3-4-11 最低限でいい
次の箱のセットリストは、もう送ってあった。
送ったのは、あの小箱の夜より前だった。
まだ、壁に傷がつく前。
まだ、mcRCの拳が赤くなる前。
まだ、BEEFが「分かんねぇ」と言う前。
まだ、KateがリバックLINEに「強い成功。ただし継続リスクあり」と書く前。
その時点では、ただの次回用セットリストだった。
三本ツアーの二本目。
一時間半のライブ。
前回とは違う箱。
違う客層。
違う音の返り。
違う空気。
一曲目は、決まっていた。
FEEL。
痛みを感じる曲。
隠しているものを、そのまま履いて前へ進む曲。
考えすぎる前に動くKEEP MOVINGとは違う。
動いたあとに残ったもの。
走ったあとに痛む場所。
笑ってごまかした後、胸の内側でまだ鳴っているもの。
それを、消さずに持っていく曲だった。
前回のライブが終わった今、その選曲は少し皮肉に見えた。
Feel, feel, feel it now.
感じろ。
誰が。
客席か。
リバクラか。
BEEFか。
それとも、全員か。
mcRCは、スマホの画面を見ていた。
リバクラ三人のグループチャット。
既読だけがついている。
誰も、すぐには書き込まない。
言うべきことはある。
山ほどある。
でも、言い始めたら止まらない気がする。
BEEFのこと。
前回の壊し方。
THAT SEATの入り。
自分が壁を殴ったこと。
新川さんのこと。
客席には見せなかった怒り。
見せてしまったかもしれない怖さ。
どれも、軽くない。
だから余計に、最初の一言が出ない。
最初に打ったのは、EGUIだった。
EGUI:
次の箱、セトリは送ってある。
変えるなら今日中。
数十秒後、wataが返す。
wata:
変える?
mcRCは少し間を置いてから打った。
mcRC:
一曲目はFEELのままでいいと思う。
wata:
そこはいい。
むしろ今やるならFEELやと思う。
EGUI:
俺も同じ。
そこでまた止まる。
本題は、セトリではない。
三人とも分かっていた。
次のライブで、BEEFとどう音を合わせるか。
あの夜の後で、どこまで確認するか。
どこまで触れないか。
触れないことが逃げなのか。
触れることが正しいのか。
そもそも、今それを言葉にできるのか。
画面の向こうで、全員が少し黙っている気配がした。
wataが、短く打った。
wata:
当日、どこまで確認する?
mcRCは、その文字を見て、息を吐いた。
会う約束をするつもりはない。
事前に集まって話すつもりもない。
今、BEEFと向かい合って感情の話を始めたら、また何かが出る。
言ってはいけない言葉まで出る気がする。
BEEFにだけではない。
新川さんにも。
分かっていたんですよね。
ある程度、こうなること。
俺たちなら受け止めると思ったんですよね。
人の育成に、俺たちを使ったんですか。
そういう、今はまだ言ってはいけない言葉が、喉の近くに残っている。
言えばたぶん、違う形になる。
本当は、新川さんが雑に扱ったわけではないことも分かっている。
BEEFを押し付けたわけではないことも分かっている。
自分たちを信じてくれたのだろうことも、どこかでは分かっている。
でも、痛い時は、その信頼すら少し腹が立つ。
mcRCは、ゆっくり打った。
mcRC:
最低限でいいと思う。
wata:
最低限な。
EGUI:
曲入り、止める合図、曲順変える時の目線。
そのくらいやな。
wata:
FEELの入りは?
mcRC:
そこは確認したい。
一曲目やし。
EGUI:
感情の話は、本番前に広げない。
wata:
それ、逃げちゃう?
EGUI:
半分は逃げやと思う。
wata:
認めるんかい。
EGUI:
でも、ライブ前に全部話すのが正解とも思わん。
客には関係ない。
その言葉で、三人とも止まった。
客には関係ない。
そうだった。
客席に立つ人たちは、前回の楽屋のことを知らない。
壁の傷も知らない。
怒鳴り合いも知らない。
BEEFの「分かんねぇ」も知らない。
知る必要もない。
彼らはライブを見に来る。
声を聴きに来る。
音を浴びに来る。
自分の生活から、少しだけ別の場所へ行くために来る。
そこに、こちらの未整理な怒りをそのまま投げるわけにはいかない。
wata:
客には関係ない、か。
mcRC:
うん。
wata:
めっちゃ腹立つけど、そうやな。
EGUI:
だから最低限でいい。
mcRC:
次に顔合わせるのは当日でいい。
そこで、仕事に必要なことだけ確認する。
wata:
……まあ、それが限界やな。
EGUI:
今はそれでいい。
wata:
今は、な。
mcRC:
ライブはちゃんとやる。
wata:
やる。
EGUI:
やる。
その三つの短い返事で、少しだけ空気が締まった。
仲直りではない。
解決でもない。
前向きな団結でもない。
それでも、ステージに立つ人間として、三人は同じ場所を見た。
客には関係ない。
ライブはちゃんとやる。
ただ、それだけ。
今は、それだけで十分だった。
―― 新川さんへの連絡 ――
mcRCは、少し時間を置いてから、新川さんへの連絡画面を開いた。
文章を打っては消した。
「BEEFさんと事前に話す場はいりません」
少し違う。
「当日リハで最低限だけ確認したいです」
近い。
「感情の話はライブ前には広げたくないです」
必要。
しばらく考えて、ようやく送った。
mcRC:
次回ライブ前のBEEFさんとの確認は、当日リハで最低限にしたいです。
感情の話は広げず、曲入り・合図・FEELの入りだけ確認したいです。
送信。
すぐには返ってこない。
mcRCはスマホを置いた。
でも、画面が気になってまた見る。
数分後、新川さんから返事が来た。
新川さん:
承知しました。
当日リハで確認項目を絞ります。
感情面の話し合いは、ライブ直前には行わない方がよいと思います。
続けて、もう一通。
新川さん:
ただし、何も確認しないまま本番に入るのは避けましょう。
最低限の合図だけは、必ず合わせます。
mcRCは、その文章を見て、小さく息を吐いた。
逃げ道を塞ぐのが上手い。
本当に上手い。
助かる時もある。
腹が立つ時もある。
今は、その両方だった。
mcRC:
お願いします。
新川さん:
拳の状態はどうですか。
mcRCは右手を見た。
少し赤みは引いている。
痛みは残っている。
でも、マイクを握れないほどではない。
mcRC:
大丈夫です。
痛みはありますが、動きます。
新川さん:
無理はしないでください。
痛みが強ければ、受診してください。
mcRC:
はい。
そこで会話は止まった。
止まったはずなのに、mcRCは画面を閉じられなかった。
新川さんは、必要なことだけを言う。
踏み込みすぎない。
でも、逃がさない。
その距離感が、今は少しだけ悔しい。
自分たちよりも一枚上手に見える。
いや、たぶん実際に一枚上手なのだ。
だからこそ、腹が立つ時がある。
mcRCは、スマホを置いた。
机の上には、前夜に見ていたAFTER DARKの歌詞メモが開きっぱなしになっていた。
夜は隠れるためじゃない。
本音で起動するためにある。
その一文が、画面に残っている。
mcRCはそれを見て、目を細めた。
本音で起動する。
でも、いつでも本音を出せばいいわけではない。
本音には、出す場所がある。
出す順番がある。
出し方がある。
出し方を間違えれば、人を焦がす。
前回、それを見た。
今度はFEELだ。
感じる曲。
痛みを置く曲。
その一曲目を、どう始めるのか。
BEEFは、どう来るのか。
分からなかった。
分からないまま、準備だけが進んでいく。
―― リバックLINE ――
リバックLINEでは、次のライブに向けた整理が始まっていた。
Kateは、前回の分析メモを更新していた。
画面には、項目が並んでいる。
* 外部評価:賛否両論だが総合プラス
* BEEF勢評価:壊しについていった点を評価
* リバクルー側不安:包む感じの薄さ、人を焦がしすぎる熱
* 初見評価:迫力と入りやすさ。ただし怖さあり
* 内部共有:壁の件。外部共有不可。美化禁止
* 映像使用:KEEP MOVING中心。中盤・THAT SEAT・終演後付近は保留
* 次回確認:本人状態、合図、BEEFとの最低限確認
Miwaが書き込んだ。
Miwa@物販:
次回、物販側で拾う感想も注意します。
「前より怖くない」とか「今日は違う」とか出るかもしれないので。
Nina@告知販促:
告知は通常温度でいきます。
「前回の熱を超える」とか煽らない。
Sara@権利確認:
映像使用は引き続き保留多め。
次回分も、本人確認前提で。
Yui@庶務・作業表:
確認項目まとめます。
Yui@庶務・作業表:
次回ライブ前
1. mcRCさん拳の状態確認
2. 三人の体調確認
3. BEEFさんとの当日リハでの最低限合図確認
4. FEELの入り確認
5. 曲順変更時の目線確認
6. 終演後の導線確認
7. 外部切り抜き可否はライブ後判断
Miwa@物販:
壁の件、三人には触れない方がいいですか?
Kateは少し考えてから打った。
Kate@秘書・外部連絡:
こちらから蒸し返す必要はないと思います。
ただし、拳の状態確認は必要です。
美化しない、責めない、確認する。
Nina@告知販促:
ファンとしては心配だけど、スタッフとしては淡々と確認。
Kate@秘書・外部連絡:
はい。
心配と確認を分けます。
Miwa@物販:
難しい。
Sara@権利確認:
でも必要です。
Kateは、画面を見ながら、前回の会場で見たmcRCの顔を思い出していた。
客が帰るまで、彼は丁寧だった。
笑っていた。
礼を言っていた。
気をつけて、と声をかけていた。
その後で、壁を殴った。
その落差が怖かった。
でも、だからこそ、次のライブを止めるという話にはならなかった。
止めれば安全かもしれない。
けれど、彼らは止めたいわけではない。
BEEFも逃げたわけではない。
リバクラも切ったわけではない。
新川さんも、まだ見ている。
なら、リバックLINEがやることは、怖いから止めることではない。
怖さを見たまま、準備することだった。
Kate@秘書・外部連絡:
次回は、外から見ると「前回より落ち着いた」と感じる可能性もあります。
でも、内側ではまだ解決していません。
落ち着いたように見えることを、回復と決めつけないようにします。
Yui@庶務・作業表:
記録します。
「落ち着き=回復とは限らない」
Miwa@物販:
それ大事。
Nina@告知販促:
SNSでは、変化を煽らない。
普通にライブ告知。
Sara@権利確認:
同意。
その後、Ninaが投稿案を出した。
Nina@告知販促:
次回告知案です。
次の小箱ライブも近づいてきました。
声と音を近い距離で届ける夜。
Reverse Crownとして、一本ずつ丁寧に向き合います。
Miwa@物販:
良いと思います。
Yui@庶務・作業表:
問題ありません。
Sara@権利確認:
問題なし。
Kate@秘書・外部連絡:
これでお願いします。
投稿は、静かに出された。
派手な煽りはない。
「前回の熱狂を超える」もない。
「BEEFとの化学反応」もない。
「危険な夜」もない。
ただ、丁寧に向き合う。
その言葉だけが置かれた。
コメントは穏やかだった。
「次も行きます」
「FEEL聴きたい」
「無理せず頑張って」
「前回すごかったから楽しみ」
「BEEFまた来る?」
「丁寧に、って言葉が嬉しい」
Kateは、そのコメントを見て、少しだけ胸を撫で下ろした。
まだ、火を煽る段階ではない。
火はもうある。
あとは、その火で誰かを焦がさないことだった。
―― BEEF ――
BEEFは、自分の部屋で、送られてきているセトリを見ていた。
画面には、次の箱の曲順が並んでいる。
一曲目。
FEEL。
BEEFは、その文字をしばらく見ていた。
FEEL。
感じろ、という曲。
前回の終わりから、ずっとその言葉が少し嫌だった。
感じる。
何を。
客の熱なら分かる。
足が動く。
肩が揺れる。
声が出る。
前に来る。
引く。
冷える。
上がる。
そういうものは見える。
でも、mcRCがどこで傷ついたのか。
wataがどこで食らったのか。
EGUIが何に怒ったのか。
そこは見えていなかった。
止まっていなかったから、大丈夫だと思った。
返していたから、大丈夫だと思った。
でも違った。
新川の言葉が残っている。
止まっていないことと、傷ついていないことは違います。
BEEFは、椅子に深く座った。
スマホの画面を消す。
またつける。
セトリを見る。
FEEL。
一曲目からそれか。
BEEFは、少しだけ顔をしかめた。
前なら、どう入れるかはすぐに決まった。
痛みの曲なら、低音を深くする。
声の隙間を作る。
フック前で一度落とす。
客席を少し沈めて、そこから持ち上げる。
それでいい。
客は動く。
でも、今はそこに別の声が混ざる。
刺しすぎるな。
引きすぎるな。
三人を見る。
客席も見る。
でも、自分を捨てるな。
めんどくせえ。
BEEFは、声には出さずに思った。
俺が全部あいつらに合わせるのも違う。
それは、まだ思っている。
リバクラに合わせるだけなら、BEEFである必要はない。
予定通り流すだけなら、誰でもいい。
自分は、壊すためにいる。
予定を仮説に変えるためにいる。
その場の熱を逃がさないためにいる。
でも、壊せば傷つくことがある。
それも分かった。
たぶん。
BEEFは、返信画面を開いた。
何か書く。
消す。
もう一度書く。
消す。
結局、残ったのは短い文字だった。
BEEF:
了解。
送信。
それだけ。
いつも通り。
でも、送ったあとも画面を閉じられなかった。
「了解」だけでは足りない気がした。
でも、何を足せばいいのか分からない。
FEELの入り、どうする。
そう打とうとして、やめた。
聞いたら負けな気がした。
いや、負けではないのかもしれない。
でも、まだ聞けない。
聞き方が分からない。
BEEFはスマホを置いた。
机の上には、メモ用紙が一枚あった。
新川に言われたことを、なんとなく書いた紙。
自分で書いたわけではない。
新川が帰り際に置いていった。
そこには、短く書かれていた。
分からないまま、逃げない。
BEEFは、その紙を見て舌打ちした。
「だる」
でも、捨てなかった。
紙は、そのまま机の上に残った。
―― 三人 ――
BEEFからの返信は、短かった。
BEEF:
了解。
wataは、その画面を見て、すぐに反応した。
wata:
出た。了解。
mcRC:
いつも通りやな。
wata:
いつも通りすぎるんよ。
EGUI:
変化を期待する段階ではない。
wata:
分かってる。
でも腹立つもんは腹立つ。
mcRC:
うん。
wata:
うん、じゃないんよ。
mcRC:
いや、腹立つのは俺もやし。
EGUI:
そこは共有できてる。
wata:
共有したくない共有やな。
mcRCは、画面を見ながら少しだけ笑った。
短い。
本当に短い。
でも、BEEFが逃げたわけではない。
了解。
それだけでも、次に来るということではある。
来る。
ステージに立つ。
音を出す。
FEELを始める。
それだけは確定している。
mcRC:
当日、最低限だけ確認しよう。
wata:
うん。
EGUI:
FEELの入り。
曲変更時の合図。
止める時の合図。
wata:
あと、こっちが止めた時に止まるか。
mcRC:
それもいる。
EGUI:
ただし、言い方。
wata:
分かってるって。
mcRC:
wata、当日リハで喧嘩売るなよ。
wata:
売られたら?
EGUI:
買うな。
wata:
買わないの苦手なんよな。
mcRC:
知ってる。
EGUI:
知ってる。
wata:
二人で言うな。
ほんの少しだけ、いつもの空気が戻る。
でも、完全には戻らない。
画面の向こうにBEEFがいる。
前回の怒りがある。
「分かんねぇ」がある。
壁の傷がある。
次のFEELがある。
全部が、まだ未整理のまま残っている。
mcRCは、最後に書いた。
mcRC:
客には関係ない。
ライブはちゃんとやる。
wata:
やる。
EGUI:
やる。
その三つの短い返事で、会話は終わった。
最低限。
今は、それでいい。
いや、それしかできない。
それでも、ライブは近づいてくる。
―― ライブ前日 ――
前日の夜、mcRCはFEELの歌詞をもう一度見返していた。
痛みごと履いてく tonight。
その一行で、指が止まる。
痛みごと。
前回の痛みを置いていけるなら楽だった。
でも、置いていけない。
なら、履いていくしかない。
mcRCは右手を開いて、閉じた。
少し痛む。
でも、マイクは握れる。
痛みごと、握る。
そういうことかもしれないと思った。
wataは録音を聴いていた。
自分のVerseではなく、フックを繰り返し聴いている。
Feel, feel, feel it now.
意味は単純だ。
感じろ。
でも、それが一番難しい。
wataは、音を止めた。
「感じたくない時もあるんやけどな」
誰もいない部屋で、そう呟いた。
自分の怒りを感じる。
BEEFへの苛立ちを感じる。
BEEFの音を認めてしまっている自分を感じる。
それでもまだ納得していない自分を感じる。
めんどくさい。
でも、感じないままステージに立ったら、前回と同じことになる気がした。
EGUIはノートを開いた。
前に書いた二行が残っている。
分からないなら、聞く。
でも、分からないまま壊すな。
その下に、もう一行書いた。
感じるなら、逃げるな。
書いてから、ペンを置く。
一曲目はFEEL。
その曲が誰を一番試すのか、まだ分からなかった。
ただ、三人とも薄々感じていた。
BEEFだけを試す曲ではない。
自分たちも試される。
怒りを持ったまま、感じることができるか。
不信感を抱えたまま、客席を見られるか。
BEEFの音を、敵としてだけでなく聴けるか。
答えは出ない。
でも、明日ライブはある。
翌日。
会場入りの時間が近づく。
次の箱は、もう待っている。
セトリは送ってある。
BEEFも来る。
確認は最低限。
感情は未整理。
一曲目は、FEEL。
誰もまだ、安心していない。
それでも、三人はそれぞれの場所で靴を履いた。
ライブはやる。
ちゃんとやる。
客には、関係ない。
その言葉だけを胸に、二本目の箱へ向かった。




