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そして勇者は剣を取る  作者: りり
第二章 勇者は一般庶民をめざす
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プロローグ

 目の前にいる魔獣は黄色く濁った眼をギラギラと光らせ、ソレイユを威嚇した。

 七つの蛇の頭。小山ほどもある巨大な一つの体と尾。鈍色(にびいろ)の鱗が妖しく光る。

 伝説級と言われる魔獣―――ヒュドラだ。

 対峙している場所は街道のど真ん中。

 ヒュドラの進行方向には、だいぶ離れてログランド伯爵領の領都シグラスの城壁と、更にその向こう遙か彼方にひとすじだけうっすらと青い海が見えている。

 一方でヒュドラの背後に見えるのは、豊かな緑が光るルセント山地と―――無惨に薙ぎ倒された森だ。

 水棲の魔獣であるヒュドラは、恐らく封印の沼を出て、より広い海へと向かっているのだろう。発見されてからわずか二日。既に経路上にあった三つの村が、その巨体により潰滅していた。

 ソレイユは油断なく構えつつ、周囲を見回した。

 付近には逃げ遅れた人々がまだおおぜいいる。

 散乱する瓦礫、大木。あちこちひしゃげて横転する荷車。

 ヒュドラが念動波を放ったのか、広範囲にわたってでこぼこに荒れた場所。

 そしてそこに残っているのは、手足を怪我して動けない人、意識を失って横たわる人、子どもを抱え震えてうずくまる人。

 ソレイユの一キロほど背後、まだ無事な街道沿いには、ログランド伯爵の領軍らしき部隊が水平に展開している。だが近づいてくる様子はない―――というより念動波を警戒して、近づくに近づけないでいるようだ。

 ソレイユはそれだけの状況を瞬時に見て取ると、迷わずヒュドラに向かって走り出した。

 すかさず襲ってきた七つの首を難なく躱し、かいくぐって背中に貼りつくと転移魔法を発動した。

 次の瞬間、ソレイユとヒュドラは山中に移動していた。

 迫ってきた牙をひらりと避け、大きく距離を取って再び対峙する。これで周囲を気にせず戦える、とソレイユは腰の剣を抜いた。

 とりあえず同行している騎士団に向けて、信号弾となる青い光を天高く打ち上げる。

 これは嘗てジョナサン・ラヴィエが騎士団の指揮を執っていた頃に決めた合図だ。

 あの頃は騎士団の支援が十分期待できたけれど、今日はいったいどれくらいでここに到着するやら、まったく読めない。

 ソレイユはここのところずっとそうしてきたように、たった一人で戦う覚悟を決めた。


 逃げ遅れていた人々は、目の前の凶悪な魔獣がいきなり姿を消したことにしばらく呆然としていたが、すぐに我に返って今のうちにと逃げ始めた。

 ログランド領軍の兵士たちがいっせいに走り寄ってきて、次々に領民の避難を補助し始める。

「あ、あの兵士さま…。あの化けものはどうなったのですか?」

 荷物を代わりに抱えてくれた兵士に、ひとりの男が尋ねた。どうやら村長らしい。

「もう大丈夫だ。勇者さまが来てくださったのだ。」

「勇者さまがあいつを魔法で、山の上まで連れて行ってくださった! おまえたちは落ち着いて避難に専念せよ!」

 訊ねられた兵士に続いて、領軍の部隊長らしき男が周囲に聞こえるように大きな声で説明した。

「勇者さまが‥!」

「勇者さま‥!」

「助けに来てくださったんだ!」

 誰もがほっと安堵した顔で感謝の言葉を口にする。こころなしか避難の足取りも軽くなったようだ。

「怪我をしている者、歩けぬ者はいないか? 遠慮なく申し出よ! 街の城門まであと少しだ、頑張れ!」

 自らしんがりを務め、部隊長は声を涸らして励ます。

 その時、山の方から地鳴りのような凄まじい音が響いた。

 振り返った視線の先では、山は呻りをあげて震えていた。木々が薙ぎ倒されて、一部がごっそりと抉れている。どうやらヒュドラが念動波を使ったようだ。

 遠く離れていても、かすかに蛇の頭が蠢くのが見え、吠えているのか悲鳴なのかわからないおぞましい叫び声が耳に届く。

 次の瞬間、まばゆい光の筋がいくつも同時に、ヒュドラに向かって放たれるのが見えた。

 勇者の放った技だ。

 誰かが、ほっと大きく息をついた。

 そこで部隊長は我に返った。

「勇者さまが戦ってくれているうちに、急ぐぞ! みんな、足を止めるな!」

 うなずいたり返事を返したりしながら、生き残った人々と領兵たちは再びまっすぐ前を向く。そしてただ黙々と歩き出した。


 初手は風魔法を乗せた刃で、真ん中の首を二つ飛ばしてみた。

 すると首は瞬時に再生した。

 再生するとは聞いていたけれども、それにしても驚異的な速さだ。

 ならばと次は七つの首をすべて同時に落とそうと考えた。

 しかしヒュドラの攻撃は、巨体に似合わず高速だ。七つの首をしならせながら、十四の瞳でソレイユの動きをあらゆる角度から封じてくる。なかなか七つの首を一刀で同時に落とせるような剣筋が描けない。

 動きを止めようと雷魔法を放ってみたけれど、どうやら魔法耐性があるのか、大したダメージを与えられなかった。

 火力最大の火魔法ならばいけるかと、ためしに圧縮した高火力弾を巨体に連続して撃ちこんでみた。

 最初の二発は貫通したけれども、直後いきなりヒュドラの体が青く光り、続いた数十発は全身を覆った魔力障壁のような膜に当たって弾かれてしまった。

 どうやら水魔法が使えるらしい。しかも腹の中心を貫通したはずの穴も、みるみるふさがってゆく。

 さすがに伝説級の魔獣、とソレイユは気を引き締めた。

 ヒュドラはどこかにある魔核を破壊しなければ、どこまでも再生すると伝えられている。

 腹の中心ではないとすれば頭のどこかだろうか。

 ソレイユは剣に魔力を纏わせ、跳躍すると、片端から頭を粉砕していった。

 苦悶の声を上げながらも、潰れるそばから頭が再生していく。怒りに満ちた眼でソレイユを睨み、牙を剥いて追ってくる。

 ―――頭ではないのか。

 いったん距離を取って着地したところを、太い尾で薙ぎ払われた。

「ぐっ!」

 とっさに魔力で防御し、ダメージを最小限に抑えながら草地を転がる。そこへ鋭い牙が次々に襲ってきた。

 短距離転移で躱しながらも、予想以上に素早い七つの首の動きに防戦一方になる。

 斬っても潰してもきりがないので、首に構わず胴体を攻撃しようとするが、胴体と尾は魔力障壁で致命傷を防がれてしまう。

 決め手を欠いたまま、いつのまにか日が暮れて、あたりは薄暗くなってきた。

 予想どおり、騎士団はまだ来ない。たぶん決着がつくまで動かないのだろう。

 ―――くそっ! せめて魔力回復薬(ポーシヨン)だけでも十分にあれば‥‥!

 この半年、連戦に次ぐ連戦のため、補助となる薬や魔具が十分に準備できていないのだ。

 いまも魔力回復薬(ポーシヨン)は、荷物の中に二本しかないし、照明弾や探知具、使い捨てのブーストスクロールなどは切らしている。

 消耗を気にしながら戦える相手ではなかった。だが魔核の場所がわからない以上、今はまだ我慢の時だ。

 ―――魔力を削って防御できないようにするしかないか‥。

 ヒュドラの防御壁は、強大な魔力を盾のように展開しているだけの単純なものだ。ただ魔力が甚大であり、反応が高速であるために、単体での攻撃では分が悪い。

 魔法で攻撃した後、転移で後方から斬撃を繰り出しても難なく反応してくる。

 高位の魔術師がいれば、攻撃している間に側面から魔力吸収(ドレイン)拘束魔法(バインド)を使って足止めを頼めるのだが、いないものは仕方がない。

 ヒュドラが再び体を震わせ始めた。念動波を使うつもりらしい。

 最初に使ったきりだったところからして、ヒュドラにとっても気安く使えるような技ではないのだろう。

 もしかしたら相手も日が落ちきる前に決着をつけたいのだろうか。意外と夜目はきかないのかもしれない。あるいは単に焦れているだけか。

 どちらにせよチャンスだ、とソレイユは思った。

 大技を使えば必ず隙が生まれる。

 ヒュドラの念動波の直撃を転移で躱し、鳴動する大地の、敵の足元に向かって魔法を放つ。

「アースフォール」

 地面に大穴が開き、ヒュドラの巨体が半分だけ穴に落ちこんでバランスを崩した。

 動きの止まったその隙を逃さず、ソレイユは雷を乗せた渾身の斬撃を放つ。それはヒュドラの蠢く七つの首を、付け根から同時に斬り飛ばした。

 間髪入れずに放った第二、第三の斬撃が、すかさず尻尾を落とし、胴体を真ん中から二つに分ける。

 しかし次の瞬間、穴の中でぶるぶると震えていた二つの胴体が、いきなり青い光に包まれ、くっついた。そこから首と尾がめきめきと生えてくる。

 やはり再生速度が速すぎる、とソレイユは舌打ちした。

 心臓を切り裂いたはずなのに、魔核は心臓にもないということか。

 頭にも眼にも首の付け根にもなかった。

 そうなれば全身を切り刻むしかないのだが、そのためには魔力を削って防御力と再生能力を落とさせなければならない。

 ―――長くかかりそうだ。

 ソレイユは深呼吸を一つして、剣を構えなおす。  

 ヒュドラは巨体であるがゆえに、逆に自分の重さが仇になってなかなか穴から抜け出せないでいる。

 既に日は完全に落ちた。雲に覆われ、月どころか星明かりさえ望めない真っ暗な闇。

 一瞬たりとも気の抜けない、長い夜が始まった。


 夜が明ける頃、ようやくヒュドラの再生が止まった。

 今しがた、火魔法を纏わせた剣で斬ったばかりの三つの首。切り口がぶすぶすと煙を立てて燻り、いつまでたっても再生が始まらないようだ。

 巨大な体躯についた細かい傷痕も、再生される様子もない。

 ヒュドラは真夜中になってやっと穴から這い出たものの、その時には既に戦意は失せていたようだった。何とか逃げようと右往左往し始めた。

 だがソレイユはそれを許さなかった。

 山の麓へ下りるのはむろんのこと、封印の沼へ戻ろうとするのも許さず、立ち塞がった。

 逃げるヒュドラを追い回し、斬りつけ、魔法を使わせて削り続け、数時間。

 やっと魔力が底をつき始めたようだ。

 ソレイユは自らもかなり疲労困憊した体を励まし、再生しなくなったヒュドラを更に攻撃し続ける。

 やがて日が東の空のかなり高い位置まで上った頃、ヒュドラはとうとう斃れた。

 一本だけ残った首の、黄色い眼が憎々しげにソレイユを見る。

 胴体は三分の二以上焼失しており、巨大な尾も焼けただれている。青い光はもう火花程度も出ないようだ。

 むろんソレイユとて無事ではなかった。

 満身創痍、立っているのもやっとの状態だ。しかし魔核を見つけて砕かなければ、ヒュドラは再び再生してしまう。

 魔力はほとんど残っていない。魔力回復薬(ポーシヨン)二本も使い切っているから、身体強化魔法(ブースト)も使えない状態だ。

 ソレイユは気力のみで体を動かしてヒュドラにとどめを刺し、解体していく。

 結局魔核は一つではなかった。

 頭や首、胴体にも尾にも数十個が散りばめられていた。

 ソレイユは切り刻んだヒュドラの体を集めて積みあげ、なけなしの魔力を振りしぼって圧縮した雷魔法で魔核ごと消滅させた。

 嵩があるので火で燃やせば山火事になるかも知れないし、拳で砕いて回るには数が多すぎた。だが危険なので跡形なく処分せねばならない。

 つまるところ、範囲限定の圧縮魔法しかないのだった。

 ほとんどの魔力を使い果たしたソレイユは、その場に倒れこんだ。

 体は動かせないし、意識も朦朧としてくる。

 ―――くそ‥! こんなところで死んでたまるか!

 意識を手放せば死に直結する。ほんのぽっちり残した魔力に気を集中させ、体を廻らせながら、必死にソレイユは意識を保った。

 胸に浮かぶのは最愛の子どもたちと―――ルチアの笑顔だ。

 考えるともなくいろいろなことを思いめぐらせ、どれほど時間が経ったのだろうか。

 運命がこれでもかと笞打つように、やがて冷たい雨が蕭々と降り始めた。

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