3-3-3 音ではなく、言葉で
翌々日の夜。
荒川が用意した会議室は、ライブハウスから少し離れたビルの三階にあった。
白い壁。
長方形のテーブル。
黒い椅子。
壁際のホワイトボード。
安い蛍光灯。
窓の外には、夜のビルの明かり。
音を鳴らす場所ではない。
ステージもない。
DJブースもない。
スピーカーもない。
客席もない。
だからこそ、今日には向いていた。
音ではなく、言葉で話すための場所。
mcRCは、テーブルの上にノートを置いた。
ページには、昨夜リバクラボラトリーで書いた整理がそのまま写されている。
感情
結果
情報
確認すること
wataは、椅子に浅く座っていた。
落ち着かない時の癖で、片足が小さく揺れている。
本人は気づいていない。
EGUIは、腕を組まずに座っていた。
腕を組むと、話し合いでは壁に見える。
そう思ったのかもしれない。
mcRCは、そんな二人を見てから時計を見た。
約束の五分前。
wataが、ぼそっと言った。
「気が重い」
EGUIが返す。
「分かる」
「EGUIが分かるって言う時、だいたいほんまに重いんよ」
mcRCが小さく笑う。
「今日は軽くはないな」
wataは、テーブルの上のペットボトルを指で回した。
「俺らさ、BEEFさんが年下かもしれんって分かったやん」
mcRCは頷いた。
「うん」
「それ、本人には言わん方がいいよな」
EGUIが即答した。
「言わない方がいい」
mcRCも頷く。
「今日の話の本筋じゃない」
wataは、ペットボトルから手を離した。
「年下って分かったら、ちょっとこっちが甘くなりそうで嫌なんよ」
EGUIが静かに言う。
「甘くなることと、許すことは違う」
「それは分かってる」
wataは、少しだけ眉を寄せた。
「でも、分かってても揺れるやん」
mcRCは、ノートの端を指で押さえた。
「揺れる。でも今日は、そこを混ぜない」
wataが見る。
mcRCは続ける。
「態度は態度。音は音。年齢は年齢。全部混ぜたら分からなくなる」
EGUIが頷いた。
「今日確認するのは、BEEFさんが何を見て動いたのか。三人の声をどう扱うつもりなのか。ライブで動くって、どこまでなのか」
wataは、深く息を吐いた。
「はい」
その時、廊下の向こうから足音が近づいてきた。
ゆっくりした足音と、もう一つ、少し短い足音。
ノックが二回。
先に入ってきたのは荒川だった。
白いシャツ。
ジャケットは腕にかけている。
いつものように表情は穏やかだが、目はしっかり場を見ている。
その後ろに、BEEFがいた。
黒いパーカー。
黒いキャップ。
黒いパンツ。
ライブハウスで見た時と、ほとんど同じ格好だった。
ただ、今日はヘッドホンがない。
DJブースもない。
機材ケースもない。
手ぶらだった。
そのことが、少しだけ不思議に見えた。
荒川が言った。
「お待たせしました」
三人は立ち上がった。
mcRCが頭を下げる。
「お疲れさまです」
wataも続く。
「お疲れさまです」
EGUIも静かに頭を下げた。
BEEFは短く言った。
「おう」
それだけ。
wataの眉が、ほんの少し動いた。
だが、今日は飲み込んだ。
荒川が席を示す。
「座りましょう」
全員が座った。
テーブルの片側に、Reverse Crownの三人。
向かい側に、BEEF。
荒川は、テーブルの端に座った。
司会でもあり、当事者ではない位置。
でも、ただの傍観者でもない。
場を見て、必要な時だけ手を入れる場所。
荒川は、最初に静かに言った。
「今日は、今後のことを即決する場ではありません」
mcRCは頷いた。
「はい」
「ただ、配信後に違和感が残ったまま次へ進むのは、危険だと思います」
wataが小さく頷いた。
「なので今日は、言葉で確認する場です」
BEEFは、何も言わなかった。
ただ、椅子に座っている。
スマホも出さない。
腕も組まない。
退屈そうにも見えない。
表情は読みにくいままだが、少なくとも帰る気はなさそうだった。
それだけで、三人は少しだけ意外に感じた。
荒川は、mcRCへ視線を送った。
「まず、Reverse Crown側から話してください」
mcRCは、ノートを開いた。
一度、wataとEGUIを見る。
二人は小さく頷いた。
mcRCは、BEEFへ向き直った。
「BEEFさん」
BEEFが目を向ける。
「前回の配信、音楽的には良かったと思っています。数字も出ました。リバクルーの反応も、音に関してはかなり良かった」
BEEFは黙って聞いている。
「そこは認めます」
wataが、横で小さく息を吐いた。
mcRCは続けた。
「でも、俺たちの中にはかなり違和感が残りました」
BEEFの表情は変わらない。
mcRCは、そこで言葉を止めなかった。
「正直に言うと、あなたの態度はかなり苦手です」
部屋の空気が少し硬くなった。
wataが、横で一瞬だけmcRCを見る。
言った。
EGUIは、BEEFから目を逸らさなかった。
BEEFは、何も言わない。
mcRCは続けた。
「俺たちは、上から人を扱うことが嫌いです。人を雑に扱うことも嫌いです。強い側が説明せずに押し切る感じも嫌いです」
BEEFの目が、ほんの少し細くなった。
mcRCは、その反応を見ても止まらなかった。
「あなたの態度には、その匂いがあります」
wataの指先が、机の下で軽く丸まった。
EGUIは静かに座っている。
mcRCは言った。
「でも、音は雑じゃなかった」
BEEFの表情は、まだ変わらない。
「曲も聴いていた。声も潰していなかった。俺たちを完全に無視していたわけじゃない。それも分かっています」
mcRCは、ノートに目を落とした。
「だから、嫌いな匂いがするから終わり、とはしたくない」
BEEFは、まだ黙っている。
「でも、このまま何も話さずに続けるのは無理です」
そこまで言って、mcRCは一度黙った。
次に、wataが口を開いた。
「俺も言っていいですか」
BEEFの視線がwataへ移る。
wataは、少しだけ姿勢を正した。
「正直、腹立ってます」
荒川は何も言わない。
wataは続ける。
「音が良かったから余計に腹立ってます」
BEEFの眉が、ほんの少し動いた。
wataは逃げずに言った。
「聞いてないことをされました。でも決まった。客も沸いた。コメントも良かった。だから余計に、こっちが何も言えないみたいになる」
wataは、言葉を探しながら続けた。
「でも、俺らは音源通りに歌いたいだけのグループではないです。予定外を全部嫌ってるわけでもない。そこは分かってほしい」
BEEFは、wataを見ている。
「ただ、俺らの曲の芯を、何も言わずに触られるのはきつい」
wataは、一度唇を結んだ。
「あと、あんたの態度は普通に嫌いです」
mcRCが一瞬だけwataを見た。
EGUIも少しだけ目を伏せる。
荒川は動かない。
BEEFは、表情を変えずにwataを見ていた。
wataは続けた。
「でも、音は否定できない。だから話してます。嫌いで終わらせたくないから」
そこまで言って、wataは息を吐いた。
部屋が静かになる。
BEEFは、黙ったままwataを見ていた。
怒っているようには見えない。
ただ、何かを受け取っているようにも見える。
次にEGUIが口を開いた。
「結果は良かったです」
声は静かだった。
「でも、違和感も残りました」
BEEFがEGUIを見る。
EGUIは続ける。
「どちらか一方だけで判断すると、たぶん間違えます」
BEEFは動かない。
「だから、条件を確認したいです」
EGUIは、少しだけ手元の紙を見る。
「俺たちが守りたいもの。BEEFさんが譲れないもの。そこを確認しないと、次はできません」
荒川が、ほんの少しだけ頷いた。
EGUIはBEEFをまっすぐ見た。
「俺たちの声を潰すなら、一緒にはできません」
BEEFは、黙っている。
「曲の意味を軽くするなら、一緒にはできません」
まだ黙っている。
「でも、ライブの中で動く余地を全部消すなら、たぶんBEEFさんとやる意味もありません」
その言葉に、BEEFの目が少し変わった。
EGUIは続けた。
「だから、どこまで任せて、どこから守るのか。そこを話したいです」
三人が言い終えた。
荒川は、まだ何も足さない。
BEEFは、しばらく黙っていた。
長かった。
wataが、少しだけ手を握る。
mcRCは、BEEFを見たまま動かない。
EGUIは、静かに待っている。
BEEFは、ようやく口を開いた。
「嫌いか」
wataが即答しそうになって、少しだけ止めた。
「今のところは」
BEEFは、ほんの少しだけ口元を動かした。
笑ったのかどうか、分からない。
「正直だな」
wataは言った。
「嘘ついて続けたくないんで」
BEEFは、少しだけ頷いた。
それから、mcRCを見る。
「雑に扱ったつもりはねえ」
低い声だった。
「お前らの曲も、声も、軽く見てねえ」
mcRCは、黙って聞いた。
BEEFは続けた。
「配信は、客がいなかった」
その言葉に、三人は少しだけ反応した。
BEEFは、短く続ける。
「画面の向こうは見えねえ。コメントも見ねえ。あの場にいたのは、お前らと、スタッフと、音だけだ」
wataが眉を寄せる。
「だから、あれは本領じゃないってことですか」
BEEFは即答しなかった。
少しだけ間を置いてから言った。
「客がいねえライブは、ライブじゃねえ」
wataの顔が、少し動いた。
BEEFは続けた。
「試した。お前らがどこで動くか。どこで止まるか。どこまで声を残せるか」
wataが言った。
「試したって言い方も、まあまあ腹立つんですけど」
BEEFは短く返した。
「だろうな」
「分かってるなら言い方」
「苦手だ」
その一言で、少しだけ空気が止まった。
BEEFは、自分の言葉を飾らなかった。
「説明は足りなかった」
部屋の空気が、ほんの少し変わった。
wataが目を上げる。
mcRCも、BEEFを見る。
EGUIの表情も、少しだけ動いた。
BEEFは続けた。
「そこは認める」
きれいな謝罪ではなかった。
頭を下げたわけでもない。
申し訳ありませんと言ったわけでもない。
でも、BEEFにとってはかなり大きい言葉に聞こえた。
説明は足りなかった。
そこは認める。
wataは、すぐには何も言わなかった。
BEEFは、三人を順番に見た。
「ただ、ライブでは動く」
mcRCは黙っている。
「全部決めてから鳴らすなら、俺じゃなくていい」
EGUIが静かに頷く。
BEEFは続けた。
「でも、お前らの芯を潰す気はねえ」
mcRCの目が少しだけ動いた。
BEEFは、三人を順番に見た。
「そこは見ろ」
wataは、少しだけ眉を寄せた。
「見ろ、じゃなくて、分かるようにしてください」
BEEFは、wataを見る。
wataは引かなかった。
「それです。その言い方が嫌なんです」
BEEFは、少しだけ目を細めた。
wataは続ける。
「音を見ろって言いたいのは分かります。でも、こっちは人間なんで。言葉も要るんです」
mcRCは、wataの言葉を止めなかった。
EGUIも同じだった。
BEEFは、しばらくwataを見た。
それから、短く言った。
「……分かった」
wataは、すぐには反応しなかった。
本当に分かったのか分からない。
でも、BEEFは言った。
分かった、と。
荒川が、ここで初めて口を開いた。
「少し整理しましょう」
全員の視線が荒川へ向く。
荒川は、穏やかな声で続けた。
「Reverse Crown側は、BEEFさんの音楽的な価値は認めている。ただし、説明不足と態度には強い違和感がある」
mcRCは頷いた。
「はい」
「BEEFさん側は、Reverse Crownの曲と声を軽く見てはいない。ただし、ライブでは動く。全部を予定通りにするつもりはない」
BEEFは黙っている。
否定しない。
荒川は続けた。
「つまり、どちらか一方が完全に飲み込む話ではありません」
EGUIが頷いた。
荒川は、少しだけテーブルに手を置いた。
「ここでやめることもできます」
wataが、少しだけ顔を上げる。
荒川は続けた。
「ただ、配信の数字と反応を見る限り、この組み合わせを一回で終わらせるのは早いとも思います」
mcRCは、黙って聞いていた。
荒川は言った。
「だから、提案があります」
BEEFも、荒川を見る。
「ツアーではありません」
一拍。
「三本だけ、現場で見ませんか」
wataが眉を寄せた。
「三本」
荒川は頷いた。
「はい。違う箱。違う距離。違う客席。その中で、BEEFさんとReverse Crownが本当に組めるのかを見る」
mcRCは、少しだけ息を吐いた。
「検証、ですか」
「そうです」
荒川は、はっきり言った。
「机の上で続けるかどうかを決めるより、現場で見る方が良いと思います。ただし、条件は必要です」
EGUIが聞く。
「条件」
荒川は指を折るように言った。
「BEEFさんは正式加入ではない。三本限定のゲスト参加。三人の声と曲の芯を守る。BEEFさんが現場で動く余地は残す。終演後は毎回、反応と数字を確認する。違和感が大きければ、途中でも見直す」
wataは、少しだけ口元を固くした。
「それ、普通に重いですね」
荒川は頷いた。
「軽くはありません」
「ツアーじゃないって言いましたよね」
「ツアーではありません。ただ、ライブです」
wataは、少しだけ笑った。
「言い方が上手い」
荒川は表情を変えなかった。
「言い方ではなく、線引きです」
mcRCは、その言葉を聞いて荒川を見た。
線引き。
たしかに、そこだった。
これは仲良くなるための約束ではない。
BEEFを信じるという宣言でもない。
リバクラが折れる話でもない。
BEEFが変わったことにする話でもない。
ただ、現場で見る。
それだけ。
だが、その「それだけ」は、かなり重い。
BEEFが短く言った。
「やる」
wataが即座に見る。
「即答」
BEEFはwataを見た。
「客の前じゃねえと分からねえ」
その言葉は、前ならもっと腹が立ったかもしれない。
今も腹は立つ。
でも、少しだけ意味は分かる。
BEEFは、客席を見たいのだ。
コメント欄ではなく。
配信画面ではなく。
その場に立つ人の顔を。
mcRCは、少しだけ考えた。
EGUIを見る。
wataを見る。
二人とも、答えは出していない。
mcRCは荒川へ向き直った。
「一度、持ち帰らせてください」
荒川は頷いた。
「もちろんです」
「今日の話で、少し見えたものはあります。でも、勢いで受けるのは違うと思います」
EGUIが続けた。
「三人で整理します」
wataも言った。
「リバックラインにも見てもらいます」
BEEFの眉が少しだけ動いた。
「リバックライン?」
mcRCが答える。
「俺たちを支えてくれてる実務チームです」
BEEFは、短く言った。
「いるのか」
EGUIが返す。
「います」
BEEFは少しだけ黙った。
「いいんじゃねえの」
mcRCが聞く。
「何がですか」
BEEFは言った。
「三人で全部持つよりは」
その言葉は、妙に普通だった。
上からでもない。
突き放してもいない。
ただ、そう思ったから言ったような言葉。
wataは、少しだけ目を細めた。
「今のは、まともでした」
BEEFはwataを見る。
「いつもまともだ」
「そこはまだ審議中です」
EGUIが静かに言った。
「審議継続」
mcRCは、思わず笑った。
荒川も、ほんの少しだけ口元を緩めた。
BEEFは、不満そうな顔をした。
その顔が、ほんの一瞬だけ、さっきまでより若く見えた。
wataは、それに気づきかけて、すぐに目を逸らした。
年下だから甘くなるな。
自分にそう言い聞かせる。
荒川は、話を締めるように言った。
「では、三本についてはReverse Crown側で一度持ち帰り。BEEFさん側は参加意思あり。条件面と会場候補は、こちらで整理します」
mcRCは頷いた。
「お願いします」
wataも頭を下げる。
EGUIも続く。
BEEFは立ち上がった。
「決まったら言え」
wataが言う。
「また帰るの早い」
BEEFは、ドアへ向かいながら言った。
「話は終わった」
wataが呆れたように笑う。
「終わり方、やっぱ急」
BEEFは扉の前で一度だけ振り返った。
「次があるなら、客の顔を見てやる」
その言葉で、三人は少し黙った。
BEEFは続けた。
「今日より変わる」
それだけ言って、部屋を出ていった。
ドアが閉まる。
足音が遠ざかる。
wataは、しばらくドアを見ていた。
「……やっぱ面倒くさい」
mcRCは頷いた。
「うん」
EGUIも言う。
「でも、少し話せた」
wataは小さく笑った。
「そこがまた面倒くさい」
荒川が、タブレットを閉じた。
「今日は、かなり進んだと思います」
mcRCは、荒川を見た。
「ありがとうございます」
荒川は首を横に振った。
「私は場を用意しただけです。話したのは皆さんです」
wataが椅子に深く座り直した。
「三本か」
EGUIが言う。
「ツアーではない」
mcRCが頷く。
「現場で見る」
wataは、その言葉を小さく繰り返した。
「現場で見る」
上なら噛みつける。
下なら甘くなる。
横は迷子。
BEEFは、どこに立つのか。
まだ分からない。
態度は嫌い。
音は雑じゃない。
説明は足りない。
でも少しだけ認めた。
年下らしい。
でも、それは答えじゃない。
こんな相手と、どう向き合うのか。
簡単ではない。
けれど、リバクラが次に進むなら、たぶん避けられない種類の難しさだった。
mcRCはノートを閉じた。
今日のページの最後に、短く一行だけ書き足す。
嫌いだけで切らない。良かっただけで飲まない。
EGUIがそれを見た。
「それでいいと思う」
wataも、少しだけ頷いた。
「うん」
三人は会議室を出た。
夜のビルの廊下は静かだった。
エレベーターを待つ間、wataがぽつりと言った。
「俺ら、BEEFさんとやれるんかな」
mcRCは、すぐには答えなかった。
EGUIも黙っている。
エレベーターの到着音が鳴る。
扉が開く。
三人は乗り込んだ。
扉が閉まる直前、mcRCが言った。
「まだ分からん」
wataが見る。
mcRCは続けた。
「だから、見るんやと思う」
EGUIが頷いた。
「それで十分や」
エレベーターが静かに下り始める。
三本だけの現場検証。
それは、仲良くなるための約束ではない。
嫌いを消すための旅でもない。
BEEFが本当にリバクラの横に立てるのか。
リバクラが本当にBEEFの横に立てるのか。
それを、客席の前で確かめるための三本だった。




