表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
核紋が空の最弱冒険者、魔物を喰らって全属性で成り上がる  作者: 景都 (けいと)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/13

#13 水中呼吸

熱い。

 体の芯から燃えるように熱い。


 カイトはギルドの宿の寝台で、三日間動けなかった。


 水D級の核紋。

 吸収の代償は、今までの比ではなかった。

 高熱が引かない。

 汗が寝台を濡らし、枕の布が体温で湿っている。

 意識が浮いたり沈んだりを繰り返し、天井の木目が歪んで見えた。


「……先生」


 朦朧とした意識の中で、カイトは呟いた。


 孤児院の記憶が断片的に蘇る。

 核紋が「空」の子供には、名前すらつけてもらえない。

 それが迷宮都市カスカーラのスラム街の風習だった。

 魔法が使えない子供は労働力にもならない。

 孤児院の子供たちの間でも、カイトは最底辺だった。


 だが一人だけ、名前をくれた先生がいた。


 痩せた手が頭を撫でてくれた感触。

 「カイト」という名前を初めて呼んでもらったときの、胸の奥が熱くなる感覚。

 あの手は温かかった。

 いつも少しだけ震えていたけれど、頭に置かれると安心できた。


「カイト、聞こえる?」


 声が聞こえた。

 先生の声とは違う。

 もっと若くて、少しだけ怒ったような声。


 額に冷たい手が触れた。

 水属性の治癒が、静かに体の中に流れ込んでくる。

 灼熱が一瞬だけ和らぎ、体の力が少し戻った。


「……先生……」


「先生じゃないわよ。ソフィアよ」


 カイトの瞼が薄く開いた。

 ぼやけた視界に、プラチナブロンドの髪が映る。

 窓から差し込む光が、その髪を金色に染めていた。


 ソフィアが寝台の横の椅子に座り、左手をカイトの額に当てていた。

 青白い光が手のひらから滲み出ている。

 右手には絞った布が握られていて、もう何度も額を拭いたのだろう。

 布は湿り切っていた。


「……何時間、そうしてる」


「うるさい。黙って寝てなさい」


 ソフィアの声は厳しかったが、手は離れなかった。

 冷たくて、柔らかくて、確かな手だった。

 先生の手とは違う。

 もっと強くて、もっと真っすぐな手だ。


* * *


 二日目の朝。


 カイトは夢を見た。


 孤児院の庭。

 崩れかけた石塀に座って、空を見上げている。

 灰色の空だった。

 隣に先生がいた。

 白い髪を後ろで束ねた、痩せた女性だ。


「カイト、お前は核紋がなくても生きていける」


 先生の声は穏やかだった。

 風に混じって、遠くから子供たちの声が聞こえる。


「でもな、一人で生きようとするな。必ず誰かの手を借りろ。借りた分は返せ。それがお前の核紋の代わりになる」


 その声が遠ざかり、代わりに別の声が近づいてきた。


「熱、まだ下がらないわね……」


 目が覚めると、ソフィアの手がまだ額にあった。

 窓の外が明るい。

 朝日が部屋に差し込んでいる。


「……まだいたのか」


「当たり前でしょ。あんたが寝てる間に容態が急変したら誰が対処するのよ」


「ここ、ギルドの宿だろ。魔物は来ない」


「魔物の心配じゃないわよ。副作用が悪化したらどうするの。D級の吸収なんて前例が分からないんだから」


 ソフィアの声に苛立ちが混じっていた。

 だがそれは怒りではなく、心配を隠しきれない声色だった。


 カイトは小さく息を吐いた。

 先生の手と、ソフィアの手が重なった。

 どちらも温かい。


 いや——ソフィアの手は冷たいはずだ。

 水属性の治癒を流し続けているから。

 なのに温かく感じるのは、熱のせいか。

 それとも。


 カイトはその問いを追いかける前に、また眠りに落ちた。


* * *


 三日目の夕方。


 熱が引いた。


 カイトは寝台から身を起こした。

 三日ぶりに頭が澄んでいる。

 全身の倦怠感はまだ残っていたが、骨が軋む感覚は消えていた。


 自分の手を見た。

 左腕の内側に、淡い鱗のような紋様が浮いている。

 人差し指の先から手首まで、薄い青緑の模様が連なっていた。

 触ると微かに硬い。

 人間の皮膚の上に、爬虫類の鱗が一枚だけ重なっているような感触だった。


「起きたの」


 ソフィアが部屋に入ってきた。

 盆の上に水差しとパン、それに干し肉の切れ端を載せている。

 三日間の看病で、彼女の目元にも疲労の影がうっすらと見えた。


「3日も寝てたのか」


「丸3日。一時は熱が40度を超えて、正直、覚悟したわ。私の治癒がなかったら1週間は寝込んでたと思う」


 カイトは水を受け取り、一気に飲んだ。

 喉を通る水が、やけに心地よかった。

 味がする。

 水に味があるのだと、初めて知った。


「……水の味が分かる」


「え?」


「今まで水を飲んでも味なんか感じなかった。冷たいとか温かいとかはあったけど、水そのものに味があるなんて思わなかった。でも今は——鉄分と、岩の間を流れてきた匂いと、それから微かに甘い」


 ソフィアが目を丸くした。

 カイトは立ち上がり、窓辺に置いてある水桶に手を突っ込んだ。


 手が水に沈む。

 そして——何かが変わっていた。


 水の中にいる感覚が、空気の中にいるのと同じだった。

 手の甲に薄い膜が張り、水が肌を濡らさない。

 指の間を水が流れているのに、皮膚は乾いたままだ。

 まるで水中に自分だけの空間を持っているような感覚。


「水中呼吸……と、鱗の防御膜。これが水D級の力か」


 カイトは手を引き上げた。

 水滴が手の甲を滑り落ちる。

 防御膜が解ければ、普通に水に濡れる。

 任意で切り替えられるようだ。


 ソフィアが近づいて、カイトの腕の鱗紋様を指でなぞった。

 冷たい指先が、鱗の端をたどる。


「体が変わってるわ。前の吸収では見た目の変化はなかったのに」


「D級からは体に痕が残るってことか」


「嫌じゃないの?」


「別に。強くなれるなら鱗の一枚や二枚安いもんだ」


 カイトは腕を下ろした。

 ソフィアの指がまだ触れていたことに、ほんの一瞬だけ気づいた。

 だがそれ以上は考えなかった。


「ソフィア、3日も付き合わせて悪かった」


「いいのよ。パーティなんだから当然でしょ」


「当然じゃない。お前だって依頼を受けて稼がなきゃならないのに、3日間を俺に使った」


 ソフィアは肩をすくめた。


「無茶しないでって言っても聞かないんでしょ」


「……次も頼む」


「はいはい」


 ソフィアがそっぽを向いた。

 窓からの夕陽が、その頬を赤く染めている。

 だがカイトには、それが夕陽のせいなのかどうか、判断する余裕がなかった。


 体は回復した。

 新しい力を手に入れた。

 暗視、怪力、そして水中呼吸。

 次の階層に進む準備はできている。


「行くぞ。8Fだ」


「今すぐ? 回復したばかりでしょ」


「明日の朝一番で。——今夜はちゃんと寝る」


 ソフィアは呆れた顔をして、それから少しだけ笑った。

 笑うと目元の疲労が消えて、17歳の顔に戻る。


「あんたが自分から休むって言うの、初めてじゃない」


「成長したんだよ。核紋だけじゃなくてな」


 軽口の応酬が心地よかった。

 カイトはパンを千切って口に放り込んだ。


 窓の外に、ダンジョンの入口が見える。

 夕陽に照らされた石造りのアーチ。

 あの奥の8Fにオーク領域が広がっている。

 重い足音が地面を揺らすフロアだと聞いていた。


 体の中で、核紋が震えた。

 暗視と怪力と水中呼吸——三つの力が、新しい獲物の気配に反応している。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ