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第5話 梅昆布からの誘惑

 ガソリンスタンドのフィールド内で客の車に踏み潰されたおにぎり入りのコンビニ袋。神酒は、平たく潰れたコンビニ袋をつまみながら店内のサービスルームに入った。


「店長ー!」


 神酒は、レジの横にある接客テーブルで書類を広げて事務作業に集中している杉野に近づいていく。名前を呼ばれた杉野は「何事だ」と言わんばかりに近づいてくる神酒に素早く顔を向けた。その瞬間、杉野がかけている黒縁丸メガネが揺れた。


「どうしたんや、神酒ちゃん。油種間違いでもしたんか?」


「油種間違いなんてしませんよ。このビニール袋、店長のですよね?」


 神酒は潰れたコンビニ袋を杉野の顔に近づけた。


「なんや、ゴミはゴミ箱へ入れなあかんで」


 杉野はそう言うと、顔を書類に戻して事務作業を再開した。


「袋じゃなくて、中身です」


「中身?」


 杉野は再び顔を上げると、面倒くさそうにコンビニ袋を受け取り、中身を確認した。


「なんやこれ、おにぎりが潰れとるやんか。これ、流行りなんか?」


「そんなん流行ってませんよ! 財前君が言うには、これ、店長のおにぎりらしいじゃないですか」


「はあ? 僕、潰れたおにぎりなんて買っとらへんで」


 神酒は、いつもながらの店長の天然ぶりを目の当たりにしてため息をついた。


「潰れたおにぎりなんか、どこで売ってるんですか。さっき、お客さんの車が潰していったんです!」


 神酒の言葉に、杉野は何かを思い出したように立ち上がると、足早に従業員休憩室に入っていった。


「あれ! あらへん!」


 従業員休憩室で杉野が叫んだ。

 杉野はサービスルームに戻ってくると、接客机に置かれている潰れたコンビニ袋を見つめた。


「まさか······」


 杉野は恐る恐る潰れたコンビニ袋に手を伸ばすと、袋の中で潰れたおにぎりを確認した。


「あ、これや! さっき、コンビニで買った梅と昆布のおにぎりや。2つのおにぎりが潰れてミックスになっとるやないか。梅と昆布のミックスおにぎりって美味いんか?」


 杉野は真顔で神酒に尋ねた。神酒は呆然と杉野の顔を見つめた。


「店長、気にするところが違います! タイヤに潰されたおにぎりを食べるつもりなんですか?」


 呆れ果てた神酒からの質問に、杉野は無言のまま頷いた。


「とりあえず、店長のお昼ご飯、ここに置いときますね」


 神酒はそう言うと、サービスルームから出て行った。去っていく神酒の後ろ姿を見届けた杉野は、コンビニ袋の中身を見つめた。


「梅と昆布の潰れたおにぎりか。美味しそうや」


 杉野は机の左端にコンビニ袋を追いやると、事務作業を再開した。



 拓馬がフィールドで突っ立っていると、神酒がサービスルームから表に出てきた。拓馬は神酒が戻ると彼女に笑顔を向けた。


「やっぱり、店長の袋でしたか?」


 神酒は拓馬から尋られると「そうやった」とだけ答えて、拓馬のそばを通り過ぎていった。拓馬は振り返ると神酒の背中を見つめて首を傾げた。

 神酒はフィールドの最も奥、目立たない場所に置いてある洗濯機まで移動すると、振り返って拓馬を見た。


「財前君。次はタオルの洗濯を教えるからこっちに来てもらえる?」


「はい」


 神酒から呼ばれた拓馬は返事をすると、駆け足で彼女の元へ向かった。

 神酒は、拓馬が洗濯機に到着すると、タオルの洗い方や干す場所、タオルの素早いたたみ方などを教え始めた。



 しばらくして、事務作業に励んでいた杉野は書面を走らせていたボールペンの動きをピタリと止めた。そして、首だけを動かすと、机の左端に置かれている潰れたコンビニ袋をじっと見つめた。数秒間、それを見つめたあとすぐに書類に目を戻したが、5秒もしないうちにまたコンビニ袋に目をやった。


「あかん、気になってまうわ」


 杉野はため息混じりに呟くと、左手を伸ばしてコンビニ袋を掴んだ。


「梅と昆布の香りが鼻をくすぐってくるから仕事に集中できへん」


 杉野は机上の書類を端へ追いやると、コンビニ袋を引き寄せた。


「まだ10時にもなってへんけど、昼飯を食べたるか!」


 梅昆布の誘惑に負けた杉野は潰れたおにぎりを食べることにした。

 杉野がコンビニ袋の中に手を入れたとき、拓馬が店内に入ってきた。コンビニ袋に片手を突っ込んだ杉野は拓馬と目が合うとニヤリとした。拓馬は、杉野によるニヤリの意味が分からず、呆然と立ち尽くした。しかし、何かを思い出したかのように口を開いた。


「店長、赤羽さんからの伝言です」


「神酒ちゃんから? なんやろ」


「潰れたおにぎりは汚いから食べないように、とのことです」


「そうか。わかったわ」


 杉野は落ち着いた口調で答えると、コンビニ袋に突っ込んでいた手をゆっくりと引き戻した。


「ところで、財前君。今日の昼飯はどうするんや?」


 杉野が黒縁丸メガネのフレームに触れながら尋ねた。


「昼飯は、まだ決めてないです」


「そうか。じゃあ、これをあげるわ」


 杉野はそう言うと、潰れたコンビニ袋をつまんで拓馬に近づけた。






(つづく)

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