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第115話 1941年12月8日、”ザバーニーヤ作戦”、成功(?)をもって終了とす

もしかして、史上まれに見る最低のオチかも……





 さて、史実では1941年後半に英国軍が行った北アフリカ・リビアで行った反抗作戦の名を”十字軍(クルセイダー)作戦”という。

 端的に言って、英国人はリビア人やイスラム教徒に喧嘩でも売りたかったのだろうか?

 

 リビアのイタリア人を追い出す作戦に、クルセイダーなんて名前をつけるなんて、「英国人が現代の十字軍となってイタリアに代わってリビアをキリスト教のものにする」と宣言するようなものだ。

 これじゃあ”英国国教会 vs ローマ・カソリック”の代理戦争ならぬガチ戦争と言われても仕方がない。

 無論、イスラムにとってはどっちもキリスト教、要するに敵だ。

 少しは歴史的背景を考えてほしい。

 いや、トリポリタニアを英国領にしたのだから、ある意味においてその作戦名は正解かもしれない。無論、皮肉言っている。

 

 

 

 だが、この世界線の日本人はそこまで無神経でも領土的野心の持ち主でもない。

 だから、ガザラ村の戦いから始まるリビアでの大反抗作戦をこう名付けたのだ。

 

 ”地獄の番人(ザバーニーヤ)作戦”

 

 と。

 ”ザバーニーヤ”とは、コーランに登場する天使で、イスラム教の定義する地獄”ジャハナム”の管理者だ。

 ちなみにザバーニーヤもジャハナムも、微妙にガンダ○に繋がっている。

 ザバーニーヤは某劇場版に登場する狙い撃つ/乱れ撃つ系MSの最終進化型の元ネタだし、ジャハナムはVの抵抗勢力の大物とか、それつながり(?)で時系列的に1000年以上先のMSの名前に付けられている。

 

(そういや、あれも”国土回復(レコンキスタ)”って名前入ってたっけ)


 まさかこの作戦、立案にガノタ転生者が関わってるんじゃないだろうな?

 

 ああ、今生のウッ○を目指そうとしたが、時代的に無理だと諦めた舩坂弘之だ。

 いや、まあアヤツよりは女運は良いと思うが。

 普通に家庭的で超かわいい幼馴染と結婚してるし。

 

 ただ、俺を未だに”ヒロユキちゃん”と人前で呼ぶのは、年齢的に勘弁してほしいところだが。

 二人きりの時は構わんが。

 

 ところで今、トリポリ沖合に居る”あきつ丸”の甲板から街を眺めているんだが……

 

「なあ、軍曹……どうして街のあちこちから炎と煙が上がってるんだ? 皇国軍(おれたち)、まだ何もしてないよな?」


 砲弾・爆弾どころかビラすら撒いてない。

 さっきからのひっきりなしに海軍(うち)の二式艦上偵察機や空軍の一〇〇式司令部偵察機が上空を飛んで状況を探ってるようだが、今のところこれといった答えは出ていない。

 むしろ一切迎撃機が飛んでないのが不気味ですらある。

 なので俺達は船で待機中なんだが……


「はは~ん。こりゃ、もしかしたら”見限られた”のかもしれませんなぁ」

 

「見限られた? 誰が? 誰に?」


「イタリア人がリビア人にでしょうなぁ。力による支配は、その支配の担保となる力が衰えればたちどころに反旗を翻される……歴史上、さして珍しくもない何度も繰り返されてきた節理ですな」


 やっぱ軍曹って学あるよな?


「ってことは、いつでも出撃できる状態は維持すべきだな。軍曹の予想が正しいとすれば、この先どうなるかわからん」


「ほほう。そのこころは?」


「予定とは全く異なる任務で出る必要があるかもしれないってことさ」


 認識を、いや想定を切り替えよう。

 トリポリは、内戦状態にあると。

 

(ったく、何の因果だあの街は……)

 

 カダフィーの頃も、カダフィーが死んだ後も、ホントに衝突が絶えんな。

 

「とりあえず、泥沼化して手が付けられなくなる前に力技の武力介入し、強制的に戦闘を終息させるって展開かな……これは」

 

 結果として、イタリア人を救うためのトリポリ攻略戦になりかねない。

 

(正直、やってられんなぁ……ヲイ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリポリ攻略戦は恐ろしくあっさりと決着した。

 トリポリ市街から多勢に無勢で武装した市民から叩きだされたイタリア軍は、郊外にあるイタリア軍基地に立てこもることを選択したようだ。

 迎撃機が飛べないのも道理だった。

 基地に隣接した滑走路まで避難してきたイタリア将兵があふれていたのだ。

 何ならトリポリ港から脱出してもよさそうなものだが、日本人が幾重にも網を張っていることを知ってる彼らはそれを安易に選択できなかったのだ。

 

 いや、それ以前の問題かもしれない。

 そもそも、船や飛行機や戦車を十全に動かせる燃料自体が、既に枯渇気味だったのだ。




 まず海上補給がほぼ壊滅し、輸送船が着くのは奇跡的な状況になっていた。

 何しろ、メッシーナ海峡は機雷封鎖され、今や数少ないイタリア船の安全地帯であるナポリから輸送船団を出せば、必ずシチリア海峡(ボン岬海峡)を通らねばならない。この海峡の幅は一番狭いところで145㎞程度しかない。

 まさに潜水艦に待ち伏せしてくれと言ってるようなものだ。

 これ以外にも日本皇国遣地中海艦隊やマルタ島の陸攻隊、最近では英国に倣って編成された53㎝酸素魚雷を搭載した日本版PTボート、高速魚雷艇(MTB)部隊がいるのだ。

 史実の日本魚雷艇より遥かに早く、そして高性能な魚雷艇が配備されたのは、35年のドイツの再軍備宣言により、その頃から「波が静かな地中海の戦闘」が想定され、同じく魚雷艇の必要性を感じた英国と共同開発となったのだ。

 

 これ比べれば、まだ潜水艦を用いた通称”ナポリ急行”はまだ成功率が高いとされていたが、日本の対潜装備を満載した軽巡洋艦や駆逐艦、海防艦で編成された対潜水艦戦隊(ハンターキラー)やマルタからの磁気探知機(KMX)を搭載した長距離対戦飛行艇”二式大艇”の哨戒網を擦り抜けてトリポリにたどり着くのは至難の業だった。

 

 空輸もできなくはないが、一度の輸送量が小さく、またマルタ島の電探を張り巡らされてる中、足の長い日本軍機が電波誘導で飛んでくる、あるいは待ち構える状況で何度も使える手段ではなかった。パイロットも航空機も有限なのだ。

 マルタの空軍部隊だけでも厄介なのに、場合によっては海軍の空母戦闘機隊まで上がってくるのだ。冗談ではなかった。

 

 

 

 チュニジアを中継しての陸路に関しても、かつては同じ陣営だったはずのフランスも、よりによって「中立を理由」に軍需物資の融通も、チュニジアの兵站輸送も許可してくれなかったのだ。

 フランスの言い分は、こうだ。

 

『食料や医薬品、日常品なら人道的見地から見ても正規輸出が可能だが、武器弾薬燃料の輸出はイタリアへの軍需品供給による戦争協力とみなされかねない。ましてや、チュニジアからの陸路補給を許したら完全に中立を破る敵対行為とされ、チュニジアへの直接攻撃の理由が発生するだけでなく、ドイツとの停戦合意にも大きく影響が出る。なぜ、イタリアの為にフランスがそんなリスクを侵さねばならん? それに見合う見返りや対価は用意できるのか?』

 

 当然できるわけはなかった。

 仏領植民地さえ持て余してる現状で、フランスが土地を対価として受け取るわけがない。

 それ以前に対価に差し出す土地が無い。

 リビアも東アフリカも、すでにイタリア人の所有物ではなくなってきているのだ。

 

 金銭や資源も論外。

 そもそもイタリア本国の消費分すら不足気味だ。

 そしてイタリア人は知らないことだが、食料品や医薬品の北アフリカ伊軍販売にさえ、フランス政府は日本政府にお伺いを立てていたという側面がある。

 誰だって対岸の火事の火の粉を進んでかぶりたくはない。ましてや国境は対岸でなく地続きなのだ。

 ちなみに日本皇国政府の反応は、

 

『略奪や餓死者続出や流行病の蔓延よりはマシだから、人道的見地から許可』

 

 だったという。

 つまり、北アフリカのイタリア軍は、食料品や医療品などはとりあえず問題は無いが、もはや満足に戦える武器弾薬燃料状態ではなかったのだ。

 

 

 

 そして、それを見逃すトリポリのリビア人ではなかった。

 イタリアに恭順してるフリはしているが、まさに中身は面従腹背。

 そしてきっかけとなったのは、ミスラタまで陥落した後に足りない戦力を補うためイタリア軍は禁じ手ともいえるトリポリ市民から物資の強制徴用、強制徴兵を始めたのだ。

 

 だが、怒り心頭のトリポリ市民ではあったが、日本と繋がっていた商人ネットワークからの情報ですぐに行動は起こさなかった。

 イタリア人からなけなしの旧式武器を渡され、日本軍がいよいよトリポリに迫った時に、彼らは溜まりに溜まった怒りを爆発させた。

 

 その勢いはまさに烈火であり、怒涛だった。

 最初、イタリアは対処できると思っていたのだ。

 何しろ、リビア人にはまともな武器は渡してないはずだった。

 

 とことん、見通しが甘かったと言える。

 商人を敵に回しているということは、通商路に何が紛れさせられているかわからないということだ。

 そして、手に手に日英式の武器を持った武装市民は、装備が貧弱なイタリア部隊から圧倒していった。

 

 日本人を迎え撃つ前線陣地でも市街でも、一斉に蜂起が起きたのだ。

 実はトリポリ人には怒り以外にも”焦り”があったようだ。

 最初から日本人と組み、イタリアと戦っていたのはキレナイカのサヌーシー教団だ。

 このままでは、このリビアの大地の主導権はサヌーシー教団が握ってしまう。

 元は商人の街であるトリポリは、(少なくてもこの時代のこの世界線では)比較的穏健で飲酒にも寛容なハナフィー学派が主流とはいえ、イスラム教の最大派閥のスンニ派なのだ。

 正直に言えば、イスラム教の中で異端扱いする者が少なくないイスラム神秘主義(スーフィズム)のサヌーシー教団がリビアで圧倒的な発言力を持つのは、あまり面白い状態ではない。

 だからこそ、将来的に樹立予定の”トリポリタニア共和国”をリビアの中で「スンニ派ハナフィー学派の国」とすべく、実績を欲しがったのだ。

 そう、

 

 ”自らの手でトリポリを奪還した”

 

 という手柄をだ。

 その結果、イタリア軍はリビア人に地の利があるトリポリ市街を放棄し、基地に立てこもった。

 

 だからこそ、日本軍機が上空から降伏勧告のビラをばらまいたとき、一斉に白旗が上がったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そしてイタリア・リビア総督兼最高司令官だったイタリアーノ・ガリボルディ元帥の降伏に関する条件(条件が出せる様な立場にないことは、ガリボルディ自身もわかっていたが)は、

 

 ”トリポリに居るイタリア軍の捕虜としての身柄の保護”

 

 だった。

 そう、ガリボルディ元帥は、自分達をリビア人に引き渡され、裁かれることを最も恐れていた。

 

 それを聞いた山下将軍は、実に微妙な表情をしたという。

 そして、さらに増えた捕虜に胃痛が増したのは言うまでもない。

 

「イタリア人は、捕虜の物量戦で私を殺しに来てるのだろうか?」

 

 そうつぶやいた山下将軍の背中は、悲哀に満ちていたという……

 

 

 

 

 

 

 

 ともあれ、こうしてリビアを巡る戦い、”ザバーニーヤ作戦”は日本皇国の勝利という形で幕を閉じた。

 奇しくもトリポリの陥落宣言が出されたその日は、

 

 

 

 ”1941年12月8日”

 

 

 

 だった。

 

 

 

 





 




史実では運命の”1941年12月8日”、日本皇国はリビア以外にこれといった戦いもなくこの日を迎え、ただ一日が過ぎました。


太平洋は相変わらず米ソ(ついでにその取り巻き)と仲が悪いだけでこれといった軍事衝突もなく、時折、街の暗がりで身元の分からない肢体が転がるくらいです。


クレタ島はいたって平穏、時折、「忘れた頃のやってくる」イタリアの偵察機が来るくらいです。


英国は、東アフリカでハッスルしてるようですよ?


さて、別の世界では太平洋を舞台とした大戦争が始まったこの日、日本皇国は微妙な終わり方でしたが、一つの戦場を”終わらせ”ました。


リビアでのエピソード、残すは章エピローグ的な1話のみ。


この先、果たしてどうなっていくのか……皆様に”歴史の目撃者”になっていただけると嬉しいです。



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