1.怪物令嬢と繊細な妹
グランドール伯爵邸には領主夫妻とその子供たち、それから怪物が暮らしている。
妹が幼い頃から友人たちに吹き込んできた噂話だ。
『でも大丈夫。その怪物は、私には逆らえないの』
そんな誇らしげな言葉とともに。
「だから言ったでしょう! 余計なことはするなと!」
母の金切り声に、肩を縮め深くうつむく。
少しでも反抗的な態度を見せれば、より高圧的になることをもう知っていた。
「部屋から出るなと言ったはずでしょう!?」
「落ち着いてお母様!」
目の前に並べられた出来立ての料理が冷めていく。
使用人たちは無心でこの時間をやり過ごそうと、虚ろな目で立っていた。
「いいかエリシア。先方はお前さえ謝れば許すと言ってくださっているんだ」
父が私を執拗に責め立てたあと、まるで神様のような寛大さで言う。
「お姉様ばかり責めないで! きっとどうしてもパーティーに参加したかったのよ」
妹のフィオナが、庇うフリでニヤニヤと気味の悪い笑顔で私を見ている。
参加したいもなにも、パーティーが開かれていることさえ知らなかったのに。
あの日、フィオナがどうでもいい雑用を私に言いつけた時から仕組まれていたのだろう。
フィオナの罠によって大怪我をしたのは、フィオナが一方的にライバル視していた侯爵家の令嬢だ。
一度に嫌いな人間二人を陥れることに成功した妹は、上機嫌極まりない。
「なんとか言ったらどうなの!?」
黙っている私に、母が激高して声を荒らげた。
どうせ私がなにを言っても、フィオナの言葉しか信じないくせに。
彼らが聞きたいのは謝罪と反省だけ。
困った人たちだ。
その気になればこの屋敷ごと家族全員をぺったんこにできるとも知らず。
しないでいてあげる優しさに、感謝くらいあってもいいのではないか。
短くため息をついて、テーブルの上に置いていた手にそっと力を込めた。
ミシッ、と軋む音。
大理石のテーブルにヒビが入る。
かまわずさらに力を入れると、ガラガラと音を立てて砕けたテーブルの欠片が床に落ちた。
「きゃー!」
フィオナが悲鳴をあげる。
「ひぃっ」
「なっ、何を……っ」
母も父も、言葉を失って青ざめていた。
「ごめんなさい。悲しみのあまり、力が入りすぎてしまったみたい」
控えめな微笑みを浮かべて言うと、父が頬を引きつらせた。
「お、お、お前というやつは! 力加減を覚えろと何度言ったら分かるんだ!」
「ででっ、出て行きなさい! フィオナに怪我をさせたら承知しないわよ!」
父が怒鳴り、母が大袈裟にきゃあきゃあ怖がるフィオナを抱き寄せながら鋭い声で命じる。
「分かりました」
素直に頷いて立ち上がる。
ドレスに散った大理石の欠片をパッパッと手で払い、去り際にフィオナをちらりと見る。
彼女は母の胸に縋りつきながら、涙の一粒もない頬を歪ませニタニタと笑っていた。
せっかく美しく生まれついたというのに、下品な笑顔のせいで台無しだ。
呆れながら食堂を出て、自室に戻るため玄関ホールの大階段を上がっていく。
「待ってお姉様!」
踊り場まできた時、背後に声が掛かった。
フィオナだ。
目にいっぱいの涙を溜めて、私を追いかけてくる。
使用人たちの目があるからだろう、今は一分の隙もない完璧なお嬢様だ。
「分かっているんですお姉様……! 本当は私をあの子から助けてくださったんですよね?」
案の定フィオナは、被害者側を悪者に仕立てつつ、「加害者を信じる健気な自分」を演出して気持ちよくなっている。
仕事の手を止めた使用人たちの同情的な視線がフィオナに集まる。
その視線を存分に浴びながら至近距離に迫ってきたフィオナが、私の耳元に唇を寄せてきた。
「……なぁんてね。あの女、調子に乗ってたから自業自得よね」
周囲に聞こえないよう声を潜め、邪悪に笑う。
「それにしてもさっきのは傑作だったわ。大理石を素手で砕くなんてありえる? お母様ったら、お姉様に怒鳴りながら震えてたわよ」
うくく、と肩を震わせてフィオナが笑う。
遠目から見たら、泣くのをこらえているように見えるだろう。
これも妹は計算づくだ。
「おかげでまた私のか弱さが際立ったわ」
私の肩に馴れ馴れしく手を置いて、フィオナが「ご苦労様」と馬鹿にするように笑った。
「また引き立て役よろしくね、怪・物・さん」
嘲りを含んだ声で、丁寧に発音する。
私を見下し萎縮させた方が、うまく使いこなせると思っているのだろう。
お父様たちにそっくりだ。
「ええそうね。あなたって引き立て役がいないと輝けないみたいだから」
姉として頑張るわ、と優しく微笑むと、妹の顔がカッと怒りに染まった。
「ふざけんじゃないわよ!」
怒声とともに、フィオナが両手で思い切り私を突き飛ばした。
いや、正確には突き飛ばそうとした。
だけどそうはならなかった。
フィオナの手が私の身体に到達する前に、足裏にグッと力を込めたから。
私の身体は微動だにせず、反動でフィオナの身体が勢いよく跳ね返った。
「……えっ?」
呆けた顔でフィオナが後ろにゆっくりと仰け反っていく。
背後には、彼女が昇ってきた階段が。
「え、まっ、あッ……」
戸惑う声をいくつか発した後。
「ぃぎゃぁああ~~~~!!」
あの可愛らしい唇から出たとは思えない野太い声で悲鳴を上げながら、フィオナは階段を転がり落ちていった。
「なんてことをしてくれたんだお前は!」
派手な音と大袈裟なほどに泣き叫ぶフィオナの声を聞きつけて、食堂から飛び出てきたお父様が青い顔で叫ぶ。
「お父様ぁ! お姉様が突き落としたぁ!」
いだいぃぃ! と大粒の涙をこぼしながら、迫真の演技で私の罪をさらりと捏造する。
階段から落ちたショックをものともしないこの切り替えの早さと胆力には、我が妹ながら感心してしまう。
「まぁ! なんてこと!」
続いて駆け付けたお母様が、床にうずくまるフィオナに覆いかぶさり、キッと階段上の私を睨み上げた。
「この人殺し! やっぱりあなたは怪物よ!」
いえ、フィオナはまだ死んでいませんわよお母様。
お母様に抱えられながらギャオンギャオン元気に泣いてるじゃない。
そう言いたいのを堪え、渋々階段を下りる。
「――前回突き飛ばされそうになったとき、咄嗟に避けたらフィオナが壁に激突して叱られたので。今回は全力で受け止めようとしましたの」
反省している表情を顔に貼りつけながら、一応突き落としたわけではないと自己弁護する。
けれど私を悪者にしたいだけの彼らが、聞く耳を持つわけもなく。
「言い訳など聞きたくない。反省室へ行け」
父はとっておきの罰だと脅しかけるように、低い声でそう言った。




