(1-2)前提条件:ユニット「輝戦スペクトル」に加入している事
橙流とは校門で別れた。実家からバスで通う美赤に対し、橙流は学園の敷地内にある寮で生活するからだ。
「ただいまー」
自宅に帰ると、ソースのいい匂いが食欲を誘った。予め昼過ぎに帰ることは知らせていたので、昼ご飯を作ってくれていたのだろう。
「お帰り、美赤ちゃん。お昼御飯は焼きそばだよ」
出迎えてくれたのは父、篠良 智治。彼は特化遺伝子こそ持たないが、彼には美赤には無い才能があった。それは、掃除洗濯料理に裁縫や日曜大工までこなせる主夫と言う能力だ。ちなみに体育館内で姿こそ見かけなかったが美赤の入学式に参列しており、校門の前で姉と三人で写真を撮っている。
「やっぱり! 良い匂いがしてたんだよね!」
美赤は手洗いを済ませたのち、自室(と言っても姉と共同だが)に入ると、手早くブレザーを脱ぎ、リボンを外してハンガーに掛けた。鞄を学習机の上に置いて、食卓に着く。
「いただきまーす! ……あぁー、やっぱり美味しい!」
「あはは、ありがとう」
父と二人で絶品焼きそばを味わった後は、父に今日あった事を話したり、生徒手帳をいじってみたり、夕飯の手伝いをして母と姉の帰りを待った。しかし一家の大黒柱である母はこの所多忙なので、恐らく帰りは夜中になるだろうなあと美赤はぼんやりと思った。
「ただいまぁー」
日が沈むころ、姉が帰ってきた。篠良 美黄――過去の美赤を守ってくれていた存在にして、未来の美赤が守るべき存在。
「お帰り、お姉ちゃん」
夕飯の準備中だったのでエプロンをつけたままで迎えると、美黄が美赤に飛び込んできた。
「あぁ! みあちゃんただいまー! 入学式、どうだった? お友達は作れた? クラスには馴染めそう? 嫌な事とか言われてない? 他わからないことあった?」
「ちょっ、お姉ちゃん、質問多すぎ!」
とりあえず聞きとれた部分の質問だけ返そうとするも、美黄の言葉は止まらない。
「入学式、本当はおねえちゃんも見に行きたかったの、でも在校生は普通に授業があったのよ、酷いわよね……」
虹霞学園3年生の美黄は昨日始業式があり、今日から通常授業だったらしい。
「そりゃそうでしょ、大丈夫だよ、大した事してないし」
しゅんとする美黄をなだめるも、きっ、と睨まれた。もっとも迫力は無いが。
「駄目よ! 生涯に一度しかない晴れ舞台なのに」
これ以上入学式を卑下すると怒られそうだったので、美赤は質問の回答に話題を戻す。
「あーあと、友達は多分出来たし、クラスにも馴染めると思う」
「そう、良かった!」
美黄は柔らかい笑顔を浮かべた。美赤が男性だったら、この笑顔に落ちてしまったかもしれない、そんなキラキラした笑顔だった。
その日の夕飯は父と姉妹の三人だった。後片付けは姉妹の役目なので、揃ってシンクに立って洗い物を行う。
「あのね、みあちゃん……ユニットの事、なんだけど……」
すると、美赤が渡したお皿を流しながら、どこかもじもじした様子で美黄が尋ねてくる。美赤はその質問を今か今かと待っていたので、用意していた言葉を口にする。
「うん。お姉ちゃんと同じユニットに入るよ。
お姉ちゃんと一緒に戦いたいし」
ただ、目を見て言うのはちょっと恥ずかしかったので、視線はシンクに落としたまま。
「………」
美黄がぽかんとこちらを見つめているのがわかる。美赤は構わずスポンジでお皿を洗う。
「……みあちゃん、だいすきーっ!!」
一瞬の間ののち、美黄が勢いよく美赤の首に腕を回してきた。
「わあぁ!!」
その上ぎゅうううう、と力強く抱きしめられ、危うく手にしていたお皿を落としそうになった。
「ちょ、お姉ちゃん!」
思わず身をよじったためか、美黄が手を離した。見上げてくるその目には嬉しさのあまりか涙が浮かんでいる。
「うれしい、よかった、よかったー!」
……ひとまず“妹”として、姉に言いたい事は言ったので、今度は“姉”として伝えたい事を伝える。
「あ、あと、私の友達もお姉ちゃんのユニット見学したいんだけど、明日行っても良いかな?」
そう聞くと、美黄は「んー」と、考える仕草を見せたが、数秒後には笑顔で頷いていた。
「うんうん、大歓迎! 迎えに行くね!」
聞いておいてなんだが、もとより断られる理由もない。みあちゃんのお友達、どんな人か楽しみにしてるねと言われるほどだ。
「あっそうだみあちゃん、明日は一緒に学校行こう?」
「うん、いいよ」
「やったー! ふふふー、みあちゃんと登校だなんて何年ぶりかなあー♪」
このように、美黄は物凄く美赤に対して物凄く甘い、自他共に認めるシスコンだ。もともとは単なる仲良し姉妹だったはずなのだが、美赤が小学生の時いじめの対象になった頃から美黄が美赤を庇護し始め、それがやがて重度のシスコンへと繋がって行ったのだ。
「もー、そんな大げさな事言わなくても……」
……けれど、そんな姉の事を鬱陶しいと思った事も無いし、寧ろ、嬉しいと思っているあたり、美赤もシスコンなのかもしれない。美黄は、美赤にとって自慢の姉だ。
しかし、いつまでも姉に甘えている訳にもいかないと言う自覚もある。だから今度は、今まで守ってくれた分まで、美黄の事を守りたいと、そう美赤は願うのだ。
学園生活二日目は、まず委員会等のメンバーの選出から始まった。ただ美赤も橙流もその候補の全てに立候補する事も無く、またじゃんけんで負ける事も無かったので、クラス内での役割は無かった。その後は学園内の施設見学や利用方法についての説明。実技棟については簡単に見学こそしたが、実際にVTは行われなかった。担任曰く、ユニット見学の際に先輩から教われば良いとのこと。
そしてまた昼前でクラスとしてのやるべきことは終わった。ただ今日からユニット勧誘週間が始まるので、今日はまだ下校はしない。特に初日である今日はなんと上級生も午後の授業は無く、勧誘の為の時間となっていると言うのだから驚きだ。
今、1年4組の面々は教室でお昼ご飯を食べている。その話題は殆どがユニット勧誘週間の事だ。
「う、わぁ、美赤のお弁当、美味しそう……だね」
美赤が広げたお弁当は父お手製のお弁当。卵焼きやタコさんウインナー、ミニトマトに野菜炒め、ハンバーグ、わかめとゆかりの二色の混ぜ込みご飯、別箱でフルーツと相当気合いが入っていた。
「うん、父さん料理上手でさ、……橙流は……え、それだけ?」
逆に橙流は敷地内のコンビニで買ってきたと思われるブロック型の栄養補助食品のみ。
「……う、うん……私、あんまり、食べれない、から……いつも、こんな感じ、だよ」
朝ごはんも食べないんだ、と申告するのだから美赤は目を見開いた。毎朝家族四人で朝食を取る篠良家からしてみれば異常だ。華奢なのはあまりに食べなさ過ぎているからなのかもしれない。
「そんなんじゃ飽きちゃうでしょ? はいこれ卵焼き。甘くて美味しいよー」
美赤は卵焼きを内蓋の裏側に乗せて橙流に差し出す。
「あっ……あり、がとう」
余計なお節介だったかもしれないが、受けとった橙流も美味しそうに食べていたから、喜んでくれたのだと思う事にした。
そんなやり取りをしつつ、美黄の迎えを待っていると、そろそろ3時限目が始まる時間となった。……気のせいか廊下が騒がしい。勧誘の為、上級生たちが新入生の教室の周辺に集まってきているのだろう。
すると、教室の前方のドアから見知った顔が教室を覗き込んだ。美黄だ。目が合うと否や、美黄は顔を輝かせたので、美赤は嫌な予感を覚えた。
「美赤ちゃーん! 迎えに来たよ!」
案の定、手を振って美赤を呼んできた。美黄の位置から美赤の席までの位置は遠いので、談笑するクラスメートの頭上を姉の声が通過していくことになる。たちまちクラスの話題は闖入者とその妹の話題になるも当の本人は全くそれに気が付いていない。
「ちょっとお姉ちゃん! そんな大きな声出さないでよお!!」
クラス中の視線を望まぬ形で一人占めした美赤は、慌てて弁当箱を片づけ、クラスの女子から何か聞かれない内にと橙流を連れて後方のドアから教室を出た。
「へー、おまえさんが美黄サンの妹さんかー、確かに似てるわ」
廊下に出ると、美黄の隣にいた女生徒にそう話しかけられた。美黄の事を知っているこの人物は誰なのか聞く前に、美黄が少女を手のひらで指し示した。
「この子は、同じユニットのメンバーのあいねちゃん」
「どぉーも、星見 藍音でっす。よろしくー」
星見 藍音。頭頂部は藍色で、そこから毛先に向かって青紫のグラデーションがかかっている短髪は、ボーイッシュかつ奇抜な印象を受ける。悪戯っぽそうに細められている瞳は縹色一色。ブレザーは羽織っておらず代わりにジャージを着ているが、黒の生地に返り血のように色とりどりの絵の具が飛散している。更に、膝の下で切ったと思われる中途半端な長さのジャージをスカートの下に履き、靴下は何故か虹色に染められているルーズソックス……校則違反を臭わせるほどに個性的だ。
「さっ、篠良 美赤です、よろしくお願いしますっ」
「はいはーい、よーろしくねっ」
「あ、あと、この子は郡 橙流さん、です」
「……こ、郡、です……よ、よろしくお願い、しま、す……」
「ん、よろしくーねっ。いやぁ、二人とも初々しくて良いねえー」
「ど、どうも……」
美赤ですら戸惑う超個性派先輩の登場に、橙流は完全に怯えているのだが、藍音は気付いていないのか気にしていないのか二人を興味深そうに眺めているだけだ。その視線も含みがありそうで若干怖い。
「大丈夫! あいねちゃんこう見えて凄い女の子だから!」
美黄は二人の様子を察してフォローしたのだが、今一つフォローしきれていない。どういう意味であれ「凄い」のはこの段階で既に十分なほど感じている。
「それじゃ早速案内するよ! おいで!」
微妙な空気のまま、美赤と橙流は美黄の後をついて行った。……背後から藍音の視線を感じつつ。
実技棟に向かいつつ、美黄と藍音が自ユニットについての説明を行う。
「わたし達のユニットの名前は“輝戦スペクトル”って言うんだ」
「きせん、すぺくとる」
「そう。もともとは、輝線スペクトルって言う量子力学で使われる言葉で、何でも虹色に関連するみたいなの」
その辺りはわたしにはよくわからないんだけどね、と美黄は肩を竦め、ユニットの概要説明に話を戻した。藍音も口を出してこない辺り、由来については他メンバーの方が詳しく知っているのか、それとも由来自体あまり気にしない風潮なのかもしれない。
「代々メンバーは7人で構成されてるの。ちょうど、各セクション一人ずつね」
「セクションってのはー、もう聞いたと思うけど、“型”の別名。美赤チャンは第1型だからセクションレッド、橙流チャンは第2型だからセクションオレンジだあね」
「「!!」」
まだ自分の型を言っていないのに何故藍音は二人の型を当てたのだろうか。美赤は美黄から聞いているかもしれないが、橙流に至っては完全に初対面のはずだ。何で、と言いかけたところで、二人のリアクションでそれが伝わったのか、藍音が自分の胸元を指さした。そこには……
「リボン! このリボン、セクションごとに色が分かれてるんだあよ。第1型は赤、第2型はオレンジって感じにな。んで、リボンの色と組み合わせて、セクションレッド、セクションオレンジ、だーなんて言い方もされてる。たまーに、セクション別、3学年合同授業なんかもあるんだぜ、だから学園では型よりセクションの方が一般的だから、覚えときーな」
「成程……」
やはり昨日の予想は正しかったようだ。藍音のリボンの色は藍色。その口ぶりから、リボンの色は特化遺伝子の型の数と同じ7色だろう。
「それと、上履きや生徒手帳の色とかも学年によって色が違うの。今年の場合、みあちゃん達1年生は青、あいねちゃん達2年生は緑、わたし達3年生は赤。この色は卒業の時までずっとこの色なんだよ」
確かによくよく見てみれば藍音と美黄の上履きの先端部分の色が違う。学校から配給されたので全員同じ色なのかと思っていたが、もっと効率的な事を学校は考えていたようだ。
「つまり、一目見ただけでその子が何年生で何のセクションなのかが分かーる! 勧誘の時にとてーも便利!」
勧誘の時以外でも何かと識別する時に役立つ反面、勧誘週間はこの上履きの色だと真っ先に狙われると言う事もわかり、既にユニットが決まっている美赤にとっては今すぐ上履きを他の色に塗り替えたい気持ちだ。
「ちなみにあたしは第6型、セクションインディゴなー」
藍音の“第6型”は、<特化配列右脳型>。文字通り、感性や創造にすぐれた、芸術的な才能を持つセクションだ。……時にそのセンスは常人では中々理解しにくい域に達している時もあると言うが、確かにその通りかもしれないと少しだけ思った。
「わたしはセクションイエロー、第3型だよ」
美黄の“第3型”は、<特化配列術士型Ⅰ種>。空間に存在している“魔力”に干渉する事によって超常現象を起こす事が出来るセクション。所謂魔法使いだ。
「それでユニットのお話しに戻るけど、輝戦スペクトルのメンバーは7人いればいいから、いつも去年の3年生が抜けちゃった部分のセクションの女の子だけを勧誘するの」
そこで美黄はふふふ、と何やら意味深な笑い。藍音も何だかニヤニヤしている。
「ここからが驚きなんだけどね、
実はねー、今年欲しかった新入生は、セクションレッドと――セクションオレンジだったの!」
「!」
「だからとーるちゃんに会った時びっくりしちゃった」
この偶然に一番驚いたのは誰だったのか。恐らく美赤か橙流のどちらかだろう。
「昨日みあちゃんがお友達も連れて行きたいーって言ってた時は、まあ他のセクションでも人が増えればそれはそれで賑やかになるから良いかなーって思ってたんだけど……」
そう言っている間に実技棟に到着し、美黄がくるりと美赤と橙流に振り向いて、ふわりとほほ笑んだ。
「何だかわたし達の間に、不思議な力が働いてると思わないー?」
実技棟の入り口は駅の改札のようにゲートがあり、生徒手帳をタッチしないと入れない。1階は生徒達で賑わっており、テーブルセットや自動販売機が多く用意されていた。そのテーブルはほぼ埋まっており、連れてきた1年生を口説く上級生の姿が大半だ。
「1階はラウンジ、ここでユニットのメンバーが待ち合わせして作戦会議したり、他のVTの様子を見たりするよ」
壁面には大型のモニターが数多く設置されており、その一つ一つがVT中の映像を流しており、一般的なテレビ番組は何一つ流れていなかった。
美黄はラウンジでは足を止めずそのまま階段を上っていく。2階は1階のラウンジスペースが3分の1になり、代わりにその奥で厳重そうなゲートがずらりと並んでいた。美赤はその何とも言えない圧迫感に息をのむ。
「2階はログインゲート。ここでVTをする為の色々な手続きを行うの」
ゲートの数は全部で40、実技棟入り口と同じようなゲートの奥にはそれぞれ数字が書かれた黒い扉が重厚に控えている。警備員の姿もちらほら見られ、物凄くセキュリティの高い空港の搭乗手続きを思わせる。
「それで、このモニターがVTセンターって言うんだけど、V-フィールド……VTを行うための仮想環境だね、その予約を行うの。ここで予約を終えたら、あのゲートから実際にログインするんだよ」
ゲートから数m手前にずらりと並ぶ端末の一つの前で美黄は歩みを止めると、端末横の読み取り機に生徒手帳をかざし、何やら作業を始める。タッチパネルのようで、読み取り機以外のキーボードやマウスなどの周辺機器は無い。
「みあちゃんには前話したから知ってると思うけど、VTの仕組みを簡単に言うと、みあちゃんやとーるちゃんの脳をコンピューターと接続して、“みあちゃん”や“とーるちゃん”をそっくりそのまま再現したデータを、コンピューターが作ったフィールドのデータに送りこむよう脳にお願いする感じ」
美黄の説明を理解できない、と言う事は無い。ただ、本当にそんな事が可能なのだろうか、と言う体感していないゆえの疑問はある。美黄は慣れた手つきで画面をタッチしながら言葉を続ける。
「だからその間ふたりの身体は寝ている状態になって、V-フィールド上でいくら怪我してもふたりの本当の体には傷一つつかないよ。完璧なまでにリアルな夢の中での出来事、って言うと、より親しみやすいかな?」
最後に軽やかに確定ボタンを押したところで、読み取り機から何枚かレシートのような紙が出てきた。それを手にとって、美黄が二人に向き直った。
「ってな訳で、早速、簡単なミッションに挑戦してみよっか!」
美黄が何を言ったのか、美赤は直ぐに理解する事が出来なかった。