戻ってきた日常
しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。
ひと通りの情報交換を終えたことで、逆に現実味が増してしまったのかもしれない。
十河湊の暴走。
影喰という存在。
元S級、神崎迅。
そして、湊や神崎を裏で動かしていたあの人。
目の前の危機は一応去った。
けれど話を整理すればするほど、何も解決していない部分が浮かび上がってくる。
重い沈黙。
その空気を最初に破ったのは、ツバキだった。
「で、兄ちゃん。その柄は?」
俺は小さく息を吐いて、懐からあの柄を取り出した。
刀身はない。
柄だけ。
なのに、今も妙な重さが手に残っている。
まるでこれ自体が、まだ生きているみたいに。
それを見た瞬間、ツバキの目つきが少しだけ変わった。
普段の飄々としたものじゃない。
刀を前にした時の、真剣な顔だ。
「……貸せ」
短く言われ、俺は素直に差し出した。
ツバキは柄を受け取ると、少し角度を変えて眺める。
指先で表面をなぞり、重さを測るように一度だけ持ち直した。
「どうですか?」
「ろくでもない物じゃな」
即答だった。
全員の顔が強張る。
ツバキは柄から視線を外さないまま、続けた。
「これは妾が預かる。下手に持っておると、また妙なものに寄られるやもしれん」
たしか彩芽も調べたいと言ってたが……。
(ツバキなら問題なかろう。わっちも異論はないぞ)
「……分かりました」
まぁ俺が持っていても、できることはないしな。
「何か分かりそうですか?」
「今の時点では何とも言えん」
ツバキは柄を懐に収める。
「じゃが、少なくとも普通の刀ではない。影喰とやらの核か、あるいはそれに近いものじゃろうな」
やっぱりそうか。
あれがただの落とし物であるはずがないとは思っていた。
「それと兄ちゃん」
「はい」
「十河湊の件は、一旦これで終わりじゃ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
だが一旦。
完全にじゃない。
「まだあの人とやらは終わっとらん。むしろ本番はそこからじゃろうな」
「……ですよね」
「うむ」
ツバキはあっさり頷く。
「まぁ、今日はそこまで考えんでよい。生きとるだけで上出来じゃ」
その言い方に、少しだけ救われた気がした。
そうかもしれない。
今日は本当に、それだけで十分なのかもしれない。
「さて」
そこでツバキが視線を横へ流す。
向いた先には、ソファに座っていたアケボノの三人。
嫌な予感がしたのか、吉祥寺が露骨に顔をしかめた。
「……なんだよ」
「連絡先を教えよ」
「は?」
吉祥寺の顔が固まる。
ツバキは平然と続けた。
「妾が鍛え直してやると言ったじゃろう」
「いや、あれ本気だったのかよ……」
吉祥寺が心底嫌そうな顔で頭を抱える。
柊も露骨に引いていた。
「ちょっと待って。私、それ聞き間違いだと思って流してたんだけど」
「聞き間違いではないぞ」
「うわぁ……」
柊が本気で嫌そうに顔をしかめる。
その横で、市村が恐る恐る手を挙げた。
「ぼ、僕はその……支援職なので、さすがに戦闘訓練は対象外ですよね……?」
「何を言う」
ツバキは即答した。
「お主もまとめてじゃ」
「えぇっ!?」
「兄ちゃんの元仲間なんじゃろ? 見どころはある」
「い、いや、それは、その……光栄ではあるんですけど……!」
市村が完全に困っている。
吉祥寺は諦めたように天井を見上げ、柊は「最悪……」とでも言いたげに額を押さえていた。
そんな三人の様子に、ルナが思わず吹き出す。
「アハハッ、アケボノって意外と面白いんだね〜」
「笑いごとじゃねぇ……」
吉祥寺の低い声。
だが、それすらどこか力が抜けていた。
こういうやり取りができている時点で、本当に山は越えたんだろう。
「まぁ、今日は帰って休め」
ツバキはそう言って壁から背を離す。
「妾も一度これを持ち帰って調べてみる」
懐にしまった柄を軽く叩く。
「何か分かったら、また連絡する」
「お願いします」
「うむ」
そこで、アケボノの三人も立ち上がった。
「じゃ、オレらも帰る」
吉祥寺が短く言う。
「今日は……その、色々あったしな」
「そうだね。今日はもう無理」
柊もその言葉に続く。
「ぼ、僕も失礼します」
アケボノとツバキが事務所を出ていく。
扉が閉まる音がして、部屋の中が少し静かになった。
残ったのは、俺とスリースターズの三人だけ。
その空気の変化を感じたのか、ルナがニヤニヤしながらヒカリの横腹を軽く肘でつつく。
「ほらほら、ヒカリ」
「え、なに」
「言うことあるでしょ?」
「……っ」
ヒカリが一瞬、固まる。
その横でカナデも小さく頷いた。
「ヒカリ、さっきから落ち着きない」
「ちょ、ちょっとカナデまで……!」
耳まで赤くなっている。
なんだこの流れ。
俺が戸惑っていると、ヒカリがこほんと咳払いした。
それでもまだ少し落ち着かない様子のまま、俺の方を見る。
「……恒一さん」
「はい」
「湊の件、本当にありがとうございました」
真っ直ぐな声だった。
「それと今日、助けに来ようとしてくれたことも、すごく嬉しかったです」
その言葉に、少しだけ目を見開く。
ヒカリは照れたように視線を逸らしながら、それでも続けた。
「その……私たちのために、試験を投げ出してでも来ようとしてくれたんだって思ったら……すごく、嬉しくて」
「……いや、まぁ」
どう返したらいいのか分からない。
ただ、思ったままを返すしかなかった。
「みんな無事でよかったです。本当に」
それだけ言うと、ルナがにやっと笑う。
「いやぁ〜、コッチーも隅に置けないねぇ」
「もう、ルナ!」
ヒカリが真っ赤になってルナを睨む。
カナデも小さくヒカリの腕をつついた。
「ヒカリ、顔赤い」
「カナデまで!?」
「いや、でも事実」
「事実じゃないよっ!」
俺は三人のやり取りを眺める。
ルナが笑い、ヒカリが慌てて、カナデが淡々と追い打ちをかける。
そのいつもの光景を見ているうちに、胸の奥に張りついていたものが、ようやく少しずつほどけていくのが分かった。
ついさっきまで、誰かが欠けるかもしれないと思っていた。
あのまま全部失うんじゃないかと、本気で思っていた。
なのに今は、こうして全員がいて、いつもみたいに騒いでいる。
それだけで、十分だった。
ただ、嬉しかった。
ちゃんと、こういう日が来たんだと思えた。
十河湊の件は終わった。
少なくとも、俺とあいつ、ヒカリの中では。
守れたものも、確かにあった。
それでいい。
……いや。
今日だけは、それでいい。
もちろん、何もかも終わったわけじゃない。
神崎迅のこと。
影喰のこと。
そして、全部の裏にいたあの人のこと。
何一つ、はっきりとはしていない。
まだ向き合わなきゃいけないことは山ほどある。
きっと、これから先も楽な道じゃない。
それでも。
今ここに、守れたものがある。
笑っていてくれる人たちがいる。
だったら――また前に進める。
みんなの声を聞きながら、俺はそっと肩の力を抜いた。
終わっていないなら、また向き合えばいい。
その時は、その時だ。
今日守れたものが、ここにある。
だったらきっと、次も。
そう思えた。
一旦ここまでで最終回とします。
長らく投稿できてなくてすみませんでした。




