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ラップ付き小説 ReversCrown 元気ないやつこっちおいで  作者: egubi
reshina編

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113/186

4-3-1 静かな場所の外



翌日の朝、natsuは、いつもより早く起きていた。


早く起きた、というより、眠りが浅かった。


窓の外では、朝の光が薄く揺れている。


カーテンの隙間から差し込む白い線が、部屋の床に細く伸びていた。


机の上には、昨日使ったフルートケースが置かれている。


開けたままではない。


ちゃんと閉じてある。


けれど、閉じたケースの中から、まだ昨日の風が漏れているような気がした。


natsuは、ベッドの上で膝を抱えたまま、そのケースを見ていた。


昨日のストリート。


人通り。


足音。


通りすぎる自転車。


どこかの店から流れていた別の音楽。


春の匂いでも、森の匂いでもない、街の匂い。


その中で、ReShiNaは歌った。


いつも通りのはずだった。


でも、いつも通りではなかった。


あの三人が、いた。


黒い服。


少し目立つ空気。


でも、前へ出すぎない立ち方。


歌の途中で、言葉をこぼす人たち。


普通なら、演奏中に喋る人は少し嫌だった。


音を聴いていないように見えるから。


景色の中に入らず、外側から触っているように見えるから。


でも、昨日の三人は違った。


喋っているのに、邪魔ではなかった。


むしろ、彼らが言葉を置くたびに、周りの人が少しずつ曲の中に入っていった。


最初は、ただ立ち止まっていただけの人たち。


「綺麗な声だな」と思っていそうな人たち。


「何の楽器だろう」と見ていた人たち。


「黒髪の三人組だ」と見ていた人たち。


その人たちが、あの三人のコメントで、少しずつ目の位置を変えた。


花ではなく、土を見る。


声ではなく、奥の痛みを聴く。


フルートを飾りではなく、返事として受け取る。


natsuは、あの瞬間を思い出して、首を少し傾けた。


「入口……」


昨日、自分でもそんなことを言った。


言ったけれど、ちゃんとは分かっていなかった。


でも、あの三人は入口みたいだった。


自動ドアではない。


大きな門でもない。


草むらの中にある、誰かが一度通った細い道。


そこに足跡があるから、ほかの人も通れる。


そんな感じだった。


スマホが鳴った。


natsuは、少し遅れて手を伸ばした。


画面には、ReShiNaのグループチャットが開いていた。


rena:

起きてる?


natsu:

風が起きてる


少し間が空いた。


shiho:

本人は?


natsu:

ちょっと起きてる


rena:

ちょっとなんだ


natsu:

目は起きてる

体はまだ布団


shiho:

それはだいたい寝てる


natsuは、少し笑った。


笑ったあと、昨日のことがまた戻ってきた。


natsu:

昨日の人たち

まだいる


rena:

いるね


shiho:

耳に残ってる


natsu:

耳じゃない

空気にいる


shiho:

朝から難しいこと言うね


natsu:

難しくないよ

まだ風に混ざってる


rena:

分かる気がする


そこで、少しだけ会話が止まった。


三人とも、同じことを考えているのが分かった。


昨日、何かが違った。


でも、何が違ったのか、まだ言葉になっていない。


しばらくして、renaが書いた。


rena:

昨日、いつもより拍手が大きかったよね


shiho:

うん


natsu:

拍手、遅くなかった


その一文に、shihoが少しだけ反応した。


shiho:

そこ、私も思った


ReShiNaの演奏では、拍手が遅れることがよくある。


悪い意味ではない。


聴いている人が、すぐに手を叩けない。


曲が終わっても、まだその景色の中にいる。


息を整えてから、ようやく拍手が来る。


それは嬉しかった。


でも、時々、不安にもなった。


届いているのか。


ただ、静かにされているだけなのか。


退屈させてしまったのか。


寝てしまった人は、癒されたのか、飽きたのか。


ReShiNaの音楽は、よく人を静かにした。


それは美点だった。


でも、ライブの場では、静けさは判断が難しい。


rena:

昨日は、拍手がちゃんと早かった


shiho:

でも、浅い拍手じゃなかった


natsu:

あの人たちが風を入れたから


shiho:

また風


natsu:

うん


rena:

でも、ちょっと分かる


renaは、スマホを見つめながら、昨日の自分の歌を思い返していた。


「美しきものは花びらにあらず」


何度も歌ってきた曲だった。


桜の歌だと思われる。


綺麗な花の歌だと思われる。


春の景色の曲だと思われる。


それは間違いではない。


でも、本当に見てほしいのはそこではなかった。


散ったあと。


見上げる人がいなくなったあと。


地面に積もった花びらの下。


そこにある、小さな芽吹き。


美しさが、分かりやすい場所にだけあるわけではないということ。


それを歌っていた。


けれど、いつもはそこまで届く前に、聴き手の反応が止まることも多かった。


「綺麗でした」


「癒されました」


「声が素敵でした」


「雰囲気が好きです」


その言葉は嬉しい。


嬉しいはずだった。


でも、時々、renaの胸の中に小さな影を落とす。


綺麗だった。


癒された。


声が素敵だった。


それは、本当に曲を聴いてくれた言葉なのか。


それとも、表面をそっと撫でて、そのまま帰った言葉なのか。


自分でも、意地悪な受け取り方だと思う。


善意の言葉に、傷つく必要なんてない。


そう言い聞かせるたびに、余計に苦しくなった。


昨日は違った。


あの三人が、


「桜じゃなくて、土の歌だ」


みたいなことを言った。


正確な言葉は覚えていない。


でも、そういう意味のことだった。


その瞬間、周りの人の視線が、少し下を向いた気がした。


本当に、足元を見る人までいた。


それを見た時、renaは一瞬、歌詞を間違えそうになった。


あ、届いた。


そう思ってしまった。


歌いながら、そう思ってしまった。


それが怖かった。


rena:

昨日、少し怖かった


shiho:

うん


natsu:

怖かった?


rena:

うん

届いた気がしたから


natsu:

届くの怖い?


renaは、しばらく返信できなかった。


届いてほしい。


それは本当。


でも、届いたと感じた瞬間、自分の中に隠していたものまで見られたような気がした。


美しいものは花びらにあらず。


そう歌っている自分が、本当は「私のことも表だけで見ないで」と言っていること。


そこまで見られそうな気がした。


rena:

怖いよ

嬉しいけど


shiho:

分かる


shihoは、自分の部屋でバスクラリネットのケースを見ていた。


昨日の低音は、まだ手の中に残っている。


あの三人のうちの一人が、バスクラの音に反応していた。


「一音一音に気持ち持っていかれる」


そんなようなことを言っていた。


shihoは演奏中、顔を上げられなかった。


嬉しかったからではない。


いや、嬉しかった。


嬉しかったから、顔を上げられなかった。


バスクラリネットは、ReShiNaの中で低い場所を持つ。


renaの声が上に抜ける。


自分の声も、歌う時は上へ行く。


natsuのフルートは風のように飛ぶ。


その中で、低い場所を支えるのは自分の役割だった。


ただ、それは時々、孤独だった。


低い音は、分かりやすく褒められにくい。


派手ではない。


目立つ主旋律でもない。


でも、そこがないと、曲が浮いてしまう。


自分でそう分かっていても、誰かに言われると違う。


昨日は、言われた。


誰かが、そこを聴いていた。


低いところに、気持ちを持っていかれていた。


shihoは、スマホに短く打った。


shiho:

聴かれてたね


rena:

うん


natsu:

うん

あの三人、耳が違う


shiho:

耳というか、言葉が違った


rena:

景色の人

言葉の人

意味の人


natsu:

そう


shiho:

natsu、それ昨日から気に入ってるね


natsu:

だってそうだった


renaは、小さく笑った。


景色の人。


言葉の人。


意味の人。


昨日、natsuが勝手に名づけた三人。


本名も知らない。


どこの誰かも知らない。


でも、確かに三人はそれぞれ違う受け取り方をしていた。


景色を見る人。


音と言葉を拾う人。


意味を短く置く人。


不思議だった。


ReShiNaは三人で音楽を作っている。


声、低音、風。


それと同じように、あの三人も別々の役割で聴いていた。


natsu:

また会うかな


shiho:

分からない


rena:

会ったら、たぶん分かるね


natsu:

うん

顔、覚えた


shiho:

natsuが覚えたなら、相当だね


natsu:

風で覚えた


shiho:

それは顔なの?


natsu:

たぶん


renaは、ベッドの上で笑ってしまった。


笑ったあと、少しだけ気持ちが軽くなった。


けれど、昨日の違和感は消えなかった。


届いた気がした。


でも、なぜ届いたのかは分からない。


自分たちが変わったわけではない。


曲も、演奏も、いつも通りだった。


場所が違ったのか。


客層が違ったのか。


あの三人が特別だったのか。


それとも、たまたま風向きが良かっただけなのか。


renaは、スマホを置いて、机の上のノートを開いた。


そこには、今後の予定が書いてあった。


配信。


カフェライブ。


ストリート。


曲作り。


練習。


その間に、小さく書かれた言葉がある。


SOUND SESSION?


以前、Ninaではない誰かがSNSで話題にしていた大型音楽イベント。


ジャンル混合。


ライブ性重視。


本戦あり。


観客反応あり。


いろいろなアーティストが出る。


ReShiNaには遠い世界に見えた。


音量の大きい場所。


熱のある場所。


反応が見える場所。


大きな声が勝つ場所。


自分たちの音は、そこに向いていない。


そう思っていた。


その時、スマホがもう一度鳴った。


ReShiNaの公式連絡用メールに通知が来ている。


renaは、何気なく開いた。


件名を見た瞬間、少し息が止まった。


【出演依頼】SOUND SESSION 前夜祭 Acoustic Night ご出演のお願い


指先が止まる。


何度か、件名だけを読み返した。


SOUND SESSION。


前夜祭。


Acoustic Night。


renaは、グループチャットに戻った。


rena:

メール来た


shiho:

何の?


rena:

SOUND SESSION


少し間が空いた。


natsu:

風?


shiho:

本当に?


rena:

本当


shiho:

本戦?


renaは、メール本文を開いた。


そこには丁寧な文章が並んでいた。


SOUND SESSION本戦に先立ち、前夜祭としてAcoustic Nightを開催すること。


本戦とは別に、静かな音楽、アコースティック、フォーク、民族音楽、声や楽器の響きを紹介する夜であること。


ReShiNaの音楽が、その夜の空気に合うと感じたこと。


ぜひ出演をお願いしたいこと。


悪意はない。


むしろ、丁寧だった。


文章のひとつひとつから、ちゃんと調べてくれたことも分かった。


動画を見たのだろう。


曲を聴いたのだろう。


ただ、renaの胸には、ほんの少しだけ引っかかりが残った。


本戦に先立ち。


前夜祭。


静かな音楽。


空気に合う。


Acoustic Night。


それは、嬉しい言葉だった。


けれど、同時に、自分たちの居場所をそっと決められたような気もした。


renaは、メール本文をコピーせず、要点だけ送った。


rena:

本戦とは別の前夜祭だって

Acoustic Night

静かな音楽の夜

アコースティックとかフォークとか民族音楽とか

そういう枠


shiho:

……本戦じゃないんだ


その一文は、短かった。


でも、画面の向こうでshihoがどういう顔をしているか、renaには分かった。


責めているわけではない。


断っているわけでもない。


ただ、そこに引っかかった。


本戦ではない。


前夜祭。


静かな音楽の夜。


natsu:

前の日の風?


shiho:

natsuらしい言い方


natsu:

本戦の前に吹く風


rena:

うん

たぶん、そういう意味だと思う


shiho:

それって、悪いことじゃないよね


rena:

悪くない

むしろ、ありがたい


shiho:

うん


会話が止まった。


「悪くない」


「ありがたい」


それは本心だった。


呼ばれることは嬉しい。


見つけてもらえたことも嬉しい。


SOUND SESSIONという名前の近くに、自分たちの音が置かれることも嬉しい。


でも、その嬉しさの隣に、言葉にしづらいものが座っていた。


natsu:

静かな場所の外?


rena:

え?


natsu:

カフェでもない

配信でもない

ストリートでもない

SOUND SESSIONの近く


shiho:

本戦ではないけど、外ではある


natsu:

うん

静かな場所の外


renaは、その言葉を見て、少し黙った。


静かな場所の外。


カフェではない。


いつもの配信でもない。


昨日のストリートとも違う。


大きなイベントの近く。


本戦の前に開かれる、静かな音楽の夜。


そこなら、自分たちの音が、いつもより少し外へ出るかもしれない。


でも、本戦ではない。


その事実も残る。


renaは、スマホを持ったまま、窓の外を見た。


朝の光は、さっきより少し強くなっていた。


昨日のストリートで、あの三人が作った入口。


周りの人の聴き方が変わった瞬間。


あれは、たまたまだったのか。


それとも、自分たちの音には、本当に外へ出る力があるのか。


確かめたい。


怖い。


でも、確かめたい。


shiho:

どうする?


renaはすぐに返せなかった。


natsuも返さなかった。


画面の中で、既読だけが増えた。


それぞれが考えている。


renaは、少しだけ唇を噛んだ。


出るべきなのか。


断るべきなのか。


本戦じゃないことに傷つくくらいなら、最初から出ない方がいいのか。


でも、呼んでもらえた場所に立たなければ、何も分からない。


昨日、あの三人が聴いてくれた。


本当に聴いてくれた。


そのあとに来たこの依頼を、ただ怖いから避けるのは違う気がした。


rena:

出てみたい


送ってから、胸が少し跳ねた。


shiho:

勝つため?


renaは、少し考えた。


本戦ではない。


だから、勝つ場所ではない。


でも、ただ飾られるために出るのも違う。


rena:

まだ、そんなこと言えるほど分かってない


natsu:

確かめる?


rena:

うん

私たちの音が、静かな場所の外でどう鳴るのか

確かめたい


shihoは、しばらく返さなかった。


その沈黙の間、renaは少しだけ怖くなった。


shihoは慎重だ。


簡単に頷かない。


自分たちが傷つく可能性がある時、彼女はそれを無視しない。


低音を支える人は、いつも足元を見る。


浮かれたまま進むことを許さない。


だから、shihoの沈黙には重みがあった。


やがて、返信が来た。


shiho:

怖いね


rena:

うん


shiho:

たぶん、綺麗でしたって言われる


renaは、胸の奥を小さく押されたような気がした。


shiho:

癒されましたって言われる

眠くなりましたって言われるかもしれない

本戦前にぴったりでしたって言われるかもしれない


natsu:

それ、だめ?


shiho:

だめじゃない


少し間。


shiho:

でも、痛いかもしれない


renaは、その言葉を見て、目を伏せた。


痛いかもしれない。


そう。


それが怖い。


褒められるのに痛い。


必要とされるのに苦しい。


届いているのに、違う名前で受け取られる。


それはたぶん、否定よりも説明しにくい痛みだった。


natsu:

痛かったら?


shiho:

分からない


natsu:

帰ってくる?


shiho:

うん


natsu:

じゃあ行ける


shiho:

そういう問題?


natsu:

痛いところに住まない

行って、帰る


renaは、少し笑った。


natsuの言葉は、時々、子どもみたいに単純で、時々、誰よりも核心に近かった。


痛いところに住まない。


行って、帰る。


それでいいのかもしれない。


全部を決めに行くわけではない。


自分たちの価値を証明しきるためでもない。


静かな場所の外で、自分たちの音がどう鳴るのか。


ただ、それを確かめに行く。


rena:

行って、帰る

いいね


shiho:

本当にそれで済めばいいけど


natsu:

すまなかったら、笛吹く


shiho:

何の解決にもなってない


natsu:

風は変わる


shiho:

……まあ、それはそうかもね


rena:

じゃあ、出てみようか


また少しだけ沈黙。


それから、shihoが返した。


shiho:

出よう


natsu:

前の日の風


rena:

うん

SOUND SESSION 前夜祭 Acoustic Night

出よう


renaは、メール画面に戻った。


返信文を作る。


出演依頼への感謝。


スケジュールの確認。


条件の確認。


出演可能であること。


丁寧な言葉を並べながら、胸の奥ではまだ昨日の音が鳴っていた。


あの三人。


景色の人。


言葉の人。


意味の人。


彼らは、自分たちの音を、静かな場所の外で一度見つけてくれた。


でも、次の場所に彼らはいない。


今度は、ReShiNaだけで立つ。


誰かが入口を作ってくれるとは限らない。


自分たちの音だけで、どこまで届くのか。


それを確かめる夜になる。


renaは、返信ボタンの前で一度だけ手を止めた。


怖い。


でも、昨日より少しだけ、行ってみたい。


送信。


画面に、送信済みの文字が出た。


natsuから、すぐにメッセージが来た。


natsu:

風、送った?


rena:

送った


shiho:

もう戻れないね


rena:

うん


natsu:

戻れるよ

でも行く


shiho:

それ、少し好き


rena:

私も


三人のチャットは、そこで一度静かになった。


朝の光が、部屋の床に広がっていく。


昨日のストリートの余韻は、まだ完全には消えていない。


けれど、その余韻は少しだけ、次の場所へ向きを変えた。


静かな場所の外。


そこに、自分たちの音が残るのか。


分からない。


分からないから、確かめたくなった。

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