5-2-2 一回戦目・先攻を見る
ライトが落ちた。
その瞬間、会場のざわめきが、ひとつの方向へ吸い込まれていった。
さっきまで、客席は大きな夏祭りみたいだった。
首にタオルをかけた若者。
推しチームのロゴ入りTシャツを着た二人組。
スマホを胸の高さで構え、始まる前のステージだけを撮っている女の子。
パンフレットを膝に置いて、対戦表を確認している会社員風の男。
アリーナ席の後ろで、初めて来たらしい友人にルールを説明している客。
「今日は一試合三曲なんだって」
「曲間のMCもあり?」
「ありらしい。つなぎも評価されるって」
「え、普通のライブじゃないんだ」
「ライブだけど、試合」
そういう小さな声が、あちこちにあった。
スマホの画面も多い。
この大会は、撮影が禁止されていない。
ただし、何でもありではない。
公式の注意書きには、はっきり書かれていた。
ステージ撮影は可。
短尺動画の投稿も可。
ただし、客席を執拗に撮る行為、個人が特定される切り抜き、他人を晒す目的の投稿は禁止。
悪質な投稿は削除申請対象。
必要に応じて入場停止。
その線引きがあるから、客席のスマホは不思議と荒れていなかった。
みんな、撮りたい。
でも、壊したくはない。
その空気があった。
ステージの正面、少し高い位置には審査員席がある。
派手な席ではない。
長いテーブル。
水のペットボトル。
タブレット。
紙の採点シート。
小型のライト。
それぞれの前に置かれた名前札。
審査員たちは、客席ほど動かない。
拍手はする。
だが、騒がない。
表情も大きくは変えない。
見る場所が違う。
歌が上手いか。
ラップが上手いか。
盛り上がったか。
それだけではない。
一曲目でどう入ったか。
二曲目で何を展開したか。
三曲目で何を残したか。
曲間が切れていないか。
客席を置いていないか。
チームの武器が見えたか。
前回から変わったか。
今日の三曲が、ただの寄せ集めではなく一本のステージになっているか。
その全部を見ている。
リバクラの三人は、ステージ袖の少し奥にいた。
黒いカーテンの陰。
足元の蛍光テープ。
壁際に積まれた機材ケース。
スタッフの短い合図。
遠くで鳴るインカムの声。
ステージの全体は見えない。
でも、会場の大きさは分かる。
音が返ってくる。
拍手の量が違う。
人の息の量が違う。
何千、何万という身体が、同じ方向を向いた時の圧がある。
wataが、指先で太ももを軽く叩いていた。
いつものリズム確認にも見える。
でも、少し速い。
BEEFが横目で見た。
「速い」
wataはすぐ顔を向けた。
「何が」
「足」
「リズム取ってるだけや」
「速い」
「うるさいな」
BEEFは、それ以上言わなかった。
言わなくても分かる。
相手が強い時、wataは詰める。
詰めて、詰めて、音の密度で押し返そうとする。
でも今日は、それをやる日じゃない。
一回戦目。
初見が多い。
他チームのファンも多い。
リバクラを知らない人間の方が、たぶん多い。
そこで最初から思想を開きすぎれば、ただの自己満足になる。
未承認の価値を見つけるには、まず相手を見る必要がある。
相手を見るには、相手がこちらを見てくれる状態がいる。
そのためには、入口がいる。
mcRCは、客席を見ていた。
見える範囲だけでも、いろんな色がある。
リバクラのタオルを持っている人。
相手チームのうちわを持っている人。
どのチームのものでもない公式パンフレットだけを持っている人。
腕を組んで様子を見ている人。
もうスマホを構えている人。
たぶん音楽関係者らしい、落ち着いた服装の人。
全員がリバクラを待っているわけではない。
それが、今日の場所だった。
EGUIが小さく言った。
「ここで、いきなり深いところに行ったら閉じるな」
mcRCは頷いた。
「うん」
wataが息を吐く。
「まず、開ける」
BEEFが短く言う。
「開ける前に、見ろ」
wataは一瞬だけ黙って、それから苦笑した。
「今日のお前、先生か」
「違う」
「じゃあ何」
「DJ」
それだけ言って、BEEFはステージの方を見た。
その時、巨大スクリーンに文字が出た。
ROUND 1 / MATCH 1
客席が大きく沸いた。
最初の試合。
この大会が、ここから本当に始まる。
続いて、先攻チームの名前が映し出された。
四人編成のラップユニットだった。
中央に二人。
左右に一人ずつ。
後方にDJ。
白を基調にした衣装に、青の差し色。
スニーカーまで揃っている。
立っただけで、シルエットがきれいだった。
wataが小さく言った。
「ちゃんとしてんな」
EGUIが返す。
「本戦やからな」
mcRCは、何も言わなかった。
先攻チームのファンが声を上げる。
名前を呼ぶ声。
タオルを掲げる手。
スマホを構える客。
その熱の中に、リバクルーの姿もある。
ただし、黙っていない。
相手だからといって、冷たく見ていない。
拍手している。
声も返している。
mcRCは、それを見て少しだけ胸が軽くなった。
雑に扱っていない。
それは、勝敗とは別に大事なことだった。
先攻チームの一曲目が始まった。
最初のキックが、会場の床を沈めた。
重い。
だが、暗くはない。
短いフック。
分かりやすいコール。
手を上げる場所がはっきりある。
中央のMCが、片手を上げた。
「声、出せるか!」
客席が返す。
「おおお!」
すぐに左のMCが前へ出る。
「今日は見に来ただけで帰す気ねぇぞ!」
笑いと歓声が混ざる。
うまい。
説明が少ない。
でも、何をすればいいか分かる。
初見でも乗れる。
相手ファンはもちろん燃える。
大会全体を楽しみに来た客も、すぐ入れる。
wataが口の端を上げた。
「一曲目、入口やな」
BEEFが言った。
「客に場所渡すのが早い」
mcRCも見ていた。
確かにそうだった。
自分たちの凄さを見せるより先に、客席の身体を動かしている。
手を上げる場所。
声を返す場所。
笑う場所。
先攻チームは、そこを迷わせない。
一曲目が終わった時、会場はすでに温まっていた。
熱狂というより、準備ができた感じ。
続く二曲目。
照明が青から白へ寄った。
テンポが少し落ちる。
フックの数も減る。
言葉が前に出る。
地元。
夜のスタジオ。
仲間。
最初の客が五人だった日。
続けるか迷った夜。
それでも今日ここに立っている理由。
中央の低い声のMCが言う。
「ここまで来たのは、運じゃねぇ」
客席が静まる。
「でも、俺らだけの力でもねぇ」
その一言で、空気が沈みすぎずに残った。
自慢だけじゃない。
感謝だけでもない。
ちゃんと、自分たちの背景を客席に渡している。
mcRCは、審査員席を見た。
一人がタブレットに何かを打ち込んでいる。
もう一人は、ステージではなく客席の反応を見ていた。
別の審査員は、曲間のつなぎで何が起きたかを確認するように視線を動かしている。
見ている。
やっぱり、曲だけじゃない。
この一試合全体を見ている。
二曲目の終盤、先攻チームはMCを挟まなかった。
音を薄く残し、DJが短くスクラッチを入れる。
そのまま三曲目へ入る。
会場が一瞬で上がった。
さっきより明るい。
テンポも速い。
フックは一番簡単。
「跳べ」と言わなくても、身体が跳ねる。
手を上げる。
声を返す。
左右に振る。
三曲目は、勝ちに来ていた。
一曲目で入口を作り、二曲目で理由を見せ、三曲目で会場を持ち上げる。
きれいな三曲構成だった。
wataが、今度ははっきり笑った。
「強いわ」
EGUIが頷く。
「いい」
「いいって、敵やぞ」
「敵でも、いいものはいい」
wataは少し笑った。
「それはそう」
BEEFが低く言う。
「まとまってる」
それは、BEEFにしてはかなり分かりやすい褒め言葉だった。
三曲目の最後、会場全体がフックを返した。
相手チームのファンが叫ぶ。
初見客も手を上げる。
リバクルーも拍手する。
審査員席の何人かも、曲が終わった瞬間に小さく頷いた。
最後の一音。
照明が白く弾ける。
四人が頭を下げる。
大きな拍手。
本気の拍手。
リバクラの待機エリアにも、その音は届いた。
届きすぎるくらい届いた。
wataの指が、また太ももを叩きかけた。
その前に、mcRCが小さく言った。
「夜のリバ朝礼、やるか」
wataが振り向く。
「ここで?」
「ここで」
「大会のステージ袖で?」
「大会のステージ袖で」
EGUIが普通に頷いた。
「やろう」
wataは眉を寄せた。
「お前、こういう時だけ順応早いな」
EGUIは答えた。
「確認は大事やろ」
そこへ、mcRCのスマホが震えた。
リバックLINE。
Kateからだった。
Kate@外部連絡:
先攻、強かったです。
でも、会場はまだ次の入口を待っています。
Reverse Crownさんの入口を作ってきてください。
Ninaが続く。
Nina@広報:
相手さん、見せ方がかなり上手いです。
でも、こっちはこっちの入りやすさがあります。
初見を怖がらせないで、持っていって。
Miwa。
Miwa@物販:
客席、あったかいです。
リバクルーも相手にちゃんと拍手してます。
大丈夫。空気は悪くないです。
Sara。
Sara@権利確認:
撮影範囲、今のところ問題なし。
リバクラ側の導線も落ち着いています。
余計な心配は不要です。
ステージに集中してください。
Yui。
Yui@庶務・作業表:
状態:先攻強い。
対応:入口を作る。
確認:三人の役割は明確。
wataが画面を覗いて、少し吹いた。
「Yuiちゃん、状態管理してくれてる」
EGUIが静かに言う。
「ありがたい」
mcRCはスマホを伏せた。
胸の中にあった硬さが、少しほどける。
見てくれている人がいる。
自分たちの前にいる客席だけじゃない。
横にも、後ろにも、支えている人がいる。
でも、代わりに歌ってくれるわけではない。
立つのは三人だ。
mcRCは、二人を見た。
「いくぞ」
wataが背筋を伸ばす。
EGUIもマイクを握り直す。
三人は、ステージ袖の狭い通路で、ほんの少しだけ向き合った。
派手な円陣ではない。
大声の気合い入れでもない。
夜のリバ朝礼。
mcRCが低く言う。
「点呼」
wataが小さく笑って、でもちゃんと返す。
「wata、います」
EGUIが続く。
「EGUI、います」
wataが顎で促す。
「RC」
mcRCは一拍置いて言った。
「mcRC、います」
BEEFが少し離れたところから見ていた。
wataがそっちを向く。
「BEEF」
BEEFは眉を動かした。
「俺もかよ」
mcRCが言う。
「今日、いるやろ」
BEEFは少しだけ間を置いた。
それから、低く言った。
「BEEF、いる」
wataが小さく笑う。
「おるやん」
BEEFは目を逸らす。
「早くしろ」
mcRCは、もう一度三人を見た。
「役割確認」
wataが息を吸う。
「俺参上」
EGUIが言う。
「考えすぎるな、動け」
mcRCが続ける。
「最後は、手を叩かせる」
wataが笑った。
「いや、そこ俺の言い方やと、手ぇ叩けぇ!やな」
EGUIが短く言う。
「乱暴」
「でも分かりやすいやろ」
mcRCは頷いた。
「分かりやすい」
そして、三人はそれぞれの言葉で、自分の役割を確認した。
mcRCは、景色を見る。
ただし、綺麗な景色だけじゃない。
初見の警戒。
他ファンの距離。
リバクルーの期待。
審査員の静かな目。
それら全部を見て、最初の入口を置く。
wataは、言葉で身体を動かす。
詰めすぎない。
置いていかない。
でも、軽くしすぎない。
考える前に足が出るリズムを作る。
EGUIは、意味を通す。
勝った者だけに拍手するのではなく、ここに来た全員に拍手を渡す。
でも説教にはしない。
まっすぐ、短く、届く場所へ置く。
BEEFは、何も言わずにターンテーブルの方へ歩いた。
ただ、すれ違いざまに一言だけ落とした。
「最初、空けろ」
wataが振り向く。
「分かってる」
「ならいい」
それだけだった。
でも、その一言で十分だった。
先攻チームの拍手が、まだ会場に残っている。
その余熱を奪うのではない。
受け取る。
別の入口へ変える。
スタッフが合図を出した。
「Reverse Crownさん、お願いします」
アナウンスが入る。
「後攻、Reverse Crown」
客席のあちこちから声が上がる。
「リバクラ!」
「来た!」
「Reverse Crown!」
まだ会場全体ではない。
でも、それでいい。
ここから広げる。
mcRCは一歩踏み出した。
wataが隣に並ぶ。
EGUIが反対側に立つ。
白いライトが足元に落ちた。
夏の熱。
大会の初戦。
先攻チームの強さ。
他ファンの視線。
初見の警戒。
リバクルーの期待。
審査員の沈黙。
リバックラインの声。
BEEFの短い一言。
全部を連れて、三人はステージへ出た。




