第八十二話
戦闘の火蓋を切って落としたのはエランティスの咆哮だった。
あっという間にあらゆるものを崩壊させる嵐に包まれる。ダメージは魔法で防げるものの、その制圧範囲と五感への阻害は大きい。見えるのは吹き荒れる風と砂埃、聞こえるのは風の音、匂いも気配も何もあったものではない。
「いつもならここでアーニャが攻めてくるのが定石だけど……」
“誰我接触不叶”は防御面については最高峰の魔法。それをどう破るかは、アーニャやエランティスは良く知っている。
理自体を書き換える魔法を破るには、それ以上の思いを持った理の魔法で打ち破る事だけ。となればエランティスの主な行動は陽動で、アーニャが“結界破壊”なり“開錠”の概念を込めた魔法で攻撃する事になる。
尤も、それはティアナちゃんにとっては読めている事で、そしてそれが読まれている事は二人だって気付いている。
「まぁ、わたしは読み合いは苦手だから、出たとこ対処ね」
(アバウトだなぁ)
そうツッコムけど、アバウトでも合理的ではある。攻撃の後はどうしても隙が出来やすい。そしてティアナちゃんの魔法は、防ごうとしていればどんな攻撃でもまず防げる。下手に攻勢に出て、防御が疎かになるより確実性が高い。
「……やっぱりアーニャから来たね」
「取れる手段は限られてますから」
そんなことを考えているとアーニャが爆炎を伴った剣――あの巨像を破壊した水晶剣で斬りかかる。
それを何事も無いように弾くティアナちゃん。しばらく二人の殺陣が続く。一進一退、に見えるけど、押されてるのはアーニャだ。火力で言えばアーニャの使えるものの中で最高峰の『サンダルフォン』。それで破れないとなると……
「魔術を喰らえ!『アルマロス』!!」
「――これは、私の知らない術式だね」
僕も知らなかった!どうやら魔術や魔法を無効化する能力をもった天使のようで、ティアナちゃんの魔法を浸食しようとして来る。
けれど“誰我接触不叶”は、その魔法を無効化する術式ごと“拒絶”する。
「これでも、だめですか……!」
「休むな!続けるぞ!!」
エランティスがアーニャの隙を埋める様に牽制の攻撃を放つ。それを当然のように防ごうとするティアナちゃん。このタイミングかな。
……ごめんねティアナちゃん。
「――え?」
瞬間、魔法が強制的に解除され、ティアナちゃんは呆けた声をあげ、エランティスの攻撃が肩をかすめる。
防げると確信していた。拒めると思い込んでいた。だからこそ、この一撃はどんなに小さくとも致命的な一撃。
「ぐっ……悠、さん!?」
裏切られると思っていなかった相手からの裏切りに、ティアナちゃんの魔法が大きく揺らぐ。そして、その隙を見逃す二人ではない。
「何が起こったか分からぬが、畳みかけるぞ」
「えぇ!」
「――ッ、させ、るかああああぁぁ!!」
うわっ!?
バチリという感覚が走り、僕からの干渉が弾かれる。しまった、そんなことできると思ってなかったから油断した!
追撃が届くほんの一瞬。一秒にも満たないその間に、再び展開された魔法に追撃は弾かれた。
(そちら側からの干渉は封じさせてもらいました。全く、あとほんの少しでも遅かったら負けてましたよ!)
そりゃ負けさせるためだから!ぐ、アーニャ、エランティスごめん。
(正直油断してました。悠さんは“そっち側”なんだね)
……そうだよ。僕は“あっち側”だよ。
アーニャやエランティスの願いの強さは知っている。友達を殺される辛さも知っている。そして何より、僕自身もティアナちゃんを殺した“九尾の魔女”を許せないから。
(……ちぇっ、私一人かぁ)
ティアナちゃんがちょっとだけ寂しそうに呟く。
「今のは、危なかったぁ。でも、あんな偶然もうないよ。さぁ!次の手は?その次の手は?まだあるんでしょう!?じゃなきゃ、あの化け物になんて勝てやしない」
「……くっ」
エランティスが悔しそうに歯噛みをする。時間切れを除くと、この魔法を破る可能性のある手は多くない。
「勝てるわけないでしょ!何よ“九尾の”のあの魔法!死角はないし、攻撃は通らないし、最後にはわたしの魔法すら貫くし!!」
言っている内に気持ちが昂ぶって来たのか、だんだんと語気を荒くするティアナちゃん。
「あんな化け物に勝つ気なら、あと千年積んでからにしなさいよ!」
「それでも、私達は……」
千年。『千年級』になれば、確かにクラスは同格になる。けれどそれは、千年間“九尾の魔女”をこの世界に野放しにする事と同義。
「無駄死にだって言ってるのよ!わたし程度にも…… 勝てないくせにぃ!!」
「――――」
ティアナちゃんの叫びが響き、アーニャがショックを受けたように俯く。
「そう、ですね。えぇ、その通り」
「……あ」
俯きながら、自分に言い聞かすように呟くアーニャの声に、ティアナちゃんは「やばい」という顔になる。
「ティアナさえも越えれないのに、“九尾の”を倒す事なんて出来ない」
再び顔を上げたアーニャの表情は、むしろどこかすっきりとしたもので。
「なら、私は――貴方を超える。王冠より至れ、玉座に侍るものよ――『メタトロン』」
剣を持ったアーニャの姿が炎と稲妻と閃光を纏ったものになる。
「……アーニャ」
「負けない。絶対に。だって私は」
剣を振りかざすように、上段の構えを取るアーニャ。纏う魔力の気配が今までに無い程膨大に膨れ上がる。
「もう負けないって、誓ったんだから!!!」
渾身の力を込めた聖剣の振りおろし。
魔法の強さは思いの強さ。
アーニャの悲鳴にも似た一撃は。
“誰も我に触れる事叶わず”
その願いを超え、全ての接触を拒む魔法を一瞬、引き裂いた。
「――――ぁ」
「調和と制約を司るものよ!戒めとなれ!『カフジエル』!!」
アーニャが始動キーを唱え終えると共に、川の水が意思を持ったかのように動き、ティアナちゃんの腕に絡みつく。
その水に触れた途端、ガクリと全身の力が抜ける。制約と封魔の術式の込められた水の効果だけど、お、おぉ……実際喰らうと結構キツイ。
アーニャの追撃の容赦はない。再度魔法を発動させると手が付けれなくなるティアナちゃんを封じるために、アーニャが用意したのは先ほどの何倍もの太さで、何十倍の数の意思を持つ水柱。それが蛇のように動きながらこちらに狙いを定めている。
「あー…… あ、あんまり痛くしないでね?」
諦観と共にあざとくお願いするティアナと、それに一言も返さずニコリと微笑むアーニャ。綺麗な笑顔なのに全く笑ってない!全然加減する気が無い!
あの、痛覚とかそのあたりも共有してるから、僕からもお願いしたいんだけど……
勿論、そんな僕の願いは届くはずも無く、津波を思わせる大量の水が僕達を飲み込んだ。
◆◇◆◇◆◇
「……あーあ、負けちゃった」
全身ずぶ濡れで仰向けに倒れるティアナちゃん。この水が自然に乾くまでは魔法も魔術も簡単なもの一つすら発動させることは出来ない。アーニャとエランティスの完全勝利である。
……風邪ひきそう。
「すまない、ティアナ。汝の願いを、我らは否定する」
「いいよ。それだけ曲げようがないって、思い知ったから」
スッキリとした表情のティアナちゃん。言いたいことは言えた。伝えたいことは伝わった。それでも曲がらないと思い知った。あとはアーニャ達の、僕たちの頑張り次第。
「絶対に、負けないでね」
「えぇ。……えぇ、もちろん」
ポロポロと零れる涙を懸命に堪えようとしながら、アーニャが頷く。
別れの時間が近い。あと数分もしないうちにティアナちゃんはまたあの魔法の中に戻り、そして二度と、もう二度と出る事は無い。会う事は、出来なくなる。
「アーニャ。最後のお願い」
「何?何でも、言って」
「……悠さんの切り札。絶対に使わせないで」
て、ティアナちゃん!!!?
不意打ちの様にティアナちゃんの口から告げられる暴露。待って、それバラすなんて聞いていない。
「切り札? 悠はそんな事何も……」
「あやつ、何かまた禄でもない事を」
「“アレ”はどうなるかわたしにも分からない。死んだ方がマシと思えるほどの状況になりかねない」
うわーっ!だから言わないようにしてたのに!
(だって、わたしが言っても聞きそうにないから)
べーっと心の中で舌を出すティアナちゃん。
「二人とも。バイバイ」
どこまでも自然体で、子供が友達に言うように、明日にでもまた会えるかのような雰囲気でティアナちゃんはアーニャとエランティスに永遠の別れを告げた。
そして、急に身体の主導権を返され、思わずヨロリとバランスを崩した僕を見て、アーニャが不安そうに尋ねる。
「ティアナ……? 悠……?」
「えっと、僕……です」
おずおずと答えた僕に、アーニャがガバリと抱きついてくる。そして、耳元で聞こえる微かなすすり泣き。
「悠、ありがとう。それと、ごめんなさい。それでも私達は“九尾の”を討つことを諦めない」
「そっか、それなら仕方ないね」
優しくアーニャを抱き返し、背中をそっと撫でる。
ひとしきり泣いた後、アーニャは少し恥ずかしそうに姿勢を正し、目元の涙を拭いながら言う。
「でも……」
「でも?」
「汝には聞かねばならぬことが幾つかある」
「もちろん、答えてくれますね?」
先ほどのしんみりした空気はどことやら。不敵に笑うエランティスとニッコリと笑うアーニャ。え、あの、こわい。
問い詰める二人の語気に、有無を言わせる気配は欠片も無い。
「えっと、黙秘権は……」
「あると思うか?」
「思いません……」
洗いざらい話した後、予想通りのお叱りとお説教と絶対に使わないと言う誓いを立てさせられた……




