3-4-9 AFTER DARK
小箱の夜は、終わった。
客は帰った。
スタッフも帰った。
照明も落ちた。
床に残っていた熱も、少しずつ冷えた。
それでも、あの場にいた人間の中では、まだ終わっていなかった。
怒鳴り合いの声。
壁を叩いた音。
新川さんの静かな声。
BEEFの短すぎる返事。
三人の息。
Kateの震えた指。
小箱の壁に残った、小さな傷。
それぞれが、それぞれの夜へ帰っていった。
同じライブを終えたはずなのに、持ち帰ったものは同じではなかった。
―― mcRC ――
mcRCは、電車の窓に映る自分の顔を見ていた。
夜の車内は、思ったより静かだった。
ライブ帰りの客も、飲み会帰りの人も、仕事帰りの人もいる。
誰も、mcRCの拳を見ない。
誰も、さっき小箱で何があったか知らない。
右手には、まだ少し熱が残っている。
保冷剤はもう外した。
痛みは大きくない。
むしろ、拳そのものは大丈夫だった。
それが嫌だった。
簡単には壊れない拳。
壁に少し傷をつけた拳。
人に向けなかったからいい、ではない。
殴ったのが壁だったから安全、でもない。
怒りを物に逃がした。
その事実が、電車の窓に映る自分の顔の横に、ずっと貼りついていた。
mcRCは、イヤホンを片耳に入れた。
何かを聴かないと、頭の中でさっきの声ばかりが鳴る。
でも、何を聴けばいいのか分からなかった。
指が勝手に、自分たちの曲のフォルダを開いていた。
曲名が並ぶ。
今日やった曲。
今日やらなかった曲。
まだ人前に出していない曲。
その中で、指が止まった。
AFTER DARK。
再生した。
小さなイントロが、電車の低い走行音に混ざる。
Yeah.
Day shift over, now we start.
灯り落ちてからが art.
mcRCは、窓に映る自分を見たまま、ほとんど声にならないくらいで口ずさんだ。
「……灯り落ちてからが art」
昼の顔じゃない。
仕事が終わったあと。
誰かの前でちゃんとしている時間が終わったあと。
一人になった夜。
そこから、自分たちの本当の熱が始まる。
そんな曲だった。
そのはずだった。
でも今夜は、少し違って聞こえた。
灯りが落ちてから見えるものがある。
ライブの照明が消えて、客席がいなくなって、ステージの顔を外したあとに、自分の本当の顔が出た。
怒った顔。
壁を殴った拳。
人に向けなかった怒り。
でも、確かに形にしてしまった怒り。
曲はmcRCのVerseへ入る。
タイムカード切って still alive.
作業着の匂いごと連れてく tonight.
mcRCは、少しだけ笑いそうになった。
これは、自分たちの歌だ。
昼を終えて、それでも夜に立つ人間の歌。
疲れた顔でも、逃げていない歌。
誰かに媚びるために磨いたわけじゃない。
でも、見られて困るような生き方じゃない。
そう歌った。
自分で書いた。
自分で信じた。
なのに今夜、自分は見られて困る顔をした。
客にではない。
仲間に。
BEEFに。
Kateに。
新川さんに。
いや、違う。
見られて困るからダメなのではない。
困る顔も、本当は自分の一部だ。
ただ、それをどう扱うか。
そこを間違えた。
mcRCは、車窓の黒いガラスに映る右手を見た。
「……終わったんじゃない、nah」
小さく口ずさむ。
「ここからだろ」
その歌詞が、今夜は慰めではなく、問いのように聞こえた。
ここから。
どうする。
BEEFとどうする。
新川さんとどうする。
リバックラインにどう説明する。
wataとEGUIに、どう謝る。
自分の拳を、どう扱う。
曲のHookが来る。
After dark, after dark.
夜が落ちてから上がる heart.
mcRCは、目を閉じた。
夜になってから、心が上がる。
でも、今夜の心は上がっているのではない。
荒れている。
焦げている。
それでも、消えてはいない。
「……ここからだろ、we move after dark」
口の中で、ほとんど音にならない声が転がる。
動く。
でも、すぐには動かない。
今夜はまだ整理しない。
整理すると、たぶん自分に都合よくなる。
怒りを正しさに変えてしまう。
だから、まだ持っておく。
痛いまま。
腹が立つまま。
分かんねぇ、というBEEFの声が耳に残ったまま。
電車は、夜の駅へ滑り込んだ。
mcRCはイヤホンを外さずに立ち上がった。
右手を少しだけ握る。
痛みがある。
それでいいと思った。
今夜は、その痛みを忘れない方がいい。
―― wata ――
wataは、帰り道のコンビニで、何も買わずに出てきた。
腹は減っていた。
喉も乾いていた。
でも、棚の前に立っても、何を取ればいいのか分からなかった。
水。
コーヒー。
プロテインバー。
カップ麺。
全部、目に入るのに、手が動かない。
結局、何も買わずに店を出た。
自動ドアが開いて、夜の空気が入ってくる。
冷たい。
wataはポケットに手を入れた。
まだ、腹が立っている。
BEEFに。
いや、BEEFだけではない。
今日のライブを「良かった」と言われることにも、腹が立っている。
実際、良かった。
それがまた腹立つ。
ライブとしては熱かった。
客は乗った。
BEEF勢も前に来た。
初見も声を出した。
wataのフロウは、たぶん今まででもかなり攻めていた。
それは分かる。
自分でも分かる。
でも、その裏で何回入りを壊されたか。
母音を組み直した。
ブレスの位置を変えた。
予定していた言葉の道を捨てた。
音に食らいつくために、怒りを燃料にした。
客席には、それが気迫に見えた。
「wata、今日やばかった」
そう言われた。
嬉しい。
嬉しいに決まっている。
でも、同時に腹が立つ。
やばかったのは、やばくさせられたからでもある。
自分で選んだ攻めだけではなかった。
BEEFに追い込まれて、無理やり噛みついた。
それを褒められると、どこかで「じゃあ良かったじゃん」と言われた気がしてしまう。
違う。
良かったから、しんどくないわけじゃない。
できたから、壊されていないわけじゃない。
返せたから、傷ついていないわけじゃない。
wataは、夜道で立ち止まった。
街灯の下、歩道の端に小さな影ができる。
スマホを見る。
SNSは開かなかった。
見たら、たぶん余計に腹が立つ。
絶賛されても腹が立つ。
心配されても腹が立つ。
分かったように語られても腹が立つ。
全部、今は受け取れない。
代わりに、音楽アプリを開いた。
指が少し迷ってから、AFTER DARKを押した。
イントロが鳴る。
Day shift over, now we start.
Three voices, one night.
AFTER DARK.
wataは、歩きながら笑った。
「今それ聴くんか、俺」
でも、止めなかった。
Verse 2が来るまで、夜道を歩いた。
集合はざっくり、でも遅れず link.
街でも海沿いでもブレないこの swing.
wataは、小さく口ずさむ。
「……ブレないこの swing」
自分で言って、自分で少し嫌になった。
今日、ブレていた。
いや、ブレていない。
ブレたのではない。
崩された。
でも、崩されたあとに、どう乗るか。
それがwataの役目だった。
Technician。
音の中で、言葉を組み直す。
母音を拾う。
リズムを捕まえる。
壊されたら、壊された形で別の道を作る。
今日、それはできた。
できたから、評価された。
でも、できたからといって、全部飲めるわけじゃない。
曲の中の自分は、軽い。
Window down, low bass, coast to the bay.
街灯が流れてく like a laser lane.
夜を走る。
仲間と笑う。
遊びの中にも、ちゃんと筋を通す。
そういうVerseだった。
でも今夜のwataは、一人で歩いている。
誰とも笑っていない。
低音も、車の窓も、海沿いの風もない。
コンビニの明かりと、冷たい歩道だけ。
それでも、歌詞は刺さった。
遊びの場でも姿勢だけは崩さない。
「……崩したくなかったんやけどな」
口に出ていた。
BEEFの音はすごかった。
そこは認めている。
いや、認めたくないけど、認めている。
あの瞬間にRUN ITを入れられたら、客は動く。
Call me outを刻まれたら、身体は前に出る。
THAT SEATの前にあの低音を落とされたら、空気は凍る。
音の判断は、雑じゃない。
雑じゃないから、余計にムカつく。
本気でやっているのが分かる。
手を抜いていない。
遊んでいるわけでもない。
リバクラをバカにしているだけでもない。
それが分かる。
分かるから、切れない。
完全な敵なら楽だった。
「何やねん、あいつ」で終われた。
でも、違う。
BEEFは、分からないまま、本気で音を出していた。
その本気が、こっちを傷つけた。
曲がHookへ入る。
After dark, after dark.
灯りの外で光る my squad.
wataは足を止めた。
my squad。
仲間。
今日は、その言葉が少し重い。
BEEFは仲間なのか。
まだ違う。
ゲストだ。
外から来た人間だ。
自分たちの曲を壊して、客席を動かして、三人を怒らせて、「分かんねぇ」と言ったやつ。
でも。
あの「分かんねぇ」を聞いた時、自分は止まった。
怒りが消えたわけじゃない。
むしろまだ怒っている。
でも、止まった。
「……分かんねぇ、って」
wataは、夜道で小さく言った。
「それ、こっちのセリフでもあるんやけど」
音楽は進む。
Look at us, no rush, just sharp and calm.
夜の自由の中で守ってる form.
sharp and calm。
鋭く、冷静に。
「無理やったな」
今日の自分は、sharpではあった。
でもcalmではなかった。
怒っていた。
かなり。
それでも、形は守った。
守ったのか。
守らされたのか。
それとも、守りきれなかったのか。
分からない。
wataはスマホをポケットに戻した。
音だけがイヤホンの中で続く。
本当は、早くBEEFに何か言ってほしい。
「あれは、こういうつもりだった」
そう言われたら、
「早く言えよ」
と怒りながら、たぶん少し笑える。
そんな未来が、どこかにある気がする。
でも、まだ遠い。
今のBEEFは、分かんねぇ、で止まっている。
wataは夜道で、小さく息を吐いた。
「……ほんま、だるいな」
誰に向けた言葉か分からなかった。
BEEFか。
自分か。
この関係か。
それとも、分かりたいと思ってしまう自分か。
分からないまま、wataは家へ向かった。
―― EGUI ――
EGUIは、部屋に帰っても、すぐに明かりをつけなかった。
玄関に立ったまま、しばらく暗い部屋を見ていた。
外の街灯が、カーテンの隙間から少しだけ入っている。
机。
椅子。
ペットボトル。
置きっぱなしのノート。
畳まれていない服。
いつもの部屋。
静かだった。
ライブの音が嘘みたいに消えている。
でも、耳の奥にはまだ残っていた。
BEEFの低音。
THAT SEATの入り。
自分の声。
「その席は、人を見下ろすための場所じゃない」
あの声は、自分の声だった。
でも、いつもの自分の声ではなかった。
低すぎた。
強すぎた。
怖かった。
客席の誰かが言った。
こわ。
聞こえた。
その隣で、別の誰かが言った。
でも、刺さる。
それも聞こえた。
EGUIは靴を脱ぎ、部屋に上がった。
明かりはまだつけない。
暗いまま椅子に座る。
水を一口飲む。
喉が熱い。
机の上に置いたスマホが、少しだけ光った。
通知ではない。
音楽アプリの画面が残っている。
前に聴いていた曲。
AFTER DARK。
EGUIは、少し迷ってから再生した。
部屋の中に、小さくイントロが流れる。
音量は低い。
ほとんど自分にしか聞こえない。
Verse 3が来るまで、EGUIは黙っていた。
部屋の灯りだけ。
街の音は遠くて。
一人になると、ほんとの顔が出る。
EGUIは、そこで目を閉じた。
その歌詞が、今夜だけ別の意味になった。
一人になると、本当の顔が出る。
今日の自分の本当の顔は、怒りだった。
意味を守るための怒り。
曲を怒りだけにさせないための怒り。
BEEFの音に混ざった何かを感じ取った怒り。
でも、怒りは怒りだ。
正しい形をしていたとしても、人を刺す。
EGUIは小さく口ずさんだ。
「……だからここで嘘ついたら終わる」
上手くやるより、ちゃんとやる。
誰も見てない時間に何を選ぶ。
その歌詞を、自分で歌っておきながら、今夜の自分に返ってくる。
今日は、ちゃんとやったのか。
上手くやっただけではないのか。
意味を守ったつもりで、自分の怒りを正当化していなかったか。
EGUIは机の上のノートを開いた。
何も書かない。
ページだけを見る。
「届いたんじゃない。刺したんです」
自分がBEEFに言った言葉。
それは正しいと思う。
でも、自分にも返ってくる。
自分のTHAT SEATは、今日、届いたのか。
刺しただけではなかったか。
怒りのまま意味を通そうとして、意味ごと鋭くしすぎなかったか。
音は、Verse 3を進んでいく。
寂しさは消えない。
でもそれでいい。
孤独の中でしか点かないスイッチ。
EGUIは、暗い部屋で息を吐いた。
孤独は嫌いではない。
一人で考える時間は必要だった。
人の声がない場所でしか、自分の声が聞こえない時がある。
でも今夜は、一人でいると、BEEFの声が聞こえてくる。
「……分かんねぇ」
あの一言。
謝罪ではない。
説明でもない。
でも、初めての入口だった。
EGUIは、その言葉を思い出す。
あの一言を聞いた時、自分の怒りが少しだけ止まった。
止まったことが、少し悔しかった。
もっと怒っていたかったわけではない。
でも、あれを聞いた瞬間に、
そこからなら話せるかもしれない
と思ってしまった。
自分は、たぶん怒り続けたい人間ではない。
怒るのは苦手だ。
怒りが必要な時はある。
言うべき時もある。
引いてはいけない線もある。
でも、本当は、怒りだけで終わりたくない。
意味を通したい。
相手の意味も知りたい。
それが、EGUIの役目だった。
だからこそ、BEEFの「分かんねぇ」は重かった。
分からないと認めた人間を、ただ責めるのは違う。
でも、分からないで済ませるのも違う。
その間に、次の話がある。
曲の最後が近づく。
夜は隠れるためじゃない。
本音で起動するためにある。
EGUIは、ノートに一行だけ書いた。
分からないなら、聞く。
その下に、もう一行。
でも、分からないまま壊すな。
ペンを置いた。
AFTER DARKのFinal Hookが、小さく部屋に流れている。
After dark, after dark.
昼より濃くなる soul と art.
EGUIは、その言葉を聞きながら目を閉じた。
昼より濃くなる。
夜になると、隠れていたものが濃く出る。
今日、BEEFの中の何かも出た。
mcRCの中の脆さも出た。
wataの怒りも出た。
自分の怖さも出た。
それを、なかったことにはできない。
次に会った時、自分は何を聞くべきなのか。
BEEFに。
mcRCに。
wataに。
自分自身に。
答えはまだ出なかった。
ただ、今夜はそれでいいと思った。
―― BEEF ――
BEEFは、帰りの道を一人で歩いていた。
機材ケースの車輪が、アスファルトの上で小さく鳴る。
ガラガラ、という音が夜道に響く。
小箱から少し離れると、ライブの熱は急に遠くなった。
コンビニの明かり。
信号の赤。
誰もいない歩道橋。
飲み屋の前で笑う人たち。
自分だけが、音の残りを引きずっている。
BEEFは、キャップを少し深くかぶり直した。
疲れていた。
体ではない。
耳でもない。
もっと別のところが疲れている。
怒鳴られた。
三人に。
いや、三人だけじゃない。
新川にも言われた。
Kateにも、少し言われた。
怒ります。
でも、怒りたい人たちではありません。
分かりたい人たちです。
あの言葉が、妙に残っている。
分かりたい。
何を。
こっちは分からない。
客は動いた。
それは見えた。
足が動いた。
肩が揺れた。
前に出た。
声が出た。
小箱の温度が上がった。
それは分かる。
そういうのは分かる。
冷えている客席も分かる。
固い空気も分かる。
乗りそうな瞬間も分かる。
引きそうな瞬間も、たぶん分かる。
だから動かした。
音を入れた。
曲を変えた。
切った。
刻んだ。
押した。
引いた。
ライブは止まらなかった。
むしろ熱かった。
それなのに、三人は怒った。
かなり怒った。
wataは、分かりやすく怒っていた。
EGUIは、静かに燃えていた。
mcRCは、最後に壁を殴った。
あの音。
壁を殴った音が、耳に残っている。
BEEFは、歩道の端で立ち止まった。
自販機の光が、足元を青白く照らす。
あの時、少し驚いた。
驚いたことを、顔に出さなかっただけだ。
mcRCがあそこまで切れるとは思っていなかった。
いや、思っていなかったというより、見えていなかった。
ステージ上で、mcRCは返していた。
wataも返していた。
EGUIも返していた。
だから、大丈夫だと思った。
止まっていない。
歌っている。
返している。
客も動いている。
なら、大丈夫だろ。
そう思った。
でも違ったらしい。
止まっていないことと、傷ついていないことは違う。
新川の声が残っている。
BEEFは、自販機の前で水を買った。
ペットボトルを開ける。
一口飲む。
味がしない。
「……分かんねぇ」
自分で言った言葉を、もう一度小さく言った。
本当に分からなかった。
何をどうすればよかったのか。
リバクラの言っていることが全部間違っているとも思わない。
でも、自分が全部間違っているとも思えない。
客席は動いた。
ライブは良かった。
そこは譲れない。
でも、三人が傷ついたのも、たぶん本当だ。
そこがつながらない。
良かったのに、傷ついた。
成功したのに、苦しかった。
そんなことがあるのか。
あるらしい。
めんどくせえ。
BEEFはそう思った。
でも、いつもの「めんどくせえ」と少し違った。
切り捨てるための言葉ではなかった。
分からないものを、分からないまま持っている時の言葉だった。
THAT SEATのことを思い出す。
あの曲は、嫌いではない。
むしろ、逆だ。
でも、逆、の先を言えなかった。
新川にも言わなかった。
言葉にしたら、何かが出る気がした。
自分が雑に扱われたこと。
見られなかったこと。
上にいる人間に、音だけ便利に使われたこと。
説明しない大人たち。
分かったような顔で、何も見ていなかった人間。
そういうものが、全部出そうだった。
だから言わなかった。
音には出た。
たぶん。
出たのだと思う。
EGUIは気づいた。
あれは客席だけを見た音じゃない、と言った。
BEEFは、その時腹が立った。
分かったようなこと言うな、と思った。
でも今、一人で歩いていると、少しだけ思う。
分かったようなこと、ではなかったのかもしれない。
見られたのかもしれない。
自分が見たくないものを。
BEEFはペットボトルのキャップを閉めた。
「……だる」
声が夜道に落ちる。
誰も返さない。
いつもなら、それでいい。
一人の方が楽だ。
音は一人でも作れる。
練習も一人でできる。
現場も、自分の判断で動ける。
誰かに説明する必要はない。
そうやってやってきた。
でも、今日それが通じなかった。
いや、通じた。
音は通じた。
でも、人には通じなかった。
それが分からない。
BEEFは機材ケースを引き直した。
車輪がまた鳴る。
ガラガラ。
その音に混じって、mcRCの声が浮かぶ。
「分からないなら、聞きます」
EGUIの声。
「それなら、そこからです」
wataの声。
「はよ言えや」
BEEFは、少しだけ顔をしかめた。
はよ言え。
簡単に言うな。
言えないから困っている。
でも。
分かんねぇと言ったら、三人は止まった。
怒りは消えていなかった。
でも、止まった。
あれは、何だったのか。
BEEFには、まだ分からなかった。
ただ、一つだけ分かる。
次に会ったら、また怒られる。
たぶん。
いや、確実に。
それでも、もう完全に逃げる気にはなっていなかった。
逃げたら、あの「分かんねぇ」が嘘になる気がした。
BEEFは、夜道を歩いた。
一人で。
けれど、さっきまでとは少しだけ違う一人だった。
―― それぞれの夜の終わり ――
四人の夜は、それぞれ別々に沈んでいった。
mcRCは、AFTER DARKを聴きながら、痛む拳と自分の脆さを抱えた。
wataは、AFTER DARKを聴きながら、怒りと認めたくない評価の間を歩いた。
EGUIは、AFTER DARKを聴きながら、暗い部屋で「分からないなら、聞く」と書いた。
BEEFは、曲を知らないまま、ただ「分かんねぇ」を持って夜道を歩いた。
誰も、まだ許していない。
誰も、まだ納得していない。
それでも、誰も一人を悪者にしきれなかった。
だから、夜は長かった。
その夜が明ければ、外側の声が届く。
ライブを見た人たちの言葉。
切り抜きを待つ人たちの声。
熱狂と不安が混ざったコメント。
リバックラインの分析。
そして、次の箱のセットリストは、もう送られている。
会う約束はしていない。
事前に話す気持ちも、まだない。
話すとしても最低限でいい。
次に顔を合わせるのは、たぶんライブの日だ。
その事実だけが、四人それぞれの夜の終わりに、重く残っていた。




