の著者に、どういう意味かは分からないけどうちの子が認められたなんて、すっごく失礼! ああ、もう、話してたらもっと腹が立ってきた!」


 マリスが捕まえられていない方の手でまたベシベシ本を叩くので、困惑したゼレクが彼女の両手を捕獲することになった。

 そうしてソファの上で奇妙な状態になった夫婦は、マリスの膝の上から滑り落ちて床に転がった本を見る。


「……燃やすか?」

「燃やそう!」


 珍しくマリスが前のめりに即答した。

 母として、魔術師として、この本は許せない存在であるようだ。


 怒ったマリスを見ると炎の鞭を思い出してしまうゼレクは、つい反射で「燃やすか」と聞いたが、正解だったらしい。

 ゼレクは本を拾うと「魔力を剥ぎ取ってマグマに沈めてくる」と言い残して出かけ、数分で戻ってきた。


「ありがとう、クロちゃん。危ないところに行ったの? 大丈夫だった?」


 勢いで見送ってしまったが、庭先に出るような様子でマグマがあるところへ行ってしまったゼレクを、慌てたマリスが迎える。

 マリスは彼にケガがないか、焦げたところはないかと急いで確認し、無事だと分かるとほっと息をついた。


「大丈夫だ。本も燃えた」

「良かった。抵抗されなかった?」

「一回、浮かび上がろうとした。でも、火球で押し込んだら終わった」

「浮かび上がろうとしたんだ……。無駄に根性がある……」


 うう、と嫌そうな顔をしたマリスの髪をゼレクが撫でた。


「もう燃えてなくなった」


 だから気にしなくていい、と髪を撫で、頬に手を当ててなだめてくれる。

 マリスは「うん」と頷いて微笑むと、すっと背伸びしてゼレクの頬に口づけた。


「ありがとう。それから、せっかく買ってもらった本だったのに、こんなことになっちゃってごめんね、クロちゃん」


 頬へのキスをもらって嬉しそうに微笑んだゼレクが、マリスを抱き上げて答える。


「これからも欲しいものがあったら教えてくれ。あの本のことは忘れればいい」

「ううん。覚えておくよ。あの本はね、確かに存在しちゃいけないものだったけど、一つ勉強になったことがあるの」

「勉強になった?」


 抱き上げられたまま、そう、と頷いたマリスが言う。


「魔術師は凝り性だから、一つのことに集中すると極めるまで夢中になっちゃうことがあるの。それが良い結果を出すことになればいいけど、あの本みたいに悪い道に進んでしまうこともある。私も魔術師だから、気を付けないといけないな、って思って」

「マリスは悪い道に進んだりしない」

「もちろん、気を付けるよ。でも夢中になってそれが悪い道だって分からなくなっちゃうことがあるかもしれない。その時は止めてね、クロちゃん」


 マリスのやることを全肯定する傾向のあるゼレクには、難しいお願いかもしれない。

 けれど一番近くにいる存在、夫である彼に頼んでおくべきことだ。

 ゼレクはマリスの真剣さを感じ取ったのか、しっかりと頷いた。


「俺でも分かるくらい悪い道だったら、止める」


 きっと彼も真剣に考えてくれたのだろう。

 でもその答えに、マリスは思わずふと笑みをこぼしてしまった。


「俺でも分かるくらい悪い道、かぁ。もしそんなことが起きたら、クロちゃんが何か言う前にジェドさんやフォルカーさんに叱られそう」

「ああ、あいつらは、叱るのは得意だぞ」


 これまでさんざん叱られてきた経験者は、まったく気にしてない顔で他人事のように保証した。

 こんな顔でそんなことを言ったと知られたら、まずはそのことで叱られそうだ。

 そう思って、マリスはまた笑った。



 小説2巻(電子書籍)発売記念の番外編SS、ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 皆様のおかげで、メディアワークス文庫様より『犬を拾った、はずだった。』の2巻、『わけありな二人の新婚事情』が2025年11月25日、電子書籍での発売となりました。

 完全書き下ろしでマリスとゼレクの主役二人の新婚生活、トラブルに新キャラ、番外編4本など、色々入っています。

 どうぞよろしくお願いいたします。


 今回の記念SSはマリス嫁入り後、妊娠発覚前に始まり、子供が生まれた後に決着するエピソードを書かせていただきました。

 お楽しみいただけましたら幸いです。


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