第十四話
―――竜胆悠の朝はやや遅い。
「ふあぁ……あー、身体痛……」
僕は肩に手を置き、首をポキポキと鳴らしながらリクライニングチェアから体を起こす。リクライニングとは言え椅子は椅子だ。ベットの様には疲れは取れないし、身体の節々が固まり、凝っている様な違和感を感じる。とは言え一時期の様に公園のベンチや遊具に隠れて眠る生活と比べれば断然マシな状況とも言える。
起き上った反動でブランケットがずり落ち、シャツのいくつかのボタンは寝苦しかったので外している。非情に扇情的な姿なのだが、女の子の身体になってからいまいちその情欲と言うか、色欲と言うか……まぁそういう気分にならなくなっていた。何というか、『自分の身体』や『同性の身体』を見ているそれだ。自分の身体を見て欲情するのなんて特異なナルシスト位だろうし、同性の身体を見て欲情するのは同性愛者だけだ。脳が女だから本能的な部分は女性になってしまったのだろうと僕は結論付けている。魔法だのモンスターだの出てきておいて今更理論的な結論なんて当てにならない。
とは言え他人に見られるのは恥ずかしいし、御免蒙りたいのでさっさと身だしなみを整える。
「7:14分か。ちょっと早いかな」
スリープモードに入っていたパソコンのキーボードを適当に押し、再起動させてディスプレイの右下に書いてある時間を確認する。
ここはインターネットカフェ、ネカフェとかネット喫茶とか言われるアレだ。約2畳位に仕切りで仕切られた小部屋にパソコンと大きなリクライニングチェアが一台ずつ置かれているオーソドックスな部屋だ。
運よく会員登録で身分証明の無いネットカフェを見つけたのでここ数日程このネットカフェを利用しているが、早くも元のワンルームとは言え快適だった部屋を恋しく思ってしまうのは仕方のない事だろう。
(……ニュースでも見るか)
Yで始まる有名なインターネット検索エンジンのホーム画面を開くと、いくつかのネットニュースが表示されていた。その中の一つに僕が探している事件が表示されているのに気づく。
―――ショッピングモール地下破壊事件
その文字を見て僕はため息をつきながら内容を見る。そこには不可解で超常的な破壊現象があった事と謎の死体、その死体が切裂き魔のものだと断定。容疑者死亡で書類送検された事、そして未だ新たな事が発見できない警察への批判が書かれていた。
(まぁ、科学的に考えたら有りえないもんなぁ……ゴメンナサイ)
事件の当事者……と言うか犯人として非常に申し訳なく思うが、まさか名乗り出る訳にも行かないので、警察やショッピングモールの人たち、不安を感じている近隣の人たちに心の中で謝罪しておく。
もう一度ため息をついて他のニュースをチェックしていると7:40になっていた。これ以上ネットカフェに留まるとナイトパックを超えて延長料金を払わなければいけなくなるので、僕はさっさと身支度を整え、ネットカフェを後にすることにした。
フロントでお金を払いネットカフェを後にする。一泊約1500円だ。昔はこんなの無かったしいい時代になったなぁとまるで老人の様な事を思う。
下手な所をウロウロしているとパトロール中の警察官に「学校はどうしたの?」と補導されてしまう為、なるべく人目に付かないようにしてバイトの時間まで暇をつぶす。今居るのは雑居ビルの屋上。鉄筋コンクリート造の8階建ての少し古びたビルだ。非常階段から普通に登れる為セキュリティはあってないような物である。屋上をグルッと囲う低いコンクリート製の手摺―――パラペットと言うらしい。の上に座り込み、フェンス越しに街を見下ろす。
「暇そうだな」
そう言ってふいに現れ、僕の隣に座った白く長い毛に覆われた仔犬。エランティスと名乗った喋る犬が此方を窺う。一瞬ビクッとなったけど、悔しいのでそれはおくびにも出さず、皮肉を返す。
「お前こそ。魔獣は探さなくてもいいのか?」
「心配せずとも“門”は現れてはおらぬ。今魔獣が現れる事は無い」
それは重畳……バイト前に血だらけになる事は避けたい。そこで会話が止まり、微妙な空気が二人(一人と一匹?)の間に流れる。眼下に見えるのは穏やかな街の営み。多数の車と、出勤中のサラリーマンや通学中の学生の姿が見える。どれもが平和的でとても付近に危険が迫っているだなんて頭にも無いと言った風だ。
「なぁ……」
「何だ?」
街の営みから目を離さずに僕はエランティスに尋ねる。
「僕は、次現れた魔獣に勝てるのか?」
それを聞いたエランティスがこちらを向いたような気配を感じた。そんな気がしただけかも知れないけど。
「……恐らくは。あの勇者は上位の魔獣並の力を持っていた。力が衰え、油断があったことを考慮しても汝の今の力なら中位程度の魔獣なら勝てぬ事はあるまい」
一瞬の間の後エランティスは答える。恐らくは本当の事だろう。口は上手いけど、案外嘘は苦手なのかもしれない。
「それ、上位以上には殺されるって事だよな」
「精進しろ。それしか謂えぬ。援護はあまり期待するな」
援護と言ってもこの仔犬の姿で一体何が出来るのだろうか。だけど、少しだけエランティスのその悔しそうな声色に救われた気がする。本当に僕を助けたいと思っているような気がして。
「無責任。あー、死にたくは、ないなぁ」
「この前は魔獣を倒すと即答しておったでないか。恐怖など感じておらぬと思っていたぞ」
そう言われた僕は自分の手をじっと見る。今迄の戦いを思い出すと身体が小さく震えるのが分かる。
「……怖くない訳じゃないさ。
今の僕は戸籍も身寄りもない一人だ。死ぬのは怖い。
でもそれ以上に誰にも知られず、気付かれず消えていくのが怖いんだ」
そう言ってエランティスの方を向き、小さく微笑みながら言う。
「なぁ、エランティス。見捨てないでくれよ?」
―――それはまるで、まさに今捨てられそうになっている仔犬の様な表情。寂しく、哀しく、憐れな懇願。
僕の表情を見たエランティスは一瞬だけ息を詰まらせると、舌打ちをしながら呟いた。
「……汝をティアナと同じ顔にしたのは失態だった」
「ん?」
「その様な顔で言われたら見捨てる事など到底出来ぬわ」
また悔しそうな声。でもそれは口惜しいと言うよりは照れ隠しに聞こえた。普段の高慢ちきで尊大なキャラとのギャップに思わず吹き出してしまう。
「……プッ、クククク」
「笑うな阿呆」
何とか笑いを止めようとするも、溢れ出す声が止まらない。だめだ、クク、笑ってしまう。
「いや、悪い。ククッ。まさかそんな声で言われるとは思っても無かった。フフフ」
何とか溢れ出る笑いが納まり、素直に謝っておく。また咬まれて歯型を付けられるのは御免だ。
あれ結構痛いんだ。
「くそっ、忌々しい」
エランティスはもう一度舌打ちするとそう悪態をついた。
「悪い悪い。……ずいぶん大切にしてたんだな。そのティアナって子」
「……あぁ、掛け替えのない友で、主であった」
僕の問いに答えた姿は、とても寂しそうで、とても悲しそうだった。
「……仇、討とうな」
「無論」
「この街、護ろうな」
「……無論」
―――そこで会話が途切れた。どちらも声を掛けることなく、一人と一匹は飽きもせずに街の営みをただ見下ろしていた。片方はその営みから外れ、その身に“魔”を宿し、片方はその存在が“魔”そのものである。共に眼下の暖かき営みの中に入れぬ“異物”。故に彼らはそれを羨ましくも、妬ましくも思いながら、只々見る事しかできなかった。
―――飽きる事なく。
「さて、僕はそろそろバイトに行ってくるよ」
雑居ビルの広告に付いている時計を確認するともうすぐ10:30を指そうとしていた。バイトの時間は11:00から。今向かえばちょうどいい時間には着きそうだ。
「竜胆 悠」
「ん、何?」
返事は無いと思っていたけど、意外にもエランティスは僕を呼び止めた。
「汝に会わせたい者が居る。今夜、身は空いているか?」
「空いてるけど、誰?」
「……会えば、分かる」
それだけ言うとエランティスは話は終わりとばかりに振り返り、街を眺めだした。その背中からは『もう話しかけて来るな』オーラが半端なく溢れていたので、僕はそのままバイトに向かう事にした。
会えば分かる―――?僕の知っている人なのかな。
「悠ちゃーん、こっち注文お願いー」
「はーい、少々お待ちくださーい!はい、こちら“串カツ盛り合わせ”になります」
僕の働いている定食屋は夜になると軽い居酒屋の様になる。仕事終わりのサラリーマンでそれなりの賑わいを見せており、中々に忙しい。
カウンターの方では店長は料理を作りながら、常連のお客さんがビールを飲みながら
「悠ちゃんだっけ。働き者で元気もある。礼儀正しくていい子じゃないか」
「メニューも一日で覚えてしまったし凄い子だよ、全く。ただ、ちゃんと料理名をちゃんと呼んでくれないんだが」
「……親父さん、あのメニューはないわ。元々呼んでるのは親父さんだけだ」
「面白くないかい?ヒルトンは……」
「シャーラップ。それ以上いけない。それ以上言ったら、このビールを親父さんにぶっかけないといけなくなる」
―――ビールのグラスを握る常連の手に力が入る。この店は味は良いし値段も安いのだが、店長のしょうもないメニューの名前により客足は離れ、その経営は芳しいとは言えず、知る人ぞ知る名店、近所に愛される店と言う評価を受けている。
「いやー、君可愛いねー。どうだい息子の嫁に来ないか?」
「むしろボボボ僕の嫁に!」
中年と言った具合のおじさんが、ちょうど今の僕と同じ年代の息子さんが居るのか、その嫁の座を勧めてくる。今の僕と同じ位の年齢だと結婚できませんよね!?
そしてそれに便乗してちょっと小太りの―――その、まぁ二次元に生きていそうな、何と言うか、魔法が使えそうな青年……中年?の男性がプロポーズをしてくる。
「アハハ、通報しますよ。切実に。それよりビールが減っている様ですがお飲み物はいかが致しましょうか?」
「んー、と。ひとふた……生3つで」
「はい、すぐお持ちしますー」
僕はそのプロポーズを流すと共に1/6に減ったジョッキを見ておかわりを勧める。こう言った絡んでくるお客さんはこうやって流すといい―――と言うのは学生時代の居酒屋で一緒に働いていた先輩の談だ。
新たにオーダーを取った僕はビールを汲みにドリンクサーバーへの方へと戦略的撤退を図る。三十六計逃げるにしかずだ。
「竜胆。そのビール作ったら上がれ。そろそろ時間だ」
「あ、はい。分かりました!」
時計を見ると針はもうすぐ夜の10:00を指そうとしていた。エランティスの約束は時間も場所も指定していなかったけど、多分あいつの事だ、またひょっこり現れて来るだろう―――と言う謎の信頼をしているので、あまり心配はしていなかったりもする。
「先に上がります!お疲れ様でしたー!」
「あー、あの可愛い子あがっちゃった……」
「ハハハ、確かに可愛いとはいえちっこ過ぎるだろ」
「ってか先輩が言うとシャレになんねーっすよ」
「ぼぼぼボクは本気で……」
―――先ほど悠がオーダーを取ったテーブルでは、いまだに悠の話題で占められていた。この様な綺麗とは言えない定食屋―――この時間帯はほぼ居酒屋と化しているが―――に居た目を見張るような美少女だ。話題にならない方が珍しいとも言える。とは言えここで酒を飲める年代で、悠と同じ年代の少女に手を出せば、もれなく手が後ろに回る事になるだろうが。
ガチャン
―――やや乱暴にビールが3つ、テーブルに置かれる。そのビールを置いた主を見上げると其処には笑顔の店長が立っていた。ただし、その笑顔を見てそのテーブルの人間は全員身を竦ませることに為る。
―――その顔は笑顔だが、眼が笑ってはいない。そして背後からチリチリとしたまるで悪鬼羅刹の如くの気配を立ていた。
「へい、お待ちぃ!あと、お客さん……」
―――店長は先ほど悠を嫁にと叫んだ小太りの客の肩に手をのせると更にニッコリと微笑んだ。それはまるで獣が牙をむくその姿に酷似しており、その笑顔を見てその小太りの青年は思ったと言う。
(笑うという行為は本来攻撃的なものであり―――)
「当店はナンパ禁止でございます」
「は、ハハハイイイイィ!!」
「あれは親ばか……って言うのかね?」
「……店長馬鹿?」




