第八十話
子犬に見下される、と言うのは中々無い現象だろうけど、現在僕の目の前で、確かにその珍しい現象が繰り広げられていた。
具体的に言うならば、子犬とは思えない威圧感を以て見下しているのがエランティスで、少しボロボロとなった法衣のまま正座をして肩を落としているのがアーニャ。
「ふざけているのか?アーニャ・ガランサス」
「ふ、ふざけてなど、いません……」
「ではその無様さはなんだ?」
「これは、えっと、そのう」
エランティスがブチ切れているのも理由がある。あの“界渡りの魔女”、愛緋ちゃんとの戦いの後から、アーニャが僕との訓練の際に、攻撃をするのを躊躇うようになったからだ。
躊躇いは隙となる。アーニャがボロボロなのは訓練中、反射的にその隙に斥力を叩き付けてしまって吹き飛ばしたのが理由だ。とは言え僕の魔法は、絶対にアーニャだけは傷つけない。精々が痛みや服をボロボロにする程度で、彼女の肌には傷一つ無い。
そしてアーニャが訓練の際の攻撃に躊躇するようになった理由は――
「……悠を傷つけたら、って思ってしまうと、つい」
かわいい。いや、そうじゃなくて。
「成程。ふざけているのか」
エランティスの不機嫌度があがった!割と、深刻なレベルで!
怒りのオーラで小型犬サイズから中型犬サイズに見える。あ、いや実際に大きくなってる。
「そ、そういう訳では!」
「そうだな。まだふざけている方が万倍マシではあったな」
「……ごもっともです」
ふざけてるだけなら、次からは真面目にやれば済む話だ。けど、アーニャは真面目にやろうとして、攻撃に躊躇いが生まれている。実際の所僕たちが敵対は殆ど有り得ないから、問題は無いんだろうけど……訓練にはならないなぁ。
そんなアーニャの様子を見てあざ笑う声が一つ。
「クっ……くふ、くふふ」
「あ、貴女に笑われる謂われはありません……!」
人をイラッとさせる笑い方、と言うのがあったらかなりのレベルであろう嘲笑。表情少なそうに見えて、こういうのは得意なんだね、愛緋ちゃん……
「無様さで言うなら貴女も似たようなものでしょう。悠が狙われるようになったのは貴女のせいですしね“界渡りの”!」
「ぐ、ぐぅ……」
ぐぅの音も出ないとは言うけれど、本当にぐぅと言う人は初めて見た。ってそうじゃなくて。
「まぁまぁ、僕狙いでもアーニャ狙いでもどうせ衝突は避けられないんだしどっちでも同じじゃ……」
「大違いです!」
「大違い」
ハモって言う事も無いだろうに。仲がいい、なんて言うとまた怒るので、諦めて引き下がる。
「莫迦二人は置いておくが…… 実の所、竜胆悠。“九尾の”の標的が汝に移ったのは利だ」
「なんでよ!」
「なんで」
間髪いれないユニゾンにエランティスは目もくれず、説明を続ける。扱いなれてるね?
「……一つは、“界渡りの”の守護対象は汝のみという事だ。そしてもう一つは……奴の魔法は、この中で汝にしか防げぬ」
さらりと重大な情報が飛び出した気がする。
「僕……“誰我接触不叶”だけ?」
「奴の攻撃はあらゆる障壁を意に反さぬ。原理は正確には分からぬがな」
「障壁突破の魔術かな」
「いえ、あれは魔法の域でした」
魔法についてはより詳しいアーニャが説明の補足に入る。直接、ないし間接的に魔法の理が障壁を突破するものであるならば、それは魔術で防ぐことは不可能だ。
「千年級の魔法って、僕で防げるの……」
「…………」
「黙らないで?」
魔法の強さは、精神力と重ねた年月による。“誰我接触不叶”は防ぐのに特化した盾の魔法。それに、例えば“貫く”事に特化した矛の様な魔法をぶつけた時――
矛盾は、先の二つの要素が上回った方が制する。
「正直、五分五分だ。最後にはあのティアナの魔法ですら突破されたのだからな」
「うわー、すごい自信無いんだけど」
ティアナちゃんの魔法の扱いを思い出す。“絶弾・時雨”の様な高度な魔法の使い方、僕にはまだ何年も出来る気が全くしない。五分五分ってエランティスは言うけれど幾らか水増しした数値に思えてならない。
「気を張れ。我に魔法の助言はその位しか出来ぬ」
「気合です!気合ですよ悠!」
「気合があれば、なんとかなる、よ?」
確かに魔法は気合で強さが変わるから、アドバイスとしては間違っていないんだけど、投げやりに聞こえるのは僕だけだろうか。
◆◇◆◇◆◇
愛緋ちゃんとの攻防の後、魔獣の被害は途絶え、東京は平穏を取り戻した。
“門”から魔獣が漏れ出す事は避けられないにしても、その出現をあらかじめアーニャの魔法で予知し、出現寸前に愛緋ちゃんの魔法で駆けつけ、僕が処理する。サイクルが出来上がってしまえば後は作業の様なもので、撃ち漏らして一般人に被害が出る様な事はもうない。……ちなみにこの中で僕の役目だけは誰でも替われるけど、主に魔法の実験台等の経験値稼ぎの為に僕が処理している。
今日もそんな漏れ出した中級魔獣を実験台に術式を込めた魔法の試し打ちをした所だ。エランティスの人払いの魔術のおかげで、周囲に人影は全く見当たらない。尤も時刻は深夜、元から人影なんて殆ど無いんだけれど。
ふと、視界に巨大な黒鋼の像が、『人世界の巨像』が映る。内部組織を完全に破壊されたソレは完全に置物と変わらないけれど、解体作業は遅々として進んでいない。まぁビルよりも高い巨大な鉄屑、重機も乗せれないだろうし仕方ないけど……どうやって解体するんだろう?
「そういえば愛緋ちゃんがため息ついてたなぁ。弁償どうしようって」
「良い気味です。“界渡りの”には散々手こずらされましたから」
「……仲良くしてよね」
僕の言葉にアーニャから帰ってきた言葉はツーンといいながらそっぽ向くという返事。まぁ口ではケンカばかりだけど、案外相性は悪くなさそうだからいいんだけどね。
「……ねぇ、悠」
「なに?」
アーニャが自然に、何でもない様に、当然のように告げる。
「私、悠の事が好きです」
「――――」
そのあまりの自然な様子に、僕は思わず面食らってしまう。アーニャが僕の事を想っていてくれる事は知っていた。でも、このタイミングでくるとは思わなかったよ。
「助けてもらったから、傍に居てくれたから…… あなたが私をもう一度、此処に連れ戻してくれた。
おかしいですよね。今の悠の姿はティアナのそれで、今の悠の状況は私たちのせいなのに」
言われて自分の姿を見る。華奢な手足も、腰まである栗色の髪もティアナちゃんのもので。それでもアーニャは“僕”が好きだと言ってくれた。再び魔女に至れるほど思ってくれた。
「それでも聞いてもらいたかった。私は悠の事が好きです」
月明かりに照らされ、黒鋼の巨像に見守られ、まだまばらな夜景の営みの光を背にしたアーニャはとても美しくて。
「悠。あなたは私が護る」
はにかんだような笑顔の決意に、僕はしばらく見とれてしまう。
僕の沈黙をどう思ったのか、少しだけばつの悪そうな、困ったような表情を浮かべたアーニャが慌てて取り繕う。
「ごめんなさい。混乱させてしまって。えっと、別に悠をどうこうしたりって事は……」
「僕もアーニャの事が好きだ」
「――――え?」
今度は面食らったのはアーニャの方だ。正直僕も自分の口からここまでストレートに言葉が出るとは思っていなかった。
あぁ、もう、くそ、かっこわるいな。
――女の子に先に告白させるだなんて
「今の僕は、男じゃないから、こんな告白なんてすることは無いって思ってた」
この身体はティアナちゃんのもので、アーニャが本当に大切だったものは彼女で、その願いの果てはティアナちゃんの為のものだと思っていた。
「それでもやっぱり、僕は男だったから」
だから、好きな子の為にずっと頑張りたかったから。
好きな子の望んだ夢を叶えてあげたいと思ったから。
好きな子を泣かせた“九尾の”を許せないと思ったから。
「アーニャ。君は、僕が救う」
それが、僕の願い。
僕の告白を聞いたアーニャは目元に涙を貯めながら、僕の胸元に優しく飛び込んでくる。
泣き顔を見られたくないのか、どうなのか。小さく震える肩を包み込む。
「……それじゃあ、あべこべじゃ、ないですか」
「でも、アーニャが一番欲しいものでしょ?」
魔法の理とは願いのカタチ。
誰よりも“拒絶”を、護りたいと願ったのが僕達で。
誰よりも“救済”を、救いを願ったのがアーニャで。
「ありがとう、悠。私は、幸せです」
腕の中の少女の笑顔は、天使の様だった。




