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第1話 僕はサナギです

「おはようございます!」


 3か月前に高校を卒業したばかりの財前拓馬ざいぜん たくまは、ガソリンスタンドのサービスルームに足を踏み入れるなり元気よく挨拶をした。

 時間は午前8時。すでに営業時間内だというのに、サービスルームには誰もいない。

 拓馬は休憩用テーブルやレジ、ジュースの自販機などが配置された小綺麗なサービスルームを見渡した。誰も現れない。人の気配さえ、ない。ただ、天井に取り付けられた細長の黒いスピーカーからFM放送が流れているだけだ。


(昨日の採用決定の電話では、今日の朝8時に店に来てくれ、と言われたんだけどな)


 拓馬はスマホの時計を見た。すでに8時を2分過ぎている。


(ピットで作業してるんかな?)


 拓馬はサービスルームから出ると、ピットに向かった。やっぱり、誰もいない。


(この店、セルフじゃなくてフルサービスだから、客が来たらそのうち店員が出てくるやろ)


 拓馬はサービスルームに戻ると、休憩用テーブルの椅子に腰を下ろしスマホの画面をタップした。


(まあ、いいや。店員が来るまでゲームでもしていよう)


 拓馬はすぐにゲームに夢中になった。店内に流れてくるFM放送の音楽さえ耳に入らないほど没頭していく。そのとき、ガソリンスタンドに1台の車が入店してきた。それは白い軽トラで、運転手は70歳くらいの爺さんだった。

 白い軽トラは軽量機の前に停車するとエンジンを止めた。サービスルーム内にいる拓馬は、視界の端に軽トラを認識したものの、まだ自分は私服姿のため接客する必要はない、と思い、軽トラの客を無視することにした。


 プップー!


 軽トラの爺さんがクラクションを鳴らした。拓馬はスマホから顔を上げると、軽量機の前で停車している軽トラを面倒くさそうに見つめた。


(せっかくゲームを楽しんでるのに、うるさいなー)


 拓馬はスマホ画面に視線を戻すと、再びゲームに集中した。


 プップー!


 再び、軽トラの爺さんがクラクションを鳴らした。拓馬はスマホ画面から軽トラに視線を移すと舌打ちした。


「うるさいなー!」


 拓馬は椅子から立ち上がるとサービスルームを出て軽トラに向かった。軽トラの爺さんは拓馬の姿を見かけると、運転席から皺だらけの顔を半分だけ出した。


「おい、何やっとるんじゃ。畑に行かなあかんから早くガソリン入れてくれや」


 爺さんは急いでいるようだ。しかし、拓馬は落ち着き払った態度で軽トラの運転席に近づくと、無表情で爺さんを見つめた。


「あんた、誰?」


 拓馬の最初の一言に、爺さんは驚いて目を見開いた。


「あんた、誰······じゃと? お前は客に向かってどういう言葉遣いしとるんや!」


 爺さんは拓馬に一喝した。今度は拓馬が驚いて目を見開いた。


「すみません。言い直します。どこのジジイですか?」


 拓馬は落ち着いた口調で爺さんに尋ねた。すると、爺さんの皺だらけの顔が瞬く間に紅潮した。


「ジジイとは何や!」


「だって、ジジイやんか! じゃあ、ババアなんか?」


「はあ? ババアじゃないわ! ジジイや!」


「ほら、ジジイやんか」


 拓馬は、自分は正しかった、と満足気に笑みを浮かべた。爺さんは呆れた表情で拓馬を見つめた。


「まあ、ええわ。お前は、ここの店員じゃないんか?」


「うーん、まだサナギってとこやな」


「サナギって、何や?」


「ジジイのくせにサナギも知らんのか。チョウが幼虫から成虫になるとき、一時的にカタチを変えるやろ。あれや」


「そんなことわかっとるわ! お前はチョウやないやろ!」


「僕の背中に羽がついてるか、よく見てみなよ」


 拓馬は爺さんに背中を向けた。爺さんは、拓馬の背中に向かってため息をついた。


「もうええわ。わしはお前とコントしに来たわけじゃないんや。ガソリン入れに来たんや。店長は、どこや?」


「僕も店長を探してるんやけど、どこにもいないんや。このままだと、サナギから脱皮できへんわ」


 拓馬の言葉に、爺さんは首を傾げた。


「サナギ、サナギって、何でお前はサナギなんや?」


「そのツッコミ、待っとったんや。よし、じゃあ、答えてやろ。僕はな、今日からこの店で働くことになったんやけど、まだ店長にすら会えていないから店員にすらなれていない。だから、サナギなんや」


「ほう、お前、なかなか上手いこと言うな」


 爺さんは、皺だらけの目を細めてニヤリとした。


「店長は、朝8時に来い、と言ってたのに、どこにいるんやろ」


 拓馬はガソリンスタンドの敷地を見渡した。そのとき、大通りの歩道から白いコンビニ袋を手にして近づいてくる男の姿が見えた。


 それは、店長だった。






(つづく)

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