イモータル 1
市役所の周辺は戦場と化していた。
土居方から流出した軍用銃と思われるフルオート射撃の音が多数鳴り響き、車が何十も乗り付けられている。
反対側にもやくざらしき者が中心になった群集が出来ており、車やブロック塀を盾にしながら応戦している。
その数十の暴徒の中心には原田猛の選挙カーがある。その上で、場違いな演説をしている声の主は、紛れも無く民政党副幹事長の猛その人だった。
駐車場の入り口付近には、見知ったミニバンが三台並んで止まっている。その周囲は銃を構えた黒い戦闘服の男達が固めている。
「馬鹿な……」
市役所前の広い駐車場から少し距離を取ったところで車を降りた人見は、失笑を隠さずそう言った。遅れて金堂の車が後ろにつける。
「井出組残りカスに原田とその取り巻きか。相当イカレてんな、こいつら」
「ここにヘリが降りるのは無いなあ。他を探すか」
「面倒すぎ。制圧だ。バックアップヨロシク」
「へい、盾様!」
「懐かしいなその呼び名」
目の前の景色を呆然と見ていた春野は、ガラスを叩かれたのに気づき、慌てて首を回した。
「あんたさあ、その長いの持って、ここ、登ってくれる? 金堂と」
やけに黒目が大きく感じる人見は、照明の落ちた五階建てのオフィスビルを指差し、そう言う。口答えをしようと思ったが、またキレられても面倒だと、春野は黙って槍をトランク側から引きずり出した。
長いケースを手にぶら下げた金堂に呼ばれ、春野は脇に槍を抱えて、後に続く。
「丁度いいから、ついでに原田もやっときますか?」
「そうだね。あんたやんなさいよ」
まるで料理の下ごしらえかなにかのように、言い合う人見と金堂に嫌悪感を募らせつつ、急こう配の非常階段を登る。
「階段キツクない?」
「大したこと無いわよ」
「さすが春野さんだ。ポイントもくれるし、飯も奢ってくれるし、足腰も丈夫」
「馬鹿にして」
「いや、こんな出会いじゃなかったら、惚れてたなって」
「あの人は?」
「人見さん? そういう趣味は無いんだよなあ」
「そういうって?」
「怒られるんで言わないけど」
「なんなのよ、もう」
屋上への扉は鍵が掛かっていた。金堂は腰の銃を抜く。
「なにするの?」
「あ、春野さん、踊り場まで下がって」
金堂は銃を鍵に向けた。
「あ、煩いんで、耳塞いでね」
慌てて耳を塞ぎ、目を閉じてしゃがみ込んだ春野の耳元でドラム缶をひっぱたいたような音が数発鳴り響いた。そしてすぐに外の冷たい空気を感じる。
「行こう」
春野は耳に綿が詰まったような不快感に口を尖らせながら声に従った。
結局、いいように使われるのか、と尖った口に眉間の皺をプラスする。ドアの横に槍を立てかけ、そのまま壁際で腕を組む。
手際よく準備を終えた金堂の長い銃が、火を吹く。
フェンスも無い屋上に金堂はうつ伏せになって、その大砲のような、不快な轟音を響かせ続けた。
時折楽しそうに口笛を吹く金堂を見て、春野もふと市役所のほうを見た。丁度金堂が撃った弾で千切れた人の一部が宙を舞っていた。それを見て金堂はピューっと口笛を吹く。
必要悪。なのか。と、殺されゆく人達をみても意外と驚かなくなっている自分に驚く。
『周辺諸国は、明確な敵なのであります! 我々神に選ばれた国民は、邪悪な勢力からこの美しい国土を守ることを躊躇すべきではありません! 神の地への外敵の侵入、これを許さず! 奪われた我が国土を武力を以ってこれを奪還するのに、なんの逡巡が必要でしょう? 我々は今こそ恥辱の歴史を塗りなおし――』
耳障りな演説が金堂の射撃音と共に止まった。
「原田猛死亡確認。作戦終了」
楽しそうな声を上げていた金堂が、ふと黙り、動きを止める。ライフルの轟音が止むと、耳元を吹き抜ける風と、爆竹のような遠い銃声が、目の前で起こっているはずの殺戮を遠い世界の出来事のように感じさせた。
金堂は振り向くと、市役所を親指で指した。
「見てよ。あそこ走ってくのが人見さんだよ」
髪を、たぶんウイッグを、靡かせ、その小さな人影は風のような速さで市役所の前に広がる広い駐車場へと迫る。
腰に吊った警棒を抜くと、足を止めること無く二人の男を文字どうりに殴り飛ばし、銃弾が飛び交う真っ只中のロータリーに生えた、大きなとちの木へと駆け上がった。それを気に掛けず撃ち合っている両陣営へ向けて、人見は何かを投げ込んだ。
「眩し!」
思わず春野が声を上げるほどの閃光が閃き鈍い爆発音が響いた。
「終りだ。一瞬だよ、すごいだろう?」
思わす閉じた目を開いた時、人見は既に二十メートル程前進し、車の陰から銃を撃っていた暴徒に向かって、マシンガンを乱射していた。閃光で視界を奪われた者達は、空しく地面に崩れてゆく。もう片方の陣営も、戦闘服達の一斉射撃によって蹴散らされていった。
「空手とかやると、あんな風に警棒で人を吹きとばせるの?」
「いいや、ああはならない」
「あの人、強いのね。女性なのに」
「ああ、誰も敵わない」
「あなたでも?」
「仲間内じゃ『死神』って呼ばれてる。いつも黒装束だし。睨まれたら終わり。どんなに力があってもあのスピードにはついていけないんだ。弾は何故かあの人を逸れて飛ぶ。そういう人も居る。――いや。人なのかな?」
銃声は止まり、静寂が屋上から市役所駐車場までの空間を満たしてゆく。春野の中で断裂していたあちらとこちらは、また一つの世界として繋がる。車の屋根に飛び乗り、辺りを見回していた人見は、まるで月着陸船のタラップから月面へと飛んだ宇宙飛行士のように、ふわりと地面へと着地し、アスファルトに倒れている者達を覗きはじめた。
「容赦はしないんだ。自分が弾を打ち込んだ者は絶対に殺しきる」
倒れている一人の男が頭を跳ね上げられ、遅れてパツンという軽い銃声が届く。
春野が、まるで夕日を眺めているような口調で言った。
「同じ。多分……同じ人間なのに、どうしてガラスみたいに簡単に砕けていってしまう者と、鉄球みたいに強い者が居るんだろう」
「……そういう、役割なのかな」
そう言いながら金堂は、水溜りに浸かった右の靴先を動かしてぴちゃぴちゃと音を鳴らす。その波紋が美しく反射していた月の輪郭を崩していった。
「そうかもね。壊れるものが無かったら、次の命の材料は出来ないもの。地球にある物質は一定。人間の数だけ重さが増える訳じゃ無い。仕方ないって言っといたほうがスマートな気がする。あんなお姉さんと殴りあう気にはなれないし。悔しいけどね」
「なるほど」
「満与さんはあの子のこと『ヒミ』って呼んでた。……きっと、死産だった瞳ちゃんと美月の頭文字。片方を失った清子が二人分の名前を美月に……」
金堂は立ち上がると、長大なライフルを肩に担ぎ、階段へと向かった。
「春野さんはそういうこと、言うように見えなかったんだけどなあ」
金堂は立ち止まって少し笑う。
「ええ? どう見えたの?」
問いに答えず、階段を降りる金堂の後ろ姿は、春野の瞳に少し小さく映った。