エルティティスとミハイルの場合 6
そして今度は長いです。分割下手で申し訳ないです。
「あ゛ー……おさわがせしました……」
「いえ……」
「いえいえ」
声を上げすぎてしゃがれたアヴグストの低い声に、サリホは複雑な表情で、エルティティスは笑いをこらえて首を振った。
「昨日の話については結局進まなかったな……」
「あ……エルとアヴグストさ――」
「『様』つけたら、お前の幼学舎時代から中学までの武勇伝をエルティティスさんに連綿と聞かせんぞオラ」
「……っ! アヴグスト、さん、の、ばか!」
「子供か!
ていうか、お前に『さん』付けされるとか落ち着かねえから、それもやめろよ」
「ふん」
サリホはぷいっと顔をそらしたのを見てエルティティスは笑った。サリホもだいぶ気持ちが落ち着いたようだ。
色々とうやむやになってしまったが、ひとまず学校側にはお詫びと感謝の菓子折と、アヴグスト個人には先ほど購入したタオルを無事に手渡すことができたので、エルティティスとサリホはお暇することにした。
エルティティス個人としては、ヤルンやアヴグストに『黒服の男』のことについていろいろ聞きたい気持ちがあったが、守秘義務を伴うことなのでサリホに知られるのはまずい。それにあまり長居をするのも迷惑になるのでおとなしく帰ることにする。
今回もアヴグストが二人を寮まで送ってくれるというので、ありがたく言葉に甘えた。
(そういえば……さっきつけられていた気がしたんだった。一応、確認したほうがいいよね)
校門の方へ歩きながら、エルティティスはさりげなく『読む』ための回路を構築しはじめる。触れるだけである程度の情報は読めるが、回路を組めばより正確になる。エルティティスの能力は回路による補助があっても読むことのできる範囲は触れた場所が中心で、中心から離れるほどに徐々に精度が落ちてしまうが、このまま相手の通った道をたどっていけば、何かしらの情報は得られるだろう。
「……昨日の今日なはずなんだが、なんかすごいことになってないか? 魔力」
「ははは……」
アヴグストの言葉にエルティティスは苦笑する。
日常生活のあれこれで意識的に魔力を消費するようにしているが、それでも圧倒的に供給の方が多いエルティティスの周りは抑えきれない魔力があふれている。
「すごいですわ。魔力って意識していないと水みたいに体からするっと流れて行ってしまうものなのに、エルの魔力はなんというか――水飴か作りかけのキャラメルみたいに濃厚で、彼女のそばから離れたがらないというのかしら……」
「あー、わかるわ。そんな感じだな。魔力だけじゃないが、ねっとりしてるのは」
「は、はは……って、あれ?」
魔力だけでなく、エルティティスにねっとりと離れないのはアレのことだろうか、とはさすがに聞けない。エルティティスは苦笑いした。
エルティティスとサリホは先導して歩くアヴグストに着いていくかたちになるのだが、行きと道が違う。遠回りをしているようだ。
「あの、アヴグストさん、道が……」
「あー、そっち不審者情報が多いから、ヤルンちゃんからこっち通れって言われてる」
「え……不審者ですの?」
不審者と聞き、サリホが表情を翳らせた。
「そうなのォ。だからお前らを俺が送ることになったんだし。というわけで、ちょっと遠回りだが大通りの方行くぞ」
「はい……」
サリホがいるというのにその不審者の情報を得たいから危ない道を通りたいと言うわけにもいかず、エルティティスはアヴグストの半歩ほど後ろについた。サリホもそれに続く。
「その不審者って、具体的にはどんなことをなさるの?」
「覆面かぶった戦闘服姿で、通りかかった人間を尾行したりとか、とにかくそのへんをウロウロしてやがる」
「え……変態?」
サリホが顔を引きつらせている横でエルティティスは首をかしげた。それは『黒服の男』ではないような――
「その不審者って……実害は……」
「キモい、ウザい、視界の毒」
「ああ……やっぱり。誰かが襲われてケガ人が出たとか、そういうのはないんですね」
「まあ、害意はないって意味では実害はないが……そんなヤツにあとをつけまわされたいか?」
サリホが首をぶるぶると振り、エルティティスの制服の袖をつかんだ。
「そういう変質者にエルは狙われやすい気がするわ……気をつけてちょうだいね」
「お前の方がビビってるじゃん」
「そうだけど……わたしはあんまり狙われたことがないから問題ありませんわ」
「そうかなあ……」
サリホの言葉にエルティティスは首をかしげた。昨日の大立ち回りを見てすっかり儚げ美人という印象は払拭されてしまったが、それでもサリホは日頃の立ち振る舞いは完璧なご令嬢だ。むしろ変質者のたぐいはエルティティスよりもサリホを狙うような気が――もしかして?
考えていたエルティティスの袖がぐいっと引かれた。驚いて振り向くと、うつむいていたサリホがはじかれたように顔をあげた。
「サリー?」
顔をあげた瞬間の悲壮な表情はすぐに取り繕われて無表情に戻ったが、顔を動かさないように視線をきょろきょろとさまよわせている様子にアヴグストが眉をよせた。ポケットに手を入れ不機嫌な顔をしながら彼女を見やる。
「なんだ?」
「……ねえ、アヴグスト。あの人は変質者じゃないのですわよね?
覆面ではないし、戦闘服でもないけど――なんだか、変な……変な気が……するわ」
サリホは左斜め前方を直視しないように、けれど視界からは外れないようにしながら、不自然にならないようエルティティスの袖をさらに引く。なにかを感じたのか、気分が悪そうに口元を手で覆った。
「……あーあ、遭っちまったか……」
ちらりとそちらを見やってアヴグストはうめいた。エルティティスもそっと相手を見る。
そこには男が立っていた。黒いコートに黒いズボンに黒い靴。身長は低くもなく、高くもないが、かなり太っているようだ。猫背で立ち、フードをかぶってうつむいている。ポケットに手を入れていて、手元もわからない。
「……心当たり、あるの?」
「ある。不審者情報その二。そっちは実害ありだ」
ではあれが『黒服の男』か――
アヴグストは言葉にはしなかったが、エルティティスは察してサリホの肩をぐっと抱き寄せる。
『黒服の男』は魔力を糧とする悪鬼だ。エルティティスはサリホに『視る』、『読む』の適正があるいう話は聞いたことがないが、強い魔力持ちには違いないのだから、彼女も十分に狙われる可能性はある。それにエルティティスには――おそらく様子を見る限りアヴグストにも――ただ立っているだけの男にしか見えないのだが、サリホだけはなにか不穏なものを感じているようだ。一番危険かもしれない。
(もしかして、サリーは何らかの能力持ち――?)
舌打ちをしながらアヴグストがポケットから出した左手を上空へ向けて魔力を放った。手にはなにかの道具が握られている。
上空で魔力の光が数回明滅しすさまじい音がした。その存在をエルティティスは技師である父から教えられたことがあった。魔力を持たない常人には見えない、聞こえない。ただし技師と技師が使う機器は感知できる信号弾。
(合図――)
以前ヤルンが言っていた非常用の連絡手段か。
エルティティスは周囲を見回しつつ、自分の周囲に飛ばしていた遠隔装置に触れ、保存しておいた『結界』の回路を読み出す。ここは一般市民がいる。まずは彼らが戦いに巻き込まれないよう一時的にこの空間を隔離しなければならない。
アヴグストが増援を呼んでくれたのなら広めにとっておいた方が良い。視界に入る部分すべてを座標設定し、増援が入って来られるよう出入り口を作成し――回路を展開した。
魔力を持たない一般人が自分から入り込むことのできない『場』を作る――これが技師の戦い方である。
兄が家を継ぐことになっていた頃は技師になる予定だったエルティティスが、将来のために父から教わっていた回路のうちのひとつである。
アヴグストが結界を見て口笛を吹いた。
「仕事が早えな」
「治療以外の回路の構築が早くないので、ある程度の回路は事前に準備してあります。
――とりあえず、現時点では遠隔攻撃と治療はすぐにでも。それ以外も指示をいただければ」
「了解。心強いお嬢様だなァ」
アヴグストの足下に回路の光が走り、同時に複数の動物が出現する。
(使い魔だ――かわいい)
可愛いが、ゆっくりと使い魔たちを眺めている場合ではない。
長毛種の大型犬と短毛種のころころとした小型犬、黒い子猫、それから鷹だ。鷹は一度アヴグストの腕に留まるが、彼が促すように腕をあげると上空へ羽ばたいた。猫はエルティティスとサリホの近くへ音もなくするりとやってくる。
エルティティスは具合の悪そうなサリホの腕を引いて自分の背へ隠しつつ、不可視の遠隔装置を可視状態に変え、そのひとつだけを手元に残し、あとは周囲へ飛ばす。
攻撃用回路を連続発射可能にして攻撃目標を立っている男に設定した遠隔装置を旋回させる。あとは魔力の供給経路を増やし、手元に残した遠隔装置から変更指示を受けるまでは自律行動するようにして準備完了だ。
同時進行で複数の回路を制御するほどエルティティスの処理能力は高くないので、事前に回路を準備しておき、ある程度は自動化してしまう。あとは状況により手元の装置から指示を変更すればいい。
あとは、増援が来るまで待つか、あるいは――
「警告する」
アヴグストが未だにぴくりとも動かない男に対して声をかけた。
「今からお前を技師の権限において『照査』する。抵抗する場合は容赦しない」
「……アヴグストさん、待たないんですか?」
エルティティスが小声で問う。増援を呼んでいるところだし相手は動いていない。こちらから仕掛ける必要を感じなかったのだ。
「そうしたいとこなんだが……時間がやべえ」
「時間……?」
にゃーん。
小さな鳴き声にエルティティスは振り向く。いつの間にかアヴグストの使いまである小さな黒猫がサリホの肩に乗っていた。
猫は細くて長いしっぽをくるりと巻いてサリホの目元を覆っている。彼女の顔色は悪い。
「……サリー?」
「エル……エル……!」
「大丈夫よ、落ち着いて」
「落ち着いてる場合じゃないわ! さっきまで見えていたのに、今はなにも見えない……でもわかるの、まだいますわ。なにか良くないものがいますわ!」
「たぶんそいつ、『毒』にあてられてる。早いとこなんとかしねえと」
「ねえ、アヴグスト……そこにいるんでしょう? このままだとエルが――」
「ばァか、お前のが危ねえんだよ」
言いながら、アヴグストが左手の道具を男へ向ける。
ピピピ、ピピピ、ピピピ、と小さな音が三回した。
「アヴグストさん、サリーを結界の外に――」
「無駄だ」
アヴグストが舌打ちとともにエルティティスの言葉を遮った。振り向いた彼の瞳孔がまるで猫のように縦になっている。彼が黒猫と繋いでサリホの状態を『視て』いるのだと気づいた。
「たぶん、ヤロウはもうサリホと繋がっちまってる。『妨害』が時間稼ぎ程度にしか効いてねえ……
たぶんヤロウ動かないのはサリホの魔力を食ってる最中だからだ。今サリホだけ結界から出しても――」
「繋がっているサリーごしに結界から逃れてしまう……」
「そういうことだ」
「もう……!」
以前エルティティスが寮の部屋に施していた封印を、彼女と魔力的に繋がっていたミハイルが解除してしまったことと同じ理屈だ。サリホを結界から抜けれるように結界に変更を加えることは、目の前の男をも結界から出られるようにしまうことに等しい。それを理解して、エルティティスは歯がみした。
『毒』とはいわゆる悪霊の誘惑と呼ばれるものだ。実際に言葉などで人間を誘惑するのではないし、目に見えるものでもない。だがそれに触れられると魔力を持つ人間は正常な思考を奪われ、制御を失った魔力を奪い取らんとする正体のつかめない不可思議な力――
普通、人は魔力を奪われても死ぬことはないのだが、この『毒』は麻薬のようなものだ。これにあてられた人間はその心を病み、徐々に正常な判断力を失っていく。そして最後には悪霊に魔力を捧げる悪鬼と化してしまうのだ。
アヴグストが『妨害』――つまり彼の使い魔がサリホの周囲に回路を張り巡らせて、男からのサリホへの魔力的な干渉を防ごうとしているが、一度繋がってしまっているからだろう、完全に抑えこめることができていないようだ。
「チッ……勘違いなら大歓迎だったのによォ。
『照査』の結果、『黒服の男』と判定された。技師の権限に基づき、てめえを排除する」
アヴグストの言葉と同時、犬二匹が遠吠えとともに回路を展開した。小型犬は『肉体強化』、もう一体の大型犬は『光線』だ。小型犬はすさまじいスピードで男へ駆け寄ると、喉元めがけて飛びついた。その攻撃を男は首をそらすことで避けたが、そこへ大型犬の放った光線とエルティティスが遠隔装置から放った光弾が追いすがる。
「――っ! 『防護壁』を!」
アヴグストの指示に、エルティティスは遠隔装置から『防護壁』の回路を引き出し展開する。
三人を半円状の魔力の壁が覆った。
「あ……あっぶねえー……ヤロウ、もう完全に人間捨ててるのかよ……」
光線は『黒服の男』の左脇腹に風穴を開け、エルティティスの放った光弾はその両腕、両足に着弾、吹き飛ばした。
それと同時に黒い霧のようなものが『黒服の男』からふき出した。まるでその名の通り、傷口から黒い血がふき出したかのような光景だ。霧となったそれが周囲の視界を奪う。
「助かった。しかしとっさに俺のところまで範囲に収められるとは思わなかったぜ。さすがの魔力だな」
「それって……
私がアヴグストさんを範囲に入れられなかったら、どうするつもりだったんですか……」
「まあ、ギリギリ間に合ったんじゃねえのォ?」
礼を言うアヴグストにエルティティスは息を吐いた。彼が使役している使い魔は生身の動物なので、そちらを守ることを優先したようだった。一応、使い魔たちへの『防護壁』に加え、風を生んであの黒い霧の向かう先を変更して対処しようとしたようだが、数秒はこちら側も完全に黒い霧に覆われた。ということは、エルティティスの防護壁がなければ彼は生身でそれを受けていたことになる。その風のおかげでじきに霧が晴れて視界は効くようになりそうだが、危ないことをする。
「状況をうかがっても?」
今度は鷹と視界を同調させてているのだろう、瞳が丸い瞳孔に変わっているアヴグストにエルティティスは訪ねる。
「微動だにせずって感じだ。ただ、分身はしないみたいだな。あいつ以外は結界内に見当たらねえ……しかし、こちらもうかつな攻撃のしかたはしない方がよさそうだな」
「ですね。この霧がなんなのかわかりませんが、体に良いものではないでしょうし」
「クッソ……時間がねえのに」
「落ち着いてください。とりあえず最優先はサリホです。『遮断』の回路を組んでるんですが、時間が……」
「俺もチーナに『解析』もさせてるが……『妨害』と同時進行だから全力でやらせる余力がねえ……
ヤロウに直接攻撃して物理的な妨害は効果があったみてえだから、悪いがこのまま同時進行でいく」
「はい。『解析』が終わったところだけでいいので、私の方に回してください」
「頼んだ。コンに情報の伝達を――」
「いいえ。『読める』ので大丈夫です」
「助かる」
エルティティスは『遮断』の回路は準備していなかった。いや、正確にいうならば雛形はある。だが、そもそも遮断する対象がわからなければ組みようもない回路なので、『黒服の男』の使う『毒』を調べなければ回路が完成しない。アヴグストも使い魔の使役や『黒服の男』との相対と同時進行なので、これ以上の余力はない。エルティティスが急ぎ構築は初めているが、まだ完成までしばらくかかりそうだ。それまでアヴグストには時間を稼いでもらうしかない。
本当は攻撃用に飛ばしていたうちの一つに黒い霧の解析の指示を出したいのだが、『遮断』の回路構築に力を割いているので余裕が――と、結界からの反応に眉をひそめた。
「……一人、誰かが結界の中に」
「増援か?」
「わかりません。単身の増援というのはありえますか?」
「……ヤルンちゃんなら、ここでわざわざ単独行動しようとは考えねえだろうな」
「ですよね」
「だが、ヤルンちゃんなら――」
続いてアヴグストが小さくつぶやいたが、エルティティスは聞き取れず首をかしげる。
「え?」
「いや。とりあえず結界を無理矢理破ったとかじゃないなら、入ってきたのは技師か技師見習いなはずだが――」
瞬間、エルティティスは目を見張った。恐ろしく複雑な回路が展開されたのがわかった。
「これは……!?」
「『遮断』か、よっしゃ!
チーナ、サリホはもういい、霧の解析に回れ!」
エルティティスが目を見張り、アヴグストが歓声をあげた。
同時にサリホの目元をしっぽで覆っていた黒猫がアヴグストの指示ににゃんと一鳴き。するりと飛び降り霧の方へ駆けていった。
「アキ!」
同時に『黒服の男』の呪縛から解放されたサリホが地面に膝をつく。そこへ長毛種の大型犬がてってってと走り寄り、彼女の頬をぺろりとなめた。そこに回復の回路が見えたのでエルティティスは自分も組みかけた回復回路を開放する。
「サリー、大丈夫!?」
「ええ……ありがとう……」
エルティティスの手を借りてサリホが立ち上がる。
アヴグストの隣に、結界を抜けてきたと思われる人間が軽い音をたてて着地した。技師が任務の際に身につける『戦闘服』と呼ばれるスーツ姿だ。体格からして男と思われるが、覆面をつけているため正確にはわからない。
「え……」
「……例の変質者ですのっ!?」
エルティティスが目を丸くしている横で、サリホが悲鳴をあげてエルティティスにひしっとしがみついた。
アヴグストが覆面の男をちらりと見てあきれた顔をする。
「お前が『遮断』したか……ド変態のくせに有能なこったなァ。
……俺じゃ、あそこまで早くできねえよ」
サリホは『遮断』によって『毒』の呪縛から逃れ、正気を取り戻すことができている。すでにかなり魔力を奪われたようで多少ふらついているが、別状はなさそうだ。
『遮断』の構築は多くの手順を踏まなければならない複雑な作業だ。覆面の男はそれを進入してからの短い間に組み上げている。驚異的な速度だ。
(ベテランの技師……かしら?
でも、あの戦闘服は――)
エルティティスが覆面の男をじっと見つめていると、その視線を避けるように『黒服の男』に向き直り腕を振り上げた。それを見たアヴグストは慌てて言う。
「待て! あのヤロウ、攻撃すると黒い霧状のモンを無差別に撒き散らしやがる。うかつに攻撃すんな!」
彼の言葉に反応した覆面の男は、一度組んだ回路を破棄して再度別の回路を組み上げる。今度は複数だ。
(『封蝋』と『印璽』、それから『解析』……早いけど――!)
構築された回路が『黒服の男』の足元で動き始め――ここで初めて男が大きく動いた。
「――!?」
『黒服の男』がこちらに駆けてきたのだ。そのため『封蝋』と『印璽』は、無念にも目標を捉えることができず、回路の力だけがむなしくその場に残った。だが覆面の男がすぐに回路を開放したようで、音もなく消える。
同時に覆面の男がアヴグストら三人から距離をとるように駆けだした。『黒服の男』も進路を変えてさらに覆面の男を追いすがる。
それを見て、エルティティスは息を呑んだ。以前ヤルンに『会話』で説明されたことを思い出す。
『だが今回の事件は少々特殊で、特定の人間の魔力が『黒服の男』から狙われていると思われる。』
『そう、『視る』もしくは『読む』能力を持つ者だ。』
(彼が次の標的になった!)
そしてあの覆面の男は自分が『黒服の男』から狙わたことも理解しているのだろう。あえて自分たちから離れたのは、エルティティスたちを巻き込まないように配慮したからだとしか思えなかった。
エルティティスは手元の遠隔装置に触れ、回路を読み出す。覆面の男に援護したいが、ただ攻撃するだけでは逆に足を引っ張る可能性がある。
「アヴグストさん、あの霧は?」
「とりあえずチーナに害がないことはわかったが……視覚を奪うだけではなさそうだ。恐らくは『毒』か、それに近いもんだ」
それを聞いたエルティティスは遠隔回路に指示を出す。覆面の男の周囲に回り、常に『防護壁』を張った状態にする。
覆面の男が回路を展開した。『黒服の男』の足下に回路の光が生まれ、同時に土砂が舞い上がった。どうやら足下に強烈な風を生んだらしい。それに思い切り巻き込まれた『黒服の男』は土砂と共に吹き飛ばされて重い音を立てて倒れる。
土砂で傷ついたのか、先刻ほどでは無いがやはり黒い霧がもやりと噴き出している。覆面の男が攻撃の回路を展開しつつ、『解析』がそれを調べている様子が見える。
(やっぱり直接攻撃はダメみたい……力押しがダメなら燃やすとか、水攻めとかはどうかしら……)
エルティティスは、ふと疑問に気づく。
(そういえば、『黒服の男』はどうしてあの人にだけ攻撃の意思を見せたの? サリーは見ただけで『毒』に捕まってしまってたのに。
どちらにしても、あの『黒服の男』は私とアヴグストさんのことは眼中にない気がするし……私は『読む』能力者なのに、標的じゃない?)
「おい、大丈夫か!?」
アヴグストの声に考え事をしていたエルティティスははっとする。彼が声をあげた原因はすぐにわかった。覆面の男が片膝をついて、苦しいのか背中が大きく上下していたのだ。そして先ほどまで覆面の男を追いすがっていた『黒服の男』も動きを止めている。
サリホがひっ、と声をあげた。
「あれが『毒』ですの……!?
二人とも、わたしにはへんたっ……あの覆面の方の周りに、霧とは違う何か――黒い糸のようなものが絡みついているのが視えます! それが、あの黒服の男に伸びて……!」
「マジか……クソッ!」
「そんな――」
エルティティスにもアヴグストにもサリホの言う黒いものは見えなかったが、その言葉は真実だろうと確信した。
エルティティスは足下の地面に手を触れ、先ほど覆面の男が放った『遮断』の回路を『読み』出した。
「え、エル? なにを?」
「サリーはここにいて!」
サリホの問いには答えず一方的に言うと、エルティティスは『防護壁』を抜けて覆面の男の方へ駆ける。手元に残していた遠隔装置は二人のところに残して『防護壁』を維持するよう指示は出してある。代わりに覆面の男のところに飛ばしていたものをひとつ自分に呼び寄せた。
「バカ! あんたは――」
「アヴグストさんはサリーをお願いします!」
飛び出したエルティティスを追いかけようとしたアヴグストをその一言で制止させると、エルティティスは先ほど読んだ『遮断』を展開した。サリホと同じ『毒』なら、先程覆面の男が組んだ回路をそのまま流用できると思ったのだが、問題なかったようだ。エルティティスはほっとする。
覆面の男はそれで『毒』から解放されたようで、大きく息を吐いたのがわかった。だが念のためにエルティティスが『治療』のために肩に触れようとして――飛び退かれた。
「え」
覆面の男はふらつきながらもぶんぶんと顔と手を振って拒否の意思を見せる。
「あの、治療を……」
ぶんぶんぶんぶんと首を振られる。
「せ、せめて状態だけでも」
さらに首を大きく振られた。音にすればぶぶぶぶぶんといったかんじだ。意地でもエルティティスの治療は拒否したいらしい。
エルティティスは目を細めた。『治療』だけは人よりも的確で早いというのが彼女の矜持だ。ここまで拒否されると、ちょっと、意地でも、治療したくなってくる。
ちらりと『黒服の男』の方を見る。やはり動き出す気配はない。
それを確認すると、エルティティスは覆面の男の近くに飛ばしていた遠隔装置を手元に寄せて、そこから『封蝋』と『印璽』――拘束のための回路だ――を読み出す。にっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ、私はこれでも『治療』には自信があるんです。すぐ終わりますし、失敗もしません、だからおとなしく――」
言い切る前にエルティティスははっと気づいて視線を上空へ向けた。
「結界が反応! 五人です。
――あっ!」
同時に覆面の男がエルティティスのもとから逃げたのだ。全力疾走だった。
だが、それよりも『黒服の男』が問題だった。またしても動き出したのだ。こちらの人数が増えたことで不利と判断したらしい。撤退をしようと結界を破ろうと攻撃を仕掛けだした。
「あー……あー、もう!」
エルティティスは急いで対抗するために結界の守りに意識をやるが、それで結界の維持を彼女がしていることに気づかれたようだ。その反応――赤く光った目の色を見て――『黒服の男』がここに来てはじめて攻撃の意思をこちら側へ向けてきたことがわかった。男の周囲から黒い複数のボールのような物が現れ、エルティティスへ降りそそぐ。
結界を守るか、身を引くか、反撃をするか。
でも、反撃をするにしてもどうするか――
一瞬だが、エルティティスは迷って動きが止まる。
(あ、どれにしても肉体強化はしておくべきだった――)
肉体強化なしで全弾避けるのは無理かも、と半ば諦めた。攻撃は甘んじて受け、治療で命だけはなんとかする方向で覚悟を決めた瞬間、逃げ出したはずの覆面の男がエルティティスの前に躍り出て、『防護壁』の回路を二回展開した。エルティティスに降りそそぐはずだった黒い光弾はすべてそれに阻まれた。
そして、どうやら同時に展開したもう片方の『防護壁』の回路は手を加えていたらしく、エルティティスたちではなく『黒服の男』を囲むように広がった。その『防護壁』はかなり小さな作りにしたようで、『黒服の男』を小さな『防護壁』に閉じ込めるかたちになっている。さらに、すぐにそのまま『狼煙』も展開している。回路の展開が本当に早い。
「わ……」
「失礼、お嬢さん」
エルティティスが反応できずにいると、いつの間にか防護壁の中に入り込んでいた男性から突然声をかけられた。と、同時に抱え上げられてその場から離される。
こちらも覆面の男と同じ戦闘服を着た男ではある。だが覆面はかぶっておらず、その端正な顔をエルティティスに向けてにこりと微笑んだ。
「ヤルンちゃん――じゃねえ、パーシャか! 遅ぇ!」
「悪い、グスタ。これでも急いだんだ」
彼は抱えていたエルティティスをアヴグストの近くで降ろすとアヴグストはエルティティスを『防護壁』の中に引きずり込んだ。パーシャと呼ばれた戦闘服の男が頭を下げる。
「『防護壁』の強度、上げられるか?」
「はい」
「わかりましたわ」
エルティティスはそこでようやく使い魔たちが鷹以外は結界の周囲に戻ってきていることに気づいた。一度回路を解き、使い魔たちも入れて『防護壁』を張り直す。サリホが強化に協力してくれる。
その間にアヴグストが『防護壁』を鷹と戦闘服の男に張る。
戦闘服の男は『肉体強化』はすでに自分でかけているらしい、攻撃回路をいくつか周囲に展開しながら駆け出す。
「どうやら『狼煙』はちゃんとあがったみたいだな。覆面さんは仕事が早い」
『狼煙』は技師たちがターゲットの場所を確認するためのマーキングだ。これをつけることで、誰か一人がターゲットを発見できれば、他の技師たちにも場所が伝わる。
「――けど、『狼煙』を使うことなく無駄になっても、怒らないでくれよ!」
「うっせー! さっさと仕事しろ!」
「もちろん!」
アヴグストの怒鳴り声を背に戦闘服の男が駆ける。覆面の男はそれに気づくと、自身と戦闘服の男に防護壁を張りながらまた身を引いた。同時に複数の攻撃回路が周囲に瞬く。
――瞬間、『黒服の男』を囲む結界ごと、周囲が強烈な熱に包まれた。オレンジ色にてらりと光る熱が地面を溶かす。
「う……わ……」
「ひっ……」
地面が溶岩のようにどろりと溶けて、覆面の男が張った防護壁ごと『黒服の男』がオレンジの池に沈んだのを見て、エルティティスとサリホは思わず顔を引きつらせて手を取り合う。攻撃手段になる回路の使用は資格のある者以外――技師や特定の術を使用する専門職だ――強く禁じられているので、二人ともこんな光景を実際に見るのは初めてのことだ。
戦闘服の男が追撃の攻撃回路を展開している間に、今度は溶けた地面が凍りつく。強烈な冷気が溶岩になっていた地面を急激に固めたのだ。
「無事か」
「もちろん」
凍った大地の周囲に戦闘服を身につけた男が数人着地した。色の違う戦闘服の中に紛れる同色の戦闘服、その一人はエルティティスにも見覚えがあった。ヤルンだ。
【数一、分裂なし、体表に傷が付くとそこから黒い霧を出すので注意を!】
『了解』
鷹がアヴグストの声で戦闘服の一団に言葉をかけると、全員がうなずいた。
全員戦闘体制だが、『黒服の男』が出てくる気配はない。
「……結界、破られました」
エルティティスがうつむいて言うと、その肩を隊長と思われる男がぽんと叩いた。
「……残念ながら逃げられたようだな。
パーヴェル、先ほどの攻撃に手応えは?」
「そこまでは。多少は削れたと思いますが……
隊長、彼が『狼煙』をかけたはずです」
戦闘服の男――パーヴェルは隊長の問いに答えつつ、覆面の男を指した。
「どうだった?」
覆面の男は首を振る。なにかを報告しているようだったが、エルティティスたちへはその声は届かなかった。
「すみません、私がもう少し結界を強固にしておけば……」
「いや、増援が結界を緩めたタイミングと被っちまったんだからしょうがねえ。てかあの状況じゃ結界にばかりかまけてらんねえし、そもそも本来は結界は一人で張るものじゃねえ……落ち度があるとしたら俺だ」
「そうよ。わたしたちが手伝えなかったのが悪いのよ」
エルティティスの結界が一人で展開したとは思えないほど大きくて強固なものだったので、結界の維持にアヴグストたちは意識を回さなかったのだ。
「それにしても、技師の方々はあの覆面の方と普通に会話に参加して……あの格好でも怪しまれませんのね……」
「あー……害はないからじゃねェの?」
「えええ……そういうものなのですの?」
アヴグストが目をそらして答えると、サリホが微妙な顔をしている。
「たぶん、悪い人ではないわよ。まあ覆面は……技師やってる人には、多くはないけどあることだから……
――って、ああ、そっか。サリホは技師を見たことがなかったのね」
「戦闘服? え、あれはよくあることなの!?」
「うん、戦闘服っていうのは技師の人とその関係者が着るものなの」
言って、アヴグストの着ている服と、技師たちの服を指す。アヴグストは上着を着ているが、同じものだとわかるだろう。
「俺たちの制服も上着脱ぎゃ、戦闘服だ。見習いだから技師たちとは色違いだけどよ。
内部のヤツは戦闘服で階級も所属もわかるようになってるから、顔が見えなくても……一応は支障ない」
アヴグストが肩をすくめて言う。
「技師の関係者以外は戦闘服とか見る機会があんまりないから、びっくりしちゃうかも?」
「わたしはあの覆面が受け入れられている事実に驚いているのよ、エル!」
サリホの言葉にエルティティスは苦笑する。気持ちはよく理解できる。
「でもなあ……技師って結構、かぶりモンするヤツ多いんだよなァ」
「そうなの。顔を覚えられて仕事しにくくなったり、恨みをかって家族に危害がいかないようにって言われると、無下に禁止にもできないらしくて」
「どうしてそんなことを知って――ああ、エルのところは技師と縁深いお家柄でしたわね」
「うん」
覆面や仮面については、父が本気で頭を悩ませていたなあとエルティティスは思いだす。顔がわからないというのはチームで行動する技師たちにとって致命的と思いきや、身につけている階級章とドッグタグがあるので問題ない。もともと自分たちが仲間の魔力の波長はある程度判別できる上に、技師と悪鬼を識別できる魔道具を常に携帯しているため、顔がわからなくてもなんとかなってしまう。
潜入捜査や『黒服の男』たちのなりすまし防止のために考案されたそれらが、まさか覆面や仮面姿の技師を世に蔓延らせる原因になってしまうとは思わなかったと父が嘆いていたのはいつだっただろうか。
「それにあの覆面のひと……私の知ってる人よ、大丈夫」
「げっ……わかるのか? 魔力の波長に覚えでもあんのか?」
「いいえ、そんな余裕はなかったから。
でも、『読ませて』くれなかったから確認はしてないけど、行動パターンというか、なんというか……知ってるなあと」
アヴグストが肩を縮めた。彼も途中で気づいてたのか――あるいは最初から知っていたのか。
「あれがエルの知り合い……変わったお知り合いがいると、大変ね……」
サリホの心からの言葉に、エルティティスとアヴグストはそろって苦笑した。
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一ヶ月後くらいまでに更新できればいいなあと期待しています。申し訳ありません。




