第十話
仔犬に連れられて辿り着いた場所はショッピングモールの地下駐車場。時刻は夜0時。辺りはシンと静まり返り、虫の鳴く音すら聞こえない。昼の間の喧騒や、車のエンジン音が嘘のような静けさだ。最近、夜な夜な若者が忍び込み、飲酒や落書きといった悪さをしている噂があり、一般の人は近付かない場所だった。
「おい……話が違うじゃないか……」
「何の事だ?我は何も嘘など吐いておらぬ」
「だって……あれ、普通の、人間じゃないか!」
仔犬が異界の産物と呼んだものは、その広い駐車場の真ん中に立つ、何処にでも居そうなごく普通の10代から20代の青年だった。すこし離れているので詳しい体格は分からないが、ニュースで言う様な大掛かりな犯罪をおかせる様には見えない。
「たかが人と侮るなよ。魔術で身体能力を強化しておる。魔法も使わずに近寄れば、瞬きの間に首を刎ねられるぞ」
「ちょっと話して来るだけだ」
「待て、おい!・・・・・・全く」
仔犬はそのまま向かう僕を慌てて注意するが、無視して向かうと呆れた様に溜息をついて、アッサリと引き止めるのを諦めた。
仔犬が切り裂き魔だと言う青年の前に立つ。相手も気付き、こちらを注意深く観察している。
背の丈は170センチ中盤、体格は普通に見える。やや筋肉質か。体格だけならば150センチに満たない10代半ばの少女の身体では手も足も出ないだろう。顔はびっくりする程のイケメンでは無いが、パーツは整っていて、それなりに見える。髪がボサボサで陰鬱げな雰囲気を感じるが、見方を変えればクールとも言える。ただ、その目だけが異常だった。この世の全ての絶望を見たかの様に昏く濁っているが、その瞳の奥は獲物を狙う飢えた野獣の様に爛々と輝いていた。
見覚えがあり、少し記憶を探ると、前に駅でホスト擬きに絡まれた時に助けようとしてくれたお節介青年だと思い出す。多少記憶は薄れているが、あの時はもっと柔和で優しそうな人物だったと思う。
意を決して青年に尋ねた。
「お前が、『切裂き魔』か?」
「……その呼ばれ方は本意では無いね。そうだね、勇者とでも呼んでくれよ」
「は?勇者?薬でもやってるのか?」
てっきり否定されると思っていたけど、帰って来たのは肯定。それも自分を勇者と呼べというオマケ付き。正直マトモな精神は期待はしていなかったけれど、これは予想に輪を掛けてぶっ飛んでいる。マトモな事は聞き出せないかもしれないけど、一応動機を問い詰めてみる。
「なんで、何で人殺しなんてしてるんだ。恨みでも、あるのか?あいつが、恨まれる事なんてするとは思えない」
「復讐、かい?やめておいた方がいい。僕が殺してきたのは皆悪人だ。そんなゴミの為に復讐なんて」
「っ!!あいつが!あいつが何したってんだ!良い奴だったんだぞ!お人好しで、お節介で!こんな、得体もしれない僕を、友達って、言ってくれて……!」
「悪人にも友人くらい居るだろう?だからと言って悪事が許されるはずがない」
その言葉を聞いて頭にカッと血が登る。
「ふざけんな!あいつが悪事なんてするわけないだろ」
「悪人以外を殺すのは不本意だけど。降りかかる火の粉は、払わないとな。これも正義の為だ」
「何が正義だ。人殺しに正義も何もあるか!」
決めた!こいつは叩き潰す!人間相手にあの熊の化物をつぶした魔法を使うのは気が引けていたが、こいつは罪悪感を全く感じていない事がわかった。寧ろ自分は正義だと、良い事をしているのだと。このまま放っておいたら、また新しい被害者が生まれるだろう。それに何より、僕の友達を殺されて当然の悪人と断じた事は、殺した事は、絶対に!赦さない!
「おい、犬!あの呪文みたいなの唱えたら魔法みたいなの使えるんだろ!?」
「なんだ?汝、まだ覚えておらぬのか!?」
「いいから!説教は後で聞く!」
「全く……」
渋々といった様子で詠唱を始めた仔犬に追従するように唱える。一度聞いただけで覚えられるほど記憶力は良くないし、そもそも前に聞いたのは一週間前だ。覚えているはずがない。
『―――我は触れられざるもの』
『嗚呼寄るな触るな近づくな。あの日の慟哭は彼方へ』
『此処は汝等の触れてよい夢に非ず』
『故に―――――誰我接触不叶』
詠唱が完了すると同時に、黒い霞のような、布のようなものが僕の体に絡みつく。数瞬遅れてそれはマントのような姿になった。そして、前回と同様に頭の中に感情が流れ込んでくる。頭が割れるように痛いが、何とか我慢できるくらいだ。心構えがある分、前回よりだいぶマシだった。
切裂き魔の方を見ると、唖然として口を開けながら呆けていた。まぁ殺人鬼相手にいきなり中二病全開な詠唱を唱えたり、マントが飛び出る手品をする女子学生が居たら誰でもそうなるか。と思っていたが、次の言葉を聞いてそれが間違いだと気づく。
「……お前、魔女か?魔女なのか?」
「は?魔女?」
いきなり変な事を言い出したり、急にマントのような黒い布のようなものが発生したことにはまったく触れず、切裂き魔は全く別の事に驚愕しているようだった。
「まさか!まさか“こっちの世界”に魔女が居るなんて!なんて僥倖だ!なんて奇跡だ!
ハハ……ハハハ……ハーッハハハハハハハハハ!!!!」
「なんだよ、お前……急に笑い出しやがって」
急に笑い出した勇者に少々飲まれかけながらも、気持ちを引き締める。……が、次の勇者の笑みを見てそんな気持ちが揺らぐ。その顔を染め上げていたのは、歓喜。愉悦。欣幸。嬉しくて嬉しくて仕方無いという表情。病的なまでに染め上げられた喜悦の表情は、見るものに対して底知れぬ恐怖を与えるものだと言う事を初めて知った。
「あぁ、あぁ、素晴らしいよ。なぁ、君、悪いな。逃がす訳にはいかなくなったよ。魔女の死骸は膨大な魔力になる。それさえあれば僕はもう一度“あっち”へ行けるかもしれないんだ」
切り裂き魔は意味の分からないことを呟やき、幽鬼のように揺らめきながら肩に掛けていたバットケースから何処から入手したのか日本刀を取り出しす。その顔に満面の笑みを浮かべて。まるでとっておきのおもちゃを与えられた子供のような無邪気さだった。無邪気に、純粋に、言葉ほどの罪悪感を感じている様子もなく。
僕は、その雰囲気に飲まれない様に、気合を入れる為に叫んだ。
「何が勇者だ!あいつの仇を討つんだ!叩きのめしてやるよ、切裂き魔!!」
「君には悪いが……僕の願いの為に死んでくれ、異界の魔女」
「ぶっ……つぶれろおおおぉぉぉぉ!」
叫びながら心の何処かに力を込める。やり方は前回理解できた。これがどういう力かも。
ありとあらゆるものを弾き、吹き飛ばし、押し潰す―――見えない圧力を叩きつける力。それがこの『魔法』だ。
不可視の圧力は切り裂き魔に向かい、そして、まるでそれが見えているかのようにかわされ、少し離れたコンクリートの太い柱をひしゃげさせるに終わった。
「なっ、かわされた!?って消え……!?」
見えない圧力をどうやって!?混乱する僕の視界から一瞬で切り裂き魔の姿が消え去った。まるで最初からいなかった様に。一瞬遅れて僕の真後ろからガキィンという金属音が真後ろから聞こえた。
「……硬いな」
あわてて振り返ると、つぶやく切り裂き魔の顔が数十センチの所まで迫っていた。そして、僕の首を刎ねようと振るわれた刀も。幸い刀の方は僕の魔法によって弾かれてはいたが。
「ひっ」
どうやら命に係わる攻撃は自動で弾いてくれるらしい。そうでなければ今頃僕の首と躰はさよならしていたところだ。その事を理解が及ぶと底知れぬ恐怖が沸いてきた。慌てて魔法で切り裂き魔を弾き飛ばそうとするも、魔法が放たれる時には既に距離を取られ、あっさりとかわされてしまった。もしかしてこいつ、無茶苦茶強い……?
「さて、魔法を展開するのも楽じゃないだろう。いつまで保てるかな?」
そうニヤリと笑う表情はとても楽しそうで、とてもこれから人を殺そうとする人間の表情には見えなかった。あれは殺人鬼なんかじゃない……あれじゃあ―――
「……化け、もの」
(……いかんな。予想以上にあの人間、手練れだ。勇者か。些か狂人の戯れと断じる訳にもいかぬようだ。……このままでは、殺されるか。しかし―――)
―――全体を見渡せるよう、少し離れた位置に座りながら仔犬の姿の魔獣は思案する。彼には気になっている事があった。前回、熊の魔獣の最初の一撃を弾いた魔法。
(今の様な垂れ流しの幼稚な魔法とは比べるのも烏滸がましい……直撃の寸前にその接触面にのみ発生させた斥力。効率的に、効果的に展開された魔法。一朝一夕どころではない。何年も何十年も掛けて練り上げられた練達の技術が無ければ成し得ぬものであった)
―――もし、それが“彼女”の片鱗ならば。
(……確かめてみるか)
―――例えそれによって悠を失う事になろうとも。
―――彼にとって悠は無限では無いが無数の一つ、使い捨ての実験体に過ぎない。つまり、悠は格上の相手に単独で勝たねばならないと言う事であった。尤も悠自身も仔犬の姿に過ぎない相手を戦力として期待などはしていなかったが。
「ハッ……ハッ……ハァッ……ハァッ……ハーッ……」
荒い息を整えながら、あいつを睨む。攻撃手段なんて思いつく限り試してみた。その総てはあっさりといなされ、対処されてしまう。壁際や何かに追い詰めようにも逆に回り込まれ、掴もうと近寄ってもあっさり距離を取られてしまう。正直言って打つ手無しだ。相手の斬撃がこちらに届かないだけまだましだけど、段々と頭痛が激しくなってきている。一体あと何分耐えれるだろうか。もし、頭痛に耐え切れなくなって気絶してしまった時は――― 再び襲ってきた死の恐怖と焦りで僕の攻撃は単調になり、余計に余裕をもって対処されてしまう。なんて悪循環だ。これじゃあ……
「……ッ!」
瞬きをする合間に接近してきた勇者が斬撃を放つ。今までと同じ様な一撃。首をただ、決定的に違っていたのは、今まで空気の壁に押し戻されるように弾かれていた斬撃は、一瞬の抵抗の後、まるで竹を割ったように僕の首に向かって迫ってきていた。
(……え?)
間に合わない。何が起こったか理解する間も無い。全てが手遅れすぎた。その一撃は確実に残酷に無慈悲に僕の首を刎ね飛ばす一撃だった。
バトル回難しい