#25 リザードマンの王
水路の奥に、集落があった。
地下湖。
天井から滴る水が湖面に波紋を広げ、壁面の結晶が蒼白い光を落としている。
湖の中央に岩の島があり、そこにリザードマンたちが蠢いていた。
二十体以上。
水中と陸上に分かれて配置されている。
「偵察はした。中央の島に一番大きい個体がいる」
マルクが小声で報告した。
「全長三メートル近い。鱗が青黒い。他の奴とは格が違う」
「リザードマンキング」
エルザが杖を握った。
「水属性D級以上の個体。水中での戦闘能力は陸上の数倍に跳ね上がるわ」
カイトは水路の入り口から地下湖を見つめた。
暗視が水中を覗く。
リザードマンキングの鱗が、微かに光を帯びている。
核紋の気配。
水D級。自分が既に持っている属性と同じ。
だが「同じ」では済まない。
こいつの核紋を取り込めば、水の力が一段上がる。
「作戦を決めるわよ」
ソフィアが四人を集めた。
「リザードマンキングは水中が本領。陸に上げれば弱体化するけど、あの体格を引きずり出すのは難しい。だからカイトが水中に入る」
マルクが眉を上げた。
「水中に? 正気か?」
「カイトは水中呼吸を持ってる。水の中で戦える唯一の前衛よ」
「俺が潜って、リザードマンキングをやる。地上の取り巻きは三人で抑えてくれ」
「理論上は可能だけど、リスクが高い」
エルザが眼鏡を直した。
「水中でリザードマンキングと一対一。怪力と暗視はあっても、相手はホームグラウンドよ」
「だからやる」
カイトは短剣を抜いた。
「核紋が共鳴してる。水D級同士だ。同じ土俵に立てるってことだろ」
ソフィアが唇を引き結んだ。
何か言いたそうだったが、結局言わなかった。
代わりに剣を抜いた。
「行きなさい。取り巻きは私たちが引き受ける」
* * *
カイトは地下湖に潜った。
水中呼吸が肺を切り替える。
鱗状の薄膜が全身を覆い、水圧を弾いた。
暗視が水中を照らす。
地下湖の底は岩盤で、リザードマンの巣穴がいくつも開いている。
中央の島の真下に向かって泳いだ。
地上で戦闘が始まった音が、水を伝って響く。
マルクの風矢が水面に飛沫を上げている。
エルザの炎が水面を赤く照らす。
ソフィアの水流が陸上のリザードマンを薙ぎ払う音。
三人が仕事をしている。
信じろ。
島の真下に着いた。
上を見る。
影が、落ちてきた。
リザードマンキング。
水中に飛び込んできた青黒い巨体が、暗視の中で鮮明に映る。
全長三メートル。
太い尾が水を切り、カイトに向かって突進してくる。
速い。
水中でのリザードマンの機動力は、陸上の比ではなかった。
太い爪が水を裂いてカイトの胸を狙う。
横に泳いで躱した。
爪が岩盤を削り、破片が散った。
反撃。
怪力を右拳に込め、リザードマンキングの脇腹に叩き込む。
硬い。
青黒い鱗がカイトの拳を受け止めた。
だが——衝撃は通っている。
リザードマンキングが尾を振った。
水中で尾は武器になる。
太い尾がカイトの左腕に叩きつけられ、体が回転した。
痛い。
だが骨は折れていない。
鱗状の薄膜が衝撃を分散した。
態勢を立て直す。
暗視がリザードマンキングの動きを捉える。
縦に裂けた瞳がこちらを見ていた。
次の動き。上からの急降下。
カイトは湖底に沈んだ。
リザードマンキングの爪が頭上を通過する。
下から。
怪力の全力を左拳に込めた。
水中で体を回転させ、上昇の勢いを拳に乗せる。
リザードマンキングの顎を、真下から殴り上げた。
衝撃が水中に波紋を広げた。
リザードマンキングの頭が弾き上がり、巨体が一瞬浮く。
その隙に、カイトは距離を詰めた。
暗視が教える。
鱗の隙間——首の付け根。
核紋の脈動が一番強い場所。
右拳を振り抜いた。
首の付け根の鱗が砕けた。
カイトの拳が肉に食い込み、核紋に触れる。
リザードマンキングが悲鳴を上げた。
水中で響く獣の絶叫が、鼓膜を揺らす。
巨体が痙攣し、尾が暴れた。
カイトは拳を引き抜いて距離を取る。
リザードマンキングの体から、蒼い光が噴き出した。
核紋の欠片が浮かび上がる。
水D級。
カイトの体内の核紋が脈動した。
同じ属性が呼び合っている。
取り込むか。
取り込む。
「喰らう」
水中で、手を伸ばした。
蒼い光が掌に触れた瞬間——全身が凍りついた。
水の中なのに、体温が跳ね上がる。
矛盾した感覚。
皮膚が泡立ち、腕に鱗の模様が浮かび上がった。
視界が蒼く染まる。
体の中で、水の属性が膨張していく。
吸収中——無防備。
動けない。
水中で浮いているだけの的だ。
巣穴からリザードマンが二体、カイトに向かって泳いでくるのが暗視に映った。
駄目だ。
あと——一分は動けない。
水流が、割って入った。
ソフィアが水中に飛び込んでいた。
水属性B級の全力。
水の壁がカイトの周囲に展開し、リザードマンを弾き飛ばした。
ソフィアは水中でカイトの隣に来た。
水中呼吸はないが、B級の水属性であれば短時間は水中で活動できる。
全身が蒼い光に包まれ、髪が水中で揺れている。
カイトの体が震えている。
吸収が進んでいる。
鱗の模様が肘から肩に広がっていく。
ソフィアが片手でカイトの手首を掴んだ。
もう片方の手で水の壁を維持しながら。
カイトの灰色の瞳が、一瞬金色に変わった。
一分半。
蒼い光が最高潮に達し——沈んだ。
吸収完了。
カイトの全身から力が抜けた。
意識が朦朧とする。
体が沈み始める。
ソフィアがカイトの腕を掴み、水面に向かって泳いだ。
* * *
地下湖の岸辺に引き上げられたカイトは、岩の上に仰向けに倒れた。
熱い。
体温が急上昇している。
副作用だ。
水D級の鱗の防御力を吸収した代償。
ソフィアが膝をつき、カイトの額に手を当てた。
治癒の水が流れ込む。
「また三日かしらね」
「……すまない」
「謝らないで。私が守ると決めたの」
マルクが岸辺に駆け寄ってきた。
弓を肩にかけ、息を切らしている。
「取り巻きは片づけた。エルザの炎で巣穴を焼いたから追手もない。おい、カイト大丈夫か?」
「大丈夫。熱いだけだ」
「熱いだけって、顔が真っ赤だぞ」
エルザが手帳を開いた。
「吸収時間は約一分半。副作用は高熱。水D級の二回目の吸収。同属性の上書きではなく、防御特性の追加吸収と見るべきね」
「記録は後にしなさい。今は安静よ」
ソフィアの声に棘があった。
エルザが素直に手帳を閉じる。
カイトは目を閉じた。
体の奥で、新しい力が定着していく。
水の防御が一段厚くなった感覚。
「水の中まで守りに来るの、あんただけよ」
ソフィアの声が近くで聞こえた。
「……お前がいなきゃ喰えない。いつも」
「知ってるわよ。だから離れないって言ってるでしょ」
マルクが岸辺で小声で呟いた。
「お似合いじゃん」
鈍い音がした。
エルザの肘がマルクの脇腹に入った音だ。
「黙ってなさい」
「痛ぇって……」
* * *
三日後。
宿の寝台で目を覚ましたカイトは、自分の腕を見た。
淡い鱗模様が、手の甲から肘にかけて浮かんでいた。
指で触れる。
硬い。
皮膚の下に、薄い鱗の層が形成されている。
拳を握った。
鱗の模様が腕に沿って光を反射する。
窓辺に立ち、朝日に腕をかざした。
蒼白い鱗が光を弾き、虹色の反射を散らした。
「防御力が上がってる……」
拳で壁を軽く叩いた。
衝撃が鱗に吸収される。
以前の鱗状薄膜とは比較にならない硬度。
だが。
カイトは腕の鱗模様をじっと見つめた。
体が変わっている。
闇の暗視は目だけの変化だった。
地の怪力は筋肉の強化だった。
炎は内部に定着した。
水D級の二度目の吸収は、体表に現れた。
皮膚が鱗に変わり始めている。
これが「代償が大きくなっている」ということか。
喰うたびに、人の体から離れていく。
扉が叩かれた。
「起きた?」
ソフィアの声だった。
「ああ」
扉を開けると、ソフィアが盆を持って立っていた。
粥と水と、リンゴが一つ。
「三日間、よく寝てたわ。熱は下がった?」
「下がった。腕を見てくれ」
カイトが腕を差し出すと、ソフィアの目が僅かに見開かれた。
「鱗……前より、はっきりしてる」
「ああ。防御力は上がった。でも」
「体が変わっていってるのね」
ソフィアは盆をテーブルに置き、カイトの腕に触れた。
指先が鱗模様の上を滑る。
「冷たい。人の肌の温度じゃないわ」
「……そうか」
「でも、まだ人の手よ。拳も、指も」
ソフィアの声は静かだった。
「吸収するたびに体が変わる。それは覚悟してた。でも大丈夫。あんたはまだ、人間のままよ」
カイトは腕を引いた。
窓の外で、朝日がカスカーラの街を照らしている。
海からの風が潮の匂いを運んでくる。
鱗模様が光を弾いた。
まだ足りない。
もっと強くなるには、もっと喰わなければいけない。
だが喰うたびに、体は人から離れていく。
その境界が、少しずつ近づいている。




