番外編 「三階の窓から」
# 番外編
## 「三階の窓から」
最初、
少し怖い人だと思っていた。
二階のフロアにいる、
かなと。
初めて挨拶へ行った日。
忙しそうに電話を取りながら、
周囲へ指示も出していて、
いかにも“仕事ができる人”という感じだった。
正直、
話しかけづらかった。
でも。
「こちら、記入終わったらで大丈夫ですよ」
そう言って笑った顔が、
思っていたよりずっと柔らかかった。
その瞬間、
少しだけ安心したのを覚えている。
それから、
仕事で二階へ行くことが増えた。
書類の確認。
押印。
ちょっとした相談。
かなとは、
いつも忙しそうだった。
でも、
話しかけると必ず手を止めてくれた。
「大丈夫ですよ」
「確認しておきますね」
その言い方が、
なんとなく好きだった。
ある日。
昼休み、
コンビニへ向かおうとしていた時。
エレベーター前で、
かなとと会った。
「あ、一階のレストラン、結構美味しいですよ」
かなとが、
少しだけ緊張したみたいに言う。
たぶん、
ただ店を教えてくれただけ。
でも、
なぜか少し嬉しかった。
「じゃあ、今日行ってみようかな」
そう返すと、
かなとの目が少しだけ揺れた。
その時はまだ、
気づいていなかった。
その昼休みが、
あんなに特別になるなんて。
気づけば、
昼休みになると二階へ降りるようになっていた。
「かなとさん、お昼行きます?」
そう声をかけるのが、
いつの間にか当たり前になっていた。
レストラン。
窓際の席。
唐揚げ定食。
どうでもいい話。
仕事の愚痴。
かなとといると、
不思議と気を使わなかった。
静かなのに、
居心地がいい。
昼休みが終わると、
少しだけ仕事へ戻るのが嫌になるくらいには。
だから。
かなとが急に昼へ来なくなった時、
少しだけ困った。
一人でレストランへ行っても、
なんとなく落ち着かない。
窓際の席が空いていると、
無意識に入口を見てしまう。
でも、
かなとは来なかった。
忙しいのかな、
と思った。
それ以上は、
踏み込まなかった。
踏み込んではいけない気がした。
だから。
久しぶりにレストランで、
「……はい」
って、
少し困ったように笑ったかなとを見た時。
正直、
少し安心した。
異動が決まった時、
最初に浮かんだのは、
昼休みのことだった。
かなとに、
ちゃんと言わないとなと思った。
でも。
「寂しくなりますね」
そう言ったかなとの顔を見た瞬間、
少しだけ困ってしまった。
嬉しかった。
でも。
それ以上を考えると、
たぶん戻れなくなる気がした。
だから、
いつも通り笑った。
最後の日。
エレベーターの扉が閉まる瞬間。
かなとは、
ちゃんと笑っていた。
たぶん、
自分も同じ顔をしていたと思う。
本社へ向かう車の窓から、
ぼんやり景色を見る。
昼休みの時間だった。
スマホを見る。
癖みたいに、
「かなとさん、お昼行きます?」
って送りそうになって、
少しだけ笑った。
もう、
二階へ降りることはない。
でも。
昼休みになると、
たぶんしばらくは、
かなとのことを思い出すんだろうなと思った。




