出会い、変化
「!?」
「死なないで!!」
重力に任せて落ちていたはずなのに、人の声が聞こえて来たことに、さすがのクロムも驚きを隠せなかった。クロムが顎を下にすると、崖を全速力で下りながら口を大きく開けて叫んでいる。崖を走りながら落ちているせいで、叫んだ声の主の髪が逆立っていた。
走りながら片手を伸ばして、どうにかクロムを救おうとしている様子が伺える。
「とう!」
崖を走るだけでは追いつけないと感じた彼女は、崖を力強く蹴ってからクロムに飛び込んでいく。
突然の出来事過ぎて、頭が働かないクロムが瞬きをすると、彼女はクロムの間合いに入り込んでぎゅっと抱きしめる。
真っ逆さまに落ちていたはずのクロムは、彼女を受け止めたことで斜めに勢いを付けて落ちていく。
「……は、なにも考えずに抱きついてしまった」
「……」
どうやらクロムを掴んだ後のことは考えてなかったようで、彼女はクロムに抱きついたまま凍り付いた。
(さすがに、巻き込まれて死なれるのは困るな……)
自殺を謀ったわけだが、周りをぞんざいに扱っていたクロムでさえ、人助けをした彼女に死なれるのは、後味が悪いと思ったようだ。
頭から落ちていたクロムは魔法で方向を変えてゆっくりと地面に下りていく。
地面に足がついたことで、彼女はクロムを見上げる。
月明かりも届かない場所に降り立ったため、クロムには彼女の姿が見えない。
「ぬ、魔法使えるの?」
先ほどまでの大声は切羽詰まっていたから出たようで、今は棒読みのように小さい声でクロムに尋ねた。
「ああ」
「そっかー。じゃあ、なんで魔力を止めてまで飛び降りたの?」
どうやら彼女は、クロムが崖を飛び降りたところを見ていたようで、クロムの行動に疑問を感じていたようで、素直に質問する。
クロムはその疑問に即答する。
「生きる意味がない」
「そっかー。なら、暇ってこと?」
どうしたらそんな質問が来るのかと、クロムは不思議に思う。
普通、こういう場合はどうして死のうとしたのかとか、必死に自殺を止めるところなのだろうが、彼女は違った。まあ、自殺しようとした人間に対して、暇かどうかを聞くのはどうかと思うが。
「死ぬ予定だ」
クロムもクロムで、訳のわからない回答をする。
彼女はそれに対して、少し残念そうにしているのか、ガクッと首を下げた。
クロムは彼女が諦めてくれたと判断して動こうとするも
「離れろ」
「やだ」
バッと聞こえるような勢いで、彼女は再びクロムを見上げて、即答した。
「……なぜだ」
「んー……死のうとしている人をほっとくのは、寝覚めが悪いから」
「そう、か」
クロムも自分を助けに来た彼女と共に死ぬことは避けた。死んだら寝覚めもクソもないので、自殺する気分では無くなっただけ。そういう意味では、彼女の言葉に同意せざるを得なかった。
「うん。ということで、私の家に行こう」
抱きつくことをやめて、クロムの手を握りしめる彼女に待ったをかけるクロム。
「なぜだ?」
彼女は立ち止まり振り返る。
「人間、死にたくなる時は大抵一人で考えすぎてる時だって、じいじが言ってた」
「……そうか」
「うん、とりあえず、死にたくなくなるまで面倒見る」
「いや、」
「有無は言わせない。私は強いから、無理やりにでも引っ張って行く」
グッと、力を入れると、クロムよりも華奢な彼女がクロムを引きずって歩き始めた。
犯罪者でもない、ましてや女性に手を上げることなどできないクロムは、致し方なく彼女に従うことに。
クロムが動くとは思わなかった彼女は、クロムが一歩足を前に出した瞬間に、盛大にこけた。
歩いてくれるとは思わなかったようで、軽くなった際に足取りがおぼつかなくなったようだ。
「痛い」
「……大丈夫か」
「大丈夫じゃない。痛いし、疲れた。おんぶ」
「は?」
「おんぶして」
「……冗談は」
「マジ」
クロムの言葉に被せるように発言した彼女に対して、クロムはもはや諦めたような表情だ。
「……ほら」
「わーい、ありがと」
クロムはなぜだか彼女を放っておいてはいけない気がした。
このまま、本当に動かずここから離れようとしない意思を感じたのだ。まあ、クロム的には、都合がいいのだが、なぜだか放っておけないと心の中で言い訳する。
悪人は殺すに限るが、いい人間が死んでしまうのは、どうにも気持ち悪い。
クロムは仕方なく彼女の要求に応じることにしたのであった。
「そこ、右」
「ああ」
道案内の時だけ話す彼女と、それに相槌で答えるクロムの声、そして時折聞こえる魔獣の遠吠え。
クロムは魔獣の遠吠えを聞いて思い出した。そういえば、この森は危険度がかなり高い場所じゃないかと。
先ほど、彼女は自分自身を強いと言っていたが、クロムから見れば、それほど強い気配を感じなかった。自暴自棄になっていたせいなのか、彼女に敵意がなかったから気が付かなかったのか、彼女のぽんこつ部分を数回見たからなのか、クロムには見当がつかない。
先ほどの崖の場所から、数十分経った時、クロムが異変に気が付いた。
(なんだ)
歩いているだけで魔獣が襲ってくる場所だったので、常に気配を探って見つからないように歩いていたのだ。普通に歩いていたはずなのに、魔獣たちの気配が一瞬にして断たれたことに内心で驚いた。
クロムの心情を察したのか、彼女は耳元で呟く。
「結界魔法があるの。じいじが作ってくれたやつ。これで、魔獣にも人間にも見つからない」
「誰か来るのか」
「たまーに。修行しに来る人とか、訳ありの隠れたい人とか、犯罪者とか。あと、私」
「そうか」
「うん」
クロムはこういう場所に修行しに来たこともあるし、悪人がこういう場所にいたことも知っている事だ。
過去に自分が経験したことを忘れるくらいには、クロムの心は疲れ切っていた。
結界内に入って数分後、おそらく彼女の家らしき木造建ての家を発見する。
あそこでいいのかと聞くと、彼女は肯定する。
「ありがと、ここが私の家」
「そうか」
「うん、とりあえず、そのまま入って」
「鍵は?」
「私が触れれば大丈夫」
クロムに背を向けさせて、おんぶされたままドアノブを蹴ると、カチャリと扉が開く。
クロムは彼女の行動に対して、相当な面倒臭がりなんだと呆れながらも扉を開けて家に入った。
家に入ると温かいオレンジ色の光が灯る。
ピョンと身軽にクロムの背中から降りると、クロムの前に立って自己紹介を始める。
「やほ、私はキュコリル。獣人族だよ」
キュコリル。
肩まで伸びている小麦色より少し赤いふわふわ髪の女獣人。頭の横で大きいこげ茶三角型の耳がぴょこぴょこと動いている。小顔で大きなつり目の中に、オレンジ色の瞳。口も小さく、印象としては童顔な女性といったところだろうか。
童顔にも関わらず、その雰囲気は艶やさと儚さが相まって、可愛らしいというよりも美しいという言葉が似合う。華奢でありながら女性らしい柔らかさと、身長が女性の平均値より少し高いおかげで、艶やかさと美しさが際立つのだろう。
ただ、ふわふわの大きなしっぽがゆらゆらと揺れているおかげで、可愛らしさも兼ね備えている。
クロムが出会った女性の中で、上位に食い込む外見をしていた。
キュコリルは、次はお前の番だと言いたげな眼力でクロムを大きなつり目でじっと見つめる。
圧に負けたクロムは、余計なため息を吐いた後に、自己紹介をした。
「クロム、人族だ」
「うん、よろしくね、クロム」
「ああ。明日には出ていく」
クロムが出した言葉に、キュコリルは目を細めて不思議そうな表情を見せる。
「……ずっとここにいないの?」
「なぜだ?」
キュコリルの言葉に、今度はクロムが顔を顰めた。
そもそもクロムは自ら命を断とうとしただけ。運悪く、キュコリルに見られたせいで生きているだけで、彼の目的は変わっていない。
それなのに、キュコリルはまるでクロムがキュコリルの家にずっといるような会話をしている。
嚙み合わない会話に、クロムは戸惑っていた。
「死にたくなくなるまで、面倒見るって言った。もう忘れたの? 人族は生き急いでるって聞いたけど、こんなに忘れっぽいとは知らなかった」
「いや……覚えてはいるが、本気なのか?」
「もちろーん」
ガバっとクロムに抱きついて、胸にすりすりと顔を当てて、しっぽを大きく揺らしている。
何とも言えない状況に、クロムはため息をついた。
(いっそのこと、気絶させてここを出るか)
そう考えたクロムの行動は早かった。
一瞬で気を失わせられるように、腕を上げて手刀する。
「あ、ぶなーい」
「……」
抱きついていたはずのキュコリルは、素早く後ろに下がって、クロムの攻撃を余裕で避けた。
キュコリルが、自分は強いと出会い頭に言っていたことを思い出したクロムは、あの言葉が嘘ではないと実感する。
「まぁまぁ、死ぬのはいつでもできる」
「……まあ、そうだが」
「ほら、そこ座って」
先ほどよりもはやい速度で、クロムの背後を取って背中を押すキュコリル。
クロムは完全にキュコリルのペースに乗せられている。
今まで人との距離を取っていたクロムは、キュコリルのようなグイグイと距離を詰めてくる人間を知らないのだ。なにせ、今まで殺気を隠さず生きてきたせいで、人に近寄られなかったのだ。
まあ、近づいてきても、自ら突き放すような態度を取るため、誰も近寄らなかった、近寄れなかった。
要は、自業自得だ。
結局、されるがままにされたクロムは、一歩足を出す。
クロムが一歩踏み出したところで、クロムの足元からパリンと何かが割れた音が鳴った。
「まて」
「ん、まつ」
下を見れば、クロムの足元に割れた飲み物の瓶。
先ほどから気にはなっていたが、いざ周りを見てみれば、散乱した衣服にタオル、なぜか床に置いてある木製の皿、武器や防具といった装備品まで散らかり放題。
机の上には、食べ終わった皿や、木製のコップが置きっぱなし。残念ながら、食べかすも机や椅子、床に散らかり放題。
「なんだ……これは」
「私は、面倒くさがり」
「……」
掃除が面倒でしなかったといいたいのだろう。先ほどのキュコリルの行動を見れば、それは一目瞭然であった。
「大丈夫。家には清潔魔法に害虫害獣避けが付与されてる。見た目は汚いけど、臭くないし、病気になることはない」
エッヘンと、胸を張るキュコリルに対して、クロムはプルプルと震えている。
「……うじだ」
「ん?」
クロムはカッと、目を見開いて叫んだ。
「掃除だ!」
「キューン」
クロムの大声を予測してなかったキュコリルは、全身に鳥肌が立ち、耳に声がキーンと響いて、情けない声で倒れそうになる。
(なんだ、今の大声は)
倒れそうになったキュコリルを支えながら、自分からこんなにも大きな声が出ると思わなかったクロムは、自分自身でも驚いていた。
(いや、そんなことよりも掃除だ。こいつ、こんなところでよく生活できたな)
ひとまず、クロムは掃除をするべきだと思った。
確かに、魔法のおかげで病気にはならないだろうが、こんな汚い部屋で一秒でも過ごすのはクロムには耐えられなかった。逃げようにも、今のキュコリルから逃げる手段がないクロムは、この部屋で一日を過ごすしかない。
なにせ、クロムは必要最低限の物でしか生活してこなかったため、物が極端に少ないのだ。
質素だが落ち着く宿屋の部屋に慣れていたせいで、綺麗で何もない部屋が、一番落ち着く。
それに引き換え、キュコリルの家は、物が散乱しており、とてもじゃないが落ち着ける家とはいい難い。
「おい、女」
「キュコリル」
先ほどまで、クロムの大声でふらついていたはずのキュコリル。
だが、クロムが女と言うと、真面目な顔で名前で呼ぶように圧を飛ばした。
まさか、圧を飛ばされると思っていなかったクロムは、申し訳なさそうな顔をする。
人との距離を置いていたクロムにとって、キュコリルの態度は、家族のように接してくれたリゼルとクリスを思い出させた。
「……キュコリル」
「なに?」
今までほとんど表情を動かしていなかったキュコリルが見せた微笑みに、クロムは顔を背けた。
「クロム?」
「外に出ろ。掃除する」
「手伝う」
「……できるのか?」
「うん。面倒でしなかっただけ。これからはする」
「そうか」
「うん」
どうやら本当にキュコリルは掃除ができるらしく、テキパキと家の掃除を始める。
自分から掃除すると発言したクロムもまた、テキパキと家の掃除を手伝うのであった。
家は二階建てで、どうやら二階も荒れているようで、クロムはそこそこ時間が掛かりそうだなと思うが、特にいやと思うことはなかった。
今までの何をしていいか分からない状況が続くくらいなら、体を動かしていたいと思ったから。
クロムは何も考えずに、ひたすら手を動かすことにした。
考え事をしても、碌なことにならないと知っているからだ。
「……」
「……」
仲良く掃除しているのかと思いきや、必要最低限の会話のみで、あとは手を動かす二人。
「これは」
「いらない」
「こっちは」
「いる」
断捨離も得意なようで、キュコリルは必要な物と、不必要なものを瞬時に判断する。
(本当に面倒だけで、ここまで放置してきたのか)
リゼルたちと暮らしていた時も、自分の部屋を貰っていたクロム。炊事洗濯掃除を徹底して覚えさせられたので、家事全般はできる。
面倒だからやらないという選択肢は、クロムの中になかった。
なにせ、クロムにとって、強くなるために力を付けてもらっているのに、家まで貸してもらっている身だと遠慮していたから。
子供にしては達観していて、甘えることを知らないクロムは、やることはやるが身についていたのだ。
「部屋がきれい」
「良かったな」
「雑巾がけもしていい?」
「ああ」
「ここまでやると、徹底的にしたい」
「いいぞ」
クロムは水を溜めるために、木のバケツを持つと、キュコリルに声をかけられる。
「そうだ。私は夜行性だから夜が元気。クロムは人間だから眠くなったら勝手に寝てね」
「ああ」
今のクロムはほとんど眠ることができないでいる。
どんなに寝ようと頑張っても、体を動かさなかったせいで疲れていないから眠れないと本人は思っていた。
残念ながら、それは違う。
クロムは不眠症に陥っている。
復讐を終えて、どう生きればいいのか、なぜ生きているのか、これからどうするのか、何もしたくないと、考え事が尽きないせいで、眠ることができなくなっていたのだ。
(まだ眠くないのかな?)
夜行性のキュコリルは、手を止めずに掃除を続けているクロムを横目で確認していた。
魔物や魔獣と戦うよりは楽だとは思うが、人間だから普通は眠くなるはずだと考えている。
(……お酒も飲んでたのに。大丈夫かな、体)
顔色が悪いクロムを見て、キュコリルはやはり心配になる。
(やけに視線を感じるな……)
キュコリルの視線に、クロムはもちろん気が付いている。
クロムがキュコリルから感じる視線は、クロムが熱を出したときにリゼルやクリスが看病していた時の視線に似ているなと、過去を思い出す。
周りの人間から感じる視線の多くは恐怖で、他にも哀れみや、嫉妬の視線もあった。
しかし、嫌な気分にならない視線は、リゼルやクリス、クリスのパーティーメンバーを除いて、キュコリルが初めてだ。
(……赤の他人をここまで心配できるとはな。心が綺麗な証拠だろう)
クロムは自分でそう結論付けて、キュコリルの視線を無視して動き続けた。
(気付いているのに反応なし。今は、そっとしておこう)
キュコリルは、クロムが自分の視線を無視していることに気が付いていた。
きっと、今は喋りたくないんだなと察して、こちらも手を動かし続けるのであった。
とことん掃除をしていた二人は、どれくらい時間が経っているか知らない。
ある程度、全部屋を綺麗にできたと感じた2人は、ベッドのシーツを洗って外に出そうとして気が付いた。
「ん、太陽出てきそう」
薄い夜空が消えかかり、空には赤い光が差し込んできたことで、空が水色に染まり始める。
「……朝焼けか」
どうやら、2人は夜から朝焼けになるまで動いていたようだ。
それだけ部屋が汚れていたということなのだが、ある程度で終わらせず、細かいところまで徹底的に掃除をしてたようで、どうやらキュコリルはやる時はとことんやる性分なんだなと、クロムは思っていた。
「シーツや洗濯ものを干せば終わりか」
「うん。そろそろ眠くなるし、ぱっぱとやろ」
「そうだな」
朝焼けに見守られながら、完全に太陽が顔を出す前に、2人はたくさんの洗濯物を干し終えた。
「うん、よき」
綺麗に並べられた洗濯物に、埃や塵一つない清潔な部屋。
そして、お日様の光。
「心がスーッとするね、掃除」
「そう……だな」
掃除を終えると、クロムはどこか心が軽くなったように思えた。
復讐相手を散々痛めつけて悲鳴を上げさせて、無様な姿を見たところで心は一切晴れなかったのに。
先ほど出会ったばかりのキュコリルの部屋を綺麗にしただけで、達成感を得られたクロム。
さーっと、風が流れる。
クロムは、日の出を祝う穏やかな風を浴びる。
掃除で体を動かし温まった体に、少し冷たい風と空気を吸い込んで、満足気な息がこぼれた。




