母の日
前回の続き。と言うか対になるお話。
五月の第二日曜日。すなわち母の日である。片桐掟は御堂春真に招かれてマンションの前に居た。先の端午の節句で神林家を訪問したから、今度は御堂家の順番と言う訳である。
なし崩し的に外堀が埋められていると感じた掟は母の真実に相談したが、
「行ってくれば良いじゃない」
と前のめりの反応である。
「母の日なのに」
姉二人は母の日を祝う様なタイプではない。
「一番の孝行は良い男を見つけて結婚することよ」
と結婚していない自分を棚に上げて笑った母。
「私は久しぶりに墓参りにでも行ってくるわ」
母にもそのまた母が居るのである。
待っていた春真は掟の車の助手席を開けて、
「頼むよ」
と後ろにいた少年に声を掛ける。
少年は機械を取りだして作業を始めた。
「何をするの?」
車の横に立って不安そうにしている掟に、
「ナビAIのバージョンアップだよ」
と春真。
少年は古いカーナビを取り外して最新機種を取り付ける。
「済んだよ」
ものの五分で作業は終わった。
入れ替わりで春真が乗り込んで、行先を設定する。
「あそこへの道は判り難いんだよね」
「準備できた?」
と合流してきた少女。
「お前も行くのか?」
「だって母の日でしょ」
と少女。
「お前も行くか?」
と春真は少年にも声を掛ける。
「良いの?」
「だって瞳さんは出勤しているだろ。まりが出掛けたら、お前の食事の面倒をみる人間が居なくなるじゃないか」
と言ってスマホを取りだして、
「母さん。これから出るよ。真梨世と皆人も一緒に行くから。宜しく」
そこで掟に向き直って、
「良いですよね」
と合意を取り付ける。
掟としても、春真と二人っきりの長距離ドライブになるよりは気が楽だ。
四人は車に乗って出発した。
車が住宅街を抜けて幹線道路に入ると、
「オートドライブに切り替えます」
とナビの声。
「両手をハンドルから離して下さい」
と言われてその通りにすると、
「オートドライブを開始します」
と続く。
「足も離していいですよ」
自動車は自動運転状態に移行した。
「さて改めて紹介します」
と春真。
「右が妹の真梨世、中学三年」
「こんにちは」
と真梨世が兄に良く似た口元をきゅっと緩める。
「T大法学部二年の片桐掟です」
と会釈する掟。
「そして左が末の弟の不破皆人で」
「今年から中学生です」
と皆人。
「中一?」
と言ってナビをじっと見る。
「これ大丈夫なの?」
「弟はこう言うのが得意なんです」
「みー坊は兄弟で二番目に頭が良いんだから」
と真梨世が唇を尖らせる。
「一番は言うまでもなく矩総兄さんだけど、皆人はそれに次ぐんだよ」
「って事は希総君よりも?」
「まれ兄さまはIQ140だけど、みー坊は160よ」
「瀬尾君は?」
「あの人は測定不能。推定200とも300とも言われているけど」
と春真。
「父親が同じなんだから、違いは母親の出来。皆人の母親は東大医学部首席卒業の才媛で、今は御堂病院の外科部長。御堂家の血統だから院長にも成れるんだけど、自分は経営者向きじゃないからって、今の地位に収まったんだ」
「ところで、手ぶらで良いのかしら?」
と掟。先日の神林邸訪問での経験を踏まえての質問だが、
「俺達、お小遣い制じゃないから」
と春真。
「カードを渡されて欲しい物はこれで、と言われているから。母の日に贈り物をしたこと無いんですよ」
と妹の真梨世が補足する。確かに母親から渡されたカードでカーネーションを買って渡してもそれが感謝になるのか、と言われれば大いに疑問だ。
「だから一緒に住んでいる時も、特に母の日を祝った事は無いんだよね。うちの父が若い頃に母親を亡くしているから、と言うのも有るけど」
「それなら私が代わりに買うのは良いでしょ」
と掟。
「花屋を探して」
とナビに指示を出す。地図が提示されたのでハンドルを握って手動運転に戻す。
花屋で注文をしていると、
「白いのを一本追加して下さい」
と後ろから春真が声を掛ける。
「どうして白?」
車に戻ってから春真に疑念を漏らす掟。
「母の母。亡くなったお祖母さんの為だよ」
と春真。彼は一見大雑把に見えるが、こう言う細やかな心遣いも出来る男なのだ。
車は多摩川を超えて都内に入る。
「ここからが判り難いんだ」
周囲には緑が多く、道が入り組んでいる。
「この辺りは戦後に追放を受けた政財界の大物が、あるものは再起の機会を伺い、また世を捨てて隠遁暮らしをした。そんな地域なんだ」
それ故に住宅地図も一般向けにはあまり詳細に書かれていない。
「だからうちの住所も普通に入力しても反応しないんだ」
「面倒くさいのねえ」
閑静な住宅街なのにやたらと防犯カメラが多い。
「鋭いね。あれは神林のカメラだよ」
と言いながらその一つに手を振る春真。
「母さんがここに越してきた頃に、契約して付けて廻ったんだ」
「嫌がる人も居たんじゃないの?」
「始めはね。その一方で公権力の介入を嫌う人が多いから、最終的には神林警備保障との契約に傾いた」
「ますます面倒な話だわ」
「まあどちらを選んでも、この手の話は付きまとうから覚悟してね」
車が御堂家の敷地に入ると、
「手動に切り替えます」
とAIの通告を受けてハンドルを握ると、
「左手に駐車場が有るから」
と指示される。
「意外に小さい」
と感じるのは神林本邸を見た後だからだろうか。
「いらっしゃい」
出迎えに出てきた真冬にカーネーションを渡すのは掟の役目。
「あら、カーネーションなんて貰うの初めてだわ」
「白いのはお祖母さまに」
と春真。
「早かったわね。まだ準備できていないのに」
「後はやりますよ。なあ、まり」
「はい」
二人は台所へ向かう。
「お茶とお菓子が用意してあるから持って来てくれる」
と言って皆人と掟を居間へ案内する真冬。
「大丈夫なんですか?」
「何が?」
「料理をされていたんじゃあ?」
「下ごしらえは終わっているから、後は任せておけばいいわ」
「そうですか」
居間は十二畳相当の細長い洋間で、右奥の二畳だけ畳が敷かれて茶室風になっている。窓はその茶室部分と、その隣の洋間部分にあるが、全く作りが違う。洋間部分は広く開放的な大きなガラス張りだが、そこと和室部分は屏風で仕切られて、茶室には障子越しの光が淡く差し込んでいる。
「元は全体が和室だったのを、母が洋間に改装したのよ。祖父のお気に入りだった茶室部分だけは切り取って遺したの」
「斬新で恰好いいですね」
メインの洋間部分には十人ほどが座れる大きなテーブルが置かれている。掟は左手の壁に面した暖炉に目を向けた。
「元が和室ならこの暖炉は?」
「元は囲炉裏風だったのを、母の改装で洋風に替えられたの」
掟はその上に飾られた一枚の写真を手に取って、
「これって」
椅子に座る江利夫人を中心に左に夫の秀臣氏。右にまだ幼い娘二人。母の隣に立つ真冬は晴れ着姿である。
「私が三歳の時。七五三のお祝いだから本来なら私が主役のはずなのに、お母様の方が目立つでしょ」
と笑う。
「私だけを取った写真も探せば見つかるだろうけど、ここに置くにはその写真の方が相応しいでしょ」
真冬は花束の中から白いカーネーションを抜き取って暖炉の上に置く。
「僕、花瓶を持ってくるよ」
と皆人が言うので、
「大きいのと小さいのを二つね」
「判りました」
入れ替わりで真梨世がお茶とお菓子を持ってくる。それを出すと直ぐに台所に戻ってしまったので真冬と二人きりで対峙することになった掟。
「ここは祖父さまの隠居所だったの」
と語り始める真冬。
「それを二番目の娘だった母が受け継いだのだけど、父との夫婦仲が一時こじれた時に若い愛人との逢引の場所となり、出来ちゃったのがこの私」
かなり重い内容なのだがそれを全く感じさせない。
「だから母は亡くなる際に速水の血を引く息子である瀬尾総一郎を後継ぎに迎えるように遺言した。それが実現していれば姉さまが順当に御堂本家を継いでいたでしょうけど、兄さまが速水家の継承を拒んだから次善の策として私が御堂家を継ぐことになった」
「兄さま、ですか」
「あら、そこに喰いつく?」
と苦笑する真冬。
「外向きの演技には見えなくて」
「一つは母の名誉を守るため。私が速水の父の娘として自らを規定する限り、瀬尾総一郎は腹違いの兄になると言うのが建前で、本音のところはでも血の繋がらない兄妹プレイを未だに続けているだけ。どちらにしても私が御堂の名を背負う限りは瀬尾総一郎の妻には成れないから」
「妻になりたいとは思わなかったんですか?」
「私が兄さまに出会った時には既にハーレムが出来た後だから、他の選択肢は無かったわ」
「もう良いですか?」
花瓶を持った皆人が声を掛ける。気を効かせて待っていたらしい。
「あら御免なさいね」
真冬は花瓶を受け取ると赤い束を入れた大きな方をテーブルの中心に飾り、白い一本を生けた小さなモノを暖炉の上の母の写真の前に置いた。
「兄さまが速水を継いでいた場合、御堂家との繋がりを再度構築する為に私と結婚させると言う素案が有ったの。それはまあ半分成就したことになるわね」
「どちらにしても江利さんの娘が御堂家を継ぐことになった訳ですけど。三女の映見さんでしたっけ。そちらから不満は出なかったんですか?」
「随分と調べているわねえ」
と満足そうな真冬。
「貴方は法律家の卵だから詳細に説明するわ」
と姿勢を正して、
「先々代のお祖父様が死んだ時、遺産は娘三人に等分にされるべきところを、財産の分散を避けるために後継ぎの大部分を取り、妹二人に持参金として財産分与がされた。それは長女に子供がいなくて、何れ次女三女の子供達に遺産が廻ってくることが判っていたから」
「良くある話ですね」
「ええ。次女と三女はほぼ同額の持参金を手にしたのだけど、問題は妹たちの夫。次女の夫は腕利きの実業家で、持参金を最大限に活用して御堂グループの中核企業に発展させた。それに対して三女の夫は良くも悪くも学者馬鹿で、妻の持参金を研究費に使って目減りさせた。さてここからが問題。次女には娘が二人、三女には娘が一人。長女が死ねば遺産は誰がどれだけ貰う?」
「長女に子供が居なければ、妹二人が等分ですね」
「そう。それは何れ妹達の子供に行く。次女の娘たちはそれぞれ四分の一、三女の娘は半分を手にする筈だった。それなのに長女は次女の死後にその娘の一人を養子にすると言いだした。さて遺産配分はどう変わる?」
「長女に子供がいればそれはすべて子供に受け継がれて、妹たちには入りません」
「当然三女は文句を言う。そこで長女は遺言状を作成し、養女となった娘に財産の半分を、残りを二人の姪で分けることにした」
「遺言状って事は、まだ履行されていないんですね?」
「あら気になるの?」
と悪戯っぽく笑う真冬。
「他意はないですよ」
と真顔で返す掟。
「私が御堂の母から受け継ぐのは半分だけど、実母から受け継いだ速水の財産も有るからね」
速水の財産は妻の持参金の部分が大きかったので、夫の秀臣が二に対して妻の江利が八の割合だった。その江利が死んだことによって、
「配偶者が半分を継いで子供達には残りを等分ですから、秀臣氏が六割で、娘二人が二割ずつですか」
「そう。そこに新たに瀬尾総一郎と言う息子が絡む」
総一郎が息子として認知された際に父の財産の半分が三人の子に分割譲与された。真冬はその直後に御堂の籍に移ったので残りの相続には関与せず。よって速水の財産は姉の真夏が四割五分で総一郎が二割五分。真冬が三割でこれはほぼ生前譲与が済んでいる。秀臣の手元にあるのは年金とわずかな不動産だけである。
「ここから実名で話すけど、映見叔母さまと言う人は、如何にもお嬢様然として居てお金に無頓着なの。だから騒いだのは取り巻きの方。正しくは現執行部に不満を抱く反主流派で不破派を名乗っていたわ。対する主流派は速水派と呼称された。速水派の首領は姉の真夏で、私はただの傀儡と思われていたのだけど」
今となってはそんなこと誰も信じないだろう。御堂真冬の凄腕は広く知られている。が目の前に居る女性はその噂と結びつかない。
「失礼ですけど、素っぴんですか?」
「別に失礼じゃないわよ」
と微笑み、
「御堂は化粧品が中核産業の一つだけど、御堂の本業はあくまでも医薬品。真の美容は体の中からと言うのが企業理念だから、基本は素肌の美しさを追求すること」
真冬は御堂のトップとしてまさに理想的な広告塔であった。
「神林にも化粧品部門はあるけど、あそこは基本的に代々の女当主の為のモノで、基本はオーダーメイド。対してうちは汎用品だからね」
と言って試供品を出して手ほどきを始めた。
「貴女、顔立ちが整っている上に肌が綺麗だから化粧映えするわねえ」
と愉しそうである。
「うちの娘はまだ化粧は早いし、自分とおんなじ顔をしているからそもそも張り合いが無いのよねえ」
「出来たよ。って何しているの、母さん」
と動揺する春真。
「中々良いでしょ」
「あまり人の顔で遊ぶなよ」
と返答を避けつつ、
「皆人、運ぶの手伝ってくれ」
綺麗に盛り付けられた料理がカートに乗って運ばれてくる。
「正規のフルコースなら順番に出すところだけど、給仕係が居ないから」
前菜とスープが同時に供されて、メインディッシュは大皿に盛り付けられてテーブルの中央に置かれた。
席次としては、テーブルの正面に真冬が座り、左手のラインに掟と皆人。反対側に春真と真梨世が座る。ナイフとフォークが置かれたので、洋食に慣れていない掟は緊張気味だ。周囲を見回しながら真似をしつつ食べる。正面に座っている春真は意外なほど優雅な作法で彼女をそっとリードした。
「春真君も料理が出来るのね」
ちょっと悔しそうな掟。
「下ごしらえは終わっていたから、俺は焼いただけだよ」
と謙遜する。
「盛り付けは私だよ」
と手を挙げる真梨世。
「ただ焼いただけと言うけれど」
引継ぎの際に打合せはしていなかったから春真は下ごしらえの様子を見ただけでその後の手順を理解したことになる。これは料理の経験がなければ無理だ。
「それが判る貴女も十分に出来る女よ」
と褒める真冬。
「この子は普段は全くやらないけど、一通りの技は仕込んであるの」
「仕込むって。芸をする猛獣じゃないんだから」
苦笑する息子に、
「あら似たようなものよ」
と笑う母。
「貴方は元気過ぎて苦労したんだから」
「希代乃さんが、写真を取るのがひと苦労だったと言っていましたね」
と掟が言うと、
「それで思い出したわ。披露宴の映像って見た事ある?
「瀬尾さんのですか。いいえ」
「貴女のお母様も映っているから後で見せてあげるわ」
食事の手が止まったのを見て、
「ではデザートを」
と春真が立ち上がる。
「冷蔵庫にフルーツを用意しておいたけど」
「ええ。確認済みです」
「じゃあお茶を入れるね」
と真梨世も跡を追う。
「私も手伝おうか」
と掟が言うと、
「お客様は座っていて」
と真冬の制止が掛かる。
「え、ですが」
「今日は母の日だから、子供たちが私の為に色々とやってくれているのよ」
と言われて引き下がった。
デザートを愉しみながら、
「何か一曲やってよ」
と視線を部屋の隅のオルガンに向ける真冬。
「オルガンかあ」
「春真君はピアノが弾けるって聞いたけど」
と掟。
「ピアノとオルガンは別物だよ」
「どう違うの?」
納得しないと引き下がらないのが掟の悪い癖だ。
「そうだな。ピアノは弦楽器。より正確には弦を叩いて鳴らす弦打楽器で、オルガンは管楽器。ピアノは鍵盤を叩く強さで音の強弱をつけられるけど、オルガンはそれが出来ない。その代わりに一定の音を持続させることが出来る」
「そうなの」
「オルガンは私が弾くから、兄さまはこっちを」
と言って真梨世が取りだしたのはバイオリンケース。
「持って来ていたのか」
それを見てようやく腰を挙げる春真。
「何を弾く?」
「選べるほどレパートリーは無いだろ。合わせるから自由にやりな」
真梨世のオルガンは拙いが、そこに春真のバイオリンが合わさると別物になった。だがそれ以上に素晴らしかったのは真梨世の歌声だろう。
この家のオルガンは元々真冬の母江利の物だった。御堂家では何か楽器を一つ習得すべしと言う家訓がある。江利の場合はオルガンで、真冬もそれに倣ってそれなりの演奏者だった。しかし真梨世はあまり上手くない。その時兄の春真が、
「まりには誰にも扱えない自前の楽器が有るじゃないか」
と言って褒めたのがこの歌声である。
真梨世はオルガンを弾くのを止めて、立ち上がって歌に専念し始めた。
「あの子、小学校で合唱部に入ったんだけど、周りとレベルが違い過ぎて直ぐに辞めてしまったのよ」
「確かにあの声量なら一人で十人分くらいは」
「指導する側もほとんど素人で、両方の面倒は見きれなかったのね」
部の存続を第一にするなら真梨世の方を切るしかなかったのだ。
「あの子、高校は兄の居る南高じゃ無くて北女に行きたいらしいの」
全国レベルにある北女の合唱部ならば真梨世の才能も受け止められる。と言うのが元北女の生徒会長だった久世希理華のアドバイスだったらしい。
「真梨世ちゃん、可愛いからソロで歌手デビューとか」
とポツリ。
「あ、でも御堂のお嬢様だから、駄目ですかね」
真冬は困った顔になり、
「好きな事をやらせてあげたいと言う気持の一方で、余計な苦労はさせたくないとも思うのよ」
「はあ。我が家は放任主義なので、良く判らないです」
と正直な掟の感想。
「私が嫁入りするとしたら、何か楽器が出来ないと駄目でしょうか?」
「それは、出来るに越したことは無いけど。出来ないからと責めるのは何だか嫁いびりみたいで厭ね」
演奏を終えて席に戻ってくる春真と真梨世。
「バイオリンは右で弾くのね」
と聞かれ、
「左用のバイオリンって無いからね」
と笑い、
「オーケストラで並んで演奏するのが基本だから、逆手がいたら邪魔でしょう」
「それもそうね」
「バイオリンは弦を抑える左の指さばきの方が難しいから、むしろ左利きの方が有利だと思うよ」
とエアバイオリンのしぐさ。
「ピアノも両手を使うから利き手は関係ないし」
「でも食事は右でするわね」
「字を書くのも右だよ」
「食事の作用は右利きを前提に作られているし、文字も右手の方が綺麗に書けるから」
と母の真冬が説明する。
「それ以外は好きな方を使わせているわ。だから、デッサンは右手なのに絵筆は左。両手を同時に使って凄い勢いで絵を描くのよ。この子は」
と言って暖炉の上を指差して、
「あの絵も高校の授業でこの子が描いたものよ」
飾ってあるのは真冬の肖像画である。
「え。音楽じゃ無くて美術を選択したの?」
「音楽は今さら習うほどの事もないからね」
と言い放つ春真。このビッグマウスが春真の毀誉褒貶を分けるところだ。
「では先ほど話した披露宴の映像を見ましょう」
と言って特別仕様の音楽室へ案内する。先ほどの居間よりは小さいがそれでも八畳間程度の広さはある。壁一面の大画面に加えて新旧様々な年代のオーディオ機器が取り揃えられている。
「俺は見飽きているから」
と春真は食器の後片付けを始めた。
映像は瀬尾総一郎が花嫁を始めとした女たちと次々に踊ると言う、無関係な人間には見ても詰まらないものであるが、
「凄いですね」
と掟。
「何が?」
「何台かのカメラを同時に回してその映像を繋いでいるみたいですけど、音声の切れ目が有りません。見事な編集技術ですよ」
「言われてみれば。私たちはその場にいたから、音楽が流れ続けていることに違和感を感じなかったけど」
「同時生中継と同じだよ」
と春真。
「あら有難う」
息子が持ってきたコーヒーを受け取る真冬。他の人間にもカップを配った後、
「複数のモニターで同時に映像を流して、それを切り替えながらコピーすれば良いんだよ」
「それって、専用の機材が必要なのでは?」
「編集したのはあの希代乃さんだよ。機材を調達するぐらいは大したことじゃない」
「デジタル映像なら、パソコンの中だけで解決するよ」
と皆人。
「複数の窓を同時に開けて、それを同期させながら複製すればいいんだから」
「なるほど」
「デジタル映像なら、倍速再生しても内容が読み取れるから高速での編集も可能だしね」
と得意げに語る皆人。
「二十年前の話だから、高密度のデジタルビデオカメラを複数投入できるところが流石と言えるけどね」
「これってカメラは何台あったの?」
と春真。
「アングルを見る限りでは手持ちが二台で固定が少なくとも三台あると思うけど」
と皆人。
「それが、良く判らないのよね」
と真冬。
「一台は希代乃姉さまが持っていて、それをみんなで回しながら撮影したんだけど。固定については上手く隠してあったから」
「希代乃さんは撮られるのがお嫌いと聞いていますけど」
と首を傾げる掟に、
「黙って撮られるのは、ね。撮るのは大好きな人だし、ここは神林の邸内だから。予め何台も仕込んでいたんでしょうね」
「ここって神林の敷地内なんですか?」
「軽井沢にある別荘よ」
「軽井沢の別荘ならうちも持っているけどね」
と張り合う春真。
「結婚式の前夜は新婦側の関係者は御堂邸に、神父側の関係者は神林邸に泊まったのよ」
「希代乃さんは新婦の友人枠で御堂邸に、母は新郎の妹として神林邸に泊まったんだって」
「はあ?」
「私だけじゃ無くて、姉も瞳ちゃんも新郎側で参加したから御堂系の人間は全部神林邸に居たわね」
「そうするとうちの母は新婦の上司だから御堂邸にお世話になったんですね」
と頭を下げる。
「別に良いのよ。お世話をしたのは御堂の母であって私では無いし」
「それで、映像の中で気になったんですけど。真冬さんの時だけ音楽がスローテンポでしたよね」
「ええ。あの時はお腹にこの子がいたから」
と息子の方をちらり。
「やっぱり。矩華さんが踊っている時に母が赤ん坊を抱いている映像がちらりと映って。初めは私かなと思ったんですけど。後の映像では矩華さんが抱いていたから、これは矩総君なんだと。と成ればそろそろ真冬さんが妊娠している頃だろうと思ったんです」
「見事な論理思考力だわ」
と称賛する真冬。
帰り際に、
「これを差し上げるわ」
と化粧品のセット渡された掟。
「こんなもの頂けません」
「これは直売店で配っている試供品よ。実演販売のモデルをやってもらった人へのお礼品だから」
実際に試してその人に有ったモノをチョイスして詰め合わせるのだと言う。
「あれは相当に気にいられたね」
と助手席の春真は興奮気味だったが掟の反応は、
「大丈夫かしら」
「何が?」
春真ははっとして表情を引き締める。
「あんな広い家に一人でお寂しくないのかと思って」
「速水の実家は車で十五分ほどだから、そこから週二のペースで家政婦が通って来るんだ」
速水の実家は代替わりによって使用人の数が減らされているが、今はその再雇用への過渡期にある。
「あそこは仕事関係はシャットアウトだけど、ご近所の有閑マダムとの交流は御堂家の人脈作りになっているし、そもそも大企業のトップなんて孤独なものさ」
とちょっと気取って見せて、
「早く大学を出て、母の負担を軽くしてあげないとね」
「貴方の場合、先ずは大学に入らないと」
と突っ込まれ、
「そうだ。勉強を見て下さいよ」
「私も」
と後ろから真梨世も手を挙げる。
掟は御堂兄妹の家庭教師を引き受ける事となった。




