エルティティスとミハイルの場合 9
余分かなと思いつつ、ミハイル側の事情を。
「う……うううう……」
アヴグストが控え室に足を踏み入れると、少年が部屋の中央にあるベンチにうずくまって泣いていた。見慣れているが、見慣れたくなかった光景だ。ここ数日ずっとこの調子である。
「……おい、訓練の準備は?」
「昨日教官から指示があった道具類はもう訓練室に運び込んであるぜ。ミーシャと一緒に数の確認もしたから問題ないと思う」
アヴグストかため息を隠さずにたずねると、泣いている少年――ミハイルの横でサンドイッチを頬張っていたパヴェルが答えた。
「じめじめうじうじ泣いてるくせに、仕事だけはちゃんとこなしやがる……」
「むしろ、やることがなくなって考える時間ができるのがダメなんじゃないかって気がしてる」
「なるほど……」
アヴグストが上着を脱いでロッカーへ入れて考え込む。
「おいパーシャ、ちょっと顔貸せ」
「うん? ……いいけど、この状態のミーシャを放っておくのはまずいんじゃないか? 放っておくと自殺未遂に走ったり……」
「いや、さすがにそこまではねェだろ」
アヴグストは呆れて言うと、ミハイルの頭をぽかりとはたく。ミハイルは涙目でアヴグストを見上げる。
「ううう……もうちょっと優しくしてくれてもいいだろう!?」
「するかバーカ」
アヴグストはもう一発ミハイルの頭をたたく。
「いてっ、暴力は良くないぞグスタ!」
アヴグストからミハイルが逃げ回っていると、ヤルンが控え室へ入ってきた。
「何をしている?」
「ヤルン! 助けてくれ!」
「ああヤルン、おつかれ」
「ヤルンちゃん、悪いな。パーシャ連れてすぐそっち行くはずだったんだが、まーたグズグズ泣いてるバカに教育していたところだよ」
「そうか」
アヴグストがミハイルの首をがっしりと押さえ、こぶしをグリグリと当てているのを見て、ヤルンは表情を変えずにうなずいた。
「ミーシャ、教官が呼んでいた」
「お、おう……助けてくれたわけではないとわかっているが、結果的に助かった……行ってくる」
アヴグストから解放されたミハイルは、ふらふらと控え室を出て行った。
ヤルンがそれを眺め、ぽつんとつぶやく。
「……腑抜けだな」
「まったくだ。この間勝手に考えてたアレでとっとと話を進めちまえばいいのによ。なにをウジウジしてるんだか」
アヴグストのぼやきに、ヤルンはしばし考えた。
「あれはエルヴィエント嬢がミーシャに好意があることが前提の話だからだろうな。
嫌われたままで勝手に進めるものではないと思っているんだろう」
「ああ……そう考えてみると、らしくないようで、あいつらしくはあるんだな。
あれだけエルティティスさんに未練たらたらなのに、相手の感情を無視して進めないだけの誠意はあるってことだ」
「パーシャ……お前なにげにキツいな……
まあとにかく、だったらとっとと誤解を解くなり、泣き落とすなりして了解取ってくりゃいいだろうに、やけに二の足踏んでるな。
諦める気これっぽっちもねえんだから、腹くくればいいのによォ」
アヴグストの言葉に、ヤルンは腕を組む。
「エルヴィエント嬢に強く拒絶されたのが、あれが初めてだったらしいな」
「あんだけウゼえのと十年近く幼なじみやってて初めてブチ切れたのがつい最近なのか? 信じられねえ、俺なんて初日で蹴り入れたぞ!」
アヴグストが目を見開いて叫んだ。
「だろうな。俺は三日目で頬をつねった」
「ヤルンもか。オレはあいつの二言目のとき腕に噛みついた。なつかしいなあ」
二人もそれにうなずいて、それからパヴェルは腕をさっと振った。
「話がそれたな。それはそれとして、だ。オレを呼んだのはミーシャの件をどうするかってことだろ?」
パヴェルの言葉に二人がうなずく。
「ミーシャは精神感応者としての能力が高い。心のつぶやき――ってあいつは言ってたけど――そこまで詳しく『視る』か、逆に『視ない』ようにするなら回路の補助がないといけないらしいが、なにもしなければある程度の距離にいれば相手の感情がダイレクトに伝わってきちまうらしいぜ。
オレには感情を視ちまったせいでエルティティスさんに会うのを怖がってるような感じがするな」
「俺も精神感応者のはしくれだ、相手の強力な感情の発露がこちらに大きな衝撃を与えるのは理解できる。話を聞くに、エルヴィエント嬢の感情は相当暴走したようだしな。ミーシャはおそらくそれに当てられたんだ」
「俺ァいちおうこっちの分類だが、ヤルンちゃんやミーシャと違って人間の方はからっきしだしなあ……けどまあ、話はわかる。『嫌い』って怒鳴られたんだったか? その衝撃の強烈さに怯んで立ち直れないってことか」
「だろうな。だが一瞬の感情の爆発がそのまま相手の本心かというと、違う、と俺は思う」
「違う? 相手の感情がそのまま伝わるんだろ?」
「その通りだ。だが、感情というのは間違えることがある」
「……間違える?」
アヴグストが眉をひそめた。
「それだけど……なあ、グスタ、ヤルン」
「あン?」
「先週の金曜にさ、ミーシャが泣きながら帰ってきたときに話してくれた内容を聞いてどう思った?」
「ハッ」
パヴェルの問いにアヴグストは鼻で笑った。
「くだらねぇ痴話ゲンカだなって思ったよォ」
「そうなんだよな。ミーシャはエルティティスさんに嫌われたって泣いてるけど――エルティティスさんの様子を見てると、どうしてヤツがそう思ったのがオレにはわからないんだ。
それがヤルンの言う、間違えるってことか?」
ヤルンはうなずいた。
「感情はコントロールできない。その場の感情は確かに本物だが、それがすべてではない」
「……意味がわかんね」
アヴグストが首をかしげたので、ヤルンは説明の言葉を考えて天井を仰ぐ。
「つまり、口論などをしたその場では怒りを覚えて相手への嫌悪を感じたとする。だがそれはその口論で生じた怒りのままに抱いたものだ」
眉をひそめたままのアヴグストのために、パヴェルが補足する。
「えーと、つまり相手に好感を抱いている場合でも、怒り狂ってる状況でそんなことは思い出すわけないってことだな?」
「そうだ。怒りの感情のせいで、一時的に相手へ抱いていた好意を忘れてしまう。
相手への好意の方が大きく、怒りの感情によって生じた嫌悪がほんの一部だとしても、その時のミーシャにそれがわかるはずもない」
「一時的な怒りに感情を支配されてる状況なら、相手の感情が視えるミーシャにも怒りしか伝わらないってことか」
「これは精神感応者の欠点でもある。なまじ相手の心理や感情が視えるだけに、一部分だけですべてがわかった気になってしまう。
相手の感情がダイレクトに伝わるだけに、自分の感情もそれに引きずられやすい。だから余計にな」
ヤルンが心臓をトントン、と指しながら言った。
「感情が引きずられるか、今回はそれだろうな」
「ああ。
――ところで、エルティティスさんは噂の超魔力のお嬢さんだっけか?」
「そうだね、そのためにミーシャと『弓幹と弦』の契約してたって話だし」
「暴走防止だって話だな」
「幼少期に魔力の暴走を起こして、それがヤバい災害レベルだったっていうアレか」
アヴグストがふむ、と腕を組む。彼もエルティティスには到底及ばないが、かなり魔力が高い方である。
「魔力ってけっこう面倒くせえんだよなァ。ムカついてると制御が甘くなる。
俺も魔力の制御を手放しちまって、ちょっとしたもんを起こしてエラい目にあったことがある」
「なるほど。じゃあつまりエルティティスさんは魔力暴走を起こさないよう、日頃から自分の感情を制御してたんだな。
自分の感情よりも、周囲の状況を見て動く癖もそのせいか」
パヴェルはつぶやいた。
「制御できない力っていうのはつらいよな……」
パヴェルの言葉をアヴグストはハッと鼻で笑い飛ばした。
「言いたいことはわかるけどよォ、だからって望まねえ方向に進むのはバカらしいだろ。
自分の本心を無視して行動してたらいつかガタがくんぞ。小さなことならともかく、自分の将来に関することだろ?
――ほっとくとそのうちこじらせるぜ、絶対」
「それについては俺も同意する。
だからこその、グスタの行動だろう」
「だな」
ヤルンの言葉にパヴェルはうなずいて、アヴグストを見つめた。
「……なんだよ?」
「いや、なんだかんだ言って自分から嫌われ者役を買って出るんだから、グスタはミーシャに優しいなと思ってさ」
「っせー! お前らも荷担したんだから同罪だからな! アホどもが!」
「ヤルン! グスタ! パーシャ!」
と、そこで言い争う三人のいる控え室の扉が乱暴に開かれた。
ぎょっとして驚いて振り向くと真っ青な顔をしたミハイルが息を切らして立っていた。
「……ティティが……ティティが危ない……!」
真っ青な顔のまま言うや否や姿が消えた。
「っ! あいつ一人で行きやがった!」
「オレたちに知らせてから飛び出しただけ褒めてやろうぜ」
アヴグストが叫びながら安全靴になっているブーツへ足をつっこむ。パヴェルも装備品を急ぎ身につけながらそれに応えた。
「ヤルンちゃんは?」
「たぶん本部に知らせに行った」
「そうか。今日の護衛は誰だった?」
「……ルネだね」
「あのサボり魔か……やべぇかもなァ」
アヴグストは頭を押さえた。
「そうだな……ちなみに、こっちは届けるべきだと思うかい?」
パヴェルはそう言って手にある物をひらひらとアヴグストに見せると、彼は顔をしかめた。
「覆面忘れてったのか、あのバカ」
「バレバレだったし、別にいいんじゃないかな?」
「それがわかってるんならンなもんほっとけ、早く行くぞ」
「ああ」
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ぶわっと総毛立った。
エルティティスはとっさにその場を飛び退きながら振り向く。
――いる。
エルティティスは、学校帰りに寮までの道を歩いていたのだ。いつもなら学校の行き帰りにあわせて来てくれる護衛が現れなかったことはすこし怪訝に思ったが、好都合でもあったので、そのまま一人で帰途についていた。
ここに来た当初、そこには誰もいなかった。
周囲に『黒服の男』がいた気配はないだろうかと、ハンカチを落とした体でさりげなくかがみ地面に触れ、こっそりと能力を使った瞬間に――いなかったはずの『黒服の男』はエルティティスの背後に立っていた。
そしてエルティティスは悟った。
自分が新たな標的になったことを。




