(1-4)前提条件:ユニット「輝戦スペクトル」に加入している事
美赤が藍音と戦闘を始めた。ただ藍音は宣言通りターゲット・クリスタルこと、クリスタルを守ることに専念しているようで、中々その場から動かない。橙流は今一度木々の裏に身を隠し、クリスタルの裏側へと静かに移動し始めた。藍音はクリスタルに背を向けている上、美赤を相手にしているので、裏側から狙えばそこまで苦戦せずともクリスタルを破壊できるはずなのだ。万一藍音が橙流の方に向かってきても、美赤がクリスタルを破壊すれば勝負はつく、ぬかりの無い作戦だった。
やがて橙流は藍音の背中で浮遊しているクリスタルの姿を捉えた。クリスタルは上手い具合に三方向を木々に囲まれているので、その隙間を狙って撃つ必要がある。本体は40cm程の大きさで、六角柱の上下に六角錐をつけた、よくある“クリスタル”のイメージそのままだ。
「あぁーそうだ! 先に忠告しておくけど、クリスタルより後ろに進む事は出来ないから注意しろよん!」
すると、藍音は美赤に、と言うよりかは、今まさにクリスタルと並ぶ位置にいる橙流に向かってだろう、わざとらしく言い放った。橙流はどう言う事かと藍音の様子を伺おうとして、
「……そ、それってどういう事ですか!?」
美赤も橙流と同じ事を考えていたのだろう、突然の禁止宣言に思わず聞き返していた。
「そーのままの意味さぁ、後ろに回って一撃、とかは出来ないってこと。やってみても良いけど……」
マップ上では特に進入禁止(と思われる)表示は無い。本当なのかどうか確かめようと一歩を踏み出そうとして、
「……死にたくない、でしょ?」
茂みの向こうで楽しそうに話す藍音の声のトーンが、落ちた。
……橙流は、その一歩を進める事が出来なかった。
藍音の警告を受け入れ橙流は後ろに回り込むのは止めて、別の場所で狙撃できる場所を探すため木の間を縫うように進む。木の上に登れば狙撃もしやすいのだろうが、悔しい事に、枝までの高さがある上に木肌が割と滑らかなその木に登るだけの腕力は橙流には無かった。仕方なく平地でクリスタルが見える位置を探すと、運良くクリスタルを十分狙える場所を見つける事が出来た。全体像ははっきりとは見えないが、この位置ならば藍音がハンマーを振る際クリスタルの上部が見える。美赤に当たる事も無い。橙流は銃を構えた。
(今!)
橙流は藍音の動きをじっくり観察し、攻撃の体制に移った瞬間引き金を引いた。弾丸は藍音の背後を通過しクリスタルの上部ギリギリを貫通したが、罅が入るだけで破壊までには至らなかった。
「ナイスショット! でもクリスタルはそう簡単に壊れないんだなー、特に遠距離攻撃ではねぇ。狙撃で壊したければ“コア”を狙って一撃でやるのが一番さぁ!」
藍音は美赤の相手をしつつ再び橙流に向かって言った。始めは気まぐれにヒントを教えてくれているのかと思ったが、この一言でそうではないと言う事を確信した。藍音は単にミッションの障害役を担っているだけではなく、美赤と橙流の実力を見ているのだ。つまりこれが、テストの内容。……が、そこまで考えて、そもそも美赤と自分では前提が違っている事に気がついた。
(違う……テストを受けているのは、私、だけだ)
美赤は本来、テストを受ける必要は無いのだ。姉が既に同じユニットに加入している上、姉自ら迎えに来ているほどだ、姉が美赤の事を歓迎しているのは明白の事実。ただ、自分は違う。
恐らく橙流に対しては、一撃で標的を正確に撃ち抜けるかと言う課題が与えられている。故にこのクリスタルは、絶対に橙流が破壊しなければならないのだ。
(しっかり、しなきゃ)
橙流は今一度クリスタルに向かい目を凝らすと、クリスタルの中心に直径5cmほどの赤い球が浮いているのが一瞬見えた。あれだ、あれが藍音の言っていたコア、だ。しかしコアは殆どが美赤か藍音の身体で隠れてしまい、先ほど以上に射程を合わせる事が出来ない。けれどあまり慎重になりすぎては藍音の相手をしている美赤に負担がかかってしまい、だからと言って勢いに任せてしまっては美赤か藍音に弾を当ててしまう危険性が高くなる。
(もし、失敗したら……)
感じた事の無い緊張とプレッシャーで、橙流の思考に雑念が混じり始める。今はそんな事を考えている場合ではないと追い払おうとするのだが、一度入り込まれてしまうと嫌な想像は簡単には止まらない。
(私、また一人ぼっちになっちゃうかも、しれない……)
折角声をかけてくれたのに。不安と恐怖で押しつぶされそうになっていた私に、手を差し伸べてくれたのに。もっと美赤の事を知って、仲良くなって、たくさんお礼がしたいのに。
(それは……やだ、よ……)
出会ってまだ二日なのに失う事を恐れるこの気持ちは依存なのだろうか。自分の中でまだその正体はわからない。けれど、今は縋ってでも“自分の居場所”が欲しかった。上澄みの意識は誰かと一緒にいる事を嫌がり、声を出す事を拒むけれど、本当は誰かと一緒にいたいし、他愛もないお喋りを何時間もしたい。もう一人は、嫌だ。
「だめ、泣くのは、早い」
……まだ始まって二日なのにこんなネガティブな事を考えていたら駄目だ。橙流は浮かんだ涙や負の感情を振り払うように首を振り、再度標的を見据えた。
(必ず、撃ち抜くっ……!)
と、劣勢に立たされた美赤がバックステップ、藍音との間合いを一旦取ろうとする。
(あ……)
橙流は目を見開いた。藍音が美赤の着地点に向けて、ハンマーを槍のように水平に構えたのだ! この後藍音は突くために一歩踏み込み、姿勢を低くするはずだ、その奥には……コアがある!
(見えたっ……!)
その瞬間、橙流は引き金を引いた。藍音が追撃の姿勢を見せた時、橙流にはコアを撃ち抜く為の弾道が見えたのだ。直後、橙流が直感した通り、藍音がまるで橙流の銃弾を避けるように前かがみになり、そして――
その背中に守られていたコアを、銃弾が一直線に貫いた。
「……!」
ごとりとクリスタルが地面に落ち、眩い光を放った。視界を真っ白に染め上げる輝きに目を瞑り、光が収まるのを待つ。やがて景色が元に戻ったので、本当に撃ち抜けたのか確認する為橙流は茂みを飛び出すと、先ほどまでの邪な笑みはどこにやら、潔いまでに爽やかな笑顔の藍音と目が合った。
「いやあ、流石セクションオレンジ! 素晴らしい狙撃に惚れ惚れだよ!」
藍音の拍手と言葉が自分への称賛なのだと気付いた時、そこでようやく橙流の目が歓喜に見開かれる。
「ってな訳でー二人の勝ちにして大合格ーっ!! 輝戦スペクトルに仲間入りできる権利を喜んで進ぜよーう!」
藍音は、そう高らかに宣言した。
その瞬間――銃声と共に一筋の光がクリスタルの中心を貫いた瞬間、クリスタルがまるでミッションの終了を知らせるかのように輝き――……藍音の宣言で我に返った美赤は、真っ先に橙流に抱きついた。
「やったー!! 橙流、凄いよ、凄いよー!!」
「あぁあ、ありがとう、ありが、と、美赤……!」
橙流は嬉しさかはたまた緊張からの解放か、ぽろぽろと泣き出してしまう。そんな橙流の背を撫でながら、美赤も感慨深く橙流の鮮やかなショットを脳内で何度も呼び起こしていた。
「いやー、良かったよかった。二人とも凄かったぞー」
すると、藍音が二人の頭をわしゃわしゃと撫でた。ビックリして、互いに藍音を振り返った。
「星見先輩!?」
「ほ、星見先輩っ」
橙流の瞳から零れる涙を見て、やれやれと大きなため息をつく藍音。
「もぉーねー、いくらテストとは言えね、あんまりにも優しくてか弱い子だから虐めるのちょっと辛かったわー」
ごめんね、と言って藍音は橙流の涙を指でぬぐった。
「え?」
「ほら、あたしを殺せ殺せーって言ってただろー? これが、ウチのユニットの“加入テスト”だったんだよ」
「……!」
「何しろウチのユニット、成功判定に関連する以外の殺しは禁止って言うローカルルールがあるからさ、積極的に殺りに来られちゃうと困る訳さ」
藍音が言っていた“輝戦スペクトル加入テスト”の全貌が明かされていく。
「美赤チャンは美黄サンの妹さんだし大丈夫だろうとは思ってたけど、殺ろう橙流! だなんて持ちかけたらどうしようかなーって思ってたり、橙流チャンは優しそうだから大丈夫だとは思ってたけど、わかりました殺らせて頂きますーとか言われちゃったらどうしようーとか思ってたあよ」
――その発言で全てが理解できた。だから藍音はあの時、あんな執拗なまでに殺せと橙流に迫っていたのだ。それは橙流を追いこむと言うよりかは、美赤・橙流双方からの「拒否」を待っていたと言う事になる。……その手法は少々やり過ぎだとは思ったが、藍音自身も結構心を痛めていたようなので言及はしない事にした。単純に聞くと咄嗟に嘘をつかれる可能性もあるから、ああして緊迫した状況を作り出して本性を出しやすくしていたのだろう。1セクション一人と言う限られた枠の中で、ミスマッチを防ぐために。
「でもやっぱ見込み通り、美赤チャンはぶった切ってくれてNOを突き付けてくれたし、橙流チャンもずっとNOって言ってくれてたし、良かったーよ」
そう言って藍音はVサイン。つまり、あの煽りの数々は藍音の本心では無いと言う事だ。その事に美赤はかなり安堵した。
「ちなみにテストはそれだけーだから、仮にクリスタルの破壊が失敗しても、それこそあたしが死んじゃったとしても大丈夫だったよん。厳密にはルール違反だけど、故意にやった訳じゃないかーらね」
技術は磨いていけばいいからねー、と藍音はウインク。が、その言葉に橙流が硬直した。恐らく橙流は命中させることまでテストだと思い込んでいたのだろう。実際、美赤もそう思っていた。
「え、ええ……?」
橙流はそこで完全に力が抜けてしまったのか、がくん、と座り込んでしまった。あはは、ごめんごめんと今度は軽いノリで謝りつつ、藍音は橙流の頭をぽんぽんと叩いた。
「いやー、美赤チャンとの一戦、楽しかった! 次は全力での手合わせお願いしたいもんだねい」
次いで、藍音は美赤の肩をぱしぱしと叩く。一戦交えていたはずなのにまだまだ元気そうだった。
「う、え、遠慮します……」
反面美赤は体力の限界だった。一撃加えられる、だなんて考えていた自分が恥ずかしいほどに防戦一方だった。本来の役割からして藍音が防戦のはずなのに、藍音はクリスタルに配慮しつつも美赤を射程範囲外にする為に的確に追い込んできたのだ。その気迫に美赤は完全に圧されていたのだ……。
「あー、そうだ」
と、何かを思い出したようにぽんと手を叩く藍音。少し荒っぽさの残る、ボーイッシュな髪型に似合う笑顔を二人に向ける。
「さっきー、背後には回れないって言ったけど、あれウソなっ」
「えっ……?」
その素敵な笑顔のままによくわからない事を言われ、美赤は頭をあのハンマーで殴られたかのような衝撃を感じた。
「ハーッタリだよ、ハッタリ! 実際は何にも罠は無かったよん」
つまり、藍音のあの一言で美赤も橙流もすっかり騙され、自ら難易度の高い戦いをしていたと言う事に……。
「えぇー!! な、なんでそんなウソつくんですか!?」
「そりゃあ、そうやすやすとクリアさせちゃあ面白く無いじゃーん! でも流石にあたし一人で全方面守るのはムリだから、出来ないよって先に言う事でお二人の行動を制限させてもらったのさっ」
ふふふん、と得意げにふんぞり返る藍音。こんな事先輩に対して思うのはいけないと思っているのだが、してやったり! な笑顔が少しだけ憎い。
「戦略の一つ、です、か……」
項垂れる橙流に、ぐっと親指を上に向けてポーズを取る藍音。その軽快さは、ぴんぽーん、と擬音が鳴っていてもおかしく無い。
「そのとぉーり! こう言う“演技”も出来ると思いがけないときに役に立つかもしれないね! 何しろVTはデジタルの集合体、コンピューター大集合! ってな感じだからさ」
「デジタルの集合体、ですか?」
その場合は寧ろ演技しても簡単に嘘だと見抜かれるのでは? そう美赤は思ったのだが、藍音は詳しく説明する気は無いらしく、ひらひらと手を振った。
「その内わかるさ、その内ね。さー、ログアウトするぞーい。やぁーりかたはー……」
そう言った直後藍音の姿が消えたのだから、美赤と橙流は二人して硬直した。
「さ、先に行っちゃった……!?」
「え、っ……?」
恐らくだが、やり方を教えようとして、うっかりログアウトを実行してしまったようだ。
「ど、どうしよう美赤、わ、私、やり方、わからない、よ……!」
「と、とりあえず生徒手帳見てみよう、きっとやり方があるはず……!!」
美赤と橙流はログアウトコマンドを探すために生徒手帳を開き、四苦八苦の末、どうにかログアウトする事が出来た。ログアウトボタンを押した後、ログインの時と同じような光景を脳裏に見た。
どこかで聞いたような音楽が聞こえてふっ、と目を覚ますと、灰色が一面に飛び込んできた。寝起きと同じような心持で、美赤はゆっくりと辺りの状況を確認する。先ほど自分はミッションを終え、V-フィールドからログアウトした。と言う事は、ここは例のカプセルの中だ。映像が映されていないが、音楽がログインの時と同じだ。それと、ログイン時は立ったままだったが、今は横たわっていた。いつの間にかカプセルは寝姿勢になっていたようだ。無機質な灰色を一通り確認したところでヘッドセットに手を伸ばす。特に何も言われないのでそのまま外すと、
『セッションの切断を確認 カプセルを再起動します』
そのアナウンスのままカプセルがゆっくりと起き上がって行き、ログインの時と同じ姿勢になった。
『再起動は正常に完了しました 生徒手帳を取り出して下さい』
カードのように壁から少し飛び出てきた生徒手帳を取ると蓋が開き、また、例の映像も再び流れるようになった。
カプセルの向こうで扉が開いていき、生徒達の声が聞こえてくる――美赤はカプセルから出て、日常へと戻って行った。
ゲートを出ると、待ち構えていたように美黄が駆けてきた。隣には藍音もいる。
「お帰りみあちゃん! ここは3階、ログアウトエリアだよ!」
美黄は恐らくラウンジで事の顛末を見ていたのだろう、感動なのか声は高揚していて、瞳が若干潤んでいる。
「あいねちゃんとの手合わせ、すっごくカッコ良かったよ~♪」
「あ、ありがとう」
きらきら光る瞳で見つめられそう言われてしまうと、言われた方は目を逸らさざるを得ない。
すると美黄が「あ」と声をあげて、今度は橙流へと走っていく。
「お帰りとーるちゃん! ここは3階、ログアウトエリアだよ! あの位置からの狙撃、すごかったよー!」
「……ありがとう、ございま、す」
美黄は同じように橙流の目を真っ直ぐ見つめながらそう褒めると、橙流は顔を赤くして俯いてしまった。
何だかんだでV-フィールド内に結構長くいたようで、日が傾いていた。もうすぐ勧誘週間初日が終了する時間だ。
「……それで、みあちゃんのユニットは……輝戦スペクトル、で良い?」
確認するように美黄に尋ねられ、美赤は特に考える事無く頷く。
「うん、良いよ」
美黄と同じユニットに入る事が通過点、加入テストも合格出来た以上何も文句は無い。藍音の個性こそかなり強烈だが、悪い人ではないと言う事は理解できている。残りの三人がどんなメンバーなのか、会うのが楽しみだ。
「やったー! よろしくね、みあちゃん!」
「うん、よろしく、お姉ちゃん、星見先輩」
「はーい、よろしくー。いやー、勧誘、一日で終わって良かったーあ」
すると、藍音が両手を頭の後ろで組んで大きく伸びをした。が、その言葉に美赤は藍音の勘違いを読みとった。
「え、でも橙流は……」
見学しに来ただけですよ、と言いかけたところで藍音がはっとなった。気付いたらしい。
「あ、そっか、橙流チャンは見学しに来ただけか! ごめんごめん今盛大に勘違いしてたーっ!」
「もーあいねちゃん、強制しちゃだめだよー」
「んー、すみません美黄サン! やーごめんね橙流チャン、ただ橙流チャンの腕前なら、他のユニットでも凄く歓迎されるはずだし、争奪戦間違いなーし! 色々見てみて気にいったらウチにおいでね!」
やっちまったーとばつが悪そうに頭を掻く藍音。橙流は首を横に振って……
「……いえ……今、入り、ます」
「え!?」
「あら、ほんと?」
驚く美赤と、驚きと喜び半分の美黄。
「うわわ、良いよそんな! ホント勘違いしてただけでっ、無理強いしようだなんてしてないから!!」
ぶんぶんと手を振って本気で慌てる藍音だが、橙流はすう、と大きく息を吸って、三人を見つめる。
「……高校生になって、初めて声をかけてくれた人が連れてってくれた場所で、たまたま、その人と、私が持っている能力を必要とされていたって……」
橙流はそこまで一息で言いきった。いつものように声が不自然に途切れなかった、それ程迷い無い言葉なのか。
「……なんだかそれって、運命、みたいじゃない、です、か?」
橙流が照れたようにほほ笑んだ。今まで見た彼女の笑顔の中で、一番澄んでいるような、そんな笑顔だった。
「うんうん、運命だよねー!」
すると手のひら返したかのように美黄が橙流の手を取った。どうやら美黄的には橙流に来てほしかったようだ。……もちろん美赤もそう思っているから、橙流のその言葉は嬉しかった。
「あるぇー! 美黄サンめっちゃ切り替え早っ!!」
と言いつつも、藍音も結局は美黄と同じように直ぐに橙流をもてなす挙動に切り替わっていた。
「みあちゃん、とーるちゃん!
――ようこそ、輝戦スペクトルへ!」
上級生のとびっきりの笑顔が、新入生二人を歓迎した。