32 記憶の欠片
沙紀に頬を張られてから数日間、和人が仲間と顔を合わせることは無かった。
別に授業を休んでいたわけじゃないが、皆が行くところを避けていた、と言った方が正しい。
愛さんや司が何事も無く振る舞っているおかげで、大したリアクションは起きていない。
もっとも、井上は数日間テンションが低かったらしいが。
いや、反省すべきは俺の方、なんだろうけど……。
週末を控えた金曜日。
和人は早々に大学から帰ると、地元の街を歩いていた。
田舎とはいえ、時代の流れには逆らえず、かつて走り回っていた空き地は次々と無くなっていった。
造成され宅地となっていくことが多かった。
だが、昔からある公園だけは、そのままの姿を保っている。
遊具はだいぶくたびれた感が否めないけれど、噴水は変わらず、淡々と水が流れている。
「この池に、落ちた事もあったっけ」
なんとなく、その事実だけが頭に浮かぶ。
そうなった経緯は、出てこないんだけどな……。
少しずつ、記憶の欠片を拾い集めていく。
無限にあるパズルのピースを探すような作業。
隣り合うピースすら見つからず、絶望感すら浮かんでくる。
正直、自力での再構成は無理だろう。
和人はそう考えていた。
後は、過去を知る人物と、直接切り結ぶしかない。
その権利が、今の自分にあるかなんて分からないけれど。
そして、七海がどう思うのか。
事実を知った彼女が、今までどおり接してくれる保証など無い。
詰られ、愛想を尽かされるかもしれない。
それが、異常に怖かった。
今まで友人とケンカした時ですら、そこまでは思わなかった。
だが七海に関してだけは、失うことに恐怖を覚える。
躊躇い、震え、吐きそうになるほどに。
その原因も、欠落した記憶の中、なのか。
いずれにせよ……もう逃げない。
これ以上、先送りはしたくない……。
公園を出たところで、和人のケータイが振動した。
待ちに待った、電話だ。
『もしもし? 和くん?』
「七海。どうした?」
『明日だけど、買い物付き合って欲しいな?』
「ん? いいよ。何時に行けばいい?」
『えっとね――』
電話の向こうの声は、楽しそうだ。
「オッケー。んじゃ、また明日ね」
『うん。バイバイ』
決戦は明日。
待つのは、真実か。それとも……。
今日の夕焼けも、綺麗だ。
明日も、いい天気、かな。
翌日。やはり今日もいい天気だ。
「今日は、棚を買いたいんだけど?」
七海が車に乗るや否や切り出した。
「棚?」
「そう。ちょっと部屋の整理したくて」
「んじゃ、ホームセンターかな?」
ホームセンターまでは大した距離ではない。
まぁ、女の子が持って帰って来るのは大変だろう。
「うん。でも、その前に……」
「ん?」
「海が見たい」
何を言い出すんでしょう、この子は。
今はもう十月後半ですよ?
季節外れも甚だしい。
「海、か。いいよ。行こうか?」
「うん!」
応じてしまう自分が、少々情けなく……。
引け目だと思って下さい。はぁ。
海までは、小一時間ほどで到着する。
海水浴場の方へ行けば、砂浜から海辺まで行く事が出来る。
だが七海はそこまでは望んでないらしく、和人は国道沿いのシーサイドパーキングに車を停めた。
眼下の砂浜に降りる事は出来ないが、潮風と波の音は十分に堪能できる。
「大丈夫? 寒くないか?」
駐車場の敷地ギリギリに立つ七海に、後ろから声を掛ける。
潮風は冷たく感じる。
「うん。大丈夫。ありがと」
七海は遠く水平線を見つめたままだ。
何を思っているのだろう。
あの、約束、のことだろうか。
和人は車に寄りかかったまま、彼女の後姿を眺めていた。
一緒に海へ来た事、あったような気がする。
夏ではない時期に来て、波打ち際を走っていた。
そんな記憶が、ふと蘇る。
また一欠片……か。
せめて、どこかとくっつくような欠片ならば、なぁ……。
断片過ぎて、分かりやしない。
和人は小さくため息をついたその時、彼女がこちらを振り返った。
「ワガママ聞いてくれて、ありがとね」
その笑顔は、いつもよりも申し訳なさそうだった。
「構わないさ」
和人の言葉に頷くと、再び海の方を向いた。
彼女の艶のある黒髪が、潮風に揺れる。
その後姿が誰かに似ていると、和人は思った。
「もう大丈夫。行こっか?」
「ああ」
再び車を走らせる。
車内の七海は、いつものように明るい。
ふと思い立ち、BGMを変える。
「あれ、この曲……」
「そ。あの歌声が忘れられなくて、な」
七海が歌った、あの曲が収録されているアルバムだ。
ヴォーカリストの伸びのある歌声が、心地よく流れていく。




