29、哀戦士と地震と津波とわたし③
いやあ、もう今日が12月10日だから、前回から半月ばかりが過ぎてしまいましたね。
どうもこんばんは、矢暮です。
光陰矢の如しと申しますが、随分前にも書きましたように僕のこの筆名である【矢暮終之丞】の元ネタはその意味から取っています。
つまり、時間は矢が放たれたように過ぎ去ってあっという間に夕暮れ時を迎え終わってゆくものだ、という不可逆的な自然の法則を肌身に感じた30代に付けた名前なのです。
そんな、たまにはかっこつけさせてくれ的な感じで、ちょっと気取ったペンネームなんですがね。普段はチャップリンのような男なんですよ。
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とまあ、そんなとりとめもないようなキャラのおじさんなんですが。
先日、行きつけのとある店の二十代の若い人ととりとめもない話をしていたんですよ。なんというか、その、ガンダムの話を。
そこで僕はこんな内容を話したんですね。
「ハリウッドが、日本の漫画やアニメなんかのストーリーを題材にする動きが現れたとき、初代ガンダムってあんまりあちらさんに好まれなかったって理由知ってる?」
みたいな話題の吹っ掛け。
これって僕もテレビかなんかのネタで知ったことなんで有名な話だと思うんですけど、その話し相手の店員さんは知らなかったみたいです。
で。
その理由とは、
『日本人的価値観が甚だしいため』
だと、そのメリケンのプロデューサー的なおっさんが語っていたのを思い出します。
☆☆☆
僕の子供の頃にね。誰に言われたのかも分からないぐらいの記憶なんで、多分幼少期か幼児期に言われたものなんだと思うんですが、
『他人の為に何かをしたときに、それを自慢するような真似はするな。それは恥だ!』
と躾けられたというか、教わったというか。
まあ、そんな風なことを当時の老人たちにきつく言われた感じが頭から離れないのです。
正直言って、ここまで西洋化した文化が定着した世の中になれば、これほど時代錯誤な考え方は今の若者には受け入れられないのも当然だと思います。
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僕が前項で語った、哀戦士で散っていったランバ・ラルを始めとする濃いキャラクターたちは皆、名前や容姿こそは西洋人風であっても、そんな日本人的感覚の生き様を見せたためか、ハリウッド的には受け入れ難いものだったのだろうというのが僕の見解です。
だってさ。
少女スパイ、ミハルなんかさ。戦争で死んだ両親の代わりに幼い兄妹を養うために素人スパイになってホワイトベースに乗り込んで、それでカツレツキッカの姿を目の当たりにしてカイと共に戦闘に出て……
リュウなんか、最初はどっちかと言うとガッチャマンで言えばミミズクのリュウか、はたまたゴレンジャーで言えばカレーが大好物のキレンジャー的なおとぼけキャラだったはずなのに、ランバ・ラルとの相打ちで重症を負ってからは、死を意識したのか悟りキャラに変化してしまいましたからね。
無論、死に様は当初のキャラ通り不器用そのものでしたが。
その不器用でも実直なところがなんとも人間臭くて、シャアのような天才型キャラとの対比で涙を誘うんですよね。
映画版にあったかどうか定かではないんですが、僕はテレビ版でリュウが死んだ後、
「リュウぅぅぅ、堪忍してくれぇぇぇ!」
と、四つん這いになって慟哭しているブライトのシーンがなんとも言えない名シーンだと思うんです。
組織というか、チームで行動していると、普段は目立たないけれど実はすごい縁の下の力持ちだったという。そんな人がいるという事を、経験上知らなければああいったシーンは出来上がらないんじゃないかな。
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どうしても、ガンダムというストーリーはアムロやシャアといった天才型に注目が行ってしまいがちですが、ブライトのようなリーダーとしての積み上げ型であるとか、カイのようなひねくれ者の成長の仕方であるとか、ハヤトのような地味だけど地道で実直なんだけどアムロのような天才型についついコンプレックスを抱いてしまいがちになるキャラであるとか。
本当に集団にありがちな“それ”を表していて、そういうのが魅力なんですよね。
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で。
ちょっと話を戻すと。
前項で、
「サラッと自分の為に戦っていない人たち」
と言う意味では、それが古い戦前生まれの日本人的価値観の要素が強い、ということを書きましたが。
現在もそれは変わっていない部分もあると思います。
だけど、僕はもう十数年前から、サブカル作品であるとか邦画であるとかを観ていて興醒めしてしまう部分があるわけですよ。
それが、
「みんなの為に俺は戦っているぜ!」
的なセリフなんですね。
だってさ、上記にも書きましたが。僕が教え込まれたというか、躾けられた内容からすれば、
「みんなの為に俺は戦っているぜ!」
的なセリフは恥なんですぜ。
だけど、もうほとんど存在しないであろうその時代の価値観以外で育った人たちからすれば、それは恥ではなくまともなセリフであるわけじゃないですか。
というか、みんなの為に戦っているんだから別にそれでいいじゃん的な。
そうなんです。同じ目的、同じ行動であっても、そういう微妙な違いが時代に現れるんですよね。
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そうです。僕はここまで理解できているんだから、今の若い人たちのそういった価値観を否定することはしません。というか出来ません。
ただ、僕から見た美的感覚は躾けられたままの感覚で死んでゆくと思うのです。
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