それが私のお姫様よー
「エルンハイム家は、この東大陸において最も伝統ある由緒正しき家柄である」
お父様はいつも、厳格な口調でそう仰るの。
だから私たち家族も、その名に恥じないような行動や態度を取りなさいって。
もちろん、相応しい教養や品格だって身につけなきゃダメ。
物心ついた時からずーっと、そう言い聞かされて育ってきたわ。
東大陸で王宮に一番近い場所にあるのが、私のおうちなの。
三百年以上も前に建てられたお屋敷だから、正直言ってデザインはちょっと古臭いかなって思う時もあるんだけどね。
でも、時々改築? それとも改修? とにかくきちんとお手入れされているから、古くてもすっごく立派なのよ。なんだかんだ言って、私自身はこのお家をけっこう気に入ってるわ。
最近の新しい建物には絶対にないような、なんというか……『渋さ』みたいなものが感じられて、そこがすごくいいなって思ってるの。
いま私は、そんなお屋敷の広いお庭を一人でお散歩しているところ。
庭師のヨハンがいつも綺麗にお手入れしてくれているこの場所も、私のお気に入りなの。気分が落ち込んだ時は、決まってここに一人で来ることにしてるんだ。
「……もう秋ね。この格好、ちょっと寒すぎたかも...」
思わずぽつりと呟いてしまうくらい、東大陸の秋は冷え込むわ。
でも、お父様におねだりして買っていただいた、この白と青のワンピース、私の一番のお気に入りなのよ。
上着は清潔感のある純白の生地で仕立てられていて、胸元には上品な深青色のリボンがちょこんとあしらわれているの。
スカート部分は美しい鮮やかな青色で、繊細な白いフリルやレースがたっぷり使われていて、歩くたびにふわっと優雅に揺れるのがすっごく素敵なのよ。
袖もふんわりとした形になっていて、エルンハイム家の品格を保ちつつも、しっかり可愛らしさが出ているデザインなの。
お父様からは「少し華美ではないか」なんて眉をひそめられちゃったけれど、こんなに可愛い服を着ないなんて勿体なさすぎるじゃない?
冷たい秋風にスカートの裾を揺らしながら、私はお気に入りの衣服の裾を少しだけ持ち上げて、一人で誇らしく微笑んだわ。
身をすくめるようにして、自分で自分の肩をぎゅっと抱きかかえながら歩を進めていく。
色づき始めた木々の葉が、冷たい風に揺れてサラサラと心地よい音を立てていたわ。石畳の小道の脇には、深みのある紅色の秋バラや、小さく可憐な白い小花たちが満開を迎えていて、ほのかに甘い澄んだ香りが鼻腔をくすぐるの。
落ち葉の一枚まで綺麗に清掃されたお庭は、どこを切り取ってもまるで一幅の絵画のよう。色鮮やかなお花たちと、古風なお屋敷の渋い佇まいが見事に調和していて、眺めているだけで冷えた心が少しだけ温かくなる気がするの。
そこから小道を折れてしばらく行くと、見知った背中が見えてきたわ。庭師のヨハンが、ハサミを手に真剣な眼差しで草木のお世話をしているところだった。
足音を立てないようにそっと近付いていき、後ろから勢いよくその広い腰に抱きついてみたの。
「ヨハン! びっくりした!?」
自信満々で声を上げたのに、ヨハンったらちっともびっくりしないのよ。
大きな体をゆっくりと振り向かせると、
「これはこれは、姫様」
なんて言いながら、髭もじゃの顔をくしゃっとさせて笑うだけ。
もう、いっつもそうなの。全然びっくりしてくれないんだから。
ほんとつまらないわ。いつか絶対に飛び上がるくらい驚かせてやるんだから。
「姫様、またそんな悪戯をされて……。お召し物が汚れてしまいますよ」
ヨハンは苦笑しながら、大きな手で私の頭をぽんぽんと撫でた。
「汚れたって平気よ。それよりヨハン、どうしてすぐ私だって分かっちゃうの? 今日は足音だって立てないように気をつけていたのに」
私がむっと頬を膨らませると、ヨハンは髭を擦りながら目元を優しく和ませた。
「姫様の気配と、足運びのリズムは、どんなに忍び足になられても隠せませんからな」
「もう……そういう問題じゃないのに」
ふと一陣の冷たい秋風が吹き抜け、私は思わず肩を縮こませて身震いをした。それを見逃さなかったヨハンが、心配そうに眉を寄せる。
「姫様、またそんな薄着で……。何かお悩み事でもおありですか? 落ち込まれた時にここへお越しになるのは、昔からの癖ですからな」
「……別に、なんでもないわよ」
強がってみせたものの、昔から私を見守ってくれているヨハンには、全部お見通しみたい。
視線をそらしたものの、やっぱりちょっと聞いてほしくて、横目でちらりとヨハンを見たの。
ヨハンは「いつでもお聞きしますよ」と言いたげな顔で、静かに私を見つめているわ。
そんな顔をされたら、話さないわけにはいかないじゃない。
「お父様ったら、また新しい習い事を増やすって言うの……ひどいと思わない!?」
私の言葉に、ヨハンは少し驚いたような顔を見せたわ。
「今は……何を習われていましたかな?」
「今はね……」
私は両手の指を一本一本立てながら、ヨハンに教えてあげたの。
「語学でしょ、礼儀作法でしょ、歴史と、地理と、経済と、政治と、社交術に音楽、それから乗馬まで!ほかにもたっくさん!」
とてもじゃないけれど、両手の指だけじゃ数えきれないわ。
私はお手上げだと言わんばかりに、パッと両手を大きく広げて見せたの。
ヨハンは顎髭を手で撫でながら、困ったように眉を寄せたわ。あれは考え込む時のヨハンの癖よね。
「それはそれは、大変ですなぁ」
「大変なんてものじゃないのよ。死んじゃいそう」
私は肩を落とし、思わず深いため息を吐いてしまったの。
するとヨハンは、そんな私の姿を見て、困ったように目元を緩めたの。
「ですが姫様。それらはすべて、エルンハイム家の跡取りとして必要なことでございましょう?」
「それは……そうだけど」
分かってるわ。お父様がどうして私に、そこまで厳しいお稽古を強いるのかくらい。
三百年以上も続く由緒あるエルンハイム家。その一人娘である私には、どこへ出しても恥ずかしくない品格と教養が必要なのだと、幼い頃から耳にタコができるほど言われてきたもの。
だから、勉強そのものが嫌いなわけじゃないのよ。昔の歴史を紐解くのはちょっとした冒険みたいで面白いし、知らない土地の地理を聞くのだってワクワクするわ。
でも……。
「毎日毎日、部屋に閉じこもってお勉強ばっかりじゃ、息が詰まっちゃうじゃない!」
「ははは、それは確かにごもっともですな」
ヨハンは豪快に肩を揺らして笑ったわ。そのあたたかい笑い声に、私の固くなっていた心が少しだけ解けていくの。
「それに私、もっと身近な植物のことも知りたいの! ヨハンが毎日大切に育ててるお花だって、名前くらい全部覚えたいわ!」
「おや、それは庭師として誠に嬉しいお言葉ですな」
ヨハンは愛おしそうに目を細めると、すぐそばに咲く秋バラへ視線を向けたの。
「でしたら姫様、こちらの花は何という名前かご存じですかな?」
「えっ?」
私は裾を翻して、慌ててその花へ駆け寄ったわ。深い紅色の花びらが幾重にも重なって、朝露の名残を抱いた大きな秋バラ。
「……えーっと……」
顔を近づけて、じっと睨みつけるように眺めるの。見覚えはあるのよ。確かこの前、ヨハンが剪定しながら説明してくれていたはずだわ。
「……ローゼン……?」
「惜しいですな」
「じゃあ、ローゼンベルク!」
「それは人名でございますよ」
「もうっ!」
くすくす楽しそうに笑うヨハンに、私はぷっと頬を膨らませて見せたわ。だけど負けず嫌いな私は、その真っ赤な花びらをじっと見つめ直すの。
「絶対覚えて、今度こそ正解してみせるんだから……」
そんな私を、ヨハンはまるで我が子を見守るような優しい眼差しで見つめていたわ。
「姫様は昔から、一度興味を持たれたことには本当に熱心でいらっしゃいますからな」
「そうよ。だからお父様にも、もっと私の好きなことをやらせてほしいの」
「それをそのまま、旦那様に直接お伝えになってはいかがですかな?」
「……それができたら苦労しないわよ」
頭の中に、お父様のあの厳格な顔が浮かんでくるの。隙のない立ち姿に、低く響く威厳に満ちた声。
『エルンハイムの姫として、常に自覚を持ちなさい』
……うん、絶対に無理。私はぶんぶんと小さく首を振ったわ。
その時だったの。
「そういえば姫様。旦那様が今度、新しいお稽古事を増やされると仰っていたのは、何でしたかな?」
「それがね……」
思い出して、私はもう一度大きなため息を吐いたの。
「まだ詳しくは教えてくれないんだけど、今まで習ったことのないものらしいのよ」
「ほう」
「お父様が言うには、これからの私には絶対に必要なんですって」
「それは一体……」
首を傾げるヨハンを前に、私はふと、昨日の夜にお父様と交わした会話を思い出していたわ。
『今度から、剣術の稽古も始めることにした』
「…………」
「姫様?」
私はゆっくりと顔を上げたの。
「……剣術」
「はい?」
「剣術よ!」
思わず自分でもびっくりするくらい大きな声が出ちゃった。ヨハンが目を丸くして固まっているわ。
「ほう……剣術でございますか」
「そうなの!」
さっきまで死にそうなくらい落ち込んでいたのが嘘みたい。胸の奥が、熱くワクワクと脈打ち始めるのが分かったわ。
剣術。剣を使うのよね? 重たい鉄の剣を、こうやって振るかしら?
「……剣って、どんな感じなのかしら」
「姫様?」
「どのくらい重いの? 長いの? 私みたいな女の子でも振れるかしら!?」
次から次へと知りたいことが溢れ出してきて、気がつけば私はヨハンの目の前まで身を乗り出していたわ。
「ヨハン、剣って触ったことあるの!?」
「そりゃあ、私も昔は若かったですからな。多少の嗜み程度には扱えますぞ」
「本当!?」
私は思わず、ヨハンの泥で汚れた大きな両手をぎゅっと握りしめちゃった。
「ねえ、私に教えてくれない!?お願い!」
「……私がでございますか?」
「うん、お父様には内緒で!」
「ですが、私には庭仕事がたりますし...」
「朝、仕事前に、ちょっとだけでいいから!」
「...姫様」
「ねえ、お願いお願いお願いお願いお願いお願い!」
ヨハンは困り果てたように太い眉を下げるけれど、その目元には隠しきれない苦笑いが浮かんでいたわ。
「……旦那様には、絶対に内緒ですぞ」
「もちろん! 約束するわ!」
こうして私は、ついさっきまでの憂鬱なんてすっかり忘れて、瞳を輝かせていたの。
……この時の私は、まだ何も知らなかったわ。この「ちょっとだけ」という好奇心が、後々とんでもない騒動を引き起こすことになるなんて。




