第五十二話
「アーニャごめん、重くない?」
僕の言葉に反応してこちらをチラと振り向いたアーニャ。それに伴いふわりと舞うアーニャの細い髪が鼻先を擽ると、リンスのいい匂いがして何とも気恥ずかしい気分になる。僕が今いるのはアーニャの背中。つまりは彼女に『おんぶ』されている状態という訳だ。この体勢、元男としてはする事はあっても、されるのはほぼ初めての体験だ。子供の頃に母や父にされてはいたのだろうけど、そこら辺は昔過ぎて記憶に無いからノーカウントとさせてもらおう。
……端的に、そして有り体に言えば、今の状態は恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
先ほどから鼻腔を刺激している、媚香の様な頭を朦朧とさせるいい匂いもだけど、手を廻している折れてしまいそうな細い首や、足を廻しているしなやかな腰は非常に精神とによろしくない。
って、うわ、こんな事思っているなんて、何か僕変態みたいじゃないか。
「身体強化の魔術があるので問題ありませんよ。
むしろ悠は少し軽すぎます。ちゃんとご飯食べていますか?」
「た、食べてるよ。……これでも体重戻った方だよ」
「そうですか。それならいいんですけど」
アーニャの言葉に昔を、と言っても数か月前の事を思い出す。この身体になったばかりの頃と比べれば、今の質素ながらもしっかり三食食べれる生活は天国に思える。コンビニ通いだった頃は、夕方の廃棄弁当しか口にしていなかったし、バイトを始めた時も、美味しいとは言え食事は夕方のまかない一食だ。成長盛りの年頃――と言っても不老である魔女は成長をしないけど、それでもこの年齢の身体にあの食事は少なすぎて、片寄り過ぎていた。
「逆にアーニャこそちゃんと食べてる?甘いものばっかり食べてんじゃない?」
「べっ、別に、そんな、事は……」
「竜胆悠、汝からも諫言しろ。こやつ我が何度苦言を呈しても甘味ばかり食しおる」
「ちょっと、エランティス!何ばらして――」
あからさまに狼狽するアーニャを追撃するように、エランティスがあっさりとアーニャの食生活をバラす。甘いものが大好きなのは知っていたけれど、エランティスが言うには、放置していたら3食デザートで済ましてしまう事もあるらしい。
「へぇ、ふぅん。アーニャ?」
「……なんでしょう、悠?」
「1週間お菓子禁止ね?」
「そ、そんな殺生な!!」
本気で涙目のアーニャ。どれだけスイーツに命を懸けてるんだ……
――と、その時、唸るサイレンとパトライトを輝かせた救急車が僕たちの真横を走り去る。行き先は、ほぼ確実に僕と“幸運の魔女”が戦っていた、あの現場、あの戦場。
おそらく現場に向かっているのは救急車だけでない。消防車、パトカー、もしかしたら自衛隊も……そこには多くの人たちが集まり、生き残った人の捜索や救助、亡くなった人の搬送を行っているのだろう。
「……何人亡くなったんだろ」
思わず、そんなことを呟いてしまった。
“幸運の魔女”との戦いの直前で見た、電車の中の光景が蘇る。見知らぬ人も、袖が触れ合う程度の縁だったと言え少しだけ顔を知った人も、皆残らず凄惨に死んでいた。その光景を思い出すだけで胸の奥がムカつきを覚える。
護れなかった、なんて大それた事を言うつもりはない。魔法は万能じゃない。魔女は神様じゃないんだ。護ることができるものなんて、それこそ伸ばせば触れる事ができる範囲のものだけなんだから。それでも目の前で罪も無い人たちが死にゆくのを見るのは心が痛む。
「……汝が気に病むことではない」
「そうですよ。逆に悠は被害を最小限に抑えるのに尽力したのですから」
アーニャとエランティスが慰めてくれるけれど、だからと言って気が晴れるものではない。“巻き込んでしまった”という感覚が拭えない。それでも二人に心配をかけまいと、僕は無理やり笑顔を作ってお礼の言葉を述べる。
「そっ、か、ありがと……」
上手く笑えて無かった事は、押し黙った二人の無言の返事が物語っていた。
◆◇◆◇◆◇
――そんな三人を遥か高みから、立ち並ぶ高層ビルの更に上、工事用のタワークレーンの先端に座した妙齢の女が見下ろす。
「フフ、まさか本当に“幸運の魔女”を下すなんて、どういうカラクリかしら」
楽しげなその言葉と吊り上った口角と裏腹に、その目は笑ってはいない。
悠が“幸運の魔女”に勝利するという結果は、確かに“予め知っていた”結末の一つだ。
ただ、可能性として在り得る事は知っていたが、よもや現実となるとは思いも寄らなかった。可能性、という話で言うならば、此処で悠が死ぬ可能性の方が遥かに高かったのだ。だが、彼女が最も興味を惹かれているのはその事ではない。それよりも、そんな事よりも――
「……その口ぶり、まるで死後の世界を見てきたとでも言うつもりなの?
竜胆悠、貴女、何を知っているの?」
悠が語った真実。それは彼女の魔法を以てしても、その真理に到達する事は叶わなかったものだ。
それを何故、“十年以下級”でしかない筈の魔女が知っている?本当に死者である前の“拒絶の魔女”、ティアナ・ブリュゲルと交信する術があるとでも言うのか?
知らないものがある事が許せない、理解できないものなど認めれない。それこそが“前知の魔女”が願った“法”であるが故に。
「ああ、私はそんなもの知らない。知らない識らない分からない。
――知りたい。
だからもっと、教えてちょうだい」
天を仰ぎ見、再び悠を見据えるその顔に張り付いていたのは僅かな好奇心と嗜虐心と、憎悪よりも遥かに深く、昏い嫉妬の感情だった。
◆◇◆◇◆◇
そして翌日。
何事も、覚悟していても痛いものは痛い、辛いものは辛い訳であって……
「ぁー……ぅー……」
僕はベッドの上でゾンビのようなうめき声をあげる。この小さなうめき声さえもが頭に響き、非常にツラい。おでこの上にのせられた濡れタオルは、既に少しぬるくなってしまい、まさに焼石に水状態だ。
魔力欠乏症、魔力や魔法を使いすぎた次の日になる二日酔いにも似た反動だ。と言うか症状的には完全に二日酔いのそれは、前日の覚悟があったとしてもかなりしんどい。
「ユウさん、だいじょぶ?」
そんな息も絶え絶えな状態の僕の顔を心配そうに覗き込むのは、愛緋ちゃんと彼女の自称保護者の布袋君だ。
何故彼らが僕の枕元に居るのかと言うと、彼らからの遊びのお誘いを貰ったものの、こんな状態ではとてもじゃないけど受ける事が出来ずに断れば、たちまちお見舞いと看病に駆けつけてくれたと言う訳だ。気持ちはすごくうれしいけど、何だか心配と迷惑をかけてしまってるみたいで、ちょっと胸が痛む。
「……だいじょぶじゃ、なさそう?」
「じゃない…… 死にそう…… いっそ殺して……」
「介錯?要る?」
「やめろバカ」
介錯を快く受け入れてくれ、何やら不穏な気配を醸し出す愛緋ちゃんは、目元まで隠れた見た目も相まって中々に雰囲気が出ている。その彼女の後頭部を、裏拳で軽くコツンと叩く布袋君。愛緋ちゃんが「痛……」と批難する目で見据える。と言っても実際は隠れていてよく見えないけれど。
「今日は看病しに来たんだろ?折角の仲良くなるチャンスだ、しっかりしろよ」
「……う、ん。ユウさん、なにか、欲しいもの、ある?」
「あー…… じゃあお水、汲んできてもらえる?」
「ん、わかった」
パタパタとスリッパを鳴らしながら部屋を出て、台所に向かう少女を見送った後、僕は残された布袋君を見て、一つため息をつく。
「何か、ごめんね。気を使わせたみたいでさ」
「気にすんなよ。ただでさえ引き籠りのあいつを、外に出す口実にもなるんだし」
「あぁ…… 愛緋ちゃん引き籠りなんだ……」
そう言われてみれば、彼女の手足や頬は白い。アーニャの様な瑞々しい美白というよりは、むしろ不健康で病的な印象を受ける青白さだ。日光に殆ど当たらずに生活していたのだろうという事が想像される。それはそれで庇護欲や儚げな美しさがあり、愛緋ちゃんの雰囲気と合っていて魅力的ではあるけれど。
「昔はなんにでも怯えまくっててな、一生引き籠るんじゃないかって勢いだったんだけどよ」
「へぇ、想像できるような……」
布団を頭から被って、部屋の隅で丸くなってゲームをしている愛緋ちゃんの姿を想像する。
いくらなんでもこんな想像は、今懸命に僕の為に水を汲んできている彼女に悪いと思い、頭を振って激しい頭痛と吐き気と引き換えに、その失礼な想像を振り飛ばそうとして……
「カタツムリみてぇだったなぁ」
あ、想像したの当たってるかも……。
そして再びかたつむり愛緋ちゃんを想像した瞬間――
「あの……」
「ひゃっ!?……ッ……」
真横から声をかけられて、僕は思わず小さく悲鳴をあげる。
同時に、ビクついたせいで再び頭に響いた鈍痛に、声も無く悲鳴をあげる。
「はい、お水……」
「あ、あぁ、愛緋ちゃん?何時の間に隣に?」
「ぇ?今さっき?」
全然気付かなかった……。
そして、追い打ちをかけるかのごとくトビラがバタンと勢いよく開かれ、再び僕は頭を抱えて悶絶する羽目になる。せめてもの抗議として、扉を開け放った主に、なるべく冷やかな視線を送る。潤んだ視界では効果の程は期待できそうには無いけれど。
「悠ちゃん生きてるー!?」
「……今まさに、とどめを刺されそうだよ、綾…… 静かに、お願い」
「あー、ごめんごめん!あれ、お客さん来てたんだね、何時の間に」
僕のベッドの横に座る愛緋ちゃんと、少し離れて僕の勉強机に座っている布袋君を見て、綾が驚いた表情を見せる。確かに僕がアーニャ以外の人を部屋に招く事なんて初めてだから無理もない。
「……」
「ども、おじゃましてまっス!」
「いえいえー。汚いところですがー……っていつも悠ちゃんが掃除してくれるから綺麗だけどね」
綾がズボラなだけだと思うよ、僕は?
無言でペコリと会釈をする愛緋ちゃんと、片手を挙げ、笑顔で挨拶をする布袋君に返事をする綾を見ながらも、心の中でツッコむ。
「コンビニ行くだけなのに随分掛かったね」
「あー、うん、凄いんだよ。ケーサツがいっぱい。道も混んでるし。
どうしたんだろうね?隣町の脱線事故の関係かな?それとも公園の鉄骨落下事故?」
何気なく振った話題だったけど、その返事を聞いて僕の身が固まる。
――綾が語った脱線事故。それは“幸運の魔女”が引き起こした厄災の一つだ。あの時僕に向かって突っ込んできた電車は、今日のニュースを見る限りでは原因不明の脱線事故として警察は事故、事件両方の面から捜査しているらしい。その死傷者は約500人に上る見込みと報道されていた。
「悠ちゃんも昨日隣町行ったんでしょ?事故に会わなくて良かったよね……」
「……うん、まぁ、そだね……」
「って、ごめんね、暗くなる話題出しちゃって!ほら、悠ちゃん、アイス。お二人もどうぞ」
言い淀んだ僕に何かを察したのか、すぐに話題を変える綾。ズイッと目の前にアイスキャンディの箱を突き付ける。有難く思いながらも苦笑してイチゴ味を選び、頬張る。火照った顔が冷やされて気持ちいい。
「サンキュー」
「ども……です……」
愛緋ちゃんの消え入りそうな声で気付く。もしかして知らない人が現れて緊張してるのかな?
重症だなぁ、この人見知り具合……
この頭痛が治まったら皆で出来るパーティゲームでも同じ施設の誰かから借りてこようか。狼狽える愛緋ちゃんを見ながら、彼女の人見知り&引きこもり解消法をあれこれ考える僕だった。




