第四十二話
「っく、うふふ、フフフフ。
竜胆 悠、ね。あぁ、あの子、面白そう」
――アーニャ・ガランサスの絨毯爆撃とも呼べる攻撃の射程圏内から離脱した“前知の魔女”リモニウム・スターティスが、ニヤつきながらつぶやく。その表情は喜悦を隠すことができない程浮かれ、妖艶ながらも悪辣で、見るものに美しさよりも恐ろしさを与えるものだった。
「ふふ、可愛い御嬢さん、貴女はどんな顔で泣いてくれるのかしら」
――前知の魔女は異常者だ。何処かしら性格や精神に異常を持つ事が多い魔女だが、彼女の異常はその性癖にあった。幼児性愛者で同性愛者と悠が感じたが、本当の異常性癖は、“嗜虐趣味”だ。美しい少女の、その泣き顔が、慟哭が、悲嘆が、何より彼女を興奮させる。その為ならば、献身的とも言える奉仕をしたり、残虐と言える行為を行ったりもする。
「いい顔、見せてね」
――まだ、わずかに感じる結界の気配を遠くに感じ、そちらを見やりながら前知の魔女は呟き、先ほど見た“竜胆 悠”という少女――いや、青年のことを思う。稀有な人間だ。平凡であった青年が、魔法を得、あまつさえ『名付き』の魔獣を降すとは。竜胆悠がアーニャとエランティスの復讐の最後の一手であろう。
(“拒絶の”子が死んだって聞いた時は“勿体無い”って思ったけど、中々楽しめそうね)
――ティアナとアーニャは前知の魔女のお気に入りであった。共に比類のないほど美しく、共に支えあい、依存しあいながら歩み続ける少女達。
なんという美しさであろうか。
なんと脆く、なんという儚さであろうか。
ティアナが“九尾の魔女”に殺された事を知った時、彼女は遺憾にたえなかった。だが、だからこそ残された相方がどんな顔をしているか、心底期待した。そしてアーニャの絶望は甘美な悦楽をくれた。
――もう一度、あの絶望を。“前知の魔女”はその法を以て暗躍をする。
◆◇◆◇◆◇
期末テスト。夏休みを前にした学生達に立ちふさがる最後にして最大の難敵だ。受験生である3年生程逼迫していなく、入学してすぐであろう1年生程新鮮に緊張はしていないであろう、2年生の期末テスト。とは言え、この結果にほぼ総ての生徒たちが一喜一憂し、ある者には“おこづかい”と言う夏の軍資金に直結しているであろう死活問題。
今、僕達はそのテストの返却を受けている。テストの返却自体は学校によって様々だろう。僕が昔行っていた頃の中学校は、成績上位者が掲示板に貼り出されるというシステムだったけど、最近はプライバシーの問題とやらでそういった事は無いと聞いていた。……だから、まぁ、正直油断してた。
「竜胆悠。百点だ。素晴らしいな、次も頑張りなさい」
――ザワ、ザワ
「は……ハハ、ありがとう、ございます」
俄かにざわめくクラスと、引き攣った笑顔でテスト用紙の返却に受ける僕に、数学教師が訝しげに首を傾げる。確かに満点のテストを受け取って嬉しくない生徒がいるだなんて、思ってもみないだろう。だけど、僕はその思いがけない人間の一人だ。正確に言えば、数時間前から、そうなった。チラチラと感じる視線を無視しながら、僕は自分の席に着く。この数週間で穿きなれたスカートを直しながらため息をついていると、前の席の綾が振り向き、何か恐ろしいものでも見るように、僕の顔を見ている。
「あの鬼の数学テストで満点…… 悠ちゃんってホントに人間……?」
「失礼な……」
……あぁ、魔女って人間じゃないんだっけ。
この学校では成績や点数を貼り出しこそしないが、満点者はテストの返却時に発表する、と言う伝統があった。そんな事は露知らず、僕は全力でテストに挑んでいた。一応それなりの大学を出ている僕にとって、中学2年生の授業の問題は、はっきり言って簡単すぎた。これが全く復習無しで受けていたなら、もう少し違った結果になっただろうけど、テスト勉強をしっかりする時間があった僕にとっては、問題にならない程だった。しかし、結果的に言えばそれが良くなかった。
一番初めは国語だった。
返却時、満点者として僕と、他に一人の名前が挙げられると、オーと言う歓声が小さく上がった。綾も、「悠ちゃん頭良かったんだー。うち、勉強教えてもらえばよかったよ」と、赤点ギリギリの答案を見せてくれた。
二番目は社会。正確に言えば地理と歴史の複合問題だ。
返却時、再び満点者として僕と、国語の時とは別の一人の名前が挙げられる。「マジかよ」と言う歓声よりも驚愕の割合が占めてきた言葉に、僕は背筋に汗が伝うのを感じた。綾は、「悠ちゃん凄いね!?文系科目大得意?」と驚いていた。あぁ、すっごいヤな予感。
三番目は英語。
返却時に満点者として挙がったのは僕だけだった。最早上がるのは驚愕の声だけだ。
あー、やっちゃったなぁ……!失敗したなぁ!僕は産まれて初めて、テストでニアミスなりケアレスミスなりをしていて欲しいと天に願った。流石に綾も引いていた。「悠ちゃんって、天才?」とか言っている。
そして四番目、理科。細かな分類で言えば、物理。
神様に祈る僕と、僕の方をチラチラと伺うクラスメイト達。しかし、この世界に神様は居なかったらしい。少なくとも、僕の小さな願いを聞き届けてくれるような善良な神様は。満点者として僕の名前が挙げられる。崩れ落ちる僕と、ざわめき出すみんな。綾は何故か僕の方を向いて拝んでいた。ちなみに彼女は赤点だったらしい。追試がんばってね。
そしてそして、最後が数学だ。この学校の数学の教師は随分と厳しい人らしく、テスト問題もこの年代のものとしてはかなり厳しいものだ。ここ数年、満点者が出たことは無いと言う曰く付きの難問達。ただ教科書の内容を覚えていても高得点は期待できそうにない、応用力が必須の問題だった。生意気な事を言えば、厳しいけれど理不尽さは感じられない良いテストだと思う。だけど、あぁ、それでも…… 自信と手応え、あるんだよなぁ……
そして結果は、案の定。ざわめきは更に大きく、頭を抱える僕に向けられるみんなの視線からは、最早畏怖の感情が感じられる。人外扱いしてきた綾はこの教科で二つ目の赤点を獲得していた。あぁ、理数系、苦手なんだね、綾。
「5教科満点って、悠ちゃん、何者よ」
「言わないで、綾。自己嫌悪で死にそうなんだ」
こういうのを“大人気ない”と言うのだろう。少なくとも頭の中はいい歳をした大人が、中学2年生のテストで本気を出す。これを大人気ないと言わずに何と言おう。クラス委員長に「次は負けませんよ」と言われたり、何人かの女子に勉強を教えてほしいと言われたりしたけど、正直ごめんなさいと謝りたい気分だ。逆に数人の男子が僕が最後の数学で満点を取り5教科満点を達成するかどうか、賭けをしていたというのを聞き、彼らには特別軽蔑した目を投げかけておいた。
「でも、悠ちゃんがこんなに勉強出来るなんて思わなかったよ。妙に大人びてるなぁ~とは思っていたけど、そこまで頭よさそうに見えなかったし」
「……あれー、僕、バカにされてる?ってか馬鹿に見えるって言ってる?」
綾の聞き捨てならない発言に、ほっぺを引っ張りながら抗議する。
「いひゃい、いひゃい(痛い、痛い)
だ、だって、悠ちゃん、普通に髪染めてるし、塾も行ってないしさぁ」
「これは地毛だよ……」
「えっ、マジで!いいなぁ~」
綾がこの栗色のロングヘアを掬い上げ、フムフムと検分する。くすぐったさに身をよじりながらも、ふと頭をよぎった疑問に気を取られる。
(あれ、でもティアナちゃんってもっと明るい、金に近い茶色だったような?)
ティアナちゃんの夢の中で出会う姿を思い出す。髪質や長さが同じでも、どちらかといえば黒寄りの茶色である今の僕の髪の色と、ティアナちゃんの髪はかなり差があり、雰囲気も違っている。肉体は同じはずなのになぜ?と疑問に思うも、答えは出なかった。
「それより、悠ちゃん!夏休みだよ、夏休み〜!」
「あぁ、うん、そうだね。学校来始めて数週間しか経ってないから、実感も感慨も無いけど」
僕の髪を弄るのに飽きたのか最後に一度ふわっと持ち上げた後、思い出したかのように綾が言う。綾の言うとおり、あと数日で終業式、そして夏休みだ。毎日遊び呆ける人もいれば、部活に汗を流す人もいるだろう。真面目な人なら、塾の夏期講習をしているかもしれない。辺りを見回してみると、テストという重圧から放たれた解放感からか、皆の顔は緩み、各々(おのおの)が有意義にこの夏の長期休暇を過ごす算段をしている。しかしそれは、1学期という3か月を過ごしたからこその解放感であって、それを経ていない僕にとってはあまり感動がない。
「あ、そっか。うち達まだ会ってからそれだけしか経ってないんだ。何か変な感じ。
なんだか、ずっと長い間友達だったみたいな、そんな気がするんだよね~」
微笑みながらそう言う綾に、思わずドキリとしてしまう。こ、この笑顔はヤバい。普段お転婆な綾が、お淑やかに微笑むと普段のギャップから、女の子らしさが何十倍にも増して見える。そういうのは岸田君に見せてあげればいいのにと思いつつ、まだ彼を意識している認識のない綾に余計な事は言えない。気付かせるのは、もうちょっと岸田君がデリカシーを持ってからだな。
「め、面と向かってそんなこと言われると恥ずかしいな」
「うちも言ってからちょっとハズかった」
茶化すように返すと、赤面した綾が口元を隠しながら言った。
そして、そんな僕たちに話しかける男子生徒の声。いきなり男から声をかけられたせいでビクリとしてそちらを向くと、岸田君がニヤニヤとしながら片手をあげていた。その顔はニヤけ面だけど、彼の感情を知っているとどうにも意を決して話しかけたというように見えてくる。
「よう、芦屋。お前赤点幾つだった?」
「第一声が赤点の数か。ケンカ売ってるのね、そうなんだよね?岸田くぅん?」
相変わらずの調子の岸田君に、こめかみをピクピクとさせながら綾が言い返す。彼は好きな人の前では素直になれないという、何とも男では嬉しくない、ツンデレってやつだった。
「どうせ2、3個は赤点なんだろ?数学は俺も赤点だったけど、他のを教えてやるっていう崇高な優しさをだな」
「いいもん、うち今回は悠ちゃんに教えて貰うから」
岸田君が言い切る前に綾はその提案を一蹴する。いつもは二人で追試の勉強をしていたらしく、少し意外な事実に僕は驚く。なんだ、実は結構アピールしてるじゃないか。でも岸田君、君も赤点一つ取ってるから人のこと言えないけどね。
そうなると、二人の邪魔をするのは悪いなと、僕は綾の提案に不満げな声を出す。
「えー」
「竜胆さんはこう言ってるけど?」
「なんでっ!?うち等友達でしょ?」
乗っかる岸田君。すると、面白いくらいに狼狽え、絶望した表情をした綾が僕に詰め寄ってきた。
「人の事人外扱いする人に教えることは無いなぁ~」
「そんなっ!?ごめんっ、後生だから!うちの夏休みがっ!」
「冗談だよ、冗談。岸田君も数学駄目だったんなら一緒にどう?」
「お、ありがたい」
僕の提案に、どうしようかと困惑していた岸田君がホッとした表情で乗る。彼にとっては、好きな子と二人っきりで接する時間だ。それを僕が奪ってしまうのは酷というものだろう。
「えー、岸田も来んの?」
「コラ、綾。そういう事言う人には教えてあげない」
「……悠ちゃんが意地悪」
さすがに拗ねたように唇を尖らせる綾に、僕と岸田君は揃って笑ってしまい、彼女の機嫌を直すのにしばらくの時間を要した。




