第三十七話
……猶予は無くなりました。
わたしは何を犠牲にしてでも、二人を見捨てる事は出来ないから。
悠さん、ごめんなさい。どうかお願い。壊れないで。
――そして少女は賭けに出る。
◆◇◆◇◆◇
今僕は、夢を見ている。
人間がなぜ夢を見るか、と言う議題にはいくつかの答えがあげられるが、その中でも最も有力な答えの一つは「記憶の整理」だ。寝ている間に、短期記憶を長期記憶に変えるとか不要な記憶の削除とか、色々な処理を脳が行っている際に見るものが夢だという。
だとしたらこれは夢だ。
彼女の記憶の整理だ。
荘厳なゴシック建築の礼拝堂。並ぶ長椅子の最奥の隅で寝転がり、ステンドグラスから差し込む光を浴びながら昼寝をする亜麻色の髪の少女。ティアナちゃんだ。そして、ティアナちゃんを揺すり起こしている金髪の少女、……アーニャ。
「……ァナ、ティアナ!」
「わっ、ひゃい!?」
「起きて、ティアナ。そろそろ部屋に帰らないと、みんな心配しますよ?」
寝ぼけ眼でアーニャを見上げるティアナちゃん。その姿はいつもの夢で見る6,7歳の少女のもので、そしてアーニャもまた、ティアナちゃんと同年代の幼い姿だった。
「あ、えと、アー……ニャ?」
「何で疑問形なの…… まだ寝ぼけてるんですか」
「ん、あー……そう、かな」
「呆れた。どれだけ寝れば気が済むの」
「ん、ずっと寝てたい」
「……こら」
いつも夢で見るティアナちゃんと見た目は同じだが、イメージがかなり違う。今まで接してきた彼女の、見た目の歳不相応に落ち着いた雰囲気が全く感じられず、昔は少しズボラで不真面目そうな少女だったようだ。
「だって、今から魔術の勉強の時間じゃない。わたし魔術殆ど使えないし」
「私もですよ。だからってサボっていい訳ではないでしょう」
「もう、アーニャは真面目だなぁ」
――ティアナ・ブリュゲルとアーニャ・ガランサスは孤児だった。
――二人の住むこの教会は親に捨てられた子や、親を喪い、行き場を失った子を庇護する役割を請け負っていた。本来教会にそのような義務はないが、ここを任されているシスターの好意でそう言った子供たちを護っていた。そこではただ、衣食住を提供するだけでなく、読み書きの教育や、魔術や細工等といった生活基盤を得る技術も教えていた。才能に依る面が大きいが、魔術学と呼ばれる学問は、ものにすれば一生困る事は無い為振り分けられる時間も多い。逆に言えば、才能の無いアーニャとティアナにとっては苦痛な授業ではあった。しかし、だからと言ってそれをサボる理由にはならない。
――授業を受ける為に二人は普段勉強に使っている食堂に入る。其処に何があるかも知らずに。
「シスター、ティアナを連れてきましたよ」
「連れられてきましたー……って、え?」
室内に目を向けたティアナちゃんとアーニャが硬直する。そして同じくそれを見る僕も。
最初に気付くべきだった。何故ティアナちゃんがこの記憶を僕に見せているのか。何もない平凡な日常を見せることに何の意味がある。……だからこの記憶は、その平穏が壊れる瞬間の記憶だ。未だ色あせず、色濃く残る『怒り』と『決意』の記憶。
「なに、これ」
最初に言葉を発したのはアーニャだった。呆然としながらも、その眼前の風景を言葉にする。
目に飛び込んできたのは、本来この教会に住む全員が集まっても、10数人しか居ない筈の食堂にひしめき合う50人近い集団。家族の様に思い、兄妹の様に思っていた仲間たちと、親の様に思っていたシスターの人を取り囲み、その欲望をぶつけようとしている薄汚い姿の、見知らぬ男達。
「――!ティアナ!アーニャ!駄目ッ!逃げなさい!!」
この集団の中で唯一の大人の女性、二人の保護者であり、親のようなものであるシスターが最も早く二人が現れてしまった事に気付き、悲痛な叫びをあげる。その声にはじかれるようにアーニャがティアナちゃんの手を取り、走り出そうとする。
……が、遅かった。アーニャ達が逃げるより、男たちの手が伸びる方が早かった。
「あっ……かはっ……」
ティアナちゃんが服の襟を掴まれたせいで、犬の首輪を引いたように首が締まり、くぐもった悲鳴を漏らす。隣ではアーニャが男に殴られているのが見える。
「げっほ……げほっ、アーニャ!大丈夫っ!?」
必死にアーニャに呼びかけるティアナちゃんだが、男の一撃はアーニャの意識を完全に刈り取ってしまっているようだった。どうやら気を失っているだけで命に別状はないだろうけど、気が動転しているティアナちゃんにはそこまで気付くことが出来ないようで、必死に何度もアーニャの名前を叫ぶ。最初は面白そうに見ていた男も、だんだん五月蠅くなってきたのか、ティアナちゃんの髪を掴みあげ、無理やり黙らせる。
「キャンキャンうるせえな」
「いっ、た、この……」
全員、新しく部屋に入ったティアナちゃんとアーニャに意識を向けていたせいであろう、全員の意識の隙をついてシスターが包囲から抜け出し、ティアナの髪を掴みあげる男に、持っていた木切れで思いっきり殴りつける。その一撃は綺麗に男の後頭部に叩きつけられ、男は無様にも顔から地面に倒れ込む。
「ティアナっ!貴女だけでも逃げなさい!!」
「シスター!?」
「いい?逃げて、誰か助けを呼んで……」
「!?だめ、シスター逃げて!!」
華奢な女性の一撃では浅かったのか、あるいはそれなりに鍛えられているのか、シスターの予想よりもはるかに早く男が起き上がる。それに気付いたティアナちゃんが叫ぶも、全てが手遅れだった。殺意と狂気に染まった瞳で男はシスターに狙いを定めると、獣の雄叫びの様な叫びをあげながら跳びかかる。
「このクソアマがぁアアァァァァァ!!!!」
「きゃ……ぁ、グ」
激昂した男はシスターを押し倒した後馬乗りになり、その首に手を掛ける。成人男性にマウントポディションを取られ、その上で首を絞められているんだ。成人していると言え、華奢な女性の身体では、ジタバタともがくのが精いっぱいで、男を弾き飛ばすのは到底叶いそうにない。
ティアナちゃんも男の狂的な雄叫びと剣幕に圧倒されてしまったのか、地面にへたり込んでしまっている。
「オイオイ、殺しちまうのか?」
「死ねッ!死にやがれ!」
「ぐっ……ガ、ガ、ぁ……」
激昂した男に他の男から声がかかるも、完全に頭に血が昇って周りが見えていないのか、その手を緩める様子は無い。見る見るうちに顔色が赤く、黒く変わっていく。勢いよくもがいていた手足も、今では痙攣しながら曲げたり伸ばしたりするのが限界と言った様子だ。
ちょっと待て、冗談じゃない。そんなに首を絞めたら、本当に死んでしうまうんじゃないか!?
「やめて、お願い!!シスタ……!」
男が本当にシスターを殺そうとしている事に気付き、ティアナちゃんが泣き叫びをあげながら縋りつく。しかし、その言葉を紡ぎ切る前に、シスターの眼から生気が消えた。糸の切れた人形の様に力が抜け、命が、消えた。
「ぁ……」
今朝まで共に生活し、家族の様に、母親の様に思っていた人の事切れた姿を、呆然と見る。
「くそっ、下手な抵抗しやがって。一匹減っちまったじゃねえか」
「まぁまぁ、まだ沢山居るし、いいじゃねぇか」
「あぁ、でもこのでけぇ乳だけは勿体なかったな」
いまだに下衆の極みとも言える会話を続ける男達。人を一人を殺したのに、その事に関して何の罪悪感も持ち合わせていない。何て奴らだ。ここが記憶の中でなく、現実の世界だったのなら、今すぐにでもこいつ等を叩きのめしてやりたい。知らずに手を強く握りしめていたらしく、手のひらに爪が食い込み、わずかに血が滲んでいる。
「シス、たー…… お母さ……」
「安心しな。てめぇらは殺したりしねぇよ。特にお前とお隣で寝てる嬢ちゃんは奴隷商に売りゃあいい値が付きそうだしなぁ」
「――っ、アーニャに、触らないで……」
「友達思いだねぇ。安心しな、売る前に一緒に可愛がってやるぜ」
男たちがアーニャに手を伸ばす。いまだに気を失っているアーニャを抱き起し、その髪を、顎先を嬲るように撫でる。そして、ティアナちゃん自身にもその欲望に塗れた手が伸びる。
わたしにも、アーニャにも、同じような酷い事をするの?殺すの?そんなの……
「ぃや……、イヤだ」
そして、その手が、ティアナちゃんに触れようとする瞬間、彼女の心が……爆発した。
同時に、僕の精神でも爆発したかのように暴れまわる。初めて魔法を使った時以上に、いや、それとは比べ物にならない程強く感情が荒れ狂い、精神と言う器を破壊して解き放たれようと暴れまわる。普通の人間なら、少し前の僕だったなら、とうに気が狂っているであろう感情の爆発。
辛い、憎い、怖い、悔しい
汚い……気持ち悪い気持ち悪い
――――だから、どうかお願い。“触らないで”。
――グシャ
まるでスイカを地面に落とした様な音が響く。何かが割れ、潰れた音。
瞬時に分からなくても無理はない。人間がスイカの様に潰れたところなど誰が見たことがあろうか。起きた事だけを言うならば、ティアナちゃんに手を伸ばしていた男が、まるで不可視のハンマーで地面にたたきつけられたかのように、その身を以って床に歪な模様を刻んでいた。
「なっ、貴様!?」
今まで下卑たニヤケ面を浮かべ、傍観に徹していた男達が何が起きたかを理解し、驚愕と恐怖に塗れた声をあげる。だが、“何が起きたか”を理解しても、“何故、どのように起きたか”を理解する事が出来ない。先程まで獲物であった少女が、尋常ではない牙で反撃したのだ。理解なんて出来る筈が無い。
ユラリ、と立ち上がったティアナちゃんにまるで霞のような漆黒の衣が纏わりつく。その姿を見て僕は“誰我接触不叶”が産まれた事を知る。
俯いていたティアナちゃんが顔をあげ、男達を見据える。その昏く濁った瞳に込められているのは、『怒り』『憎悪』『決意』そして……『拒絶』
「こっち来ないでよ」
――嗚呼、寄るな。
「わたしに触らないでよ」
――触るな。
「アーニャに、近付かないでよ」
――近づくな。
「わたしの、大切な、人達に、汚い手で……
触ってんじゃないわよおおおぉぉぉ!!!」
――此処は汝等の触れてよい夢に非ず。
魔力がまるで暴風の様に渦巻く。ティアナちゃんを中心とした竜巻の様に巻き上がり、全てを吹き飛ばそうと暴れまわる。男達は逃げられない、助からない。魔術が栄え、数多の魔獣が蔓延る異世界において、最強の種族の一つに数えられる魔女だ。その怒りを受けて、ただの人間が耐えきれる筈がなかった。子供に飽きられた人形の如く、数瞬後には彼らは無残な残骸になり果てていた。
――人が魔女に至るには3つの要素が要る。
一つ、魔女に至る資格とも言える“種”あるいは“芽”と呼ばれる“何か”を持っている事。
これは先天的なものであり、例えどのような魔術の天才であろうとも、どのような努力を重ねようとも後天的には得ることの出来ない残酷な素質。
――一つ、世界の理を歪めてでも叶えたいという傲慢な“願い”。
冒涜的に、感情的に、狂おしい程の渇望。魔女の持つ魔法はその願いによって生み出される。
――そして最後に、“感情の爆発”。
それは『憤怒』、それは『絶望』、それは『懇願』
あるいは『歓喜』、『恐怖』、『決意』、『慟哭』、『諦観』。どんな感情でもいい。ただ異常であればいい。
世界の理を超える程の感情を高め、爆発させることにより種は芽吹き、願いに添った“魔法”と言う華を咲かす。それこそが魔女。それこそが魔法。
その時爆発した感情、満たせぬ渇き。それは“拒絶”
わたしはそれをあの日、何よりも願った。あの時、何よりも欲した。だから――
「……故に、誰も我に触れること叶わず」
僕は呟く。ティアナちゃんの記憶を受け継いだ今なら、その魔法名の本当の意味が理解できる。そこに込められた願いを実感できる。
「そう、これが始まりの記憶。“拒絶の魔女”が産まれた日の記憶」
礼拝堂の講壇の上に座るという罰当たりな体勢でティアナちゃんが語る。罰当たりと言ったが、此処においては、此処だけでは彼女こそが崇拝されるべき存在であり、罰を与える側ではあるのだけれど。
「悠さん、これがわたしです。これがわたし達です。
穢されたくない、そしてアーニャを、エランちゃんを、わたしの大切な友達を壊されたくない。
それが、この魔法の全て」
胸を張るように目の前の幼い少女は語る。そこに迷いはない。アーニャを護る為に人を捨てた事を欠片も後悔していない。その表情を見て、僕も頷く。
「あぁ、僕も今、君と同じ気持ちだ。
アーニャを助けたい。アーニャが殺されるなんて、壊されるなんて絶対に認められない」
「……わたしが賭けた記憶の継承は、魔女が魔女である為の要素を揃える布石。
“種”は元々わたしの体には備わってる。足りなかったのは“願い”と“感情”」
記憶の継承を受けた今なら分かる。ただこの光景を見れば良いだなんて簡単なものじゃない。薄々感じていた、僕とティアナちゃんの精神が混じり合う感覚。あれこそがティアナちゃんの仕込んだ布石。僕自身がアーニャを、エランティスを強く護りたいと、誰にも触れられたくないと思い、“願い”を共有し、この始まりの記憶を見て、その始原を知る事。それこそが、僕が“拒絶の魔女”になる為に必要なものだったんだ。
「危険は数え切れない程ありました。わたしの精神と混じり、悠さんの自我が消えてしまう可能性。記憶の継承で、感情の爆発が悠さんの精神の許容を上回り壊してしまう可能性。不確定要素をあげてもきりがありません。
それでも貴方は耐えきってくれた。受け取ってくれた」
ティアナちゃんはそこまで言うと一旦言葉を切り、講壇の上からストンと飛び降り、賭けに勝ったのだと宣言する。
「ジャックポットです。
……ありがとう、悠さん。壊れないでいてくれて。
ごめんなさい、悠さん。こんな事に巻き込んでしまって」
微笑み、お辞儀をしながら謝罪を述べるティアナちゃん。その頬を一筋、涙が伝う。
心の底から安堵した表情とその涙に、彼女がどれだけ心を削ってこの賭けに賭けていたのかが分かる。彼女は後悔はしていない、迷いもない。だからと言って平気で行っていた筈もない。ただ、アーニャを、エランティスを護る為に他の何を犠牲にしてでも叶えようとしただけ。
……責任、重大だな。だというのに、思わず笑みが零れた。
「アーニャと、エランちゃんを、お願いします」
「任せといて、ティアナちゃん」
再びお上品にペコリと頭を下げ、お辞儀をするティアナちゃんに向かい、僕は強く、力強く頷いた。
◆◇◆◇◆◇
「……独り、か」
――エランティスは呟く。
アーニャ・ガランサスは見捨てた。竜胆悠はもう永くない。
遺されたのは1人、残るのは孤独感。
長らく感じていなかった感情だ。ティアナに出会うまでは、それが普通で当然であったというのに、今ではそれが間近に迫っている事を空恐ろしく思っている事に苦笑する。
「ティアナ、我は、もう……」
――心が折れそうな事はあった。全て無為と投げ出したい事もあった。それほどまでに“九尾の魔女”は強大で、“界渡りの魔女”の足取りは掴めなかった。
今まで耐えられたのはアーニャが居たからだ。同志が、共犯者が、友が居たからだ。ならばそれを失えば、最早耐えられる筈が無いだろう。
エランティスの心が折れる瞬間、その頭を優しく撫でる感触に彼は驚愕に目を見開く。
「一人じゃないさ」
――それは在り得ない事だった。竜胆悠の楔は失われた。今一度エランティス自身が打ち込まぬ限り、魂は肉体から乖離し続け、“誰我接触不叶”が発動する事は無い。
だが、これは一体どう言う事なのだろうか。
今、竜胆悠から溢れる魔力は、かつて感じたティアナのものと寸分違わぬ気配。ティアナの肉体からの借り物の魔力では無い新しい魔力。
これから死地へと向かうなどと欠片も感じさせぬ、朗らかな笑顔を浮かべて、悠は言う。
「だから、行こう、エランティス。正義の味方になるチャンスだ」
(だから、行こう、エランちゃん。正義の味方になるチャンスだよ)
――あの時と変わらぬ、自身とティアナが契約した時と同じ言葉で呼びかける言葉に、全身の毛が総毛立つ歓喜に、エランティスは震えずにはいられなかった。
さぁ、反撃開始だ。




