決着
再び追い詰められてしまった。しかし、まだもう一つだけ打てる手はある。
本当であれば使いたくない下策も下策だが、背に腹は代えられない。
「……でしたら、客観的に認められないのであれば、私は今この場でハッキリと申し上げます。レーヴェ殿下、私はあなたと結婚したくありません。あなたのことが大っ嫌いです。これっぽっちも愛してなんかおりません。さあ、どうですか? これほど不躾な言葉を並べ立てる不届き千万な女を、あなたは本気で婚約者として迎え入れるおつもりですか?」
そう、これぞ最後の悪足掻き。相手の感情を直接害して婚約を拒否させるという一手。
あまりにもエレガントさとスマートさに欠けるのでこればかりは用いたくなかった。そもそも人を直接的に罵ること自体あまり得意ではないのだ。
だが、こうなっては仕方ない。もはや私に残された唯一の抵抗手段はこれしかないのだから。
「……そうだな。なんとも奇遇なことに、実は俺自身も貴様のことは何とも思っておらぬ。有り体に言って興味がなかった。だから、もちろんこちらとてこれっぽっちも愛していない」
おおっし、やはり狙い通りの〝逆〟両思い。冷血皇子という印象は間違っていなかった。
相当失礼なことを言われている気もするがそこはお互い様だ。大目に見よう。
「だから、実のところ貴様が本気で拒否するのであれば、婚約など望み通りに破棄してやっても良かったのだ。代わりなど掃いて捨てるほどいるからな。貴様の妹でも、なんであればそこの男爵家の娘でも構わなかったさ。どうやらどちらもそこそこ有能であるようだからな」
しかし……おや……? おやおやおや……?
どうも話の雲行きが怪しくなってきた。
私はそれを鋭敏に感じ取り、焦燥を得る。
待て待て、殿下の話が本当なら、最初からこうしていれば目的は無事に果たされていたということか……?
ということは、今からでも遅くないのか……? 私が「嫌だ」って言ったから、その希望を叶えてくれる……?
だが、殿下の口振りはどうもそういうわけではなさそうで。
むしろ、その美しくも嗜虐的な微笑は真逆の何かを予感させ――。
「そうだと言うのに、よりにもよって貴様は俺の前で存分に示してしまったな。己の身に備わった〝才覚〟を、余すことなく。俺は人間同士の情愛に大した興味はない。誰かにそれを感じたこともない、自分で言うのもなんだが偏屈で冷酷な男だ。故に、俺は人間というものを感情を交えずにその才のみで見て、評価している。それは己の伴侶とて例外ではない。そんな俺の目の前で、だ。あろうことか貴様は自分の有能さを無自覚にひけらかしてしまったのだぞ」
そう、だからこそ、私は殿下のその言葉の意味を一言一句誤解することなく正しく理解してしまう。
止まらない悪寒にガタガタと震え、死人のように青ざめる。
「そんな俺の人間を見る基準――それを最も満たす婚約者は、もはや貴様以外におらぬ。この俺ですら手放しに賞賛したくなるほどの暗躍ぶりを見せてくれた、テレジア――貴様こそがこの世でもっとも我が婚約者に相応しい。俺はもう貴様以外を娶るつもりはない。ぞっこんというやつだよ。他でもない貴様自身が俺をそうしてしまったのだぞ」
この大間抜けめ。
そんな思いっきり矛盾した憎まれ口と共に、殿下は初めて声を上げて笑った。心底面白がっておられる様子で。
私は呆然とそれを見ているしかない。
まるで魂が抜けたような虚脱状態に陥りながら。
「つまり、貴様は今まで俺との婚約を回避するため東奔西走に暗躍しつつも、実際には必死で己の墓穴を掘っていたに過ぎんというわけだ。いやはや、ご苦労なことだな」
そんな私の肩を、いつの間にか近寄ってきた殿下がポンと叩いてくれた。勝ち誇った顔で、労いの言葉と共に。
しかし、私はそれを振り払う気にもなれない。反感を抱く気力すらない。
それも当然だろう。自分の行動が全ては徒労に過ぎなかったと告げられてショックを受けない人間がどこにいると言うのだ。
いや、徒労であればまだマシだろう。
それどころか、私は自分で自分の首を絞めていたのである。
もはやショックを通り越して精神崩壊一歩手前だ。
というか、己の婚約者をここまで楽しそうに追い詰めてくる殿下も殿下だ。
一体何を考えているんだ。こいつは鬼か、悪魔か。
いや、もはやどんなおぞましいものに例えてもしっくりきてしまいそうで怖かった。そこを追求するのはやめよう。
だと言うのに、私はそんな邪悪の化身のような人間に心底気に入られてしまったらしい。
なんということだ。冗談じゃない。
「わ、私は殿下のことを愛していないのですよ……? それどころか、この先あなたに途轍もない憎しみを抱きながら生きていくことになるかもしれません……。あ、あなたは本当にそんな女を自分の傍に置いておくつもりなのですか……!? あなたを恨み、憎んでいる人間を、あなたは委細構わず受け入れられるというのですか……!?」
私はもはや理性をかなぐり捨て、本能のみで無様な拒絶を続けようとする。
こんな状況と精神状態ではもうそんなみっともないことしか出来なかった。
「……それについてだがな、テレジア。愛情の対極とは一体何であると貴様は考える?」
「……はぁ?」
しかし、殿下はいきなりそんなことを尋ねてきた。
はぐらかすようなその質問に、思わず私は間抜けな反応を返してしまう。
「俺は、『無関心』だと捉えている。世界は『好き』と『嫌い』で二分されているものではない。『関心』か『無関心』か。俺は世界をそう捉える。そして、誰かを好むのも愛するのも、あるいは嫌うのも憎むのも、全ては相手への関心から生じているものだ。つまり、プラスであろうがマイナスであろうが、他者への強い感情とは、根本的には全て同種のものと括れるのではないか。俺はそう考える」
殿下は私の答えを待たずに先に持論を明かしてきた。
さらに、「その上で」と続けて、
「これまでの貴様の行いはどうだ? 貴様は俺との婚約を回避するために八方手を尽くし、あらゆる努力を惜しまずに暗躍してきた。それは全く関心のない相手にするようなことではないな。むしろ、相手を過剰に意識しているからこそ行われたものだ。そうなると、意識する相手のためにそこまでの熱意を注いできた貴様の暗躍は、もはや憎悪を超えた俺への愛情と受け取れるのではないか?」
……んなわけあるかい!?
あまりにも突飛な理論に私は唖然としてしまう。
確かに私はこれまで遮二無二突っ走ってきたが、それは全部自分のため。我が身可愛さ故である。
殿下のためなどでは断じてない。
なので、そこには殿下への愛情など微塵も存在していない。絶対にだ。そんなものあってたまるか。
私は思わず異常者を見るような目を殿下へ向けてしまう。今までとは別の意味で戦慄しつつ。
だが、殿下はそれすら余裕たっぷりな様子で鷹揚に受け止める。
さらに、その顔に貼り付けた残忍な笑みをより濃くしながら、告げてくる。
「それにな、テレジアよ。そのおかげで、俺の感情にも一つの変化が生じてきた。貴様がそうやって俺との婚約を回避しようとせせこましく立ち回っているのを見ているとな、不思議と嬉しくなるのだよ。いじらしく感じると言うべきか、とにかく、そんな貴様が可愛くて仕方ない。俺のためにそこまで必死で、国政すらかき回そうとするのだからな。愛い奴め。おお、まさしく俺は今まさに、人生で初めて愛というものを知り、抱いているのかもしれぬな」
いやいやいやいやいや!! それは断じて愛じゃない!! 愛なんかではありませんぞ殿下!?
あんたのそれはただの歪んだ嗜虐趣味だ!! いや、嫌われて喜ぶのだから若干被虐の方にも偏っているのかもしれない!!
とにかく、およそまともな愛情でないことは間違いがない。
自分を嫌う相手が必死に抵抗する様に慈しみを覚え、それをこうして目の前で握り潰すことに喜びを感じるだなんて。残虐非道、最低最悪の嗜好にも程がある。
しかも、さらに最悪なことに、そんな屈折しまくったおぞましい情念が今、何の因果か私だけに注がれようとしている。
マズい、マズいぞこれは。
逃げねば、何としても。一刻も早くどこかへ逃げ出さなければ。
私の全身をこれまでの人生における最大級の危機感が駆け巡る。本能が警鐘をこれでもかと鳴らしている。
だというのに、よりにもよって現在、私はそのために張り巡らせてきた全ての謀略を看破されて丸裸の状態にある。
為す術など何もない、まさに絶体絶命。
まさか――。それを認識した瞬間、私の頭に一つの疑念がよぎる。
もしや、この状況すらも全てが殿下の思惑通りだったのでは。
あらゆる手を封じられ、身動きが出来なくなったその時にこそ、最大級の絶望が訪れるように仕向ける。まさに今この時こそが――。
「さて、そういうわけだ、テレジア。いい加減に観念して、大人しく縛に就け。――いや、この表現は適切ではないな」
私の目の前まで近寄ってくると、殿下はそう告げてくる。
こちらを勝ち誇ったように見下ろしてきながら。何もこんな時にそのすらっとした長身とスタイルの良さを活かさんでもよかろうに。
そして、含みのある言葉の続きを宣告してくる。まるで判決を下すように。
「観念し、大人しく我が伴侶となれ。テレジア――愛しき妃よ」
「――――ッ」
そう告げるだけでは飽きたらず、殿下は私の腰に片腕を回してぐいっと抱き寄せてきた。
その大胆な行為に私の胸はドキリと高鳴る……なんてことはなく、むしろ背筋にぞわっとした戦慄が走る。
何故なら、これはロマンチックな演出などでは断じてない。
というか、むしろ、コイツ――私の〝物理的逃走〟まで封じてきやがった!
がっしりと腰を掴まれて抱き寄せられる私は一切の身動きが取れない。傍目にはわからないが結構な力で捕まえられている。体格差もあって無理にふりほどくことも出来そうにない。
大魔王からは逃げられない。そんな言葉が脳裏に浮かび、私の身体は凍り付いたようになる。
恐る恐る顔を上げると、目の前には殿下の顔があった。
嫌味なほどお美しいその顔は、こらえきれないらしい喜悦に歪んでいる。心の底からそれが溢れ出してきて止まらないのだろうと、そう思わせるような。
「――さあ、これから貴様には存分に働いてもらうぞ、テレジア。俺の伴侶としての私生活はもちろん、貴族共を相手にした宮廷政治と権力闘争の場においても遺憾なくその辣腕を振るわせてやる。いや、国内のみならず、貴様には世界の列強を相手にその才覚を発揮してもらうことになるだろう。この国の最高権力者となる俺の、忠実にして優秀なパートナーとして」
その言葉を聞いた私は思わずひきつった笑顔になりながら、殿下へ問いかけてしまう。
「あの~……もしそうなると、部屋に閉じこもって三食昼寝付きでぐうたらと生活するなんてことは……」
「許されるわけがないだろう。当たり前のことを聞くな」
殿下はにっこりと微笑みながらあっさりとそう答えてくださった。
死刑判決。私の頭上にずがんとそんな言葉が浮かび上がる。
い、イヤだ。もう諦めるしかないとは悟っていつつも、私はぎこちない動きで視線を動かす。可愛い妹と後輩である、マリーとダリアの方へと。
助けて。どうにかして。というか、代わって。そんな風に縋るような目を向ける。
しかし、二人とも仲良く肩を竦めて静かに首を横に振るばかりであった。自分たちにはどうにも出来ないとでも告げてくるように。
孤立無援。改めてそれを思い知らされた私は、再び殿下へと視線を戻す。
涙を溜めて。目を潤ませて。ひたすら哀れっぽく、懇願するような顔で見つめる。
だが、そんなものが通用してくれるような相手ではない。
むしろ、それは火に油を注ぐだけ。この冷血皇子の歪んだ嗜虐心に。
「諦めろ、テレジア」
殿下は最後に、今まで一度も見せたこともない穏やかで優しい笑顔を浮かべておられた。
ああ、それなのに、その笑顔に反して告げてくる言葉は残酷なとどめの一撃。
私は、今度こそ一切の望みを絶たれた――そんな実感が胸に押し寄せてくる。
「……いっ――」
私は小さく震えながら、ひゅぅと息を吸い、
「いやだあああぁぁぁぁぁ!!」
思いっきり叫んだ。
認めてしまった己の敗北を、絶望を、周囲へ知らしめるように。
まるで子供のように、その場で泣き叫んで喚いた。
しかし、そんなことで今さら何が変わるわけでもない。ここに全ては決着してしまった。
こうして、私の数年に渡る華麗なる暗躍は、目的を果たして夢を叶える――どころかその真逆、とんでもない破滅の運命を招き寄せるという結果に終わったのであった。
***
以上が、この国の民であれば誰もがよく知る皇帝夫婦の馴れ初め話である。
この後、皇太子レーヴェは皇位を継承して皇帝の座に就き、歴代で最も国を繁栄させた名君となる。
その伴侶――皇后となったテレジアもまた、私生活においては良き妻として、公務においても頼れる右腕として夫である皇帝を支え続けた。
そんな二人の結婚生活が如何様なものであったのか――それについては、今も残されている、結婚式直後に撮影された二人の写真からおおよそを窺い知れるだろう。
恐ろしい程の美貌に満面の笑みを湛えた皇太子。
対照的に子供のような泣き顔をしている皇太子妃。
婚礼衣装に身を包んだそんな二人が傍目には幸せそうに寄り添っている。
二人のロマンチックな関係性を象徴するものとされている、その珍妙な写真――それはこの後、国に多大なる繁栄をもたらした皇帝夫妻共々国民から長く愛されることになるのだが、それはまた別のお話。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
このお話を読んで少しでも面白いと思ってもらえたり、くすりとしていただけたら幸いです。
その上で、良ければ感想などいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。