第二十九話
――男って、何でこう、業が深いんだろうなぁ
そんな哲学的な事を考えながら僕は現実から目を逸らす。
「ねぇねぇ、君。可愛いねぇ。お兄さんたちと遊ばない?」
……数日前にも聞いたような事のあるセリフだ。だが前回僕をナンパしていた少年の微笑ましさすら感じる雰囲気と、今の不穏な雰囲気はかけ離れている。
僕をナンパしてきた相手は、年齢18歳になるかならないかと言った所か。お世辞にも綺麗とは言えない褪せた金色に染められた髪に、耳や唇、果ては鼻にまでジャラジャラと取り付けたピアス。服はダボダボで清潔感の欠片すらない。見た目で人を判断してはいけないと言うけれど、これは見た目で判断してくださいと言っているみたいなものだ。
女の子と仲良くなりたいと言う、まぁ男なら誰でもある、ある意味では仕方のない感情を前面に出していたあの少年に比べて、彼らに見えるのは、女の子を暴力で押え付けて弄びたいと言う余りにも下卑た感情だけ。その証拠に、僕の退路を塞ぐように四人がかりで囲んでいる。
「……お断りします」
怯えた様子もなくきっぱりと断る僕の態度に、彼らの、少なくとも視界に入る青年達のニヤついた表情が揺らぐ。まさかキッパリと断られ、更に怯えすらされないとは夢にも思っていなかったのだろうか。なんとかまた軽薄そうなニヤけ面を取り戻した青年は、今度は少し声に凄みを効かせて言う。
「まーまー、そう言わずにさぁ。痛い目みない内にさぁ」
「何度も言わせるなよ。お断りだ」
「んだぁてめぇ!チョーシ乗りやがって!」
襟を掴まれて捻りあげられ、若干首が閉まり呼吸が苦しくなる。頭の血の昇りが早すぎるだろう。相手にこっちの話を聞く気はないらしい。それならこれ以上の話し合いは無駄だ。さっさと魔法で軽く吹っ飛ばして、その隙に逃げるとしよう。
「我は触れられざるもの。あぁ寄るな触るな近づくな。
あの日の慟哭は彼方へ。此処は汝等の触れてよい夢に非ず」
流石に詠唱を聞かれるのは恥ずかしいので、僕は聞こえないように小さく呟くように唱える。普通の人間に対して化物を叩き潰せる魔法を使うのは少し気が引けるけど、正当防衛だ。最近使っていなかったので手加減を出来るか不安だが、何とかなるだろう。そう思いながら、僕は詠唱の最後の一文を言い切る。
「故に、誰も我に触れる事叶わず」
「おい、てめぇ。さっきから何ブツブツ言ってやがる」
「え、あれ?」
あれ?おかしい。詠唱を言い切ったのに、魔法が発動しない?いつもなら湧き上がってくる“力”と“感情”が、全く感じられないし、霞のようなマントも現れない。当然、相手を弾き飛ばす斥力を使うことも出来ない。
(なんで?どうして!?)
周りの男達が何やら喚いているけれど、僕にそれに耳を傾ける事の出来る状態じゃない。それどころじゃない。魔法が使えなくなったんだ。アーニャが言っていた「魔力を感じられない」ってのはこれが原因だったのか?数日前には普通に魔法を使えた筈なのに、一体何が!?アーニャにも聞かれたけど、心当たりも全くない。
そんな事を考えていると、頭頂部に鋭い痛みが走る。目の前の男が僕の髪を掴みあげて怒鳴りつけているのが目に入る。
「あっ、ぐっ……い、たい」
「無視すんじゃねぇよ!」
「さっさと車詰め込んじまえ」
……もしかしなくてもかなりヤバい状況?今更ながらに焦りと危機感が湧き出してくる。
「おい、ちょっとこっち来い」
「いっ、たいな!触んな!引っ張んな!」
何時の間に近づけたのか、すぐ傍にいたエンジンの掛かったライトバンに向かって歩く男達。髪と身体を掴まれた僕も、必然的にそのバンに向かう羽目になる。人通りはまばらで、夜とは言え往来での堂々とした誘拐事件だ。あまりの事態に固まっているが、目撃者も居る中での犯行で大胆にも程がある。捕まる事は全く考えても居ないのだろうか?
「アレ、やばいんじゃない」「誘拐?」「警察呼べ!」「おい、やめろ!」
一足遅れて事態を理解し始めた周りの人達がざわつき始めるが、僕の身体は既にバンの中に押し込められ、扉が閉まる寸前であった。
バタンという扉の閉まる音がやけに他人事のように感じられる。押し込められたバンはそれなりの広さだが、流石に僕を含めて5人も乗ると狭隘に感じる。たばこの臭いと男性用の香水の混じった匂いに気分が悪くなりそうだ。尤も既に僕の気分は最悪だし、匂いをそれ以上気にしている余裕も無いのだけれど。
「……こんな事しても、すぐに捕まるぞ」
「あ?んだよ、もっとビビれよ」
「顔は可愛いのに気は強いねぇ。まぁそう言うのをへし折るのもマジでヤベえ」
……全く会話になっていない。
「こうすりゃ少しはビビるだろ」
その言葉と共に、強く体を引っ張られる感覚、そしてブチブチと言う何かが千切れる音が耳に届く。何が起こったのか一瞬理解できなかったが、胸元を見下ろすとすぐにその音の発生源が特定できた。僕のシャツが力任せに引っ張られ、ボタンが千切れた音だった。やや控えめな胸部が露出し、冷たい風を肌で感じるが、そんな事に気をまわしている余裕は既にない。
「ひっ……むがっ!?」
「おっと、あんまり声出すんじゃねーよ」
思わず悲鳴をあげそうになった口を覆う手。やけに大きく感じられるゴツゴツとした手が、唇に当たる感触が悍ましい。気持ち悪い。身をよじり、首を振り、その手から逃れようとするも、手馴れているのか上手く振りほどくことが出来ない。悲鳴にもならないうめき声をあげる事しか出来なかった。
「むーっ!むー!!」
「へっへっへ、やっぱこうじゃねーとなぁ」
「やっぱ怯えてる顔そそるわ」
落ち着け、冷静になれ!魔獣やあの切裂き魔と比べたらこんな奴ら、何てことはないだろう!
そう心を奮い立たせる。少しだけ逃げ出す為にも周囲の状況を確認する。連れ込まれたバンが走っているのは、景色から察するに走っているのはやや大きな国道だ。助手席と運転席の二人はニヤニヤしながらもこちらにちょっかいを掛けてくる様子はない。正面と背後の男を何とかすれば、逃げるチャンスはあるのかもしれない。
「あれ、大人しくなっちまったな。観念しちまったか」
「もっと泣き叫んでくれてもいいんだぜぇ?」
逃げる為の算段をしている僕を、観念して大人しくなったと勘違いして男達は少しつまらなさそうに言う。それにしても、何とも下衆な煽りである。
「まー、こっち弄ってればもっといい声で鳴いてくれるだろ」
下腹部に延びる手を見て焦燥感が募る。狙っているタイミングはまだ来ない。嫌悪感と羞恥心に歯を食いしばる。
(まだか?まだかよっ!?)
スカートを捲られ、ショーツに手を掛けられた瞬間、遂に僕の祈りが通じたのか、待ち望んだ『キッ』と言うブレーキ音と僅かな車体の揺れが、車が信号で止まった事を示す。
――今だッ!!
僕は口を押えている指を咬み千切らんとばかりに全力で噛みつく。犬歯が肉の食い込む感触と、口の中に鉄っぽい血の味が広がり、何とも言えない気分になる。
「いっ、でぇ!?」
下腹部に気を取られている時に少女の力と言え、不意打ちで全力で咬んだのだ。それなりの激痛が彼を襲っているだろう。僕の口と右腕を押さえつけている手の力が緩む。
「……なっ!ガッ!!」
やっと気を取り直したであろう正面の男の顔面の、鼻頭に向かって握り拳を思いっきり叩きつける。骨にあたった指がまるで折れたような痛みをあげるが、痛みに悶えている暇はない。振り向きざまに咬まれた手を抑えている男の横顔に肘を振り子のように叩きつける。思い付く限りの効果的な攻撃は成功に終わった。後は二人の男が復活する前に車から逃げ出すという時間との勝負だけだ。
「このクソガキが!」
僕は扉に手を掛け、正面の男を押し出す様にしながら、車から一緒に転げ落ちるようにして道路に飛び出る。その間にも助手席と運転席に座っていた男たちが手を伸ばすが、運よくその手は空を切る。もし髪でも掴まれてたら、そこで終わっていたかもしれないと思うと背筋が凍りそうだ。
固いアスファルトに幾らか体を打ち付けるが、覚悟していた痛みだ。顔をしかめながらもすぐに立上り、道路を逆走するようにして走り出す。10数メートル離れた所で頭だけ振り向いて確認すると、助手席に座っていた男と、僕の口をふさいでいた男がバンから勢いよく飛び出してくるのが見える。
「しつこいな!もう誘拐とかいう状態じゃないだろ!?諦めろよ!」
僕の心からの叫びに返ってくるのは「ぶっ殺してやる」だの「殺す」だのと言う物騒な単語だけだ。目が殺気立っている。捕まったら本当に殺されてしまいそうだ。
最初から異常な奴らだと思っていたけれど、幾ら何でもあの殺気は普通じゃない。通常の精神状態じゃないのは明らかである。
(はっ、はっ、まさか、これも魔法関連の事件か?)
振り返る余裕はもう無い。先程よりも物騒な声は近づいている気がする。かなり全力で走っている為、息は切れ、脚の筋肉は張り、今にも倒れてしまいそうだ。
(どこか、何処かに逃げ込める場所は無いか?)
そう思って辺りを見回してみるも、深夜のオフィス街のビルの正面玄関は閉まっているものばかりで、開いているかどうかはかなり近づいて見ないと判断できない。そしてそんな暇が無い事は背後の気配が教えてくれる。
(コンビニでも何でもいいからどこかに逃げれるとこ、ないのかよぉ!)
恐怖と走っている息苦しさで瞼に涙が溜まってくる。小柄な少女の身体と、肉体の成熟した男性の身体では体力に大きな差がある。
絶望的な鬼ごっこは、しかし、唐突に終わりとなった。




